第8章 その5 エクスェイル兄妹
その5 エクスェイル兄妹
おそらくはセレーシェル学園長はじめ、教官方も「水操り」の件はご存じだったと思いますが、良くも悪くもこの一件でコメントをいただくことはありませんでした。
コメントは、予想外の所からいただくことになります。
わたしたちを取材していたクレオさんです。
クレオさんは、今も一件のメモを取りながら、話しかけてきました。
「クラリスの嬢ちゃん、あんた、いい魔術士だな。いや、俺にはよくわかんねえけど、でもあんたの詠唱からはアンティパパの臭いがするよ。」
初対面の時の不愛想な表情と声は一変しています。いえ、それはいいのです。ですが
「アンティ・・・パパって?」
「誰?」
エミルとリトの声がします。わたしは、わなわなわな・・・なんです。
みんなにはわからない、それが当然なのです。つい声が大きくなります。
「そんな呼び方、許しません。いえ、叔父様の真名をお呼びするのは、許されません!」
そう詰め寄るわたしですが、
「真名じゃねえし。愛称だし。」
クレオさんは平然と答えます。
「あいしょうって、あだ名なの?仲良し?」
「・・・パパ?」
「クレオさん、それでは、あなたはフェルノウル教官殿の隠し子と言うことですか!?」
リルやレンの反応はともかく、デニーは、もうただの醜聞記者です。
「ええ~~っ!」
みんなが一斉にそんな声を上げます。
「ここでいう話じゃねえし、これでも俺は記者の端くれだ。てめえの素性で商売はしねえよ。」
クレオさんはそう言いながらも、書き物を止めません。
「クレオさん・・・絵がお上手ですわね。その筆記体も早くてきれいです。」
いち早く冷静になったらしいシャルノが、わたしたちの間に入ります。うまく外された感じです。
「ああ。これもアンティパパに習ったんだ・・・女に文字とか絵とか、知識を教えるのはあの人の数多い取柄の中でも三番目くらいに立派なことだって俺は思うね。」
「叔父様のこんな高評価、初めてです。」
クレオさんが、叔父様に敬意と親愛をお持ちなのはわかります。ですが・・・どういうお知り合いなんでしょう?
「クレオさん、少し船室でお話しましょう!」
デニーがそう声をかけ、わたしたちの船室で話すことになりました。
「記者見習いなんていっても、実情はただの雑用と絵かき扱いさ。記事を書くのは先輩、たまに書いても名義は先輩。それでも、スキを見て記事を書いて・・・実績を稼ぐしかない。」
「へ~~、クレオさん、大人です!」
すっかり心酔しているメガネはともかく、初対面からは随分印象が変わりました。
みんなも戸惑っています。
穏やかに話すクレオさんは、言葉遣いは変わりませんが、口調から乱暴なところがなくなり、さっぱりした印象です。
「そりゃ、こっちもさ。いきなりアンティパパを川に突き落とすなんて、殺してやろうかと思ったね。ところがさっき会った学園長に『あのくそ女は?』って聞けば、『あぁ、ただの叔父様っ子です。』だとよ・・・。」
叔父様っ子・・・それはずっと前の話で・・・今は・・・。いえ、そこじゃありません!
