第22章 さよならまでの時間 その1 雪の日の朝に
第22章 さよならまでの時間
その1 雪の日の朝に
ザッザッザッザッザッザッザッザ……
乾燥しがちな大陸中央部では珍しく、5センチほどとは言え雪が積もった朝でした。
エスターセル女子魔法学園の初年度生、現22名は野外演習場にて寒中行軍訓練の真っ最中。
わたしたちが歩いた跡は、足型を残し、それも周を重ねるごとに失われていって、今では広い学園の敷地でも行軍した後は茶色い楕円の地面が露出しているのです。
とは言え、そんなのあくまで準備運動みたいなものですけど。
晴天の冬空は、確か「ほうしゃれいきゃく」という現象を引き起こし、寒気は厳しく肌に突き刺さるほど……のはずですが、ほとんど平気なわたしたちなんです。
さすがは魔術師のはしくれ、と言いたいところですが、これは、この冬季装備のおかげです。
叔父様が作ってくださったコートも帽子も手袋も、そしてこの長軍靴も、あの冬季実習の激戦の最中ですら、わたしたちを北方の寒さから守り、魔獣の攻撃を弱め、最後までただ一人すら重傷者を出さなかった、その大きな理由の一つなのです。
おまけにサイドポーチにぎっしり詰まった非常用キットには、各種ポーションに非常食、薬品や簡易裁縫・調理道具まで備えられていて、野外での緊急事態に対応できるよう考えつくされているのです。
これにゴーグルや背嚢まで装備すれば、もう完璧!
叔父様がわたしたちの安全をいかに重視してくださっているのか、こんな訓練の最中でも、身にまとっているだけでヒシヒシと実感できるわたしです……。
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「僕は退官する。」
「でも……今すぐじゃない。三月までの契約は守るよ。」
「キミたちの卒業は一年早まるだろう……学徒出陣だ。」
昨夜、叔父様がお話しくださった、衝撃的なお話しです。
そして、その後もたくさんお聞きしました。
あの、わたしの大好きな夜の色の瞳は、ですがその夜はずっと曇った夜の色。
なんでもっと早く話してくれなかったのでしょう……冬季実習の前には、学園長も主任も知っていらしたというのに。
いえ、むしろ学徒出陣を知ったからこそ、計画になかった冬季実習を決行し、わたしたちの成長を急がせた、ということなのでしょう……。
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「ぜんたぁ~い……とまれ!」
ザッザ!
クラス委員長ヒルデアの号令の元、ピタリとやんだ足音に微動もしないわたしたちの動きを見て鬼の主任ですら文句一つ言いません。
密かな安心感につつまれるわたしたちです。
「では続いて、戦闘訓練に入る!……が、その前に、確認する。」
二列横隊でイシオルン主任の前に並ぶわたしたちですが、クラスでは前から10番目くらいの身長のわたしは、ほぼ隊の中央でしかも前列。あの人の悪い主任のお顔が間近に見えてしまうという過酷な「ぽじしょん」なんです。
おそらく後ろのジェフィは上手にわたしに隠れているでしょう。
ちぇ、です。
いえ、舌打ちなんかしないんです!
叔父様は舌打ちするわたしをイヤがるから。
「復習だ……エミル!」
「は、はい!」
少し声がかすれたエミルです。
もちろん寒さのせいではなく、主任に指名されたから。
「魔法兵として、戦場で最も心掛けるべきことはなんだ!」
「はい、教官殿!距離です!敵との交戦距離を維持することです!」
しかし続く回答は自信満々。
あのお姫様のような顔が輝いています。
それだけ見れば本物の王女であるレリューシア殿下にも劣らない高貴さなんですけど……
「ほう……ちゃんと覚えていたか。忘れっぽい貴様にしては上出来だ。」
主任の意外な賛辞に、すっかり気をよくして笑み崩れると、くちゃくちゃに顔面崩壊。
……本当にあの顔にあの性格、なんて資源の浪費なんでしょう?
