第2章 クラリスと叔父様と「怪眠事件」 その1 クラリス 故郷に帰る
第2章 クラリスと叔父様と「怪眠事件」
その1 クラリス、故郷に帰る
4月に入学して以来、ヘクストスから出たこともありませんでした。
高い城壁が延々と続く六角都市。
その六角形の頂点にある大きな柱。
ここから見える北北西の柱には、あの日わたしたちを護ってくれた魔法兵のゴーレムが格納されているはず・・・。
あれからもう5年ほど経ちます。
例の「謎の学園爆発事件」も8月に入ってようやく下火になり、わたしはある密命を帯びての帰省です。
魔法学園の生徒ともなれば、軍人に準ずる扱い。
授業料などが無料の上にお給料すらいただいている身です。
上官に当たるワグナス教授からの重要な任務に、否やはありません。
もっとも教授ご自身は少々憮然という態度で
「すみません。キミに頼むのは、筋違いだと思うですけど。」
と、何やら学園内の事情が複雑なことをにおわせていましたが、これはわたしにも関係のあることです。
教授に安心していただくために、
「平気です。わたしにお任せください。」
そう言って、きちんとお引き受けしました。
今、わたしは、ヘクストスと故郷を隔てるセメス川の渡し場で、銀貨一枚を払って船に乗りながら、ふと空を見上げています。
夏特有の、濃い青空。
まぶしいほど輝く太陽。
それでも川にいるせいか、暑さはそれほどでもありません。
川の少し下流には軍の輸送船が見えます。
おそらく、南方の防衛戦に参加する部隊を輸送しているのでしょう。
若い兵が・・・わたしよりは年長でしょうけど・・・こちらを見て、手を振ってきました。
ですが、わたしが乗る船に知人がいる風でもありません。
あ?そう言えばシャルノが言ってました。
若い兵は、女の子を見れば誰彼構わず手を振る習性がある、戦場に行く彼らに対し、せめてそれくらいの奇行は見逃すべきです、と。なるほど。
さすが伯爵家の令嬢です。わたしはシャルノに教示された通り、笑顔を浮かべて、手を振り返しました。
しかし、その後、輸送船が大きく揺れ始めました。
なぜか乗りくんだ兵士が一斉に船尾に向かったせいか、船が傾いたのです・・・?
「おじょうさ~ん!」
「元気でね~!」
「名前教えてよ!」
笑顔で手を振る方が何十人も、もう船から落ちそうなくらい身を乗り出して・・・。
手を振り返すのはいけないことだったでしょうか?
叔父様でもないのに、なにか騒動を起こしてしまったようで、恥ずかしくなります。
それでもわたしは、
「兵士の皆さん、わたしはエスターセル女子魔法学園1年、クラリスと言います。道中お気をつけくださ
い!・・・無事のご帰還をお祈りします。」
と叫び、もう一度手を振りました。
輸送船はなんとか沈むことなく、南へ遠ざかっていきました。
5年前の「ギュキルゲスフェの戦い」での事実上の敗戦。
あの大きな被害で、少年兵が前線に送られ、わたしたち少女も志願すれば魔法学校や軍学校で学び、軍に入れるようになりました。
でも、あの人たちの内、何人かはもうこのヘクストスに戻ることはないのでしょうか、そう思うと悲しくなります。
そんなことを考えている内にも、わたしの乗る渡し船は、西岸に近づきます。
北には三連湖の一つエスターセル・・・学園の名前の由来・・・があり、西には天岩連峰が見えます。
そして、5か月ぶりに見る、ふるさとエクセスも。
ヘクストスと比べようもないほどの小さな、数多い衛星都市の一つ。
それでも1万人ほどが暮らす、穏やかな街です。
もっとも、その穏やかさを時々乱す変人もいます。
わたしの帰省は、その変人に会うための隠れ蓑なのです。
「かあさん、わたし、叔父様に会うために帰ってきたの。会ってくるから。」
学園のある首都から、その郊外の実家に帰って早々、まずは任務を果たすのです。
両親の顔を見ることより、自分の部屋でくつろぐよりも、密命を優先するべきでしょう。
しかし、帰って早々に「あの」叔父様に会いに行く。
そう聞いたかあさんは、嘆いて、
「クラリス・・お母さんよりもあの変人がいいの?ああ、わたしのクラリスが・・・あの役立たずの、穀つぶしの、寄生虫の・・・」
なんて、娘のわたしから見ても自害でもしそうなくらい取り乱していました。
まあ、いつものことです。
わたしと同じ赤い、でもわたしよりも長い髪が乱れています。
娘のわたしからみても、まだ若々しい母なんです。
