第10章 その6 ただ一度だけの交差
その6 ただ一度だけの交差
「着いたよ。ここが最下層。おそらく鉱物脳の脳幹部・・・女王種のいる所。」
もう幾度落下したか、数えたくもありませんし、のどが痛いのです。
ようやくたどりついた最下層・・・このトロウルがつくった鉱物脳ともいえる大きな巣の脳幹部が目の前にあります。
この細い通路のすぐ先です。
「ここに・・ミレイル・トロウルが・・・」
「僕達はほとんど落下でやってきたから、間違いなくレンさんを連れた一般種のトロウルより早く着いたはずさ。」
「そうでもなければ、あの恐怖の時間の連続をガマンした甲斐がありません!」
「クラリスさん、ガマンなんかしてなかったでしょう。悲鳴あげ続けて。」
「してました!ガマンの連続です。落とされる度に抵抗しないだけ、ガマンしたんです!」
「抵抗なんかされたら、僕は勝てないよ。キミを見捨てて先に進んだだけさ。」
「だから、それがガマンなんです!」
このかみ合わない感覚は何なんでしょうか、まったく。
ですが、わたしの右手をぐいぐいとひっぱる彼の左手に迷いもためらいもないのです。
一方彼の右手は槍を持ち、何かがあれば瞬時に攻撃に移れるのでしょう。ですが・・・
「あ?待って、まだレンが来ていないのでしょう?ならば来てからじゃないと・・・」
「イヤ、女王種に直接交渉する・・・僕に任せて。」
でも・・・そう言おうとしましたが、その後何を言うべきか、わからないまま、アントとわたしは「脳幹」にあたる一画に入っていくのです。
「僕達の部隊はぼろ負けしたけど、敵に精神を支配されたとか、そんなことはなかった。だから、同種以外には女王種の支配力は影響がないか、かなり弱くなると思う・・・それでも目の前に女王種がいるからには、もしもの可能性はある。その時は、支配されないよう気を強く持って。魔法兵なんだろ、魔法抵抗するつもりで、いいと思うよ。」
そう話しながらも、アントからは緊張感は感じられません。
いつものままです。
それで・・・わたしは騙されたのです。
その存在は大きくて、洞窟の狭くはない一角のほとんどを占めていました。
「ま、別に姿や生態が全部アリに似てるわけじゃないからな。別種だし。」
しかし、人型・・・いえ。
そう言い切るには抵抗があるのですが。
体毛が全くなく、赤黒い胴体の下半身が大きく膨らみ、上半身はやや小さく、四肢がいっそう小さいのです。
あれでは自分で移動することはできないでしょう、横たわったままです。
そして上半身には似合わない大きな頭部に二つの角・・・それはトロウル種のものと言えるでしょう。
そしてそれがもつ赤い・・・いえ。紅い四つの瞳がわたしたちを見ています。
(・・・子どもたちを呼んだのに間に合わないとは・・・人族がなぜこれほど早く移動できるのですか?)
「答える義務はない・・・僕たちはキミがさらった女の子を連れ戻しに来ただけだ・・・もし断るなら、キミを殺す。」
アントは女王種を脅しています。
その顔は、本来の彼には似合わない無表情なのです。
その時、ミレイル・トロウルの紅い瞳がいっそう強く、周囲に輝きを広げたのです。
頭が強い風で殴られるような不思議な感覚。
頭がボウッとします。
それに続いて、頭の中に響く声。
(武器を捨てて・・・従いなさい、人族の子。)
「あ・・・。」
(従うのです・・・さあ。)
その声はわたしの心に入り込み、次第に広がっていきます。
そして・・・わたしは腰にさげていた小剣を落とそうとしたのです。
ですが、わたしの右手はアントにつかまれたまま。
強く。それは痛いほど強く。
その痛みが手から全身に、そして頭に伝わって、頭の中が次第に晴れていきます。
「あ・・・アント。もう大丈夫です。ありがとう。」
「・・・僕はキミをこんなところに連れて来た悪党だ。感謝は不要だ。」
アントの声は、いつもより固いまま。
それも、まだ声変わりが終わっていない彼には不似合いなのです。
アントはわたしの手をとったまま近づき、女王種の側で右手の槍を振り上げました。
(・・・わかりました。あの不思議な子が、なぜ同族の臭いをさせるのか、ひょっとしたら女王殺しの同種なのかとも思いましたが・・・)
アリの中では、女王蟻を殺して、自分や自分の姉妹が新女王になるということがあるそうです。
ついでに女王蟻と働き蟻の大きな違いは「エサ」の違いらしい・・・そうアントは話していました。
どこまでこの世界のトロウルとアリに関係があるかは不明、と自嘲気味に。
彼は「アリンコ」ってバカにされていましたからアリやトロウルに詳しいのはうれしくないのかもしれません。
「答える義務はない・・・ただ、彼女はもう帰らなきゃいけない。安心しろ。お前にかまっている暇はない。この子もだ。だから、二人が帰ることを邪魔するな。」
「クラリス!アント!」
通路からレンが走ってきました。
「レン!無事ですか?」
レンが飛び込んできます。
わたしはレンを抱き締めます。無傷です。よかった!