「……さて、迷宮探索演習を終えて」
『わたしの頭越しで勝手に行いやがった』……この後に続く聞こえないはずの主任の内心が、なぜかみんなに伝わるのです。
密かな「ぷれっしゃあ」を感じ、平静を装う難易度が一段階上がってしまうわたしたちです。
「貴様らにもわかったことがあると思う……迷宮と戦場では交戦距離はまったく違う、ということだ。」
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「あの迷宮探索演習でわかったことは多い。それをみんなにうまく伝えて、今後の勉強に役立てるのには、どうしたらいいか、僕は考えている。」
「ああ……あのキャスティングでの冒険かい?ま、キミたちのおかげで、僕も思い出に踏ん切りがついたよ。いつまでも果たせなかった約束を引きずってても仕方ないんだ、ってね。それが、退官する決意を固めさせてくれたのは間違いないね。」
……あんな感傷的な探索メンバーが偶然?
叔父様の過去に秘密があり過ぎです!
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「……聞いているか?クラリス。」
「はい、教官殿!」
凄みを隠した主任の声に瞬時に反応するわたしです!
つい昨夜の会話に浸ってしまいそうですが、でも大丈夫……今のわたしに油断はないのです。
「迷宮では野外とは異なり、事前の索敵や術式による検知があったとしても、至近距離での戦闘が圧倒的に多くなります。ですから、魔法兵は術式の詠唱に集中するだけでなく、全体の戦闘を判断し、敵との位置取りに留意し、さらには最低限の護身術をたしなむことが求められると思います!」
そういう面では、魔法兵と冒険者の魔術師では大いに異なる、と言えるのです。
「ですが、いざ戦場でも乱戦になることはあり得ます。味方の槍兵や盾兵との連携が崩れた時、或いは敵の奇襲にあった時、最悪の場面では戦況不利のため撤退する時、このような状況では魔法兵は冒険者同様、いえ、それ以上に乱戦に巻き込まれ戦死する確率が跳ね上がることが予想されます!」
「ほう。」
鬼の、あの人の悪さ倍層アイテム丸ネガネがギラリと光ります。
わたし、何か失言したでしょうか?もう、心臓がバクバク……。
「では、もう一つ質問する。貴様は術式への集中と、交戦距離の維持。魔法兵にとってどちらが優先されるべきものだと判断する?」
一度は出した結論を、更に念押しするかのような主任です。
しかし、その質問で、追い詰められたことが実感されるのです。
これは、そう。
大事な選択を迫られているのです。
わたしたちが魔術師か、魔法兵かの。
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「魔法学園の教官として僕ができることはもうほとんど残っていない。魔法言語については師匠にだいたい教えたし、術式の構成や種類、使い方については魔術教典に記してある。」
実は古代魔法言語の理解については、お師匠であり、その専門家と謡われたセレーシェル超級魔術師すら脱帽している叔父様です。
ですから、「師匠に教えた」なんて非常識極まりない発言になるのです。
「キミたちは軍の魔法兵だ。だから魔術の使用や研究以上に、戦場でどう戦うかを学んでいる。そこに僕ができることはないんだ……なにしろ僕はミリタリー音痴で軍隊嫌いだからね。」
……五年も兵役を勤めていらしたのに!
アルユンの部族の英雄で、ジーナやヒルデアのおばさんたちとも大冒険していて、それでもまだ非暴力主義は捨てないなんて、なんて頑固ものでしょう!
そして、何より叔父様は魔術師なのです。
例え魔術回路が焼き切れて、もう再生しないとしても、あの人は己の意志で世界の認識に干渉し続行けることに挑む、偉大な魔術師たらんとしているのです。
そしてわたしは……。
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「はい、主任!交戦距離の維持です!一個の魔術師であれば自分の魔術に集中するだけで十分でしょう。ですがわたしたちは魔法兵です。敵への攻撃に対して、或いは味方を支援する上で、最も有効な手を打つためには常に時間と距離を考えて行動することが優先されるべきだと判断します!」
にやり。
なんて邪悪な笑いなんでしょう。
いつものことながら、異世界で人をだまし魂を奪うという悪魔が、うまい取引を成功させたらきっとこんな笑みを浮かべるのです。
「そうだ。軍の魔術士は民間の魔術師ではない。魔術を行使する専門職であると同時に、敵に死を与え味方を救う兵士なのだ。」
満足げにうなずくイスオルン主任教授は、まさにそういう軍人だったのでしょう。
魔術師としても軍人としても優秀で、きっと迷いなく任務にまい進される方あったのに間違いないのです。
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「だから、まぁ、後はおっさんたちに任せるよ。」
「え!?鬼……いえ、あの仲のお悪い主任に、ですか?叔父様?」
それが「ごじら」が我が子を「がいがん」にあずけるようなものではないでしょうか?
