第19章 その12 降りかかった呪詛
その12 降りかかった呪詛
数刻前は白一面だったはずの雪原は、地表に走る地割れのために見る影もありません。
わたしたちエスターセル女子魔法学園生徒一同の全員がもはや、あの地割れがなんらかの異常現象の前触れに過ぎないという予感に駆られているのです。
今すぐ、行動しなくてはいけません!
なのに!
「教官の皆さん、反応がありませんわ。」
一号車で会議をしておられるはずのイスオルン主任、ワグナス副主任、そしてメルとエクスェイル教官です。
しかし、機甲馬車の外で異常な事態になっているにも関わらず、わたしたち生徒への指示がないばかりか、そのお姿もお声も、そしてシャルノが試したとおり「魔伝信」にもお返事がない?
そもそも魔獣タラスクを倒し、コアード(核人主義者)の兵士たちを降伏させながら、なんでこの場にとどまり会議をしているのか、密かに不審を感じていたわたしです。
「ならば、非常時です!失礼します!……ジーナ、やっちゃって!」
「いいのかい、戦隊長?んじゃ、よろこんでぇ!」
ガクエンサイでのたこ焼き屋台で接客業のスキルが身についたせいか、こんな返事をしていますが、クラス一の長身にして体力自慢。
何よりその気質から魔術師にあるまじき戦闘種族ノウキンと命名されたジーナです。
命名したのはわたしなのは内緒です。
「筋力向上」を自分に行使し、一号車の鉄扉に両手をかけて「おりゃああ!」と叫ぶさまは、本人が自称する「女蛮族」そのものなのです。
確か王国南西部にいる種族なのですが、この人たちの中から魔術師の才能が出現することは極めて珍しい、いえ、ジーナが初めてではないかと聞いた記憶があります。
ただし、わたしの記憶は、その記憶も含めて景色の半分は闇に包まれて黒いのですが。
ガガガガガガ!
異音を発して強引に開かれた機甲馬車の鉄扉。
そして……一瞬だけ見えた一号車の状況は、思わず目を疑うもの!
迷わず即断するわたしです!
「シャルノ、ヒルデアだけついてきて。あとのみんなは機甲馬車の連結を解いて、走りだす準備を!デニー、ジェフィ、しばらく任せます!」
クラス委員を差し置いての指示ですが、今は戦隊長としての権限をフル活用です。
信頼できる参謀と今一つ去就さだかではない戦友に後を任せ、わたしはシャルノたちを連れて一号車に飛び込み、すぐにジーナに鉄扉を閉鎖してもらうのです。
「クラリスくん、会議中の、生徒たちの入室は禁止されていませんよ!」
美少年教官セイン・エクスェイル講師です。
当年19歳で、わたしたちとは三つ、隠れた最年長生徒リルとは二つしか違わない身での教官職ですから、やや教条的と言うか形式にとらわれがちというか、こんな非常時なのに生徒相手に厳しくなりがち。
「セイン、お黙りなさい……クラリス様。的確なご判断なのです。助かるのです。」
エクスェイル教官をたしなめ、わたしたちの無礼な侵入を容認してくれたのは、エクスェイル教官の年下の師匠、メルです。
13歳の最年少教官で、しかも狼獣人と人族のハーフ。
開放的なエスターセル女子魔法学園の中でもとにかく異色の講師ですが、その実力はかなりのものです。
そして、幼少期はわたしの実家で侍女として、共に暮らした仲でもあります。
「犬猿の仲」とも言えるのですが、その例えではわたしがお猿さんになってしまうので言いませんけど。
ですが今はそんな状況ではないのです。
わたしの背後で、シャルノとヒルデアの、大きく息をのむ音が聞こえるのです。
「メル、状況の説明をしてください。」
目の前の状況。それは……。
「ご覧の通りなのです。イスオルン主任とワグナス副主任は、先ほどからタラスクの呪いにより、その姿が変容し始めていらっしゃるのです。」
そう。
意識を失って倒れている二人の教官!
しかし、その背中に甲羅のようなものが出始めています!
そして背びれのようなトゲトゲ!
さらにその手足には、トカゲのようなウロコが浮かんでいるではありませんか!?
これがタラスクの呪い!?
ヒルデアとシャルノは尊敬し頼りにもしていたお二人の変わり果てた姿を見て、その場に崩れ落ちるのです。
「いえ、まだです!まだ変わってしまったわけではありません!二人ともしっかりして!」
そうです。
ここで終ってしまうわけにはいかない!
お二人を助け、そして外で起きている異変から脱出するには、わたしたちがしっかりしなくてはいけないのです!
