第10章 その5 ふたり
その5 ふたり
「きやああああああああああっ!」
「クラリスさん、悲鳴大き過ぎ!」
そう言われても、ガマンできないから悲鳴なんです。
ガマンできるならしてます。
もう、さっきから何回も降下したり、滑落したり、落下したり・・・要は落ちてばかりです。
さっきはレンをかばったせいか平気ですけど、ホントは高い所が苦手で、上から落ちるのはもう怖いんです。
それこそ「銀の指輪のお姫様」が時計塔の上で散々怖い思いをしたことと関係がないとは思いますけれど、なにしろ叔父様から同じ名前をいただいた身です。
自分が体験したような錯覚を感じてしまうのです・・・。
左手の指輪は、今はありません。
まだ調整するからと言って、叔父様が一度お預かりになりました。
それが心の奥に小さな隙間を感じさせます。
「さっきから、落ちてばかりではありませんか・・・他に道はないのですか?」
「別にキミのかわいい悲鳴を聞きたくて、わざとこんなことを繰り返してるわけじゃない。僕にはそんな特殊な趣味はないよ。」
また、かわいいなんて!
この人は女の子に考えなしにモノを言い過ぎです。
そう、ただの考えなし。それが証拠に・・・
「でもこれが最短距離なんだ。連れていかれたレンさんを奪い返してキミたちが戻るための、一番合理的な判断だ。これくらい、遊園地の絶叫マシンと比べたらマシだよ・・・乗ったことないけど。」
結局はホラ、また理屈!合理的とかなんとか・・・そして意味不明の妄言。
遊園地も絶叫マシンも知りませんが
「自分だって経験したことのないものと比べないでください!」
「そんな所に行ってあんなものに乗るような「リア充」は無縁だったんだよ・・・今までは。」
なにが「リア充」ですか、まったく。
本当に、叔父様が言いそうなことばかり。
ひょっとしたら、そのせいで、叔父様がいないのにこんな状況でも怒っていられるのかもしれませんけど、それが楽しいわけじゃありません。
そんな特殊な趣味とやらは持ち合わせていないのです。
「いいかい、僕達は洞窟に先回りしてレンさんを奪回しなきゃいけない。やつらの目的地はこの鉱物脳の脳幹部分・・・おそらく女王種がいる場所だ。」
アントが、少し声の・・・まだ声変わりが終わっていない・・・トーンを落とします。
「なぜ女王種の所にレンが連れていかれるのですか?」
珍しく平坦な道に入り、アントがわたしのために確認をしてくれます。
「さっきのトロウルたちは完全に何者かの指令下にあった。おそらく制御下と言えるほどの・・・ここの鉱物脳を使って一種の精神制御を強めた女王種がレンさんを無傷でとらえるためにそうしたんだと思う。だとしたら、当然、レンさんが連れていかれるのは女王種のいるところ・・・鉱物脳の脳幹と仮定される場所だ。」
「でも・・・なんで女王種がレンを?」
「・・・あの子、ちょっと変わった子だよね?」
ぎくっ、です。レンは「夢見の一族」の末裔、と話してくれました。
そして、どうやら、ここの洞窟の主のはずのミライと通じ合っていたように思います。
ですが、ミライが従える「子どもたち」は青トロウル。
目覚めたわたしが遭遇しているのは全てふつうの赤黒いトロウルなのです。
正直何が起こっているのか、わからないのです。
「レンさん、時々瞳の色が変わるけど、その時はいっそう神秘的ていうか・・・そう、誰も入ったことのない山奥にひっそりとある、深くて澄んだ蒼い湖の色・・・そんな時は瞳の時は、特に何かが降りてきたみたいで・・・きっとそんなところに女王種が関心を・・・」
ムカッです。
なんだかとっても不愉快なんです。
「あなたは女の子の瞳ばっかり見て、誰にでもそんな風にすらすらと褒める特殊な趣味を持ってるんですね!」
「女の子の目を見るのが特殊な趣味なのかい?僕はそれには随分異論があるんだけど。」
「見ることじゃなくて、それをあんな風に誰彼構わず絶賛することが問題なんです!絶対みんな勘違いします!」
「勘違い?なんで?しかも誰彼構わずなんて褒めてない。僕が瞳の色を褒めたのはレンさんで二人目だ。」
「二人目!?二人もいるんですか!?一人目は誰ですか?」
「・・・それ、言わなきゃダメ?っていうか、言わなきゃわかんない?」
・・・わたしはしばらく彼の言葉の意味を考えます。
別にいつものわかりにくい言い回しはまったくなかったのですが、なかなかわかりませんでした。
ですが・・・。
「・・・あ。」
今度という今度は、本当に死にそうです。
顔が、いえ、全身が竜の吐息を浴びたかのように熱いのです。
心臓がドクドク、脈打っています。
わたしはうつむいて、立ち止まります。
そして顔を見られたくなくて、両手で隠すのです
ところが、アントはわたしが黙りこくったのを、これ幸いとばかり。
わたしの右手を取って再び歩き始めたのです。
「さ、急ぐよ。女王様の所に行ってレンさんを助けないと。」
それはとても合理的な言動だとは思うのです。
ですが乙女の立場というものを全く理解していない残念な人間性もわかってしまうのです。
ですからわたしはつい恨めしい視線でアントを見るのです。
「本当は僕だってこんな危険なことに女の子を、しかも自分の理想の女の子を連れてなんか行きたくない。」
また理想の女の子って!
