第6章 その2 フェルノウル教官室
その2 フェルノウル教官室
教官室の前から、男の人がこちらに向かって歩いてきます。
すれ違う際に、わたしたちと目が合い、少し驚いたようです。
「誰?」
エミルは無言で首をかしげています。今、眉を顰めました。
「教官殿にご用だったのでは?お帰りということはお留守なのでしょうか?」
シャルノの懸念はもっともですが、叔父様の性癖を考えると、「居留守」が一番ありそうです。
なにしろ人嫌い、客嫌い・・・女嫌いはこの際どう出るでしょう?
わたしは5回のノックをします。ここでも有効なのか、悩んだのですが、ひきこもりの叔父様相手なので普通のノックでは出てこないでしょう。
5回は「わ、た、し、が、来たぁ!」という合図です。
実家であれば、これで無条件に叔父様自らが部屋に入れてくれるのですが・・・
「山。」
・・・案の定というべきか、お約束と言うべきか、扉の向こうでメルの声がします。
けげんな顔をしてわたしを見つめる3人・・・。わたしは額を抑えながら答えます。
こんなことがわかってしまう自分が時々イヤになるのです。
「川。」
これは合言葉なのです。
しかし5回のノックの後に合言葉とは、叔父様のひきこもりが悪化しているようです。
「どうぞ、クラリス様・・・ご学友の皆さまも。」
メルが戸を開けて、招いてくれました。
「叔父様は?」
言外になぜわたしが来たのに叔父様自らが出てくれないのか、と聞いたつもりです。
「はい。ご主人様は、ただいま重要な研究のための実践をなさっておいでなのです。しばらくお待ちになっていただきたいのです。香麦茶の新茶はいかがですか?お持ちいたしますね。」
相変わらずメイド服のよく似合う、犬耳尻尾つきの侍女です。
それにしても、叔父様のお部屋にしては、よく片付いています。
もちろん片づけはこの使い魔メイドがしているのでしょうが。
しかし蔵書は本当に多いです。みんなも驚いて・・・
「レインウッドの呪文大全!」
リトが叫びます。こんな大声を出す子では・・・いえ、それくらいのことです。
「え、何それ!?」
「エミル!知らないのですか?いえ、そんな大変なものがなぜここにあるのですか!?」
わたしもびっくりです。
わたしが叔父様からいただいた「スターシーカーの魔術書」が70年前に著作された最高にして「世紀の魔術書」とすれば、120年前に編集されたと言われる「レインウッドの呪文大全」は、近代魔法学の至高にして「原初の術式解説書」とも言える名著なのです。
「さすが、クラリス様のご学友なのです。お目が高いのです。」
わたしたちにお茶を淹れながらメルが自慢げに微笑みます。
「・・・まさか、メル。あなた、もうあれを読んだのですか?」
自分の声が固いのがわかります。あれを読むにはわたしではまだ古代魔法語の知識が足りません。
「まだなのです。」
ホッ、です。これ以上実力の差をつけられては、たまらないのです。
なのですが・・・
「写本をいただいたばかりで、まだ読み終えていないのです。注釈書は一通り目を通しましたけど。」
と、続きました。
これには、わたしだけではなく、リトもシャルノも立ちあがります。
「写本!?」
「もらった!?」
「注釈書!?」
「なになに・・・みんな、めっちゃマジだけど?」
わたしの未熟な鑑定眼にしても、この書の価値は金貨にして200枚は・・・。
いえ、金銭的な価値ではありません!学園の図書室にすらないのです。
「みなさま・・・落ち着いてください。クラリス様も時が来たら、きっとご主人様が写本にしてくださるでしょう。注釈書だけなら、お願いすればすぐにでもお貸しくださると思いますけれど。」
叔父様の注釈書ならお借りしたいのですけれど。
先日父から聞いた話では、叔父様は、製本や写本の仕事が来たときに報酬の一部に自分用に写本をする許可を持ち主に願い出るそうです。
わざわざ許可を求めるのが妙に律儀というか偏屈というかは微妙なところですけど。
メルも「ご主人様にとって『観賞用、保存用、布教用』の3冊写本が基本なのです。」と言ってますし。
「・・・非常識。」
「めっちゃ大変じゃない、それって!」
「仕事用で更に1冊・・・1仕事で合計4冊の写本ですか!?」
ところが、
「近頃では、ご主人様は随分便利な術式を実用化いたしましたので、かなり作業が早くなりました。」
術式・・・!?
