第8章 その6 戦地の再会
その6 戦地の再会
セーメル港は、セメス川の河口にあり、その水運とケール湾の海運双方の要地。
地政学の授業でそう習いました。
外洋への需要が小さい現状、この地の重要性は極めて大きく、逆に言えば、5年前の、事実上の敗戦があっても未だに南方戦線がかろうじて維持できるのは、ここセーメル港が、人員や物資の輸送集積所として発達していったおかげともいえるのだそうです。
「この5年間でセーメルの規模は倍以上に成長しました。それには、アドテクノ商会の尽力が大きかった、とも聞いておりますけど。」
「へ~~、そんなん、よう知らんかったで。」
歴史や地政学が得意のシャルノが、せっかく話題を振ったのに、当のエミルは、まぁ、学問はまだまだ、というところです。
そんなセーメル港で、わたしたちは久しぶりに自由行動が許可されました。
もっとも班行動で、しかも教官の引率付きですけど。
わたしたち2班には、なんとエクスェイル教官殿が同行します。
シャルノやエミルの1班にはワグナス教官で、彼女たちには「代わってください!」とか「めっちゃズルイ!」とか散々言われましたけど、別にわたしたちが決めたものではないのです。ふふ。
もっとも、オマケでもないのですが、わたしたちを中心的な取材対象に決めた新聞記者見習い・・・クレオさんも同行するので、なんだか、エクスェイル兄妹ケンカの仲裁を期待されてる気もします。
とは言え、取材の本命は伯爵家令嬢シャルノや大商会令嬢エミルであるらしく、新聞記者さんは1班に向かったので、2班のクレオさんは「情報収集のついでにあわよくば取材、くらいの軽い扱い」と、ブツブツ言っておられましたけど。
そんなクレオさんに半ば師事するようなデニーが、情報収集に同行します・・・あの子、魔法兵になる気、あるのでしょうか?
最近はめっきり新聞記者に興味津々です。
二人は酒場に行って、船乗りさんからお話を聞いてくるんだそうです。
「あの、エクスェイル教官殿、クレオさんたち、わざわざ酒場に行ってくるって言っていますけれど、ご心配ではありませんか?」
クレオさんは一見男性の身なりですが、17歳の立派な女性ですし、おまけのデニーは生徒です。
「あぁ・・・まあ、大丈夫です。ああ見えて妹は僕より世間慣れしていますし、デニスくんが一緒の方が無茶しないから安心なくらいです。」
「意外に冷静。」
「リーデルンくん、兄妹なんてそんなものですよ。」
「わかるなぁ、あたいにも兄ちゃんいるけど、別に、いるだけだし。」
「・・・そう?仲良さそうだけど?」
レンはリルのお兄さんを知ってるようです。
「それに、クレオにとってはこれも練習です。今、南方の情報なんて軍から学園に流れるものとどうせ大差ないでしょう。それでも、一応調べて、比べることが本人の経験になるんです。」
なんだか冒険者みたいです。ですが、叔父様も情報の独自入手は否定しない、と話してくださいました。
よほどかつての従軍経験でひどい目に遇われたのでしょう・・・。
「・・・魚臭い・・・吐きそう・・・。」
あ、レン?実は港町と言うことなのでしょう。
かなり潮の香がきつく、入港前からレンは苦しそうでした。
船で休むよう言ってみたのですが、みんなと離れたくなさそうで、連れてきてしまいましたが・・・ここらあたりの海産物のお店はひときわにおいがきつく、もう限界の様です。
「クラリス班長、あたいがレンを連れて戻る。あたいも、もう飽きたし。」
「自分もついて行く。」
リトが二人を見てくれるなら安心です。
「では、お願いします。わたしはデニーとクレオさんが戻るまで、待ち合わせ場所にいます。」
「それでは、リーデルンくんにリルルくん、レンネルくんをお願いします。」
そんなわけで、気が付けば、わたしはエクスェイル教官殿と二人でセーメル港の街区を歩いています・・・意識すると、いけません。
年頃の男女で連れ立って歩くなんて・・・しかも教官殿は背も高く、とても格好いい方です。
あの緑がかった瞳、よく響くお声・・・。
「クラリスさん。」
「は、はひっ!」
・・・なんか緊張します。顔が熱いです。
「あの・・・2班はとてもユニークな班ですね。」
「はひ・・・?」
にはんはゆにーく・・・?