「おっさんも随分マシになったじゃないか。それにあの人……魔法兵としては異例の実戦家で、軍幹部の頭が柔らかかったら魔法兵で初の将官に出世してもおかしくなかった逸材だったのさ。」
「主任が、将軍にですか!?初耳です!」
「そんなの、自分で言うヤツじゃないだろ?でもホントらしい。ただ……軍の主流派は、魔法兵を上級指揮官にするのはイヤなんだ。出世にも派閥とか兵科の力関係とかが不可欠なんだよ。で、魔法兵は特殊な上に数が少ない。派閥すら作れないから、おっさんは佐官になることすらできずに普通に大尉で退役。」
……人に歴史あり、とはよく言ったものです。
叔父様以外にも、主任にまでそんな過去がおありなんて……もっとも一番驚いたのは、他人に興味がなく、しかも相性最悪だったはずの主任のことをそこまで叔父様が知っていて、そしてその方にわたしたちを託されている、ということですけど。
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「決戦詠唱距離と制圧術式?」
みんなの頭上に見えない「はてな」が浮かびます。
まさか叔父様の異世界由来の妄言やオタクネタではなく、常に具体的で合理的な主任の軍事用語に首をかしげることになろうとは……それでもわたしたちの擬態は完璧。
そんな失礼なしぐさを悟らせて主任ににらまれるドジなんか、無邪気なリルやノウキンのジーナですらしないのです。
シャルノやエリザさんは「そんなの知ってて当然ですわ」なんてオーラを漂わせています。
ジェフィにいたっては気配すら消している……なんて要領がいいんでしょう。
いっそ見事と言いたいくらい……。
「クラリス、何か言いたそうだな。」
ドキッ!
まさかのご指名です。
わたし、ひょっとしてクラス一わかりやすい女なんでしょうか……自覚はありますけど。
「はい、主任!質問があります!」
「よろしい、許可する。」
どうせなら聞いてしまえばいいんです。
開き直って質問してしまうのは、毒をくらわば皿まで、ではなく、毒パスタを食べたらフォークまで、毒シチューを食べたらスプーンまで、毒ステーキを食べたらナイフまで!の心得なんです。
「主任。わたしはその、決戦詠唱距離、制圧術式という用語を、いえ、概念を知りません。個人的な直感を話すのであれば、今までの訓練の内容と比べても異質な思考に基づいているような感覚すらしています。詳しく説明していただきたいのです。」
「ふん……さすがはあの男に近い感覚だな。」
グサッ!
思わず胸を押さえてうつむきたくなるのですが、とっさにこらえるわたしです。
主任はまるで灰色狼が獲物を見つけたかのような笑みを浮かべていらっしゃいます。
しかし、肉食獣の眼前でわざわざ美味しくみせる工夫は、わたしだって避けるのです!
「では、その概念は……。」
「そうだ。あの戦争嫌いで軍隊アレルギー教官との議論で導き出された戦術論に基づいている。」
叔父様!
何がミリタリー音痴ですか!って……!?
「えええ!?叔父様と主任が議論!?しかも戦術論!?」
意外過ぎです!
それは常識の破壊で、世界の崩壊なんです!
