第10章 その2 「アリンコ」と呼ばれた少年
その2 「アリンコ」と呼ばれた少年
仮に、あの場所を「起点」とします。
わたしとレンが眠っていたはずの場所。
しかし、やはり眠る前と後では違和感があります。
ここまでの洞窟だって、お昼頃に来た時は、もっと暗かったと思います。
コケの光は時間で変わるのでしょうか?
「お、やっと戻ってきやがったか。」
「アント、せっせと巣の中歩き回って、ちゃんと出口を見つけたか?」
「すみません。また行き止まりです。一休みしたら、また行ってきます。」
・・・どうも二人の軍人がアントに話しかけている雰囲気は気に障ります。
「あの・・・この子たちに水と食料を分けてくれませんか?」
「・・・二人分もねえよ。俺たちの分が減っちまう。お前の分だけなら分けてやらんでもないが。」
「それでいいです。僕の分を・・・」
「待ってください!そんなのって・・・それじゃ、あなたが水もなしで・・・」
「そんなのダメ!」
わたしもレンも反対します。
アントはさっきから一人で戦って、それなのに・・・この軍人さんたちは本当に仲間なのでしょうか?
「うるせえな!女だと思って下手に出てりゃ、いい気になりやがって!」
この上等兵さん、いつあなたたちが下手にでましたか!?
「あ、イヤ!」
え・・・レンが大きな男に手を引かれています。伍長さん?人を守る軍人が!?
わたしはレンを助けようと向かった瞬間、足をすくわれました!
「きゃあっ。」
倒れたわたしに上等兵がのしかかっています。
え、これって・・・うそ?いやです!
「アント、お前はトロウルの見張りしてろ・・・俺たちが飽きたら代わってやるよ。」
「ばかな・・・二人とも、こんなひどいこと、やめてください!」
「バカはお前だ。軍隊じゃ、命令は絶対だぞ。上官の言うことに逆らうのか!」
ビリビリッ!
そう言いながら上等兵はわたしの服を破っていきます。
向こうではレンの泣き声が聞こえます。
こんなのイヤ!
叔父様・・・叔父様はどこ?必ずわたしを助けてくれるのに!
「その子は・・・レンはまだ小さいの。その子には手を出さないで!」
わたしはそう言いながら、胸元の懐剣を探ります。
こんな人たちになんか!
「伍長殿は、あれくらいの方が好きなん」
グシャッ。
そう言いかけた上等兵ですが、突然、上等兵の額が後ろから槍で貫かれています・・・?
わたしにはなにが起こったのか分かりませんでした。
額から噴き出した血がわたしを濡らし、少年がわたしの上の死体を蹴り飛ばします。
そして、レンを襲っている伍長の方へ向かいます。
「てめえ・・・下っ端のくせに、上官を殺すのか?こんなことがばれたら」
「僕たちは兵士だ!兵士が武器を持つのは、人を守るためだ。お前たちみたいなヤツは、もう兵士じゃない。敵の・・・トロウル以下だ。」
少年が槍を突き出す前に、伍長はレンを盾にでもしようとしたのか、腕をつかんで引き上げますが、その時には少年は横に飛んでいました。
そして大きな伍長のスキ・・・脇腹を突きさします。
それで伍長の腕は力を失い、レンが自由になります。
「て、てめえ・・・アントの癖に。黒くてちっこくて、ちょろちょろ動くわけわかんねえヤツが、「アリンコ」がこんなことして」
少年はためらいもせず伍長の喉を貫きました。
大きな伍長の体がどおっと倒れます。
そして、しばらくの間、アント・・・「アリンコ」・・・と呼ばれた少年は、その場に立ち尽くしていました。
「・・・大丈夫かい。キミたち・・・怖い思いさせて、ごめん。」
少年・・・アントは力なく話しながら、まだ茫然としているレンを立たせます。
レンがよろよろと立って、アントに寄りかかっています・・・まだショックで、正気ではないようです。
わたしだって、さっき倒されて、しかし右手に懐剣を握ったままです。
頭が働きません。
「クラリスさん・・・これで、血を拭いて・・・破かれた服の着替えは後で渡すから。」
頭の上に大きな布を投げかけられます・・・ですが・・・その後、アントはその場にうずくまりました。
「アント?大丈夫?」