「あなたのような首席クラスが率いているとはいえ、デニス、リルル、レンネルの3人は劣等生です。それにも関わらず戦術実習では急速に力を伸ばし、一番困難な偵察任務で最も優秀な成果を出しています。なによりチームワークが・・・?クラリスくん?」
すみません。途中から聞こえていませんでした。かちん、です。
「エクスェイル教官殿!戦友ともいえる仲間を劣等生と言われては生徒と言えども反論があります!デニス、レンネルは魔術士こそレベル2ですが、デニスの戦況分析や地形把握能力は優秀です。レンネルはまだ13歳で人見知りする生徒ですが、任務に忠実で、また術式の暗記は得意です!リルルにいたっては魔術士レベル1ですが、明るく無邪気で素直な人柄でチームのムードメイカーです!更に今名前を挙げなかったリーデルンは魔術士レベルこそ4ですが、その判断力や白兵戦力の高さはおそらく学園最高レベルです。この仲間があっての2班です!」
もう、とてもがまんできません。例えあのイスオルン主任教授であっても許せないところです。
「それを、表向きの成績だけで劣等生扱いですか!まだ授業もなさっていないのに、生徒を何だと思っているんですか!」
エクスェイル教官は、なにやら困った様子で口をパクパクしていらっしゃましたが、気にしません。誰ですか、肩をトントン叩いて!
「あの、いや、クラリス班長!かばってくれて、うれしいですんけど、教官相手に言い過ぎです。それくらいであとは謝罪した方が・・・」
「謝罪!?誰が誰にですか!・・・ってデニー?いつの間に?」
振り向くとデニーの顔が肩越しに見えます。
眼鏡は曇った状態で、表情があまり見えませんけど困っているような気がします。
「いや、デニー止めるな。どうやら、バカ兄貴が怒らせたんだろう。クラリスの嬢ちゃん、もっと言ってやれ!」
クレオさんの紫銀色の瞳がいたずらっぽく光っています。
そう言われる逆に怒りが静まっていきました。ふう、です。
「なんだ、もう終わりか・・・なかなか面白かったんだがな。いい記事になりそうだ。新米教官、女子生徒を激オコさせる。」
「いやいや、クレオさん、お互いそれはまずいので、ここはなかったって方向で、何とか。」
デニーが火消しに懸命です。言われてみれば、少しばかり言い過ぎでしょうか。
「そうですね。デニー、船に戻りましょう。」
「はい、班長閣下!」
そのへたくそな敬礼と閣下の敬称は不要です。
わたしとデニーは、エクスェイル教官殿とその妹御を放置して帰船しました。
「すみません、エクスェイル教官殿。うちの班長は見かけによらず、怒ると伯爵令嬢もトロウルも主任教授もぶっ飛ばす女傑でして・・・ご勘弁を。」
「デニー!」
まったく、あんな人に謝罪は不要です。
叔父様の爪の垢でも、と言いたいところです。
叔父様はひきこもりでもコミュ障でも女嫌いでも穀つぶしでもあるけれど、軽はずみに生徒の可能性を決めつけはしませんでした。
あのエスターセル魔法学院の卒業生ともなれば、あんなものですか。
あれではクレオさんが「バカ兄貴」と仰るのも当然です。
それでもこの一件が広まると教官にもお立場があるので、デニーには口止めしておきましたけど。
「レン、体調はどうですか?」
「・・・うん。少し楽になったの・・・でも、ご飯は食べられない。」
夕食は新鮮な海の幸、シーフードのパスタにお魚のフライ、海藻のサラダでしたが・・・。
「レンはお魚嫌いだったね。好き嫌いはダメダメなの。でも・・・」
せっかく積み込んだ新鮮な食材も、これはいけません。
いえ、軍に入る身であれば好き嫌いは許されないのですが・・・。
「これ食べて。」
リトがこっそり非常食を買っていたようです。
二度焼きしたパンにソーセージくらいでしたが、ナイスです!食料の現地調達も時には必要でしょう。
「・・・ありがとう。リト。」
お礼を言って、小さい口で一生懸命にほおばっています。最近レンは元気がありません。
もともとクラス最年少でもありましたし、内気で人見知り・・・環境の変化にも弱いのでしょう。
ここ数日は一人では寝られないようで、わたしが一緒に寝ているのですが・・・教官たちには内緒ですけど・・・食欲は次第に落ちています。