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叔父様の前世の異世界では「火器」という兵器が一般的だったそうです。
火薬という化学物質を利用した兵器。
「しょうじゅう」という火器をもった歩兵は、その射程距離が数百m以上あるにも関わらず、敵との距離が近くなれば射手は興奮と恐怖で命中率が大いに低下したそうです。
それゆえ、兵士は最も正確で素早い射撃ができる距離で躊躇なく射撃できるように訓練されていたのだそうです。
それを「決戦射撃距離」といったのです。
ちなみに、これは「きかんじゅう」というものが普及までの戦術だそうで、要するに道具の発明や発達で対応しなきゃいけないってお話しでした。
もっともその後、叔父様は、火薬の実験に幼いわたしを巻き込んでアヤシイ煙でエクサスを混乱させた、世にいう「職人街の煙害事件」を起こしたのですけど。
そして……なぜか「火薬」に関わる資料はすべて廃棄なさいました。
いえ、「なぜか」とはわたしが思っていただけ。
叔父様は「やっぱりこの世界の認識に基づかない、異世界の発明品はいけないよね」ってきっぱりと仰っていました。
だから、イスオルン主任との戦術論にも具体的な「兵器」や「火薬」のことは出てこなかったのです。
ですが……そういう異世界での事例を基にして、この世界でも有効な概念をこの世界の人自身に考えださせるという叔父様の指導や教育法は、いつしか叔父様自身が気づかない内に少しずつ、でも確実にわたしや学園のみんなにも影響を広めていたのかもしれません。
そして、それはイスオルン主任にすら及んでいたのでしょう。
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「術式の詠唱に集中できる距離を見極めろ!」
「同じ標的を狙う場合、狙ってはいけない場合、そんな些事まで班長に任せるな!特に目標を分散して攻撃する場合は、班員同士が互いに空気のように判断できるようになれ!」
「同じタイミングで同じ術式を行使するなら、ちゃんと息を合わせろ!他の魔法兵なら互いの魔力が干渉しあって威力は減殺されるが、お前らなら増幅できる!あの学園祭の試合を思い出せ!」
「お前らは略式、簡易詠唱に長けている。しかし戦場では距離や戦況で詠唱を変えろ!早さより正確さや威力が重要な場面は多い!」
さんざん野外演習場で動かされ、走らされ、怒鳴られて。再び主任の前で横隊で集合です。
「……では各自、戦場での有効距離は体感できたか?」
「「「「はい、教官殿!」」」」
「よろしい……王国では一般的な長弓だが、装甲兵相手には50m以内が有効射程とされている。しかし、魔法兵の術式は基本で100m……。そして、部隊として最も有効な術式は距離と時間で異なるのだが……エリザ!」
ドッキリ、です。
自分が指名されたわけではありませんが、実はその正体はレリューシア王女殿下その人であるエリザさんへの指名です。
優秀なお方ですから大丈夫とは思いますが、もしも失言をして、鬼の主任の懲罰を受け、それが王国から主任への、いえ、学園への処分につながったりしないか、なんて不安がないとは言えないのです。
「はい、主任。」
ですが、こんな不安はやはり杞憂でした。
「この距離で行使するべき、一般的に最も有効な攻撃術式は何だ?」
「一般的に、と仰られるのであれば、魔力矢ですわ。威力は火撃が勝りますけれど、精霊系の術式は条件によって左右されますから。」
エリザさんは落ち付いて悠々と正解を述べるのです。
さすがは市内記録の前期認定レベル5魔術師……シャルノとわたしもですけど。
「……確かに一般的にはその通りだ。」
ですが、主任は少し含みをもたせたことをおっしゃるのです。
「では……シャルノ。攻撃術式という枠にとらわれず、行使するべき最善の術式はなんだ?無論、軍の制式術式、しかも下級に限定するが。」
制式術式とは、王国軍の魔法兵が暗唱できなくてはならないとされる術式のことです。
下級の魔法兵には、必修術式として、光と眠りの雲、そして攻撃術式として魔力矢か火撃、防御術式として防御か回避、最低この4つの術式を暗唱できればいいとされているのです。
意外に少ないと思ったのですが、王国軍で多い速成魔法兵……徴兵された中で魔術師適性を見つけられた者に一年の速成教育を施した魔法兵をこう呼ぶのです……に合わせて基準をつくった結果、軍の魔法学校で正規の教育を受けているわたしたちにはそう感じてしまう、という実情によるのです。
「……はい、主任。眠りの雲です。」
予想外の質問だったのでしょうか、一瞬だけ固まったシャルノです。
しかし、それが一瞬で済むのが、さすがは才女なのです。
「ほう?なぜだ?それは敵を殺傷しない術式だぞ?」
その時、主任はまたも、あの、獲物を見つけた灰色狼のようなお顔になるのです。
「はい、主任。確かに敵を殺傷するのが攻撃術式ですわ。ですが、攻撃術式にとらわれない、となると、下級術式でありながら一定の範囲の敵を複数無力化できる眠りの雲の有用性は、迷宮で充分思い知らされました。特に眠った仲間を起こさない魔獣・野獣相手であれば、更に有用でした。」
そんなクラス一の才女の結論を、しかし遮ったのは明るく無邪気な声!