近くにいたレンがアントによりそいます。
ですがアントはそれに答えられず、むしろレンを引きはがすのです。
「・・・げええっ・・・おえええっ・・・ひっく・・・」
「アント・・・あの・・・苦しくないですか?」
引きはがされてどうすればいいか困っているレンに代わって、わたしがアントの側に行きます。
しかしアントはやはり答えず、うずくまったまま・・・胃の中のモノを吐き出していました。
「アント?」
しばらくすると、アントは
「・・・僕だって、人を殺すのは初めてだ。あんな奴らが・・・人の仲間だって残念だけど、同族殺しの禁忌を破った報いは下されるべきだ・・・こんなもんで済めば安いもんだ。」
苦しそうに幾度も胃液を吐きながら、そう言い続けます。
「・・・クラリスさん。キミに特殊な趣味がないんなら、こんな醜態を見るのは止めてくれ・・・。離れて。」
強がりなのか、嘔吐する自分が情けないのか、アントはそう言うのです。
ですが・・・
よく見れば、やはり彼は・・・
「イヤです。だって、あなたは、悲しそうで、つらそうで、苦しそうです。それに、あんなに弱ってたのに。わたしたちを守るためにしたことが、こんなにあなたを」
「同情は止めてくれ。それに僕には女の子を血まみれの上にゲロまみれにして喜ぶ特殊な趣味はない・・・先に血をふいて、着替えて。」
アントはわたしとレンを置いて、よろめきながらも少し離れた場所に行ってしまいました。
なんて強情なんでしょう。
まるで泣きそうにすら見えたのに。
「そこに水がある、二人とも水で体洗って、着替えたら、離れた場所で食事して。」
それでも彼の吐き気は止まったのか、まだムリをしているのか。
そんな指示をします。
このままでは平行線ですし、この場が不快なことに間違いはないのです。
アントの言うことを聞き、水と食料のあった場所までレンを連れて水で濡らした布で体をふきます。
「クラリス・・・アント、大丈夫かな?」
いつもと違う青みがかった瞳ですが、いつものレンです。
「大丈夫でしょう。あんなに頑固な人・・・珍しいくらい。」
もう一人くらい心当たりがないでもありませんが。
まったく面倒くさい人です。あんなに弱っていたのに、強情で。
本当は、何やら頭に来るくらい心配なんですけど。
体をふき、着替えて・・・サイズが大きいのはガマンです・・・すこしだけ水を飲みます。
食事は乾燥したパンですがムリヤリ口の中に押し込みます。
「食べたくない・・・」
そうレンが言うのは当然で、わたしだってさっきのことがあって、まだ気持ちが悪いのです。
それでも食べられるときに食べなければ兵士として戦えません。
なにより
「レン、アントはわたしたちに食べさせようと、あんなに弱ってたのに自分の分をくれるって言ってたんですよ。こんなことにはなってしまったけど、あの時の彼の好意を思えば。」
「じゃあ、レンの分をアントにあげて。」
「レン・・・。」
もともと食が細いレンです。
今まで少し甘やかし過ぎた気もします。
でもやはり無理強いはできませんし。
わたしたちは準備を終えたことにして、アントの所に行きました。
あの場所は、死体も片付けられ・・・おそらく裂け目に落としたのでしょう・・・自分で汚した場所もふいたのでしょう・・・きれい好きとも思えませんが・・・意外に見栄っ張りなんでしょうか?
「アント、もういいですか?」
「クラリスさん。僕は平気。キミたちには本当にすまないことになってしまって・・・。」
「あなたのせいではないでしょう。」
まったく。あなたはわたしたちを守ってくれたのです・・・仲間、と呼んでいた人を殺してまで。
もっと胸を張ってほしい、とは言いませんが謝りすぎです。
どんなおめでたい故郷で育ったのやら。
「アント。パン食べて。」
「レンさん・・・ああ、いただくよ。」
アントこそ、あれだけのことがあったのに、平然と食事を始めます。
それでもゆっくりと、慌てず、少しずつかみしめています。
そしてパンを半分ほど食べて止めました。
「後は止めておくよ。健康には腹八分目がいいっていうからね。」
これで八割?彼も小食なんでしょうか?
