第8章 その4 魔法学園 VS 魔法学院
その4 魔法学園 VS 魔法学院
アウレイア号は、軍が所有する小型の輸送船です。
ここヘクストスの河川港から、南方へ兵員を運ぶための船なのです。
セメス川の川幅は十分に広いのですが、それでも船はかなり細身で、その分船は高く作られ喫水も高めです。
このセメス川とケール湾という安全な航路以外では危険かもしれない構造ですが、逆にこの航路であれば極めて効率的に高速輸送できる・・・とは結局同行しなかったひきこもり教官が以前話していました。
船の両舷にはオールの漕ぎ手が配されますが、今は下りなのでゆったりと漕いでいます。
休憩時間も充分にあって、噂の外洋へ向かう探索船とはえらい違いです。
今は10月。ちょうど風向きは下流から上流に吹いています。
ですから上りの船は帆を上げ、下りの船は帆を下げているわけです。
もっとも外洋に行けば、逆風でも帆を上げて進む航法があるそうですが、今のところわたしには想像もつきません。
船員の方々へのあいさつを済ませ、割り当てられた船室に入ります。
船室は本来8人部屋なのですが、わたしたちは乗員が少ないため5人一班で一部屋となります。
4人が下段のベッドで、わたしの上段をさみしがり屋のレンが使うことで決まりました。
デニーはなぜかわたしから一番離れた対角線の位置を真っ先に選びましたけど。
「記者の人・・・女だった。」
お部屋に入ってしばらくすると、リトが思いだしたように呟きました。
「そうですね。服装や髪型から男性だとばかり・・・でもよく見るとやはり女性だったんですね。」
「恰好いいですねえ。17歳で、男社会の新聞業界で働いてるなんて、あこがれますよ。」
メガネの探偵気どりは時々ただの醜聞をおいかける新聞記者にしか見えませんから、共感するものがあるのでしょう。
「でも・・・見習いだって。大変そうだね。」
そう言えば先輩の記者の方からは、記者見習い、というよりイラスト担当という紹介のされ方でした。
絵が好きなリルはそこが気になるのですね。
「・・・でも、なんか乱暴。」
自己紹介では「俺はクレオ」の、ぶっきらぼうな一言のみで、レンなんか、もう、こわがっています。
後は先輩の記者さんのお話ばかりでした。同性で年も近いのに、話しかけにくいです。
それなのに、叔父様と会った時のあの態度は・・・なんなのでしょう。この違いは。
初日、ということもあり、今日は船内の案内と、なにより「船に慣れろ」という指示です。
慣れろ・・・とは、要するに
「・・・死ぬ・・・。」
「・・・・・・・死にます。」
「・・・・・・。」
船酔いです。そう言えば、みんな、妙にあくびしたり冷や汗をかいたりしてましたね。
わたしは何回かセメス川を通ってエクサスとヘクストスを往復していましたし、平気です。
リルも平気なようです。
確か乗船の際に注意もされました。
なるべく遠くを見る、とか、あと、食べ過ぎない、あまり不安にならない、水分をとる・・・意外に一晩寝れば治る、とか。
まずはわたしがリルとデニーを、リルがレンを連れ出して、甲板に出ます。
「ほら、遠くの景色でも見ましょう。せっかくの船旅ですよ。」
「・・・明日から、また講義だし。今日だけだよ。」
とリルと二人で言ってはみたものの・・・。
「見るもの・・・ない。」
丁度、川筋も曲がりくねり、そのくせ大きな地形の変化はなく・・・困りました。
水平線でも見ましょうか?