30歳には見えません。5歳以上若く見えます。
中身はもっと幼いのではないかと思う時はありますが、今がまさにその時です。
こっそり会いに行った方がよかったでしょうか。
ですが、
「どうせ、あなたが一番最初に覚えた言葉は「ママ」でも「パパ」でもなく「叔父様」ですもんね!あなたはあの変人にすっかり魅入られてしまった哀れなイケニエなんですね・・・。」
と泣き崩れられた時は、さすがに閉口しました。
結局は、放置することにしましたけれど。
かあさんは、義理の弟、つまり自分の夫の弟である叔父様を蛇蝎の如く、ナメクジの如く忌み嫌っています。
今見かけたら迷いなく塩をまくでしょう。
わたしの気持ちは・・・ちょっと複雑です。
十代に入ってからはわたしも、あの「ひきこもり」という世間体の悪い、しかも一家の家計に全く寄与しない生き物に対して随分批判的になりましたが、それ以前はかなり仲良くしていたものですから。
実家の2階の角部屋。その扉の前で、5回ノックします。
これは「わ、た、し、が、来たぁ」ということを知らせる、わたしと叔父様の取り決め。
これを守らないとわたしでも簡単にドアを開けてくれません。
「叔父様!今日は叔父様に大切なお話があってまいりました。」
しかし、実は会うのが気まずいのです。わたしの入学前に、半ばケンカしたままですから。
「クラリス!?・・・久しぶりだねぇ。」
それでも、気弱気な声とともにドアが開かれました。久しぶりに見た叔父様。
わたしが4月に魔法学園に入学して以来ですから5か月ぶり。
30代半ば。当然、独身。「彼女いない歴イコール年齢」という言い方をするそうです。
ひきこもり歴は20年。背はわたしよりまだまだ高いけど・・・。
いつもの黒いゆったりしたシャツに黒いスラックス。短めの黒い髪に黒い・・・よく見ると澄んだ夜空の色の・・・瞳。本当に黒ずくめ。
でもお顔は色白でやせ型。
顔立ちだけなら、まあ、悪くないんですけど・・・少しお痩せになったのでは?
つい心配になります。
あ!でも、その新しい眼鏡!あれで、銀貨6枚はくだらない!
ちなみに叔父様に言わせれば銀貨1枚がだいたい5000エンくらいだそうですが、エンってなんでしょう?
叔父様は、部屋の戸を開けはしましたが、わたしを部屋に入れる気配はありません。
何やら警戒すらしているようです。
さては・・・!わたしは乙女にあるまじく強引に、叔父様の部屋に、実家でいうところの禁断の間に入ることにしました。
そしてわたしが見たのは、本棚にぎっしりと収められた書物。
「エルゲムスの万物の諸原理」に「フェレデリュウスの魔力素と魔粒子」まで!
そして机の上には、無数の絹毛紙に闇鉱インクといった品・・・。
あの絹毛紙は一束銀貨1枚!闇鉱インクに至っては小瓶で金貨1枚!なんて贅沢な!
しかもあの羽毛ペンは、ロック鳥の若鳥の・・・金貨2枚!
幼いうちから叔父様にいろんな産物について聞いたりしているうちに、ものの価値やら値段がある程度わかってしまうようになってしまいました。
鑑定と言えば聞こえはいいのですが、現時点では叔父様の無駄遣いがわかるだけという、使い道のない取柄です。
ちなみに金貨1枚は銀貨20枚、または大銀貨2枚です!
「叔父様!またこんな無駄遣いして。働かないのに何でこんな、高価なものを買うんですか?役立たずの穀つぶしのひきこもりのくせに!!」
「グサ」
そう。叔父様はひきこもり。
「グサ」
いい年して働かず、部屋の中からまず出てこない、家族ですら滅多に会わない・・・「隠れキャラ」とかいうそうです・・・そんな人です。
「グサ」
それなのに昔からお金のかかる書物に目がなくて、また高級な紙やインクを浪費して・・・。
「グサッ!」
「いちいち、わざとらしく声に出さないでください!面倒くさいです!」
叔父様は、わたしに言われる度に、いちいち「グサ、グサ」って声に出して傷ついている仕草を見せます。本当に年甲斐のない、子どもじみた人です。
それでも眼鏡をはずしながら、反論してきます。
眼鏡を外すと若く見えますが、それは苦労してないからです。
「今のもグサ・・・・・・いや、この紙もインクも、学術書だって全て必要なものなんだ。なんといっても僕の魔法の研究に欠かせないんだから。」
叔父様は、いつもそう言い訳するのです。
しかし、なにが「僕」ですか、35にもなって!