それとも残りの量を気にしているんでしょうか?
最後に一口だけ水を飲んで、後はしまってしまいました。
その後は、しばらく誰も話しません。
なにを言うべきか、わたしもわからないのです。
「・・・マグド伍長もギッシュ上等兵も、あんなことをしたから、殺して当然だ。僕はそのことに後悔も反省もない。」
ようやく話し出したのはアント。
少しかすれた声です。
「キミたちからすれば、本当にけだもの以下の最低な人たちだ。」
ですが、わたしもレンも、相槌は打てない雰囲気です。
「だけど・・・ちょっと前までは・・・戦いに負けて、みんな死んで、トロウルに次々食われて、道に迷って・・・そんなことになるまでは、もう少しはマシな人たちだったんだ。」
アントは、私たちにではなく、自分自身に何かを言いたいのでしょう。
「ろくに訓練も終わっていないまま前線に配備された僕に、いろいろ教えてくれたのはギッシュ上等兵で、僕の槍兵分隊の第2班長がマグド伍長で・・・班のみんなは僕をアントってバカにして、こき使って・・・それでも気にかけてくれてた。」
アント。彼の名前ではないのでしょうか?
あいつらは「アリンコ」って言ってました。
「もしも・・・これは言ってはいけないことだけど。でも、もしも戦いに負けなかったら、僕たちが友軍の囮にされなかったら、逃げ遅れて孤立しなかったら・・・」
もしもわたしたちがここに来なかったら?
そう言いたいのでしょうか?
そしたら、自分が仲間を殺すことはなかったって・・・ですが、その後の言葉は違っていました。
「ま、起きてしまったことは仕方がない。僕は兵士としての義務を果たしただけだ。」
って言うのです。
だからわたしはこう聞くではありませんか。
「・・・あなたにとって、本当に『兵士』であることが誇りなのですね。」
って。
ところが
「何を言ってるんだい。兵士なんて、軍人なんて最低だね。同じ殺生をするにしても狩人とか猟師とかのほうがよっぽどエライ!僕だって徴兵されたからイヤイヤやってるけど、こんなのを職業に選ぶヤツらの気が知れない。」
なんて言うんです。
それでは自分で魔法学校に入学したわたしたちはどうなるんですか!
「でも、兵隊さんが、軍人さんがいるから街の人は平和に暮らしていけるんですよ!軍人さんだって、みんなのために戦ってくれる立派な仕事です!」
まったく、こんなこともわからないのですか?それなのに
「バカだな。街に敵が来たら、街のみんなが結束してみんなで戦えばいい。それなら自衛のために戦う意味はある。なのに24時間365日戦うことばかり考えているんじゃ、みんな特殊な趣味を持ちすぎだね。」
そう言い返してきます。
カチン、です。
後はもう、負けられません、勝つまでは!
「そちらこそおバカですか!軍人がいつも戦うことばかり考えているわけじゃありません。いえ、むしろ軍人こそ平和を願って、そのために戦っているんです!」
「まるで自分が軍人みたいな言い方だな。まったく妄想もいい加減にしてほしい。」
「妄想ではありません!わたしは魔法兵です。正確には女子魔法学校の生徒で、軍属です!」
「魔法兵?女子魔法学校?・・・女の子が魔法学校に入れるのも、軍属になるのも聞いたことがない。僕だってそこまでは世間知らずじゃ・・・ないと思う・・・けど。」
急にトーンダウンしました。
どうやらこの子は世間のことに疎いようです。
実際エスターセル女子魔法学園が創立したのは今年のことですから、地方の人には知られていないのかもしれません。
そんな、ようやく言葉の応酬が途絶えた、その瞬間です。
「二人とも、いい加減にして。仲よくしようよ、ね?ケンカしないで・・・。」
レンが心配そうにわたしとアントを見ます。
なんだか罪悪感です。
わたしたちの方が年長なのに、いつもケンカばかりしている気がします。
「ケンカじゃないの。ちょっとした意見の相違です。」
「・・・キミがそう言うんなら、そうさ。女の子とケンカするほど僕は悪趣味じゃない。」
なんて言い草でしょうか。
まぁ、わたしの方からケンカする理由も特殊な趣味とやらもありませんけど。




