第8章 その8 駐屯地ナブロ
その8 駐屯地ナブロ
シーサス軍港は、前線から遠い補給基地で、比較的戦闘員が少ない様子です。
そのかわり、そこから南西に向かう軍の糧道には、だいたい30kmごとに駐屯地があります。
それが万が一に備えての第三、第四の防備なのです。
軍道の北には奥深い蒼の森が広がります。
最前線は、南の熱帯地方を遮るロブナル山岳地帯に構築された防衛線です。
この防衛線からやや下がった後方に城郭都市ミルウォル。
ここがシーサス軍港から伸びた糧道の中継地点になります。わたしたちの最終的な目的地もここです。
そこから更に、西へ進むと、山岳のやや西部にあるグレイウォ-ンという一大城郭都市があります。
高原に築かれたこの都市こそ南方戦線の、いえこの大陸の最大の防衛拠点です。
そして、そのグレイウォーンを頂点に、北西にロックウォルという城郭都市があり、東のミルウォルをくわえて、これが南の大三角と呼ばれる防衛網を形成します。
連結した軍道で結ばれたこの防衛拠点は互いに支え合うことで一層強靭さを増しています。
わたしたちの本日の目標地点は、シーサスから一番近いナブロの駐屯地です。
わたしたちの最初の宿泊地でもあります。
一緒に出発した指導中隊の方々はあっという間に先行していきました。先に任務があるのだそうです。
あの少年兵のみなさんも小さく手をふって先に行かれました。
それから何時間たったでしょうか・・・?
「みんな、がんばって。あと6kmくらいよ!」
そう元気づける自分の声すら、どこまで説得力を保っているか自信がありません。
「朝0700に出発して・・・今・・・1600ころ?」
そろそろ夕日になるころでしょうか?10月とは言え、この辺りはまだ暑いですが。
「2班、遅れてます。急いでください!」
はいはい、エクスェイル教官殿。まだ18歳の新人教官殿ですから、お元気ですね。
「もう限界ならレンネルさんは馬車で預かりますよ。」
行軍の支援用の馬車です。最後尾の馬車はすぐそこ。要救助者用です。
「お断りします! 仮令最下位でも、ちゃんと最後まで班で行軍してみせます!」
レンは、足の皮もむけてしまい、とても歩けません。
ですが、脱落もさせたくありません。班長のわたしがさっきからおぶって行軍しています。
「班長・・・ゴメン。」
レンが力なくつぶやきます。長い髪の毛が口にかかりそう。軽く体を揺すって離します。
「いいのです。仲間なんですから。」
「クラリス、交代!」
リトがレンを代わりにおぶってくれると言ってはくれますが、レンの次に小柄な彼女では難しそうです。
一番元気そうではあるんですけど。かわりにレンの装備は運んでもらっていますが。
「大丈夫。レンもリトも気にしないで。それより、デニー?あなたは?」
「すみません。わたしがもう少し元気なら・・・」
デニーはわたしと同じくらいの身長ですが、彼女も歩くのがやっとです。
荷物はまだ元気なリルが運んでくれています。
「予定では、そろそろついている時間ですが・・・。」
それはわかっています。行軍7時間、休憩2時間の計9時間で到着が目標でした。
おそらくエミルとシャルノの1班ならもう到着しているでしょう。
「クラリスのお嬢ちゃん、こっち見てくれる?いいイラスト描けそうなんだ。」
「お断りします!」
馬車から声をかけられても、応える余裕も親切心も摩耗しきっています。
「なんでえ。ケチだな。いい記事になりそうなのによ。」
まったく新聞記者というのは、人の苦労を何だと思っているのでしょう?
「デニー。憧れのクレオさんの依頼です。馬車の方を見て笑って差しあげなさい!」
「ええっ!?班長閣下!さすがにこの状況じゃ笑えません!」
「あなたもひょっとしたら将来記者になるんでしょう?だったら記事やイラストを描かれる気持ちをちゃんと知っておきなさい。」
半ば以上、クレオさんに向けた言葉ですが、おそらく彼女には届かないでしょう。
「反省します。もう記者の真似なんかしません。」
「デニーかわいそ・・・クレオさぁん、代わりにあたいを描いて!かわいくね!」
リルは元気です。荷物は二人持っているのですが、それを感じさせません。
もっともわたしたち魔法兵は軽装が取り柄なので、素備品は軽いし、荷物はせいぜい今日の食料に水、そんなところです。
それでも20km以上歩いて元気なのは、大したものでしょう。
「このペースじゃ、あと2時間はかかってしまう・・・。」
教官殿がブツブツ言っています。目算は同感ですが、だからなんなのですか?
