第7章 その2 深夜の教官室にて
その2 深夜の教官室にて
魔法学園の救護室は、便宜上そう呼ばれていますが、機能的には医療室といえるものです。
スフロユル先生は、軍医の資格をお持ちで、治癒系呪文の使い手です。
大抵のケガはここで完治できるのです。
ですから、わたしは他の病院に行くこともなく、今日一日このまま救護室で休ませていただくことになりました。
寮に戻ってもリトもいませんし、それに確かめなくてはなりません・・・。
なぜ、こんな時なのに叔父様が来てくださらないの?
わたしやリトまでケガをしたのに。よほどの変事です。
自分のことにはすぐにへこたれてもわたしの危機には必ず来てくださる叔父様が・・・。
ありえないのです。
それはあのエスターセル湖の湖水が、つながっている二つの湖に流れ出て、失われてしまうほどありえないことなのですから。
先ほどまで夜にもかかわらず校舎内は教官方がせわしく往復しておりました。
しかしさすがに夜中ともなれば人気はありません。
学園長室や一部の教官方のお部屋以外はもうだれもいないのでしょう。
わたしは介護の助手の方のスキを見て、救護室を抜け出しました。
そして叔父様の教官室を訪れたのです。
まさかとは思っていましたが、部屋には明かりがともっています。
5回のノック。「わ、た、し、が、きた」です。
しばらく待つと・・・メルが扉を開け、固い表情のまま無言でわたしを教官室に迎え入れたのです。
「クラリス様。お怪我はもう?ご主人様は大変心配していらっしゃったのです。」
「はい。火傷を負っていましたが、スフロユル先生に直していただきました。リトは重傷でしたが、もう大丈夫と聞いています。入院はするそうですけど。」
「それは何よりです。ご主人様も・・・お喜びに・・・なると思うのです。」
話をしながらも、メルが疲れている、そんな気がします。
ということはやはり叔父様にも異変がある、と言うことなのです。
「叔父様に何か?」
「・・・・・・・。」
日ごろは、認めたくないながらも愛らしいと思う、そのメルの顔が一瞬で歪みました。
「何かあったの?叔父様は、どうかされたのですか!?」
「・・・誰にも会いたくない、と。メルにも・・・メルにも出て行ってくれって。」
叔父様が側にいなければ、夜も寝られない、いえ、生きていけないメルです。
わたしですら知っていることを叔父様が知らないはずはありません!その叔父様が!?
わたしは奥に行こうと歩き出しますが、メルに泣きながら止められました。
「今は・・・今はおやめください・・・お願いです。クラリス様・・・お願いなのです・・・。」
しばらくメルに押しとどめられ、その必死の訴えに、わたしはいったんあきらめることにします。
「・・・メル。なにがあったのか話して・・・。」
わたしは泣きじゃくる彼女を落ち着かせ、事情を聞くことにしました。
「ここ最近、ご主人様は、随分とお仕事に励まれていたのです。」
・・・もともとは、わたしが「ただの姪」に過ぎない、と言った辺りから、叔父様は少し落ち込み気味で「クラリスに迷惑な肉親としか思われていない」そんな感想をこぼしていたそうです。
メルからすれば、わたしも叔父様も「何を言ってるのやら」と笑いたくなることでしょう。
ですが、わたしにしても叔父様にしても3月の一件以来、いえ、わたしからすれば4年前のあの法律公布以来、どうしても見えない「何か」を感じてしまいます。
「無理はなさってたのですが、その中で、学園のお仕事やご自分の研究など、多くの成果をお挙げになったのです。」
ここ最近叔父様の業績は、わたしが知る限りでもこれくらいはあります。
模擬戦闘室への、教官の設定した敵を投影する魔法装置の開発と設置
授業用の実習用スクロールや術式の教材化、板書の計画
簡易スクロールの開発と、それを応用した符術の開発
魔法文字の「速記体」製作
板書のスクロール化
「浮揚」呪文による「飛行」のような、術式の見直しによる新機軸
「保温」やポッドなど、新しい術式と呪符物の開発
個人用ゴーレムの開発・・・?