「ゴメンね。レンが捕まって・・・」
ですが謝るレンを遮る声。
「二人とも・・・すぐに戻るんだ。」
まったく。感動の再会も打ちきりです。
急ぐのは確かですし、合理的ですけど。ふん、です。ですが・・・
「ここからは松明をつけて、この印をつけた最短ルートを使って・・・急ぐんだよ。」
そして、アントはわたしの手を離しました。
その手に洞窟の図面を押しつけるのです。
「アント?」
そして、なぜかアントは寂しそうに笑いました。
「ここからは、キミたちの帰り道だ。僕はここで見送るだけさ。こいつを人質にしておく。他のトロウルも手出しはしないはずだ。」
「アント!?」
「大丈夫さ。キミたちも大急ぎで戻れば間に合うかもしれない。さぁ、急いで!」
「そんなことじゃないの。あなたはどうするの?なんであなたは!」
わたしは一緒にここから出られるって、別れるにしても、こんな形なんか考えていなくて・・・意外過ぎて。
「あなたは最初からここでわたしたちと別れるつもりだったのですか?わたしを連れてきたのは、ここに来るためじゃなくて。ここからレンを連れ出させるためなんですか!?」
アントは困った顔をします。
それではわたしが駄々をこねているようではありませんか!
「まあね。だって、キミたちは「戻る」んだろう?僕にはわからないけれど。きっと突然この洞窟に現れたキミたちは突然どこかに戻ってしまうんだ。だからこの世界に痕跡を残さないように、魔法も使えなかった、そうなんだろう?だったらキミがレンさんを連れて行かなきゃ。」
わたしにはわからないことが多いけど、この洞窟がさっきの洞窟とどこか違うことはわかります。
きっとレンとわたしは、もとの洞窟に戻らなければならないのです。でも
「それでも・・・」
そういいかけたわたしを、レンが、蒼い目をしたレンが止めるのです。
「アント・・・あなたどこまで気づいているの?」
「何も。何もわからないさ。ただ・・・キミたちは急ぐんだろ?ちなみに僕の心配は不要だ。キミたちが戻ったと思うくらいは引き付けられるし、その後も一人で生還できる。奥の手はまだ一本残ってるしね。」
レンは何かを言いかけて、それを諦めました。
そしてうなずきます。
「クラリス。アントの言う通りなの。だから、急いで戻るの。」
レンはわたしにそう言います。
レンだって、アントとまだ一緒にいたい癖に。
「さようなら、レンさん・・・・そして、クラリスさん。キミと出会った今日だけは、僕は「リア充」だったよ。もう僕の人生はこれで終ってもいいくらいさ。キミを失って生きていくのがつら過ぎるほどだ。」
「アント!」
一度だけ。一度だけ交差したわたしたち。
ですがここで別れるという事実がわたしを走らせました。
わたしは彼に抱きつき、少しかがんで、その頬に口づけしました。
困ったような、笑ってるような、照れてるような、そんなアントの顔が、わたしの目に焼けられます。。
「さようなら、アント。」
そして、彼の目を見ます。
薄暗い中、はっきりとは見えません。
でもきっとあの夜の色をした瞳です。あの人と同じ瞳。
でも、その声はまだ声変わりしてない声です。
その声がとてもやさしく、最後の別れを告げるのです。
悲しいほどに、優しい声で。
「さよなら、クラリスさん。僕のお姫様。」
その声を聞き、もう一度だけ彼の目を見つめ、それを最後に、わたしは振り向いて、レンの右手を取って走り出します。
でもわたしの右手は、まだ握るべき何かを探しているのです。
アントと別れたわたしとレンは、アントに言われた通り松明をつけ、図面にある最短距離を急ぎます。
途中、おそらくアントがまだ女王種を人質にしているせいか、トロウルたちと出会うこともなく、無事にもとの場所にたどり着いたのです。
もう大丈夫です。わたしたちは「戻る」のです・・・ですが・・・「戻る」?
・・・アントはどうなったのでしょう?
わたしと出会った今日だけが「リア充」と言ってくれたアントです。
わたしと別れて生きるのがツライと言ってくれたアントです。
わたしだって・・・だからこう言うんです。今は・・・今はここでお別れだとしても。
「きっと、また会えるわ・・・アント。」
そう、今度はわたしが彼を見つけに行くのです。