「ええ~?北方の一角雪狼は仲間を起こしてたよぉ!それに……」
「あ、ダメよ、リル。」
隣のピピュルが大慌てで止めてくれましたが、もはや手遅れ。鬼の叱責、いえ、罵声は必至!
リル、かわいそう、と思いながら身構えたわたしたちなんです。
ですが?
「かまわん。リル。最後まで話してみろ。」
……こんな時、主任は以前とは違うと感じるのです。
闇雲に厳しいのではなく、生徒であるわたしたちを育てるために厳しいのだ、と。
更にジェフィによれば、「パン女と比べればビンタもないし、説明もしてくだはる。みなさんお優しい教官はんばかり」だそうですけど。
「うん……じゃなくて、はい!えっと、冬季実習中に機甲馬車で雪原を疾走してたあたいたちチームアルバトロスだったけど、たくさんの一角雪狼に襲撃されました。」
そうです。
そして、賢いリーダーに統率された群れは戦い慣れていてとても手ごわかったんです。
「眠った仲間を起こしたり、あたいらの死角に逃げたり、一カ所にまとまらないようバラバラになって攻撃してきたんだよ!」
おそらく、王国の敵である亜人の部隊だって、これくらいはするのではないしょうか。
「そうだ。自分の戦訓をよく言えたな、リル。」
ふう、です。
そして、以前は劣等生で叱責の対象でしかなかったこの子をちゃんと伸ばそうとしている主任に、ちょっと感動です。
「冒険者が地下迷宮で、かつ少人数で戦うのであれば、眠りの雲が最適だ。それは野外と違って屋内という限定的な場所ではとりわけ有効だ。しかし、我々は魔法兵だ。野外で戦うからには、やはり直接攻撃し、殺傷する術式が最適だ。……さて、どう思う、デニー?」
「は、はい!主任!その通りだと思われます!」
指名され、動揺しながらもなんとか答えたデニーです。
「広い野外で、しかも一定の知能がある亜人を敵とする魔法兵であれば、直接殺傷する攻撃術式、しかもいかなる場面でも安定した威力を保つ魔力矢が最適かと思います!」
そして、リルと主任の発言内容を簡潔にまとめての意見。
さすがは参謀を自任するデニー……なんですけど。
「お前もそれでいいのか。クラリス?」
ギクリ!
またわたし!?
リルには優しいのに、デニーはあっさり解放したのに、そしてエリザさんやシャルノよりも質問の仕方が難しいのです……単純に賛成することを求められていないという、そんな感じ。
それにさきほど仰られた「決戦詠唱距離」「制圧術式」という言葉から、どんな解答を導き出すべきなんでしょう?
「貴様は、貴様たちは魔法兵、軍人だ。軍人が本当に求めるものは何だ?」
この時のイスオルン主任は、まるで獲物を狙う灰色狼のようでした。
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「……この戦いは本当に必要なんだろうか?僕は今でもその疑問を捨てきれない。いや、もちろん襲ってくる敵と戦うなってことじゃない。僕は非暴力主義だけど無抵抗主義でもない。」
「……叔父様。それならわたしたち人族はどうすればいいのです?戦っても戦わなくても叔父様には気に入らない……どうすればいいんですか!叔父様は異民……転生者ですけど、この世界で30年以上もお暮しなのに、未だ他人事みたいに思っていらっしゃいませんか!」
昨夜の叔父様とのお話しの中で、わたしたちを置いていかれる叔父様についにわたしの不満が爆発です。
叔父様が学園をお辞めになって何をなされるのか、聞いている中でのこの流れ!