どうやらレンは戦場に近づくにつれ、怯えているような気がします。
スフロユル先生にでもご相談するべきでしょうか。
ですが、魔法兵を目指してエスターセル女子魔法学園の門を叩いたものとしては、自分で立ち向かうべき壁でもあります。
その夜。消灯時間を過ぎていましたが、わたしはこっそり聞いてみることにしたのです。
「レン・・・戦場実習がこわいのですか?」
レンの小さな体がビクッとします。わたしは安心させようと抱きしめながら耳元で話し続けます。
「安心して。誰にも言いません。ですが、あなたの本当の気持ちを知りたいのです。」
レンは、しばらく黙っていましたが、ようやく話し出してくれます。
「・・・うん。怖いの。だんだん怖くなる・・・それに、時々悪い夢を見るの。」
わたしはレンが話してくれた内容に耳を傾けます。
ですが、それは、わたしの予想をはるかに上回る内容だったのです。
それは・・・レンは「夢見の一族」という特別な出生ということなのです。
先祖代々予知夢を見て、予言を伝える一族だったそうです。
時の為政者に尽くし、しかしいつしか一族からはその力が失われ、レンも普通に魔術適性が高いだけの「俗人」のはずとか。
だからこそ、エスターセル女子魔法学園に入学を許可されたそうです。
しかし、9月に入ってから次第に、不思議な夢を見ては、現実がその通りになる、そんなことがたびたび起こり・・・この間の・・・大演習場の爆発も夢に見て・・・それであんなに怖がっていたのですね。
では・・・
「レン・・・話してくれますか?あなたが最近見ている夢って?」
レンの髪を撫でながらそう聞いてみます。
「ダメ。夢は話してはいけないの。話せない、という事実が最大のお告げなの。」
レンは決してその内容を話してはくれないのです。
夢を話す、それだけで既に事象に関わってしまう禁忌。
だから夢の内容を明かすことは、重大な秘跡。
今のレンは、怖い夢を見た、それしか話せない。
それこそが彼女の最大の勇気とすら言えるとわたしが知ったのは、もう少し後のことなのです。
それでも話したことでいくらかでも安らいだのでしょう。
ようやくレンは眠りについたのです。彼女が無防備に寝息を立てたのは、久しぶりかもしれません。
翌朝、わたしはデニーにセーメル港で集めた情報を聞いてみました。しかし
「南方戦線、異常なし、です。ここ最近では極めて安定している、という軍民両方からの情報です。」
どうも、難しい局面です。わたし一人の胸に中に収めるには大きすぎます。
しかし、レンが信頼して打ち明けてくれた不安を、放っておく気もありません。
「戦場ではなにがあるかわからない」・・・叔父様がお話してくれたことが、急に重くなって感じます。
叔父様・・・お会いしたいのです。
それが、レンの夢に関わる助言を欲してのことなのか、或いは自分自身のただの素直な気持ちなのかは、わからないのですが。
「ところでデニーは本当に魔法兵になりたいのですか?最近では新聞記者みたいになってますけど。」
話の流れで、ついデニーのことを聞いてしまいました。
「あ~・・・私は、特に魔法兵にこだわりはないですね。もともとエスターセル女子魔法学園に入れたのも一夜漬けみたいなものですから・・・」
一夜漬けで合格できるものですか!?まったく話を盛り過ぎです・・・でも
「では、そもそもどうして入学しよう思ったのですか?」
「それは班長・・・口減らしですよ。ここに入ればとりあえず食べられるし、お給料ももらえますし・・・もしもここに落ちてたら、今頃どっかのだれかの嫁さんか、近所のおっさんの愛人か・・・どちらも遠慮したいですしね。」
「あ~あたいも!あたいなんか、下にまだ妹が3人もいるから大変なんだよ。お給料だって全部お家に入れてるし・・・。」
こういう話を聞くと、自分がいかに恵まれているか思い知らされます。
豊かでない、と思っていた実家の生業も、じつは叔父様が引き受ける仕事で余裕があるようですし、勉強だって叔父様が見てくださいました。
「自分は・・・父の後をついで騎士になりたかった。」