それに、宣誓術式と古式詠唱
8月の帰省以来、叔父様からは驚かされてばかりでした。
その多くはなんらかの「事件」を引き起こしました。
もちろん、昨日今日急に開発されたものではありませんが、中にはこの2か月足らずでなされたものもありました。
これに加えて、魔法学院との共用施設・・・というより魔法学院の施設を無理やり頼み込んでわたしたち女子魔法学園が借用できることになった・・・大演習場への、大型魔法装置の設置があります。
軍が直接所有する郊外や南街区の演習場と比べると決して大きくはありませんが、魔法街と言われるこの北街区では最大の面積を誇る施設です。
ここに敵を投影して模擬実戦演習を行うわけで、かなりの大規模な工事を、と思いきや、実際には叔父様とメルの二人で開発、試験、設置まで数日で終ってしまったわけで、これもまた非常識な話なのですが・・・。
「それは、模擬実習室の魔法装置が思いのほか好評でして、学園長もですが、特にイスオルン教授から是非大演習場にも設置してほしい、と強い要請を受けたのです」
要は、男子学生が所属する名門校エスターセル魔法学院・・・かつて叔父様が落第した・・・が所有する大演習場を、女子魔法学園がお借りする条件として、魔法装置の設置を持ちかけたということです。
「ご主人様としては、模擬実習室の魔法装置の稼働状況を確認してから、充分な耐久試験をしてから拡張したい、できれば後半期に、って考えていたのですが・・・。」
上半期つまり9月中に大演習場での実習をしたいと繰り返し要請された叔父様は、様々な事件を起こしたという負目もあって最後は引き受けてしまいました。
それでも、できる範囲で充分安全性に考慮して設計したはずだそうです。
「基本的な術式は20年前の、あの「幻影・幻聴同時展開」と「回想」の術式ですし、魔法装置と言っても要は大規模で半永久的な石柱スクロールと6柱の魔法円盤です。ご主人様の技術からすれば容易です。ただ・・・急ごしらえで演習場の広さを考慮すれば幻影として投影できる敵は100名程度を限界設定にしていますけど。」
「100名!?」
「はい・・・もちろん実際にはかなり余裕を見ての設定なのです。250名程度でもまず安全だとは思いますが。しかし絶対安全なのは100名、イスオルン教授には伝えるのです。」
「・・・教授はあの演習で200体の敵を出現させました。」
「!?・・・それは・・・説明を聞いていた教授がするとは思えないミスなのです。」
・・・リトは、オークの中隊旗を見て判断しました・・・他にも材料はあるにしても数えたわけじゃないのですから、本当は100体程度なのかも・・・。
「ただ・・・クラリス様。それでも、200名を本当に投影しても、それであのような事故はまずありえないはずなのです。」
「事故・・・つまり、あれは魔法装置が暴走した事故なの?」
「・・・・・・魔法装置が暴走して火事になった、そう学園側から説明を受けたのです。・・・ご主人様はあり得ない、と言っていらしたのです。メルもそう思うのです。ですが・・・生徒が・・・クラリス様とリト様が、行方不明と聞いて、取り乱しまして・・・。」
わたしは額を抑えます。
あの叔父様が、本来自分が守りたいと思っているものを、もしも自分の手で傷つけるようなことがあったら・・・錯乱くらいで済めば幸いです。
まして、ここしばらく随分ご無理をしていらしたようですし・・・。
「でも・・・メル。わたしたちが無事に見つかったと伝えれば・・・。」
「・・・イスオルン教授は、取り乱したご主人様に・・・こんな叔父がいるのでは姪も肩身がせまかろう、だから無理をして仲間を探しに行かなくてはならなくなったのではないか、いや、これほど取り乱すのはやはり・・・その、男女の関係なのではないか、と。」
「教授が!?」
自分の髪が逆立ち、血が沸騰する、そんな感覚がわたしを包みました。
いくら教官であっても許せない!
まして直接そんな暴言を吐かれた叔父様の胸中を思えば・・・。
あのだれよりも優しく臆病で繊細で傷つきやすい人。
だからこそ人の世では生きられず引きこもって・・・そのあの人がどれだけの想いでわたしのために、みんなにために世に出て頑張ったのか。それも思うと!