「あんたら・・・船酔いかい?お嬢様たちも船酔いはするんだな。」
茶色のスーツにベレー帽。赤いネクタイに濃紺の短髪。かなり短いリトよりもさらに刈り込んだ、男の人みたいな髪型。
そして、きれいな声に似合わない乱暴な口調。
「ああっ!クレオさん!」
メガネに元気が戻ったようです。なぜかわたしの方をチラ見していますけど。
「わたしたちは、別にお嬢様ではありません。少なくてもここにいるみんなは。」
シャルノやエミルならともかく。しかもシャルノはお嬢様扱いはむしろ嫌いますし。
「ふ~ん・・・ところで、ちょっと話していいかな。」
レンが少し後ずさっています。もともと人見知りで内気な子です。
わたしはそっと肩を抱いてあげます。そして
「何か?」
と儀礼的に聞いたわたしですが
「ああ。女だてらに軍人になって戦場に行こうっていう、その志の高さについて、聞きたくてね・・・。」
カチン、です。どうも素直な感想を言うことが望まれていない印象を受けます。
ハッキリ言えば敵意すら感じます。
「それは、醜聞をあさる新聞社会で奮闘なさるあなたの御期待には、沿えない答えになります。」
クレオという方は、わたしとにらみ合うことになります。
「これは本妻と内妻を争う戦いでしょうか!?」
そう言ったデニーは、まだ本調子に程遠いリトに口をふさがれていますが、少し遅かったようです。
ちっ、いえ、舌打ちはしませんけれど。
「お嬢ちゃん、その例えの意味も教えてくれよ・・・いいだろ?」
クレオ、とそう名乗っていた方は、その話し方や態度とは裏腹に、とても繊細な顔立ちです。
特にその紫銀色の瞳は、ある種の茶目っ気とでもいうべき稚気と、女性としての明るい魅力を感じさせます。
そのどちらも、わたしには持ち得ないものなのです。
それを口惜しく思ったわたしは、無言でこの場を立ち去る選択を選びました。
「え?おい、赤毛のお嬢ちゃん、なんか言いたいことあるんじゃないか?」
いいえ!全くありません!叔父様とあなたがどんな関係だろうとわたしには無関係です!
「・・・班長?・・・なんか拗らせてます?」
一言余計ですよ、醜聞メガネ記者さん。
それでも、この一件がきっかけでデニーもレンも船酔いから脱したようで、それは怪我の功名と言うものなのでしょう。
でもこの日はレンと一緒に下段のベッドで寝ることにしました。
リトが回復するには翌朝までかかりましたが。
そうして、順調に船内で講義や運動を・・・かなりムリヤリ・・・こなしていった4日目。
その日の放課後、下流から同型船が上ってきました。それを見たデニーが叫びます。
「あの旗はエスターセル魔法学院です!今、戦場実習を終えて帰港する途上なのでしょう。」
なるほど。敬愛すべき、我らが先駆者のみなさんなのですね。
シャルノが、クラス委員長のヒルデアに「これは敬意を示すべきでは?」と言ったことが受け入れられ、わたしたち20名は急遽アウレイア号の左舷に並び、ヒルデアの号令で一斉に敬礼をしたのです・・・が。
「お?・・・あれは女子生徒じゃないか!」
「・・・あ~、今年新設された女子魔法学院の生徒だよ!」
「新設校の一年生の、しかも女で、敬礼なんて10年早い!」
「戦場に行ってちびるなよ、嬢ちゃんたち!女は心身ともにちびりやすいんだ、無理するなよぉ~!」
「ハハハハハハ!」
・・・。わたしたち20名は、先輩への敬意を示したつもりでしたが、返礼されるどころか、かえって軽侮を生んでしまったようです。
全員が唇をかみ、うつむきました。さらにはガクンと船に衝撃が走ります。
「船足が鈍ったぞ!」
「これは川の流れを操作されたな・・・。」
「ち、発情したオスザルどもめ。」
船員の方々が苦いお顔をしておられます。
「・・・デニー!状況を!」
わたしはつい、演習中のように行動してしまいました。
「はい、クラリス班長!おそらく、エスターセル魔法学院の生徒たちは、本船アウレイア号に対し、「水操り」を行使し、水の流れを逆流させ、上流に引き寄せる、程度の低い嫌がらせを行っているものと推理します。」
てきぱきと答えるデニーです。まるでわたしから聞かれることを予想していたかのようです。
「彼らの目的は?」
「あの下劣な声や顔つきから推測するに、よく言えば、自分たちの魔法兵としての実力の誇示、先輩としての尊厳の発露・・・しかしその実態は、根拠なき特権意識、理由なき差別感情、理不尽な八つ当たりの類かと。」
「名探偵、全く同感です・・・ヒルデア、シャルノ!意見具申です!」
3分後、わたしたち20名は、フェルノウル教官殿からいただいた魔術教典と学生杖を携えて甲板に整列します。
「・・・ねえ、これはやりすぎじゃないかな。やはり教官殿を通して、正式に向こうに抗議してもらって・・・航行妨害だって・・・ボクたちが直接関わる問題じゃあ・・・」
クラス委員長のヒルデアの立場はわかります。しかし
「ヒルデア、生徒同士のことに教官を巻き込むべきではないわ。クラリスの言う通りです。」
シャルノがうまく間に入ってくれました。きれいなプラチナブロンドがなびくさまは、とても絵になります。
無風ですけど。
「はい。シャルノの言う通りです。本来、わたしたちは同じ魔法を学び人族の平穏のために戦う同志です。互いに争うのは愚かなことです・・・ですが」
「・・・ですが?」
首を傾けるヒルデア。真面目なだけに不安なのでしょう・・・でも、わたしだって、本当は真面目なんですよ?