リトのお家は下級とは言え騎士でしたね。地方に封土があると聞いています。
「だけど、女に継承権はない・・・だからせめて魔法騎士になる。」
純粋な騎士位は未だ男子のみしか継げないのだそうです。
リトには弟さんがいるのですが、病気がちとか。
このままでは騎士としてのアスキス家が途絶えるかもしれないのです。
ですが新たに魔法騎士の叙勲を受けることは可能なのです。
リトは2年に進級する際に魔法騎士科・・・選択課程で可能・・・を希望するそうです。
「クラリスは?」
ドキッです。
みんなのお話を聞いてしまえば、自分のことなんて子どもっぽい、現実離れしたことのように思えます。
ですが、みんなのことを聞いておいて、ここで話さないのは卑怯という気もします。
わたしは、あの日の光景を思い浮かべます。
10歳のわたし。魔術の才能を認められたわたしを、本当にうれしそうに抱きかかえる叔父様。
その頭上に突如出現した、大きく邪悪な影・・・。
あの日、ヘクストス北西区の一画は大きな被害を受け、特にわたしたちがいた、あの商店街の通りは一瞬で焼き払われ・・・生き残ったのはわずかに二人・・・。
「わたしは・・・5年前の邪赤竜の襲撃で生きのびた者です。叔父様と魔法兵ゴーレムのおかげです。ですから、生き延びたからには・・・守られるのではなく、誰かを守る存在になりたいと思ったのです。叔父様から頂いた、この名前と魂にふさわしい存在に、きっとなってみせます。」
みんなが沈黙したのは、あまりに子どもっぽい理由にあきれたのでしょう。
そう思いました。ですが、少し遅れて
「班長。すごい!あたい尊敬!」
「さすが班長閣下です。わたしも、尊敬です。」
「・・・うん。レンも。班長すてき。」
みんな、呆れたりはしないようで、一安心です。
あまり褒められると恥ずかしいのですけど。
ところが、リトが
「納得。それでフェルノウル教官殿がクラリスに巨大ゴーレムを作る!」
なんて言い出したので・・・そう言えば教官室でそんな話題がでましたね。
「ええっ!フェルノウル教官殿、そんな偉大な事業に挑戦しておられるのですか!」
「教官殿も尊敬!あたい、見直したよ!」
「・・フェルノウル教官、すてき。」
それは誤解なのです!
いえ、叔父様がゴーレム生成を研究しているのは本当かもしれませんが・・・不安です・・・その理由は、ただわたしの話をちゃんと聞いていないだけなのです!
だから、あの人を素敵とか尊敬とか、そんな風に感じるのは何か間違っているのです。
その後も、アウレイア号は順調に航海を続け・・・レンはまだうなされながらですが・・・進路の右手には沿岸が見えます。
ここ3日ほどはずっと森林が見えます。
あれが南の大森林、「蒼の森」なのでしょう。
更に森林が途切れた翌日には、南方戦線の窓口ともいえるサーバス軍港に入りました。
軍港では、わたしたちを指導してくださる特務中隊と特別編成された軍楽隊が出迎えてくださいました。
誇らしくも恥ずかしい、そんな感じです。
わたしたちは甲板に並び、敬礼を終えると下船して、指導中隊の方々がつくる陣列の中を行進していきます。
言いたくないんですが、いちいち恥ずかしいんです。
考えてみればわたしたちは20名一クラスの小規模校で、自分たち以外の人目を気にする経験が乏しいのです。
先日以来の「敬礼下手」もそのせいでしょう。ですから
「クラリスさんだ!」
「クラリス・フェルノウルさん!本当に実在したんだ!」
とか、こんな名前を言われるような騒ぎなんかまっぴらです・・・って・・・え!?
「クラリス・・・知り合い?」
知りません、少年兵の方々なんて・・・少年兵?
「俺達、8月にセメス川から輸送船で、ほら・・・」
ああ!わたしがヘクストスからエクサスに戻る時に敬礼した輸送船の人たち!!
見覚えが、と言えるほどの記憶はありませんが、確かにこんな雰囲気の人たちでした。
「みなさん!ご無事だったのですね!」
ですから、思わず大きな声で応えてしまいました。
「そこ!儀式行進中だぞ!」
あ、すみません・・・。
でも・・・少年兵のみなさんとふと顔を見合わせます。
そしてにっこり。本当によかったです、みなさん!