「……そうだね。ゴメンね。みんなを護る、そんな軍人を目指してるキミを否定しているわけじゃない。」
そしてすぐに謝る叔父様です。
でも……
「そうやって頭をさげればなんでもごまかせるって思ってませんか、叔父様?」
「……ゴメン。」
またそうやって……ですが、そんなにすまなそうな顔をされては、もう怒れないわたしです。
「叔父様、ズルいです。」
「ゴメン。」
「また。」
「ゴ……あっと?」
そこで、顔を見合わせて。
「ホントにもう……ふふふ。仕方ない叔父様。」
「ははは‥‥…ホントにゴメンよ、クラリス。」
それでも何度も謝って。
ですが、しばらくして、お顔を上げた叔父様は、少し変わられました。
「でも……そうだな。僕が今考えてるのは、そして、これから一番やりたいのは、この戦いを終わらせることだ。どう終わらせるかは、まだ完全にはわからないけど、でも敵を、憎しみに任せて亜人を全滅させるまで戦う、ということじゃないと思ってる。戦いの目的は勝利であって、それは常に敵の殺傷を意味する訳じゃないはずだ。」
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・
「……戦闘の目的は、敵の殺傷ではありません。勝利です……ならば……」
そうです。
わたしたちは魔法兵。
軍人です。
ならば戦う目的は感情で敵を殺すことではないのです。
敵の殺傷が必要であったとしても、重要なのは目的を達成すること。
「重要なのは、敵を無力化し、或いはその行動を拘束することです!敵を自由にさせず、その行動を制限することは、充分に戦術として価値があると思われます!であれば……眠りの雲の有用性は否定できないと判断します!」
敵の殺傷が目的ではない。
そのわたしの結論を聞いて、シャルノやエリザさん、デニーたちなど数人が驚いたのか、わたしに視線を向けたのを感じます。
わたしにも人族の敵、亜人に対する憎悪はあります。
エクサスの近所の人やヘクストスで知り合った人の何人かは、この戦いで家族を失っています。
その葬儀に出たわたしにとっては、残された家族たちの悲痛な声が未だ耳の奥から消えないのです。
しかし……わたしたちは軍人を目指す者。
それは公人として任務をこなす者であって、私人ではないのです。
そんなわたしを、鬼で「あくま」で灰色狼みたいな悪人面が眺めています。
思わず逃げたくなるくらい凝視されて……不安です。
そんな時、ニヤリと邪悪に笑う主任!
怖いです!
「……それが制圧術式という考え方だ。制圧とは、敵の殺傷ではなく、可能なら敵の無力化を、そうでなくとも敵の行動を制限し拘束するために行う行動だ。」
ふう、です。
どうやら間違ってはいなかったみたいです。
主任はそのまま流れるように解説にはいったのです。
「あの男との会話の中で、なかなか興味深い話があった。」
叔父様が異世界転生者、いわゆる異民であることはもはや公然の秘密。
「『ふぁいああんどむうぶめんと』という概念だ。そこから導き出されたのが、制圧術式による敵への拘束であり、その間に敵陣に突入するいう連携戦術の組織化だ。」
つまり、眠りの雲を行使して、その結果眠った敵を仲間が起こしたとしても、その仲間は起こすという行動に拘束され一時的に無力化される。10人の敵のうち、4人しか眠らなかったとしても、残った敵が眠った仲間を起こしにかかったら、最大8人無力化できる。もちろん起こさなかったら4人の無力化は決定。
「それを、魔法兵個人の術式ではなく、部隊の戦術として徹底的に続ける。」
通常の戦闘でも、もちろん制式術式に眠りの雲があるからには使用される訳ですが、一定の効果を発揮した段階で魔法兵は攻撃術式に切り替え、更には弓兵隊の射撃が始まります。
「その結果、せっかく無力化した敵も攻撃が当たれば目が覚め、更に近距離戦に移行する間に起こされてしまう。つまりは既存の術式運用では、眠りの雲の効果は一時的で限定的に過ぎなかったのだ……しかし、これを、制圧術式と位置づけ戦術的に運用することで劇的な戦果が期待されるはずだ。」
継続的組織的な集中使用により、敵の部隊は、眠った者、起こされた者、仲間を起こす者、抵抗し続ける者など、それぞれが入り乱れ混乱、少なくとも統一した部隊行動には著しい不具合が生じると予想されます。
「そこに味方部隊が突入する。それは騎馬隊が望ましいのだが、槍兵隊でもいいし、貴様らであれば……」
「「「「「機甲馬!」」」」
「「「「「ゴラオン!?」」」」」
冬季実習では圧倒的多数との防御戦を経験したわたしたちです。
その時わたしは……
「クラリス。」
「は、はひっ!?」
なんて失態!
