第5章 その2 悪魔の術式実習
その2 悪魔の術式実習
「ところで、諸君。」
お・・・いえ、教官は、わたしたちが落ち着くころ、黒板にいつもと違う白墨で、術式らしいものを書き終えていました。
書いてる時も、随分きれいで純粋な白い残光が見える白墨でした・・・これも高そう。
「この術式を解読してみたまえ。一部分だけ空欄にしているが・・・。」
術式・・・?
風・・・流れ・・・渦巻?
「まさか!?」
「何?クラリス?」
「これは・・・お・・・いえ、教官殿!?」
「まだ言わないでくれ。みんなにもう少し時間をあげたい。」
・・・お・・・いえ、教官。いつの間に、こうも悪辣な人になったのでしょう?
ひきこもりとも思えない、この弱みの突き方・・・恐ろしい人。
「クラリス?」
「どうしたのよ、もったいぶって・・・。」
「ああっ!?」
シャルノが声を上げます。
「風・・・渦巻・・・対流・・・あ!」
リトもつぶやきながら、たどり着いたようです。
デニスは「なによ、リト。風?渦巻?・・・これって!?そういうことね!」と、リトのつぶやきから答えを導いたようです。
さすが推理マニアです。
そうすると少しずつみんな気づいたようです。
「そろそろいいだろう?この術式が何か、わかった者は?」
6名ほど挙手しました。教官は「アスキスくん」とリトを指名します。
「はい!教官殿・・・消臭魔法。」
すると「おお~」とか「ええ~」とか「やっぱり」とか、いろんな声が上がります。
みんなこの状況では一瞬でも早く使いたいでしょう。授業の食いつきが全然変わりました。
エミル辺りは、目がランランと輝きます・・・それではあなたも半獣人みたいです。
「ほぼ正解だ。理解が早いね。アスキスくんは。」
リトが赤くなって、小声で「リトでいい」ってつぶやいてます。なぜかムカッです。
「教官殿!わたしにも!」
「ではシャルノくん。」
シャルノがプラチナブロンドの髪をたなびかせて・・・といっても今は汗でべたついて重くなっていましたが・・・立ち上がります。
サラ~っとあるべき効果音がバフって感じで残念なことになっています。
「これは風系の精霊魔法『風操り』を応用して、己の周りに渦巻状の風を発生・操作することで、臭いを消し飛ばすことが可能な術式なのですね!」
「完璧な理解です。よく勉強してますね。シャルノくん。」
シャルノがめずらしく大げさに喜んでます・・・わたしのほうが早く気づいたのに・・・。
「では、みなさん・・・この術式の空欄、ここに適切な魔法言語を記入しましょう。さっきの紙は・・・結局みんなもらいましたか。なら、それを読めば、基本的な風の象徴言語はすぐに見つけられるでしょうから見ても構いません。空欄を埋めた生徒は、正解かどうか確認するため・・・この場でその術式の詠唱を許可します。」
教室中が歓声に包まれます・・・これは、絶対に解かなければなりません!
しかし、本当に悪辣です。人の弱みに付け込んで、魔法言語の理解と術式への応用を実践するなんて!
「あと・・・一番早くできた生徒には・・・」
ゴクッ。一転して教室に唾を飲み込む音・・・これもはしたないとは思うのですが。
「同様の理論で作った『水操り』と『乾燥』のスクロールをあげる。」
悪魔ですか、あなたは!
悪魔とは異世界の、邪悪で人の欲望を種に取引を行う狡猾な存在だと教わりましたが・・・当の本人から。
もう、みんな目が血走っています。わたしもおそらくはそうなのでしょうけれど。
今回だけは、久しぶりに真剣に参加しなくては!
この、自分自身の漂う体臭に閉口し続けるという苦行からは、一秒も早く脱出しなければなりません。
まさに、これは「悪魔の術式実習」です。
シャルノはスラスラとノートに書き進めています。今、推敲に入りました。
眉間に濃いしわが寄っているような気がします。あの美しい顔は少し似合いませんね。
リトは書かずに黒板を凝視しています。きっと頭の中では様々な文字が飛び交っているんでしょう。
考えすぎてまた汗をかいているようですが、気にならないくらい集中してます。
エミルは魔法文字の紙を見ながら、書いては消し書いては消し・・・ですがこれほど熱心に机に向かう彼女を見たことはありません。
他のみんなも一心不乱に挑んでいます。
ですが、この競争・・・というか出題は、わたしに有利でしょう。
お・・・いえ、フェルノウル教官の理論にはみんなよりも早くに親しんでいるのです。
「教官殿!これでいかがでしょうか!」
当然、余裕を持って一番です。
「ク・・・フェルノウルくん・・・では確認します。」
わたしはノートを持って教官に近づき、そこで立ち止まります。だって・・・。
「?・・・ああ~~。」
気づいた教官が面倒くさそうな声を上げます。
気づいたのは、この人にとって上出来ですが、その後のフォローがなっていません!
「そこに置いといて。」
くすん、です。なぜか少し残念な気持ちになって、それでも教卓にノートを置いて下がります。
教官がわたしのノートの術式を見て・・・そして頷きました。合格のようです。
わたしは再びノートを受け取り、それを見ながら詠唱していきます。
クラスのみんながその様子に注目しています。いえ、リトは自分の考えに夢中の様です。
詠唱が終わると、わたしの周りに風が吹き、ぐるぐると渦を巻いて回ります。
少し風力が強いかな、と思いましたが、髪がくしゃくしゃになるほどでもなく、手で整えるくらいで収まりました。
そして風が止むと、体にも服にも染みついていた汗が飛んでいます。
つい自分の臭いをかいでしまいます。クンクン。ホッ、です。ほぼ大丈夫です。
わたしはみんなに向かって微笑み、手で〇をつくりました。
「うわ~ホントに消臭できるんだ・・・こんな簡単な術式で!」
エミル、それは考え違いです!