「ですから、その、呼び方です!」
「パパ?」
「・・・どっちの意味かなぁ・・・めっちゃ気になる。ぬふふ。」
「エミル、悪趣味ですわよ。でも、まあ・・・。」
「クレオさん!フェルノウル教官殿とのご関係について詳しく!」
「リルも聞きたい聞きたい!」
「・・・レンも。」
人が多すぎですが・・・まあいいです。
「ま、隠すことでもないしな・・・いいもん見してもらったし・・・特別だぜ。」
ごくっ。思わせぶりなタイミングに、思わずみんな、はしたなくもつばを飲み込みます・・・が。
コンコンコン。
ここでノック!?誰でしょう、こんな時に、もう。
「エクスェイルです。・・・クレオ、ここにいるって聞いたんだけど?」
え?エクスェイル教官殿!?思わず背筋が伸びます。
エミルやシャルノ、リルは急に髪を整え始めました。少し顔が赤いようです。
デニーはメガネフキフキ。リトやレンは平気みたいですが。
「クレオさん?教官殿とお知り合いなのですか?」
わたしはそう呼びかけながら、扉に向かいます。開けていいか?ということを暗に聞いたつもりです。
「まあ。知り合いっていうか・・・兄貴なんだ。」
セイン・エクスェイル教官・・・正式には助手扱い・・・は、下半期に臨時雇用された教官の一人です。
まだ18歳!今年エスターセル魔法学院を次席で卒業なさったばかりだそうです。
さっきの醜態をさらした人たちの先輩とはとても思えません
長身で、金髪に緑がかった瞳の、とてもすてきな方です。
初めて見た時は、思わず目を疑ったほどでした。
まだ講義はしていませんが、今後イスオルン主任にかわって戦術の演習を中心に担当されると聞いています。
船室の扉を開けた時、目が合ってしまい、わたしの胸が一瞬止まりました。
いけません。顔が熱い気がします・・・。
「ああ、2班班長のクラリス・フェルノウルくんですね。すみません。クレオがキミに失礼なことをしていないか心配になって。」
バリトンっていうのでしょうか、とても胸の奥にまで響くお声です。
「兄貴。そんなことでわざわざ追っかけてくるんじゃねえよ!キモッ。」
どうやら、本当にご兄妹のようです。
「教官殿。まずはお入りください。」
「いや、本当に申し訳ない。しかし、さっきまでこいつ、何をやらかすかわからないくらい荒れていて・・・」
エクスェイル教官は妹のクレオさんが、わたしに対して・・・つまり叔父様に無礼なことをしたくそ女・・・コホン・・・悪意を持っていたので心配になって様子を見に来てしまった、と言うことなのです。
そして
「俺たちの本当のオヤジは・・・15年前戦死してな。で、当時オヤジと同じ隊だったアンティパパが、影ながら俺たち家族の面倒を見てくれてたんだよ。」
「で、こいつはフェルノウルのおじさんが新しいパパになるって勘違いしちゃって、勝手にアンティパパなんて呼ぶようになって・・・」
クレオさんが真っ赤になってエクスェイル教官の口を塞ぎにかかります。
「こら、くそ兄貴!そんなことバラすんじゃねえ!」
本当に仲のいい兄妹です。わたしもこんなお兄さん、欲しかったって思います。
あんな叔父様ならいますけど・・・でも
「叔父様が・・・面倒を、ですか?」
昔は・・・しかも15年前と言えば叔父様もまだ20歳。
まだ製本・写本師としては未熟でそれほどお金は・・・ハッキリ言えば、生家の穀つぶし時代のはずです。
「おじさん、軍を退役した時、退職金に加えてかなりの褒賞金をもらってたんだけど、全部おふくろに手渡したんだ。」
ええっ!退職金も恩給もなかったって父さんが言ってたけど・・・ウソなのですね!
もう、お金に関してのウソを、しかも父さんにまでつくなんて!
「ああっ、クラリスのお嬢ちゃん!それはパパを怒らないでくれ。そのおかげで俺たち一家はこうやって生きのびたんだから!」
「そうです。しかも、その後もおじさんはたびたび僕たちを訪ねてくれて、いろんなことを教えてくれたんです。だから、平民の僕が魔法学院に入学できたのも、妹が女だてらに文字の読み書きやイラストを描いたりできるのも、おじさんが教えてくれたからなんです。」
・・・ひきこもりの癖に、いつの間にそんなことまでしているのでしょうか、あの人は。
「おじさんには、できれば妹に口の利き方とか女らしいふるまいとかを教えて欲しかったんですけどね。」
「うるせえ!くそ兄貴!てめえはパパからもっと女への気遣いを学んでおけよ!」
ぷぷっ。
兄妹以外のみんなが一斉に吹き出しました。
あの叔父様に女性への気遣いを学ぶというのは、ありえないことです。
それはあのエスターセル湖岸の秋の紅葉が一斉に枯れるくらいありえないことなのです。
いえ、あの美しい景色が消えるのですから、むしろあってはならない、というレベルでしょう。
どうもクレオさんは叔父様への敬愛が強すぎて、あのひきこもりの女嫌いのコミュ障を美化しすぎています。
女性に優しいというのは間違いじゃありませんけど。
「・・・おかしくねえ!アンティパパはすげえ、いい人だ。」
わたしだって、いい人なのは否定していませんよ?