もう穴があったら入りたいのです。
顔が赤い自覚もあります。
背後からジェフィの「あらまあ」なんてわざとらしいささやきまで聞こえて!
「……貴様の箱入り娘は見事だった。」
「はひぃ?」
くすくす。
もうクラスみんなが笑ってます。
これ、新手のいじめですか?
鬼の主任に褒められるなんて、恐縮過ぎて、もう耳まで熱いんですけど。
ちなみに「箱入り娘」とは、冬季実習の防衛戦でわたしが実行した、四両の機甲馬車を正方形に連結し、即席のトリデとして、その中からわたしたちが安全に魔法攻撃を行う戦術です。
「……だが、状況によっては機甲馬車の組み方を変える柔軟さも必要だろう。貴様は、攻勢時にはどういう陣形が望ましいと考える?」
ですが、わたしの失態をスルー、お見逃しくだなる主任です!
今日の主任はなんて寛大なお方って、エリザさんみたいに拝みたくなっちゃうわたしです。
「はい!ありきたりですが、攻勢時には横一線の連結が望ましいと思われます!正面の敵陣に術式を行使する魔法兵の人数を増やし、その視界を十分に確保するには、これが最も適切だと判断するからです!」
ようやく完璧な反応を見せられたわたしです。
さっきの失態はたまたま、なんです!
「……上出来だ。後でその陣形も考えておけ。」
「はい!」
魔術師ではなく、魔法兵。
魔術を究め世界の深淵を覗きたいと思いながらも、今のわたしは軍で戦い人々を護る兵士を目指す者なのです。
だから……叔父様とは歩く道が違うのです。
今は、この、叔父様がわたしたちを託した主任や教官方の手をとって進むだけ……。
「それはそうと……さっきの返事はなんだ!だらけ過ぎだ!走って来い!演習場10周!」
「はい!主任!クラリス・フェルノウル、演習場10周、行ってまいります!」
でも……いつかは!
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「叔父様……学園を去られた後、叔父様がなさりたいことはなんなのですか?叔父様の夢は?」
世界を変えよう。
あの「魔道」の授業中に、わたしたちについ語ってしまった叔父様のお言葉は、魔術師を目指す者に伝えたかったご本心だと思うのです。
でも軍人を目指すわたしたちにとって、それは美しくても触れられない夢のようなもの。
「いつかは」と思ったとしても、「今は」選べない。
「僕には夢がない。前に言ったんじゃなかったっけ?」
そうです。
前世の罪に未だ縛られ、あこがれていた魔術すら使えなかった頃の叔父様には、ご自身の夢や理想はなかったのです。
「だから、キミの望みをかなえること。敢えて言えば、キミの夢見る未来を創ることが、
僕の夢だ。」
ご自身のことよりも、こんなわたしの、しかも本当は血縁でもないわたしのことをこれほどまでに大切に思ってくれる。
それは泣きたいくらいうれしく、そしてやはり泣きたいくらいせつないのです。
なのに、わたしはこの人が嫌う軍人を目指し、この人が否定する戦場に向かう。
ただ、誰かを救うだけなら、他にも道はあるのかもしれません。
ですが、それはわたしには見えないのです。
あの日、邪竜に奪われた大勢の命が、叔父様に救われたこの身が、「魔法兵になってみんなを救いたい」という幼い誓いがわたしの生き方を決めてしまった。
「ですけど叔父様は、魔術回路が起動して、一度は魔術師になられた身です。今後も回路が修復してまた起動できるかもしれませんし……だから今後はご自身の望みを」
自分の夢をみつけてほしい。
自分の人生を生きてほしい。
わたしのためにムリをしないでほしい。
そう続くはずのわたしの声は、でもとても優しい声に遮られて。
「それでも変わらないよ。この世界をキミの理想の世界に変えて見せる。魔術を使えても使えなくても、世界を変える者こそが真の魔術師だって僕は言ったじゃないか。」
それは、わたしの理想の世界とは、亜人との戦いが終わり、邪竜や邪巨人の襲撃がなくなる世界のことです。
それはまさに世界を変えること……なんて大それた望みで、そして。
「叔父様……それは実現不可能なことではないのでしょうか?」
そうです。
それは幼い子どもの、子どもだったわたしの夢物語だったのではないでしょうか?