もう、この人の言動は乙女の大敵です!
ですが彼が言いたいことはそこじゃないのです。
「だけど僕は弱くて、キミを置いていくのも怖いし、一人でレンさんを助ける自信もない・・・だからクラリスさんにも一緒に来てほしい。さっき言った通りだ。」
アントは、わたしを見ずに前を向いたままそう言います。
「どこかのだれかのために、武器をとって戦うのが兵士だけど、今、僕の目の前には助けたい人が二人もいる。絶対に守りたい。その女の子たちを助けられなくちゃ、男の価値がない。」
ですが、彼の無念は本物。
わたしを危地に同行することは、彼にとってはとても悔しいことなんです。
それは彼の兵士の矜持を、男の子のプライドを傷つけているのです。
「なりたいものにはなれず、やりたいことができなかった僕さ。でも、だからこそ、やらなきゃいけないことくらいは、やり抜かせてほしい。僕を助けてほしいんだ、クラリスさん。」
・・・本当にこの人は人の話を聞いていないのです。
「アント。わたしは最初からついて行くって言ってますよ。」
わたしが悲鳴を上げたり立ち止まったりして、不安になったんでしょうか?
「・・・えっと?」
キョトンとしたアントの顔は、本当に子どもです。
年上・・・嘘じゃないですか?
「・・・だから、怖がったり立ち止まったりしても、ちゃんと手をひいて、連れて行ってください。」
きゅっと握られたわたしの右手。
いつもはペンや小剣を握ってる手は、さっきから彼に握られてばかり。
「それに、わたしは自分の守りたいものは自分で守ってみせるんです。そのために魔法学校に入学したんですから。」
さらに強く握られる手。
同じくらいの力で握り返します。
本気を出せば彼が悲鳴を上げますから。
それを思い出したのか、アントの横顔に苦笑いが浮かびます。
「・・・やれやれ。この分じゃキミは「銀の指輪のお姫様」じゃなくて「風使いのお姫様」の方だね。ついて行く方が大変だ。」
わたしは思わずアントの横顔を凝視するのです。
その時、さっきから感じていた、微妙な違和感・・・。
それがはっきりと浮かびました。
その二人のお姫様のお話は、叔父様がわたしにしてくれたものです。
なぜこの人が知っているのでしょう?
彼が頻繁に挟むあの奇妙な言い回しも、まるであの人が言いそうなこと。
そう言えば・・・この黒い髪、黒い・・・夜の色をした瞳、優し気な顔、そしてそこに浮かぶ驚いたりした時の表情は叔父様そっくり!?
まさか・・・まさか!?
「アント、あなたは!?」
「きゃああああ!」
「なんか言った?」
縦穴の前で大切な話を聞こうとしたわたしが悪いのか、大切な話をしそうなわたしの雰囲気にまったく気づかないアントが悪いのか・・・どっちなんでしょう?
手を引かれ、幾度目かの落下・・・。
もう、落ちるのはイヤです・・・。
穴を滑り落ちながら、アントは
「悲鳴、そろそろやめてよ。クラリスさん。」
なんて言いますが
「だったらせめて心の準備をしてから飛び降りさせて!」
と言い返します。
「なるほど。それは納得。次はそうするよ。」
意外に素直なのです。
ですが、わたしはできれば次がないことを望むのです。
「アント。聞きたいことがあります。」
一度、大きく息を吸って、彼をまっすぐ見つめます。
「あなたは・・・隠し子ですか?」
そう、おそらくアントは叔父様の隠し子なんです!