「違う。術式の簡略化。教官のおかげ。」
そうです。これも叔父様がちゃんと術式を簡単にして、しかも操作しやすいように整えてくれたからです!
出題も、術式の一部分をつくるだけ。今の生徒の力を見極めています。
「フェルノウルくん。よくできました。ここの、風に関わる象徴文字を的確に厳選して、韻までそろえているところは見事です。その分、少し風力が強くなりましたが、問題はありません。お見事。じゃ、これはご褒美です。」
お・・・教官が白牛皮紙にスラスラっと、術式を書きます・・・暗記してるのです。
しかも一瞬のよどみがなく。
ただ、お書きになっている文字は、普通の魔法文字とは違って、文字の原型がわからないくらい崩れ、しかも全部つながっています。
まるで現代文字の筆記体のよう・・・これって効果があるのでしょうか?
普段叔父様が話している「正しい文字」や先ほど話した「文字が望む形」の話とは矛盾していますが・・・。
わたしの怪訝な視線に叔父様が気づきました。おかしいです。
こんなに察しがいいなんて。
魔術に関しては人間よりも随分前向きな反応です・・・面白くありませんけど。
「これはスクロール用に特化した文字だ。簡易詠唱、つまり文面そのものを詠唱しないことを前提に僕が開発した文字・・・魔法文字の『速記体』だ。だから、まだ僕以外は読めないけど。早く書けるのが取り柄さ。それでも厳選して処理された紙とインクで、即スクロールになる。」
・・・また自慢が始まりました・・・ですが、最近ちゃんと聞くに値する自慢が増えた気がします。
叔父様も新しい環境で自分の研究が進み、それを人に伝えることができて、いい意味で変わったように思います。
もっともこの「速記体」の価値に気づいたのは・・・シャルノにリト、デニスくらいのようです。
後のみんなは「難しい」「何言ってるんだろう?」って感じです。
「つまり、お・・・いえ。教官殿は文字の原型を崩しても効力を発揮できるギリギリの線を見切っていらっしゃる・・・そう言うことですね。」
「ご名答だ。さすが、賢いクラリス。」
ドキッです。ですけど・・・ぎらっ。何人かの生徒の目が光ります・・・怖いです。
「教官殿!今のクラリスとの親し気なやり取りについて詳しく!」
デニスが食いついてきました。今のは不注意です。
教官・・・どうするおつもりでしょう?なんか、ドキドキしてきます。みんな教官に注目しています。
「授業中だぞ・・・そうだな。じゃ、時間内に全員がこの術式を成功できたら答えます。」
「やった~!」はみんな。わたしは「うそ・・・」です。
目が点になる、というのはこういう場面なのでしょう。
シャルノとエミルもそんな感じです。リトは・・・聞いてないみたいです。
ひたすら術式に没頭して・・・そのせいか次の正解者はリトでした。
ちなみに教官からいただいたスクロールは使うのがもったいない気がして、使いませんでした。
「風操り」だけでもほとんど気にならなくなりましたし、一人だけ使うのは気が引けます。
それこそ「幼な妻だから教官から答え聞いてたんでしょう」とか言われたら・・・ダメ。
考えただけで心臓がぎっちょんです。
そして20分後。
二つのご褒美・・・「消臭」と「わたしと教官の秘密」・・・が提示された結果でしょうか。
恐ろしいことに、あのエミルですら、ナントカ術式を書き終わって・・・
「ええと、アドテクノくん。」
「エミルでいいです。教官殿!」
ムカッ、です。エミルまで・・・。
「じゃ、エミルくん・・・よくできました。キミはちゃんと取り組めば理論もわかるんだね。」
「教官殿!ありがとうです。めっちゃうれしいです!」
褒められたエミルが舞いあがっています。
お姫様のような気品のある頬を紅潮させて・・・あんなエミルもなかなか見ません。
れあ、というのはこういうことなのでしょう。
その勢いで舌もかまずに詠唱も成功させ、見事ゼンインクリア、ということになりました。
ただ・・・。
「教室全体はまだ微妙だな。」
それは、さっきまでの臭いの元がなくなっただけだから当然です。
「んじゃ、黒板に注目だ。」
叔父様は新しい白墨を光らせながら、黒板の文字を書き換えます。
「・・・ここにある文字を記入する・・・何を記入すれば、どうなるかわかるかな?」
「はい。」
デニスです。とても反応が早いです。
「教室全体が空気流によって消臭されます。」
「どうなる、は正解だ。」
みんなが拍手します。期待もしてます。まだ少し残る悪臭からもできれば脱したいのです。
「でも文字が出てこないのは、魔術師としては減点。キミは話しの流れで推理したね。まぁ、そういうのもセンスではあるけれど。・・・お、レンネルくん!」
レンネルが挙手するのは、普段のわたし以上に珍しいのです。
緑がかった金髪の、大人しい小柄な子です。
そして、その細い腕が、叔父様から白墨を受け取って魔法文字を記入し・・・「風操り」と唱えると、
「見て!黒板の文字が浮き出して!」
「板書のスクロール!?」
「ないない、こんなのありえない!」
・・・本当にこの人は非常識なのです。
ですが魔法円が輝き、教室全体にゆったりとした風が渦巻いて・・・教室に満ちていたわたしたちの汗やらの臭いも完全に駆逐されました。
「レンネルくん、お見事です。」
「えへへ。」
小さく笑う無邪気なレンネル。あの子の笑顔は、わたしもみんなも初めてみました。
そしてわたしたちはすっかりきれいになった空気を吸ってホッとし、つぎの教官の言葉、つまり約束した「秘密の告白」に注目するのです。