「メル!あなたはそれを」
「許せませんでした!でもご主人様がいち早くわたしを抱きとめて・・・」
見ると、メルの握った拳から血が流れ出ています。
爪が手の皮を食い破っているのです。
わたしは思わず目を背けます。
「・・・わかりました。あなたの無念はわたしの無念です。」
いえ、直接その耳で聞いたこの子の方がつらいでしょう。
わたしなら叔父様に止めたられても止まらなかったかもしれませんが。
「その場は学園長がお収めくださいましたが・・・その後、お二人が見つかったことは知らされたのです。さもなくばご主人様は周りを振り切ってもお二人を探しに行かれたに決まっているのです。」
叔父様。さぞかしおつらかったでしょう。
・・・けれど、話はまだ終わりませんでした。
「その後です。魔法装置の現場検証から、ご主人様は外されることになったのです。」
「なぜですか!?つくった本人でなければ異常の原因もわからないのではありませんか?」
「教授が・・・本人に調べさせても、信用できない。仮令欠陥があっても本人が正しいと思っていては真実の見極めもできない。第3者に調査させるべきだ・・・と・・・。」
「それでは叔父様は、欠陥品を作ったと疑われ、その真偽をご自分で証明することすら許されない、と言うことなのですか!?」
「・・・はい。」
「セレーシェル学園長は!?あのお方も叔父様を疑うのですか?」
「学園長は、公平な調査のため、ご主人様も参加していただきたいとお考えの様でした。ですが、イスオルン教授が・・・もとはと言えば、このような問題の人物を学園の教官にした学園長の責任が重い、と。それを聞いたご主人様は・・・学園長の責任ではない。自分が責任をとって学園をやめる。いえ、事故も全て自分のせいだ、と・・・。」
学園長は叔父様を見込んでくれた方です。
叔父様は一見事件ばかり起こす危険人物。
ですが、教官になってからの叔父様は、生徒に真摯に向き合い、授業のために努力し、新しい技術や術式の研究を進め、わたしですら意外に思えるほどです。
それも学園長が認めてくれたことに応えたのでしょう。
ああ見えて義理堅い叔父様なのです。それが、その恩人の足を引っ張ることにもなってしまった。
自分のミスでわたしを、リトをケガさせたかもしれず、さらに恩人をも。そして自分の無実を晴らす術は奪われてしまった叔父様。
いつしか、メルは再び泣き始めています。
耳がペッタンコになり尻尾もしょんぼりです。
わたしは・・・わたしも・・・でも。
「事情はわかりました・・・叔父様は?」
「今は・・・ダメなのです。今日はお引き取りください。」
「なぜ?今のままでは、あなたも叔父様に会えないのでしょう?何よりこのままでいいわけがない。」
「クラリス様・・・ですが。」
メルは真っ赤な目で、わたしの目の前に立ちふさがります。
「それがご主人様の意志なのです。」
ちっ、です。いえ、舌打ちはしませんけど。
この子は叔父様に絶対服従。
それが自分にとって何を意味しようと、叔父様の意志にのみ従うのです。
「あなた、今夜はどうするの?」
「どうせ今宵は眠れないのです。灯りをつけたまま、ご主人様がお呼びになるまでお待ちするのです。」
おそらく一度本当にひきこもりに入った叔父様が一晩かそこらで誰かを呼ぶわけはありません。
それでもメルは、叔父様がお呼びになるまで待ちつづけるのでしょう。
たとえ報われないとしても。
ですが・・・
「メル。今夜は引き下がります。ですが、近いうちにまた参ります。それまで叔父様をお願いします。」
「・・・お任せください。クラリス様。またのご来訪をお待ちしているのです。」
そう。メルもわかってます。このまま引きこもっていることが叔父様のためではないと。
でも、叔父様に忠実過ぎるこの子は、今は待つしかできないのです。
部屋の去り際。わたしとメルは、全く同じタイミングで互いの目を合わせ、そして閉じて、また開きます。
顔をそらすのも同時。
この子は、本当に・・・でも違うところもある。
わたしは部屋を出て、この子は中。
でもどちらもあの人のためにできることをするだけ。
だから、コインの表と裏なのです。
わたしは教官室を去り、救護室に戻りました。
救護室では助手の方が何かわたしに話しかけていましたが、まったく耳に入らず、そのまま着替えもせずにベッドに入り横になります。
眠れる気は全くしませんが、明日やるべきことをやり切るために体だけは休めておこう、そう自分に言い聞かせて・・・でも、気が付けば拳は自然にシーツを握りしめています。
そして心の中は一瞬も休まりませんでした。
思うのは、リトの無事。メルのくやしさ。そして・・・叔父様のこと。
これほど長い夜を過ごしたのは生まれて初めてかもしれません。
ようやく夜が明けて、
わたしはベッドから身を起こします。
今日からは「戦いの日」なのです。