覚悟をきめるだけでしょうに。まったく。
結局日は暮れ、1800過ぎてようやわたしたち2班は今日の目標地点、ナブロの駐屯地に到着したのです。
ナブロの駐屯地は、半恒久的な防御施設です。建物は2階建て程度の低い兵舎が規則ただしく並んでいます。
その周囲は石塁と空堀で覆われ、常駐するのは1個守備連隊(2個大隊2160名)です。
ただ、9月末から、エスターセル魔法学院の戦場実習が始まり、また今年は新設校の女子魔法学園も実習に来ました。
ですから通常の配備に加えて6個特務中隊によって編成された特務大隊が配属されています。
ちなみに1個歩兵小隊は槍・盾・弓の三個歩兵分隊30名からなっていますが、特務小隊はこれに魔法兵分隊をくわえた40名。
故に通常の歩兵中隊が6個歩兵小隊の180名に対して、特務中隊は2個特務小隊80名に4個歩兵小隊120名で200名。
更に通常の大隊は6個歩兵中隊で1080名に対し、特務大隊は6個特務中隊で1200名。数が少ない魔法兵を配備した「特務」部隊はやや人数が多い、と言うことになります。
もっとも「特務」がつくのは大隊まで。
連隊になると、行政単位という側面が強くなり、戦闘単位としての役割とは異なる場合が多いようです。
だから、直接わたしたちに関わるのは大隊までです。
もっともそれだって、旗を見るくらいで、その隊員を見るのはせいぜい中隊まで、と言うことです。
「クラリスさんもリルさんも・・・平気な顔して、でもかかとが真っ赤。もう少しで皮が破けそうでしたよ。」
そう言いながら駐屯地でスフロユル教官が「治癒」を唱えてくださいます。
「リル、えらいわね。そんな足で平気どころかあんなに元気そうにふるまってて。」
「ううん。あたいはバカで鈍いだけ。班長こそレンをその足でおぶって・・・エライ!」
2班で30km行軍の後でも異常なしなのはリトだけです。
「リトは超人です。見習わなくては。」
「違う。慣れてるだけ。デニーは?」
リトは子どもの頃から体を動かすのは慣れているのです。
ケガの具合で言えば、わたしとリルが歩行困難。
レンは歩行不可と言うところでしょうか。デニーは足というより疲労困憊です。
もっとも疲労を言い出すと、これは全身に及んでいるもので、おそらく20名の生徒ほぼ全員が訴えることになるでしょう。
そして疲労を回復する呪文は、あまり取得しないのです。
「スフロユル教官殿、「疲労回復」の術式は下級なのですか?もしそうなら術式を見せていただいて、クラスで唱えられるもので分担して詠唱して回りますけれど?」
「クラリスさん、この場合の疲労は、体力回復じゃないんですよ。全身の骨格や筋肉への軽微な損傷なんです。ですから中級術式の「肉体治癒」くらいじゃないと効果がないの。」
中級術式ではさすがに1年生のわたしたちには手に負えません。残念です。
到着し、最低限の治療が終わった着後の1900。
今日はわたしたちエスターセル女子魔法学園と、その直接の指導をして下さる随行小隊の方々との親睦を兼ねた夕食会です。
わたしたち2班はかろうじて夕食会には間に合いそうです。
とは言え、一応乙女として最低限の身だしなみくらいはするべきでしょう。
宿泊用テントの設営も大慌てで、その後は水をいただいて体をふき、髪を整え、制服に着替えます。
「クラリス、背中お願い。」
「はい、リト。」
「班長閣下、わたしのメガネはどこでしょう?」
「・・・あなたの胸ポケットですよ。」
「班長~、靴下はかせて~。」
「はい、リル。肩に捕まってください。」
「・・・レンの髪、おかしくない?」
「大丈夫です・・・でも顔色がよくないです。お休み・・・」
・・・はできないのです。レンもわかって、首を振って健気に微笑むのです。
なにしろお世話になる指導小隊のみなさんとの、正式な顔合わせです。
多少のことはムリしなければいけません。それが責務なのです。
そんなわけで時間いっぱい、みんな身支度で大忙しです。
「クラリス・・・指輪?」
「はい。今日は装飾品も一つだけ許可されていますから。」
「班長閣下!それは装飾品なのですか?その銀の指輪はただの凶悪兵器では?」
かちん、です!これは、せっかくの叔父様の心遣いです。そもそも閣下はやめて!