「メル。それは記憶の映像化と関連が?」
「さすが、クラリス様です・・・こちらをご覧ください。」
そう言ってメルがわたしたちに見せたものは。
「これ、フェルノウル教官の授業の板書そのものじゃない!」
「あのきれいな魔法文字も、黒板画も、そのままの形と色で・・・。」
「ほしい!」
シャルノやリトは、叔父様の授業のたびに相当苦労して板書をできるだけそのまま正確に写しとろうと四苦八苦しています。
ですが、これはノートに写したのではなく、あの日の黒板をそのまま写し取ったかのような・・・。
8月のあの日にメルは叔父様の記憶を幻影として空間に投影しました。
あの術式を応用して、映像を魔法処理した紙に転写したのだそうです。
メルはこれで叔父様の授業を毎回保存しているとか・・・道理で助手をしながらも授業の理解もできていたわけです。
「ご主人様は、基本的には一度は筆写しながら頭に刻み付けるそうですが、記録に残すときは転写していらっしゃいます。写本も、魔法処理が必要な個所以外は、この転写で十分なのです。ですが・・・」
「ですが?!」
シャルノはメルの言うことを聞き逃すまいとしています・・・初対面で「人族の敵」扱いしたことは、した方もされた方も忘れたかのようです。
一方、リトは板書を転写した紙の束を夢中で見ています。
もう返したくない、そんな気配がここまで伝わります。
エミルは、単純にそんな術式があれば授業のノートが楽だ、くらいに思っているようです。
「ご主人様に写本を依頼する方がまことに望むことは、注釈書の作成なのです。」
たしかに。わたしがいただいた「スターシーカーの魔術書」にも叔父様がつくった注釈書が添えられていました。
「ご主人様のおつくりになる注釈書は、原著をより正確に理解し、より使いやすくするために索引、解説、説明画など多くの工夫がなされています。お客様の中には、写本よりも、時には原著よりもご主人様の注釈書の方を欲する方も少なくありません。」
わかります。
実際に10歳の時に「スターシーカーの魔術書」をいただいたわたしですが、未だ魔術書そのものよりも注釈書のイラストや解説に頼ることが多いのです。
その後、シャルノはすっかり夢中になって、叔父様の蔵書や写本・注釈書の仕事についてメルに聞いています。
リトは板書を記録した紙の束を凝視しています。
わたしとエミルは、少々この流れにはついていけずに、淹れてもらったお茶をいただいています。
「このクッキー、めっちゃおいしいよ、クラリス!」
「これは叔父様のお手製です。カオの実を砕いていれているのです。」
「うそ!?フェルノウル教官ってお菓子も作るの!?」
意外かもしれませんが、あの人はひきこもりの癖にそういう事には器用なのです。
専門の料理人でもないのに料理、ましてお菓子を作る男性など聞いたこともありません。
ただし叔父様は気が向かないと全く何もしませんし、気が向く時は滅多にないのです。
「さすが、クラリス様。ご主人様のお味をその記憶細胞の隅々にまで刻みつけておいでなのです。クラリス様の味蕾は、もうご主人様なしには存在理由すら見失うのです。」
メルが私たちの会話を聞きつけて、ニコニコ笑いながらそんな恐ろしいことを言ってきます。
おそらく悪気はないのでしょうけれど?
「メル。事あるごとにわたしを叔父様の被造物のように比喩するのはおやめなさい。わたしは、あの方の姪に過ぎないのですから。」
「クラリス様はご自分のことがお分かりにならないのです。」
「黙りなさい。確かにあなたは水魚の交わりの如く、エスターセル湖と湖の主ほどに、叔父様と切り離せない関係なのでしょう。でもそんな粘着質な間柄をわたしと叔父様に持ち込まないで!」
「うわあ、クラリス、めっちゃ怖い。」
「メル助手は意外にクラリスにからむのですね。」
「二人、険悪?」
いけません。3人がひいてしまいました。ですが、このタイミングでガチャ、です。
「あれ、みんな、どうしたんだい?」
まあ、いいタイミングという気もします。
教官室の別室の戸が開くと同時に、わたしとメルは互いに顔を背けました。
腹ただしいことに、そのタイミングまで全く一緒でしたけど。
「ご主人様、御用はお済みになったのですか?」
この子は変わり身が早いです。一瞬で輝くような笑顔。
叔父様に向けるメルの笑顔は本当にかわいいと何も知らなければ思うのでしょう。
エミル、リト、シャルノも、おおかた気づいてるので、胸焼けしたような顔をしています。
きっとわたしもそんな顔をしています。
「ああ。今日の分は終わったよ。」
・・・随分汗をかいています。珍しいというか、天変地異の前触れ並みの不吉な前兆です。
叔父様が、汗!?
わたしは不審になり、聞いてしまいました。
あれほど気まずく思い、さっきまで会話は避けようと思っていたのですが。
「・・・叔父様?あのぅ・・・なにか運動ですか?お体をお鍛えになるのですか?」
聞いてしまいました・・・ですが、後悔しました。
後悔先に立たず、とはよくいったものです。
「ああ、クラリス!喜んでくれ!僕たちの夢をまた一歩実現に近づけるために特訓を始めることにしたんだ。」
「僕たちですか?わたしたちにそんな共有する夢なんてありません!」
「キミのためのゴーレムを作る約束なんだけど・・・」
「ですから、それは叔父様の一方的な勘違いです!」
全然聞いてないし。3人がなにかすごく誤解しそうです。
「キミのゴーレムは黒鉄の城みたいな魔神なんだが、僕もちゃんとボク専用のゴーレムをつくろうと思ってね。」
「ゴーレム!めっちゃすごい!」「さすが教官殿!」「まさか、守護鋼像を個人で!?」
・・・ほら、誤解しています。
「で、僕のゴーレムなんだが、ジャイアントなゴーレムにすることにしてね。うん。だからゴーレムの横顔に取り付けた取っ手を僕が握って、そう、肩に立ってる感じで取りつくんだ。そこで音声で操縦するタイプにするんだよ。」
「?」×4人です。
なんで、ゴーレムの顔に取っ手をつけるのか、なんでわざわざ本人がそれを握って立ってなきゃいけないのか、もうだれにも分かりません。
「だから、その取っ手を握って落っこちないように、今日から握力と腕力を鍛えることにしてね・・・。」
うれしそうに語る叔父様を見ていると頭が痛くなるのはわたしだけでしょうか?
「メル、さっきあなたが『重要な研究のための実践』って言ってたのが、これなのですか?」
「はい。クラリス様。」
メルは笑顔です。会心の、と付け加えてもいいでしょう。
さすが、身も心も魂までも叔父様に捧げただけのことはあります。しかし・・・。
「せめてそのジャイアントなゴーレムとやらができてから体を鍛えるべきです!順番が違い過ぎます!」
まともに叱るのが無駄で徒労で無意味ですらあるのはわかっていますが、それでも大声くらいはわたしだって出したくなるのです。