「それが無駄なんです。どうせ自分では魔法が使えないくせに!」
そう。叔父様は魔法術式研究者を自称しているけど、魔法の才能がないんです。
だからいくら研究しても意味がない、無駄なのです。
だから、ただ無駄な買い物ばかりするひきこもり。
わたしがこうしかると、叔父様はますます、小さくなってしまいます。
「グッサシ・・・・・・そうだけど・・でも・・・」
「デモもストもありません!」
わたしはデモもストもわからないけれど、叔父様の影響でこういう不思議な言い回しを覚えてしまいました。
何のかんのといっても、叔父様はわたしにとって、特別な存在ではありましたから。
そもそも叔父と言えば肉親。
本来、他の方にお話しする時は「様」をつけるなど、常識に欠けるとわたしもわかっているのです。
しかし、どうしてもわたしは叔父様と呼ばざるを得ません。
それは、叔父様がわたしにくださった3つの贈り物に関わっています。
その1つは、わたしの名前。
わたしの名前クラリスというのは、生まれたばかりのわたしの髪と瞳の色を見た叔父様が名付けてくださいました。
なんでも「この子はクラリスだ。それ以外で呼んじゃいけないんだ!」とやたらと強く言い張ったと聞いています。
その勢いの強さにおじいちゃんおばあちゃんすら怯んだようです。
でも、この辺りでは聞きなれない、しかし耳に心地よい響きはとうさんも、当時はまだ叔父様を嫌ってなかったかあさんも気に入り、そのままわたしの名前になりました。
この名前そのものは、わたしも好きです。
ただ、その後、叔父様はわたしに対して、自分を「叔父様」と呼ぶように長年にわたり教育・・・洗脳とか刷り込みとか言いたくもなりますが・・・してきました。
なんでも「生まれ変わる前から、クラリスという女の子におじさまと呼ばれるのが夢だった」そうです。
どうやら、わたしの名前を決める段階で、わたしに「叔父様」と呼ばれることは、この人の脳内では決定事項になっていたようです。
また、叔父様は「異世界から生まれ変わった」という妄言を吐く人でもあるのです。
結局、わたしは、とうさんやかあさん、おじいちゃんおばあちゃんにすらつけない「様」という尊称を叔父にだけは常に使うようになってしまったのです。
しかも、この結果、起きたことは、先ほどかあさんが嘆いた通り・・・。
14歳で父と結婚し15歳でわたしを生んだ母です。
そして、ママとかパパとか、そうわたしが話し出せば、かあさんも喜んだのでしょう・・・。
しかし、わたしが生まれて初めて話した言葉は「叔父様」だったそうです。
わたしは信じていないのですが・・・しかし、とうさんもかあさんも決まってそう言います。
かあさんは、最初はママ、せめてパパと話してほしかった、と今でも嘆きます。
嘆かれても、わたしにはどうすることもできません。
それもあって、かあさんは叔父様をまるでゴブリンのように忌み嫌うのです。
見かけたら投石しそうです。
ちなみに2つ目の贈り物は叔父様直筆のとても豪華な絵本。
泥棒さんがお姫様を守って悪い伯爵たちと戦うという内容で、そのお姫様の名前が、わたしの名前の由来だそうです。
お姫様の絵は、確かにわたしに似ている気がします。叔父様の絵はとても上手です。
そして3つ目の贈り物・・・。
「叔父様。これをご覧になってください。」
狭くはない書斎兼寝室の叔父様。
その中で、叔父様とわたしは椅子に座りました。
わたしは、小さなテーブル越しに叔父様と向かい合い、特別な許可を得て学園から持ち出した紙を彼に差し出しました。
「これは・・・少し古いものだが・・・入試論文?」
それは20年前の、魔法学院がまだ男子校しかなかった時代の入学試験の答案。
「へ~・・・まあまあな論文だね。少し回りくどいけど」
その魔法について書かれた独特の論調に、何よりクセが特徴的な古代魔法文字・・・。
「叔父様。この、文字の跳ね方に、ちょっと角ばるクセ、見覚えはありませんか?」
「全然ないねえ。」
本気の様です。叔父様はウソが下手、というよりわたしにウソをついたことはないと思います。
でも・・・わたしは、愛用の魔術書を取り出しました。
わたしが魔法の才能がある、と知った時に叔父様が贈ってくれた魔術書です。
これが、叔父様の3つ目の贈り物です。
紅金の飾り文字で書かれたその書名は「スターシーカーの魔術書」。
70年ほど昔に書かれたこの書は、今もなお最高の魔術書と言われるものです。
魔術師のすそ野を広げ、また高みを押し上げたとも言われる、世紀の魔術書。
ですが、とても高額なもので・・・おそらくは金貨数十枚、ひょっとしたら100枚・・・わずか10歳の子どもに与えるものとしては、到底ふさわしくないのです。
実際、魔法学園の生徒はおろか、教授の中でも所有している者は少ないでしょう。
せいぜい図書館で閲覧するのが精いっぱい・・・当然貸出禁止。
しかし、叔父様はどういう伝手をたどったのか、この魔術書を借りてわざわざ写本して、それをわたしにくださったのです。
さらに10歳の子どもにも理解しやすいよう、原著の難解な部分の説明や、索引、更に実践しやすくするための呪文動作や魔法円のイラストまで入れた「注解書」までつくって!