「左手の中指・・・微妙な位置。」
「いいないいな、あたいも欲しいな~」
「・・・うん。」
指輪は意味深ですよ?
もらう相手も考えましょう。
ちなみに試作品の指輪の青い台座は不自然なので偽装用の碧玉を上にかぶせています・・・これはメルが届けてくれました。ですが・・・
「その碧玉・・・大きすぎです!いくらするんですか!?」
わたしの使いどころに乏しい鑑定によれば・・・金貨10枚くらいでしょうか?
「偽装でそれ?意外に高価。」
「クラリス班長、愛されてる~!うらやましい~」
あ、あ、あ、あ、あ、あ・・・って、それ、ぎっちょん、です!
でも、それは勘違いなのです。叔父様にはできれば実家の家計にもっと寄与してほしいのです。
なんて準備が終わって、ようやく移動を始めた時、どさっという音が・・・。
「レン!?」
振り向くとレンが倒れています。
隣にいたリルが慌てて抱きかかえています。
デニーがオロオロしている間にリトがリルを助け、二人がかりでレンを優しく持ち上げます
わたしも急いで戻りました。
「レン・・・レン、大丈夫?大丈夫なの?」
リルが心配して何度もレンを呼んでいますが、レンは返事をしません。
「リトとリルはレンを救護室へ連れて行って・・・場所はさっき聞きましたね?」
「了解。」
「うん。レン頑張ってね。」
二人はレンを連れて通路を進みます。心配ですが・・・
「デニー、わたしたちはスフロユル教官か、ワグナス教官を探してレンのことを報告します。・・・夕食会場でしょうけど・・・ついてきて。」
「了解です、班長閣下!」
「閣下はヤメテ。特にこんな時は。」
「すみません・・・ですが、けっこうマジで言ってます。班長、だんだんと凄みが出てきましたから。」
本気?本気の様です。まったく。
「・・・それはかえってイヤです。」
わたしたちは急いで夕食会場に向かいます。
夕食会場は、駐屯地の中庭に設営されています。
他の班や指導小隊のみなさんはだいたいそろっているみたいです。
「クラリス、こっちですわ。」
「めっちゃ遅いよ・・・あれ、リトは?リルルもレンネルもいないけど?」
1班は最初に到着したようです。
シャルノはプラチナブロンドの髪を結って、ティアラなんてつけています。
そういう姿を見ると伯爵令嬢そのものです。
エミルはさりげなく金の飾りに紅玉のついたイヤリングをつけています。
こちらは商家の娘には見えないほどのお姫様ぶりです。
ころころ変わる表情と言葉遣いさえ気にしなければ、ですが。
「レンが体調を崩して、みんなで救護室に運んでいます。教官のみなさんはどちらですか?」
エミルが指さす方を見ると、ワグナス教官やスフロユル教官は、軍の方々と打ち合わせ中です。
では手の空いているのは?