「それがわからない愚かなものには、その愚かさに気づいていただくことが大切です!」
そう、今は真面目なだけでは、いけないのです。
「クラリスの言う通りです・・・みんな、やりましょう!」
「はい!」
シャルノがみんなに訴え、みんなそれに応えてくれます。
「班長、記者見習さんが今、来ていますけど。」
デニーはこういう場面、とても気が利きます。どうやら、自分から呼んだようです。
「それは重畳です。ぜひ公平な記事を書いていただきましょう。」
わたしはやってきたクレオさんに聞こえるように話します。
「公平な記事・・・でいいんだな。ま、俺にはそれしか書けないけどよ。」
「クラリス・・・この教典のもとになったスターシーカーの魔術書に詳しく、また、これを編集したフェルノウル教官殿の薫陶を最も受けたキミに、現場の指揮を委譲するよ。」
ヒルデアは、真面目過ぎて正論にこだわる嫌いはありますが、いざとなった時の度量は大したものです・・・って、え!?わたしに現場指揮を一任ですか・・・これって、責任逃れ・・・いえ、その真剣な顔を見ると、そうではないようです。
シャルノもうなずきます。これでわたしの覚悟が決まります。
「みんな、教典の24項を開いて。下級術式の例で「水操り」が載っているわ。」
まずはみんなに指示を下します。
「待って。まさか暗唱できない術式を、教本見ながら唱えるですの?効力が落ちますわよ!しかも向こうは60人で、最上級生ですよ!」
シャルノが小さい声でわたしに確認してきます。みんなに聞こえないよう配慮した行動です。
わたしはニッコリ笑って答えます。本当はわたしだって不安ですけど。
「でも、向こうのみんなが術式に参加しているわけじゃない。しかも流れの強弱が一定じゃないから、個人ごとの詠唱・・・こんな実戦向けじゃない術式、暗唱できるのはせいぜい3分の1・・・20人もいないわ。だったら付け入るスキはある!」
「まさか、集団詠唱をするおつもりですか!?」
「そうよ!シャルノ!わたしが先導するからみんなそれに続いて。」
ところが、側にいたヒルデアが、少し大きな声で言います。
「無理だ。ボクたちはそんなことをやったことはないんだよ。」
集団詠唱は、たしかにまだ正式に習ってはいません。
しかし、その高度な詠唱行動は必ずしも多大過ぎる練習量が必要という訳ではないのです。
だから、わたしはこう言います。
「大丈夫です。ヒルデア。2班のデニー、リル、レンもできた。彼女たちの魔術士としてのレベルは決して高くない。でも、気持ちをそろえて、一緒に唱えれば必ずできる!・・・教典の2ページ目!第4行から、デニー!」
「・・・魔術とは、己の魔力で、魔術回路を動かし、世界に働きかける術である。」
デニーは、きれいな気を付け姿勢で言います。
以前わたし相手にとっさに集団詠唱をきめさせたデニーです。わかっています。
「リル!」
「つまり、意志を魔法円の形にして空間に刻む技だ。」
素直なリル。自分で判断する力はまだ弱いけれど、信頼する仲間の言うことを死んでも守ろうとする愚直さが彼女の兵としての素質です。
「レン!」
「多量の魔力と、正しい術式と、美しい詠唱に適切な呪文動作、すべてが重要だ。」
最年少で、臆病、内気で人見知り。しかし、2年の年齢差を覆す素質がレンにはあるはずです。
「リト!」
「しかし、もしもそれを覆すものがあるとすれば、それは唱える者の、現象を発現しようとする・・・」
一番の仲良し、リト。魔術士としても、戦士としても、仲間としても、ルームメイトとしても、友達としても。
「みんなで!」
「強い意志だ!」
みんなの気持ちがそろっている。わたしにはそれが感じられます。
「そうよ!この魔術教典をおつくりになった、魔術を使えないはずのフェルノウル教官が、どれほどの意志を持って、多くの奇跡を起こしたか、わたしは知ってます!」
そう、これは叔父様の想いがこもった教典。
「その何倍もの問題もだけどね。」
「きゃははははは!」
エミルの声に、みんな爆笑します。
ここまで気持ちが合わなくても。ふん、です。
「エミル、茶化さないで。みんなの軽く百倍はわたしがその被害に遭ってるんだから笑えないじゃない!」
まったく!