この時のわたしは本当に叔父様に感謝し、尊敬したものです・・・。
ですが15になったわたしは、その魔術書の表紙にある文字と、例の答案の文字を指さしました。
「叔父様、この、特徴的な古代魔法文字のクセ、わたし、とってもよく似てるって思います。」
「ホントだ。クリソツだねぇ。」
そこで終りますか、あなたは。気づいていないとは、さすがです。
でも叔父様と話すときは、これくらいでくじけてはいけないのです。
察しが悪くて、鈍感で、無神経で、そんな叔父様。
わたしはしばらくその姿勢のまま笑顔で叔父様を見つめました。
「これ・・・まさか?僕の字なのかい。」
ホッ。幸いさほど時間もかからず、叔父様も察してくれました。
わたしは、笑みを浮かべたまま、うなずきます。
頬の表情筋が強張ってますけど。
なんでも前世でカンジという角ばった文字を使い慣れていたので、多少はクセが残っているのだそうで
す。
わたしには、そのクセも含めて素敵な古代魔法文字に見えるのですが。
「・・・よく見つかったな、こんなの。僕の入試論文じゃないか。不合格になった時の。」
受けてたんだ、魔法学院・・・魔法使えないくせに。
じゃあ、やはり。わたしの薄っぺらい微笑みは、ここで消散したのです。
「つまり、あの事件は叔父様のせいなんですね!」
2週間前にエスターセル女子魔法学園を襲った、謎の大爆発事件。
その真犯人が、わたしの叔父様・・・。わたしはめまいがしました。
シャルノの勝ち誇った笑顔が目に浮かびます。
エミルとリトは、きっとかわいそうな生き物を見る目でわたしを見るのでしょう。
「なんだい、そんな事件があったの?」
しかし、さすがは叔父様はひきこもり。
いつも、世間のことには興味がない、と胸を張って豪語するとおり、あの世間を騒がせた事件すら知らないとは!
侮れない・・・いや、侮ってはいますが。
なにしろひきこもりですから。
「叔父様の、このはた迷惑な術式が、大騒動を起こしたんです!」
そう。
2週間前の謎の大爆発。その原因となるものは、ミラス助教授が読み上げた、この魔法術式しか考えられない、というのが結論です。
しかし、その術式の分析には、魔法学院の教授たちですら苦労なさいました。
しかも、その内容が「幻影と幻聴の魔法を同時に展開するための基本術式。」
つまり、あの学園の敷地内に轟いた爆音も、一瞬で広がった爆煙も幻。
しかも詠唱したミラス助教授ご本人が、魔力を行使した自覚もないのに、あの威力です。
なんてヒジョウシキなんでしょう。
しかも、その非常識な魔法術式が、20年も前の、さらに一受験生の答案の中身で、とどめにそれが落第した論文!
頭をかかえるわたしを、叔父様は面白そうに眺めていたと思います。
いえ、ひょっとしたら心配していたのかもしれませんが、どうもそういう真剣な表情を浮かべるための表情筋は、未だ発達していないようす。
35にもなって・・・。
そもそも、なぜ魔法の才能もないくせに、なぜ魔法学院を受験するのか意味不明です。
付け加えれば、叔父様は非暴力主義者で、ケンカ一つしない人です。
それが、入学すれば軍人に準ずる身分になってしまう、軍の学校を受験?・・・不合格でしたけど。
まして、その叔父様が記述したこの魔法術式になぜヒジョウシキなまでの威力があったのか、わからないことだらけです。