「うん。教官、いい人。」
「・・・優しい。」
リトやレンも叔父様が「いい人」なのは認めています。
「ところで・・・エクスェイル教官殿!質問があります!よろしいでしょうか!」
デニーのメガネが光っています。
またなにか感づいたのでしょう、本当にこの子の頭脳は醜聞あさりにばかり無駄遣いされています。
残念な子なのです。
「ええっと、デニス・スクルディルくんでしたね。あまり変なものでなければ。」
まだ授業を受け持ってもいないのに、もう生徒の名前と顔を把握していらっしゃいます。
叔父様とは大違いです。ご立派なのです。
「はい。フェルノウル教官殿に縁のお二人が、この戦場実習に同行なされる、ということは偶然とは思えません・・・ということは!」
え?どういうことでしょうか?偶然ではない?・・・エクスェイル教官とクレオさんは決まり悪そうにしています。
「くそ兄貴・・・おめえがわざわざこんなところまで追いかけてくっから・・・」
「それを言うなら、お前こそ、クラリスくんを意識しすぎだ。おかげでだなぁ・・・」
え?わたしですか?ドキドキです。いえ、違うのはわかりますけど。
「なるほど。やはりそういうことなのですね!ふふふふふ。」
不気味に笑うデニー。閉口するエクスェイル教官とクレオさんのお二人。
「だいたいお前はもともとおじさんに反対されてて・・・戦場に女の子は来てほしくないって言われてたのに。」
あ、それは言いそうです。あの人は女が戦場に行くのはイヤなのです。
「だってよお、パパが、戦場では何があるかわかんねえから、ちゃんと新聞記者に来てもらって情報をつかんでもらおうって、そうすれば軍としても無茶できないし、女子魔法兵の宣伝にもなるしって。そうデルフェルドの旦那に声かけたんだろ。じゃあ、旦那の下っ端の俺が来ない訳にはいかねえじゃないか!」
「何を言っている。デルフェルド編集長に、女子生徒の取材には女の記者がいた方が都合良いだろうって、詰め寄って口説いたのはお前だろう!ついでに美人の生徒でもいればそのイラストでも描けばスケベ親父たちにも売れるじゃないかって!」
・・・みんな少しひきました。
似顔絵を描いていただくこと自身は、みんなイヤではないでしょうが、なんといいますか・・・動機が不純です。
「ホラ!兄貴が余計なこと言うから、かわいこちゃんたちが逃げそうじゃないないか?せっかくイラストにして客引きにしようと思ってたのに!」
これを聞いたエミルがこっそり漏らします。
「クレオさんって、フェルノウル教官殿に関わること以外は、乙女からめっちゃ遠い・・・。」
「ハッキリ言えば、悪い意味でオジサン臭がしますわ。」
シャルノ、それは言い過ぎです。否定はしませんけど。
しかし、この兄妹、本当に仲がいいと言いますか、互いに遠慮がないと言いますか。
わたしたちの船室は、しばらくお二人の兄妹ケンカの戦場になりまして。ふう、です。
ですが、エクスェイル教官は、お見かけ通り、裏表のない素敵なお方のようです。
年が近いせいか、他の教官方とはまた違った親しみを感じました。
「そう言えば、デニー。結局あのお二人が実習に同行なされるのは、なぜなのですか?」
夜、2班だけになった時、先ほどは兄妹ゲンカでうやむやになったことを聞いてみます。
「え?クラリス班長、珍しく鈍いですねえ。とっくに気づいてるかと思ってました。」
・・・そんなに鈍いでしょうか?ですが
「うん。珍しい。」
リトにまで言われてしまいました。
「デニー・・・内緒にする。」
「そうしましょう。その方が面白そうです!」
え?二人で、わたしに内緒ですか?リルやレンは?それでいいのですか?
「え?でもそのほうが面白いんなら、いいよいいよ!」
「・・・うん。わかった。」
いいんですか・・・そうですか。わたしはなにか、モヤモヤしますけど。
予定では、明日の夜にはセメス川を下るのも終わり、河口のセーメル港に滞在するはずです。
久しぶりに陸地に上陸すれば、少しはモヤモヤも晴れるでしょう。
食事も、固くなったパンや塩の塊のような豚肉ばかり・・・そろそろおいしいものが恋しいです。