「2班ならエクスェイル教官殿がいらっしゃるでしょうに。」
シャルノはそう言うのですが、わたしはあの計算高そうな方を頼りにできません。
ですから、豊かな赤い髪を見つけて、セレーシェル学園長のところにまっすぐ向かいます。
学園長は学園代表、しかも我校最初の実習参加ということもあってか、随分とオシャレを・・・と思いきや、いつも紫のスーツです。
それでも銀のピアスだけはつけていますが、それだけで充分おきれいです。
「学園長。2班のレンネル・リシャイロスが体調不良なのです。今意識を失って、班員が救護室に運んでいます。わたしたちは夕食会を欠席して彼女の介護にあたりたいのです。」
きをつけの姿勢で許可を求めるわたしに対して学園長は困ったように眉を顰めます。
「・・・少し待ってくれる?今、どうも軍の様子がおかしいの・・・。何もなければ許可しますが、しばらくこの場で待機して。」
主な教官方がいません。それは軍との打ち合わせ、という軽いものではなかったようです。
思わずわたしも表情が強張ったのでしょう。デニーまでも
「班長閣下・・・ここでの最悪の事態って・・・何を想定すればいいのでしょうか?」
前線からは100km以上。目的地であるミルウォルまで60kmほどの二日行程。
明日の目標ケブロの駐屯地まで30km。通常の戦局では問題など起こりようがないのです。しかし・・・。
「最悪となれば、戦局の悪化。いえ、前線の崩壊。それくらいは想定しなさい。」
デニーには「戦術」の実習授業から戦場ではさまざまな想定を・・・最悪なことも含めて・・・するように指示していました。
そのせいか、彼女は持ち前の頭脳を活かして随分と状況予測ができるようになってくれて、助かったものです。
わたしだけでは難しい場面も彼女が予測してくれたことも随分ありました。
しかしさすがに軍の指導部隊と合流したせいで、どうも人に頼っているようです。
しかし、そんなわたしとデニーの会話を聞いて
「あなたたち、さすがに考えすぎです。ここ最近の戦況はとても落ち着いていますし、なによりロブナル山岳の防衛線になにかあったなんて、ありえないんですから。・・・軍人さんきどりもいい加減にしないと、軍の方に失礼ですよ。」
学園長は、そうたしなめるのです。
まあ、その通りなのです。
わたしたち学生がそんなことを想定するのは、ここで働いている軍の方々に失礼だ、と言われれば反論すらできません。
しかし、しばらくすると、教官や軍人さんが散会してこちらに向かってきます。
「エスターセル女子魔法学園の生徒は今すぐ集合せよ。班長は点呼!」
「第一、第二指導小隊、第2会議室に集合だ。」
「特務中隊、ただちに夕食を済ませろ。夕食後は各小隊長は大会議室へ!」
軍の方や教官方が叫ぶ中、わたしたちは不安を隠すことはできませんでした。
軍人のみなさんが、あの少年兵の方ですら迅速に行動していましたが、学園の生徒は右往左往して、小声で互いに話してばかり・・・。
わたしは大声で叫びます。
「2班、救護室に3名。他全員います!」
たったふたりですが、並んだのでわざとらしく報告します。
わたしの声に、シャルノが反応してくれました。
「あなたたち、戦場に実習に来ているのですよ!このくらいで慌てないで!集合よ!」
エミルも乗ってくれましたけど
「自分ら!行軍最下位の2班に、最後の最後で負けるんかい!家に帰るまでが実習やで!」
相変わらず何を言ってるか分かりませんが、きっとわたしを褒めてるのでしょうね?
二人のおかげで1班が大慌てで並び終え、それに3班、4班も続きます。
その間、ワグナス教官が他の教官に何か伝えています。
ミラス教官が大げさに両手を振り回し、エクスェイル教官が茫然としています。
教官方の動揺が伝わってきます。
わたしたち生徒はその間一言も話さず、ワグナス教官が話し始めるのを待ち続けます。
そんな長い時間・・・実際には大した時間ではないはずですが・・・が過ぎ、ワグナス教授がわたしたちの前に立ちます。
「エスターセル女子魔法学園は、明日0500にここナブロを出発します。目的地はシーサス軍港です。」
ざわざわ・・・みんなが騒ぎそうなところで
「みんな、まだお話し中ですわよ!」
シャルノが注意します。みんなが収まっていくと、ワグナス教授が続けます。
「そうです。落ち着いてください。戦場実習は終わりです。これからわたしたちは、ここが戦場になる前に退避しなければなりません・・・これは実習ではありません!いいですか?ここが戦場になる前に、ここから待避します。これは実習ではありません!」
そう。わたしたちの戦場実習はこの瞬間、終わりを告げました。
これからは、戦場からの脱出という、現実の行動になるのです。