「・・・その十倍は助けられてるくせに。」
・・・ぷう、です。つい膨れてしまいそうです。
「それ、後で話し合おう、リト。・・・でも、言いたいこと、わかってくれるでしょう?どう?」
代表してシャルノが答えます。
「気持ちもバラバラの通常術式と、意志のそろった集団詠唱なら、暗唱と随唱の効力の差、1年と3年のレベルの差を覆せるかも・・・。」
「そうよ!そして、みんな忘れてるでしょ?もともと川の水は上流から下流に流れるの!しかも、風は今、無風!だから、川は・・・いえ、世界はわたしたちの味方なのです。」
わたしたち、エスターセル女子魔法学園の生徒が全員、学生杖と魔術書を持って甲板に並んだのは、すぐに相手側、エスターセル魔法学院の生徒らの知るところになりました。
彼らの唱える「水操り」によって、下りのはずなのに上流に流されるアウレイア号です。
かれらはそれを眺めてはわたしたちを嘲笑していました。
アウレイア号の船員さんに中には、オールを漕いで下流に進もうとする親切な方もいましたが、わたしたちはそれにはお礼を言いながらも丁重におことわりさせていただきました。
「これは、魔法学校同士の意地・・・いえ、わたしたち女の矜持がかかっているのです!」
そう言いきったわたしたちを、船員さんたちは意外そうに見つめ、そして声援をしてくれました
「我ら、人の子クラリス・フェルノウルとその同志が唱える」
わたしが先導する詠唱に少し遅れて19人の詠唱が続きます。
叔父様のような古式詠唱ができれば・・・それは言ってはいけないのですけど。
「水操り」を暗唱できる者はほとんどおらず、全員が教典を見ながら必死です。
それでも正確な発音、魔法文字の意味する内容は、叔父様によって教えられています。
ただの丸暗記なんかとは違うのです!
そして、みんな、わたしの導唱を聞き、友達の随唱に合わせようと夢中です。
「万物の根源たる、水よ、
あらゆる生命の源流で
世界の隅々まで広がり
ついにはその果てたる」
それでも、唱えながら、わたしは、そしておそらくほとんどの仲間は感じていたと思います。
この魔術教典・・・叔父様の声が聞こえるみたい・・・。
「大いなる存在、その流れは、世界の意志の流れ!
願わくは、今一時は、我らが意志に従いたまえ!」
ところどころの小さな躓きはありました。
それでも、わたしたち全員が銀色に輝き、その輝きが小さな魔法円をつくっていきます。
「我ら、人の子クラリス・フェルノウルとその同志が願わん!・・・「水操り」!」
船内の船員さんたち、そしてわたしたちアウレイア号をひきづるように進む船の方からも大きな声が聞こえます。
そして、20の小さな魔法円が、術式を唱えるとともに、わたしの目の前で大きな一つの魔法円に融合していきます!
その途端に一瞬の衝撃。それに続いて・・・水流はいっそう力強く上流から下流へと流れるのです。
上流に向かっていた魔法学院の船もわたしたちに続くように下流へと後退を始めます。
二隻の船からのどよめきが大きくなり、わたしたちは、自分たちの勝利を確信するのです。
しばらく相手船をひきづって航行していたわたしたちですが、他の船影を見かけるようになり、ようやく術式の効果を止めます。
「ヒルデア!」
わたしの声は、彼女に正確に届きます。その意図までも。
「みんな、いいね、もう一度だよ・・・エスターセル魔法学院に・・・敬礼!」
多少あざとかったでしょうか?
しかしわたしたちは全員意志と動きで、新設の女子校の「プライド」を見せつけたと思います。
・・・向こうからは残念ながら、返礼はおろかまともな声すら上がりませんでしたが。
名門校、恐るに足らず、です!
「やったよ、みんな!」
ヒルデアの声にわたしたちは「おおぅ」っと応えたのです。