そして、わたしの従兄です!
そう考えると、すべて納得できます。
あの髪に瞳の色、そっくりの顔に仕草。
姪であるわたしですら、叔父様から多くの影響を・・・メルに言わせれば薫陶・・・受けています。
息子であればもっと強く多くのことを受け取っているに決まっています。
それにしても・・・叔父様!あの人、DT聖人とかって言いながら、いつの間にかしっかりとやるべきことをやっていらしたんですね・・・ギリギリ。
思わず歯ぎしりです。
あの人の「女嫌い」は「饅頭怖い」なんです・・・あんなにぼんやりしているご様子なのに、男は狼とはよく言ったもの!
35歳の叔父様ですから、16歳の子どもがいるのはむしろ当たり前。
ただ、実はそのころは叔父様は兵役の最中なので、そこで、人に言えない事情が・・・。まさかムリヤリ、ということはないでしょう、あの叔父様に限っては。
でも隠し子にするなんて・・・。
つい口に出してしまった疑念ですが、その後もわたしの心の中では次々と新たな怒りと疑念がこみあげてくるのです。
思わずデニーのメガネが浮かび疑惑の解明を手伝ってほしいとすら思ってしまいました。
「隠し子・・・あたらずと雖も遠からず、かなぁ。全否定は・・・できないかも。」
ですが、のんびりしたアントの答えは少々意外。
「僕の両親は・・・僕が生まれてすぐ、邪竜の襲撃があってね。死んでしまったんだ。まあ、だれかが死ぬ前の両親に僕をあずけていないとは言い切れない・・・否定の証明は難しいし、しかも昔のことだし。」
邪竜の襲撃、ではアントはヘクストス生まれ?
5年前に8年ぶりの襲撃があったのは知っています。
なら・・・だいたい13~14年くらい前でしょうか?
それにしても、入念な返答です。
あなたの答えを疑ってるわけではないんですけど。
「で、その後、遠縁の夫婦が・・・今の両親なんだけど、僕をひきとってくれたんだ。でも、両親は僕がこのことに気づいていることは知らない。僕も実の子ども同様に随分かわいがってもらったから、黙ってるつもり。迷惑ばかりかけてるけど、本当に感謝してるんだ・・・ついキミには話しちゃったけど、口外禁止で頼むよ。誰にも言う機会もないだろうけど。」
・・・では、アントと叔父様は無関係なのでしょうか?
それにしては・・・一度そう思うと、仕草から言い様から、まるでそっくりです。
ですが何よりも・・・
「ごめんなさい。やはり人の事情は聞いてはいけなかったのです。」
そう言えば、叔父様にも前世のことを聞いて反省した記憶があります。
わたしはどうも反省が足りません。
今回は「叔父様の隠し子」かと思ってついムキになってしまいました・・・でもまだ引っかかったままですけど。
それをどう聞こうか悩んでいたら
「ああ、気にしてないから。それより・・・ボクも聞いていい?聞くべきかどうか悩んでいたんだけど。」
アントが言いにくそうに、それでもついに聞いてきたのです。
「キミたちは・・・どこから来たんだい?なぜそんなに急いで戻らないといけないの?」
困りました。
叔父様そっくりの、アントの夜色の瞳は、淡く輝く青いコケの光で、とても透明感があるように見えます。
わたしの心の奥を覗いているような・・・ですが
「・・・うまく話せません。」
嘘偽りなく、そうなのです。
叔父様と一緒にミライとその子どもがいるこの洞窟に来て、レンと二人で待っている間に寝てしまって、目が覚めると・・・。
「だけど、レンが知っていると思います。」
「・・・なんかある度にレンさんが話していたから、そうなんだろうなぁ・・・。」
アントは、わたしの答えで、これ以上聞いてもムダと判断したのでしょうか。
後は考えこみました。
それでも彼の手はわたしの手を引いたままで、その歩みは止まらないのです。
「ところで、あと3秒で落ちるから。」
「え!?それは3秒で覚悟しろってことですか!そんな、あ・・・きゃあああああ!」
・・・3秒ではとても足りないのです。
もっと人に気持ちを分かってほしいと切に願います。
このコミュ障相手では難しいのですけど。