「ははは。確かにキミが魔法兵になるのは、実現可能な誓いだろうけど、キミの理想は戦いがなくなって平和になることだって僕にはわかってるよ。だからキミが声に出せない理想でも、僕がかなえてみせる……なんだかエラそうだけど、ま、できるかどうかは自信があるわけじゃない。それでもできるだけやってみるさ。」
セリフの後半は、ご自分の頬をかきながら恥ずかしそうで、だいそれたことを言ってる自覚はあるみたい。そんなお顔を、そんなしぐさを見せられて、わたしは……
「叔父様のバカ!バカバカ!」
もうガマンも大人のフリも限界です。
向かいのソファに座る叔父様に飛びついて、後は泣きじゃくるばかり。
何を言いたいのか、伝えたいのかすらわからない、でも大きすぎる想いがあふれてしまったんです。
「……やれやれ。泣かないで、クラリス……。」
「ムリです!叔父様が悪いんです!全部叔父様のせい!」
わたしが生きているのも、魔術師になれたのも、いえ、わたしがこんなに幸せなのもあなたが一緒にいてくれたから!
全部あなたの……
「……わたしのアンティノウス!」
そう叫んで抱きついたわたしの体に、少し間を置いてようやくですが、そっとまわされた叔父様の腕を感じたのです。
ガチャリ。
「ご主人様!ご主人様はどちらに!?メルを、メルを置いていかないでください!」
そして、最悪のタイミングで隣室からやってきたのは最悪の相手。
「ああ、メル。ゴメンね。今……」
なにしろ8歳の時に叔父様に救われるまでは半獣人の上に奴隷として虐待されていたせいで、叔父様がいなければ夜も眠れないメルなのです。
それなのに冬季実習が終わるまでの二週間ほどは叔父様と離れ、その間に見る見るやつれていったのは、日ごろ仲の悪いわたしですら見かねるほど。
再び叔父様と暮らすようになってからはもうべったりで……。
「あああ!クラリス様!またご主人様にマーキングですか!?」
あなたじゃあるまいし、人を犬猫みたいに!
しかもこの犬娘、なんて恰好!
「服を着ないとご主人様が一緒に寝てくださらないのです!ですからメルはしぶしぶですがちゃんと服を着てるのです!」
「それのどこが服ですか!」
今年で13歳の、大人になり始めた肢体を包んでいるのは、肩も太ももも丸出しの、うすくてきわどい……って、それはせいぜい下着でしょう!?
気まずげに顔をお逸らしになる叔父様を、ひっかいてさしあげたいのです!
おかげで、その後は…‥。
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さすがに授業中の今日は昨日と違って、支援術式も一緒に走ってくれる仲間もいませんでしたが、全速力で10周走って、すぐにみんなに合流です。
もうこの手の懲罰にもうすっかり慣れたわたしです。
これでも優等生なんですって呟きたいけどそれはガマン。
みんな「大丈夫?」「へいきなの?」「おつかれさまぁ」「班長はん、ぜんないことですなぁ」「組長、お勤めごくろうさん!」なんて声をかけてくれるのはうれしいけど組長はヤメテ。
ですが、その中で一人……。
「レン?どうしたんですか?」
なぜか一人涙ぐんでるレンです。
クラスでも最年少で一番小柄で守ってあげたいナンバーワン少女のレンがそんな切なそうな顔を見せると、胸がズキリって痛むんです。
「クラリス……泣かないで。」
ドキ。
とっさに自分を頬に手を当てましたが、濡れてもいないし、やっぱり泣いてない。
「……泣いてるのはあなたじゃありませんか……わたしは平気です。」
「意地っ張り。」
レンはそっとわたしに抱きついて来ます。
傍から見れば、走らされたわたしをかわいそうに思ったレンを、わたしが逆に慰めている図式なのでしょう。
ですが……この夢見の一族の末裔は、人並外れて感応力、共感力が強いのです。
その力は、年末以来の一件で更に強まっていたのでしょうか?
レンには、わたしの心が見えている。
そう、わたしの心は泣いているのです。
昨夜からずっと。
レンを抱きしめながら、実は慰められているのはわたしの方。