わたしは二人と、そして誰より自分自身にそう言い聞かせるのです。
なんとか立ち直ったシャルノとヒルデアです。
まだ顔が青いままですが、大丈夫そう。
年に似合わず博識なメルによれば、ある種のモンスターには「身代わり」の呪いがあるということなのです。
そんな恐ろしい呪い……。
もし自分が、と思えば背筋が凍り付きます。
そして今、その呪いに侵されたお二人のお姿は、正視したくないのです。
いまや尻尾が生え始めて、全身のバランスも次第に人ではないものに、さっきまで戦っていたタラスクに近づいているようです。
意識を失っているとは言え、汗にまみれ、苦悶の表情を浮かべて、全身に痙攣が走っているのか、ピクピクして、でもそれ以外は身動き一つできないご様子です。
「お二人はタラスク(竜亀)を倒されたのですが、おそらくタラスクの一種には、倒した相手を、自分と同じ存在に変えてしまうという呪いがあったのです。」
「タラスクの一種?まさか牛鬼ですか!?」
「さすがはクラリス様。異世界の魔獣についてまで、よくご存じなのです。」
牛鬼。
それは、あの怪人黒マントから聞かされた話です。
ですが「ほとんど不死身」以外にも、こんな呪いまで……。
「まさかメル!あなたと黒マントは、その呪いのことを知っていて、だからホントはあなたたちでも倒せたのに、足止めしかしなくて、主任と副主任のお二人にとどめをささせたのではありませんか!?」
あの卑劣で悪趣味な黒マントならありえる話です。
メルと黒マントの「局所重力波」は確かにすさまじい威力でしたが、でももっと致命的な威力の攻撃術式を行使すればあのまま二人で倒せたのではないか、とあの時かすかに感じていたのです!
「それはひどいのです、クラリス様!メルもあの方も、タラスクと牛鬼が近似種または亜種かもしれないとは思っていましたが、ほぼ同一種とまでは思っていなかったのです。」
「信じられるものですか!あの黒マントはわたしたちをここまで巻き込んだ張本人です!」
わたしは、あの男のふざけた表情が思い浮かべ、脳内で縊り殺す映像を浮かべます!
実際にできたら、さぞかし胸のすく思いがするでしょう。
「ご主人様がそんなことをなさるお方ではないとクラリス様こそが……いえ、とにかく、今は言い争っている場合ではないのです。メルとセインは、先ほどから何度も「中和」「呪払い」を行っていますが、残念ながら効果が少なく、おそらく呪いの進行を遅らせることしかできないのです。ですから、ヒルデア様たちには、この場からの脱出の指示をお任せします。」
そして、メルはなぜか自分の教官用の指輪を外し、わたしに差し出すのです。
「クラリス様は、このことを『魔伝信』でご連絡していただきたいのです。この方が一番この手のことに詳しいのです。12より11。これで……」
「メル師匠、11って欠番では……」
「うるさいのです!」
エクスェイル教官が何か言いかけて、メルに叱責されています。
それを見て、義憤、いえ、私憤に駆られたエクスェイル教官ファンのシャルノを、ヒルデアが落ち着かせている様子が見えます。
その二人の様子はいつも通りに戻っていて、こんな場合でも心強いのです。
「ヒルデア、シャルノ。脱出の指示をお願い。ホントならわたしがするべきところだけど……」
「いいよ。ボクらに任せてよ。」
「……そうですわね。急ぎますし、手分けしなければなりませんものね。メル教官、コアードの一党は勝手に逃がしますがよろしいですわね?」
「はい、お任せするのです。」
二人の退出と、メルたちが術式に入る姿を見て、わたしも覚悟をきめるのです。
いえ、たかがメールなのに、なんでこんなに緊張しているのか、自分でも不思議ではあるのですが。
一号車の窓は閉じられたまま。
ですが、そとから聞こえる地響きは一層大きく、わたしの不安と焦燥を掻き立てます。
「……起動。百文は一剣に如かず……。『12より11 牛鬼の呪い 主任・副主任 変容』」
メールはまだ作成されたばかりの通信系術式で、20文字程度の内容しか送れません。
「ポケベルよりマシさ」……あ、またいつもの黒い景色。
わたし、いつ、誰と話してたんでしょう?
なんで、わたしの思い出は景色の半分が黒いんでしょう?
『11より メルかい?メールは禁止だって言ったのに』
こんな一文に続いて、また別の返信。
『牛鬼の呪い?少し待って こちらの用の後行くよ』
どんな用か知りませんが、メールの相手はどれだけ重要な用事があるのでしょう?
同僚の方々が呪われているというのに!
それに……わたしは誰とメールしているのでしょう?
学園長の教官番号は「1」ですし、おそらくはそのお父上で客員講師のセレーシェル超級魔術師かも、と思いながらメールしているのですが、メールの文体が軽薄。
いえ、超師もアレはあれでお軽い方なのですが。
「もう……『中和・呪払い効かず 急いでください』」
『やれやれ メルにしては強引だね 努力はするよ』
かちん!です。
だって、呪いですよ!
主任と副主任がタラスクだか牛鬼だかになっちゃうんですよ!
なのになんて薄情な人でしょう!?
こんな人、わたしたちの学園には絶対にいません!
「こんな人に報告する必要があるんですか!?」
思わずメルに苦情を言いかけて……わたしは、ひたすら念を集中し、術式を唱える二人の、メルとエクスェイル教官の姿を見てしまうのです。
メルだって自分でメールする暇を惜しむくらい必死な状況なのです。
なのにわたしがここで怒っても……です。
「……『メルは解呪中 送信はクラリス 本当に急いで』」
最後にもう一通だけ送信し、わたしはメルの教官用指輪をポーチにしまうのです。
今、メルに返すどころではありませんから。
イスオルン主任とワグナス副主任は、幸い、と言っていいのか未だ意識はありません。
しかし、もうお顔以外は全身がウロコに覆われ、背中の甲羅は完全に服やマントを破き、露出しています。
尻尾も随分伸びて……
いつも人の悪いお顔のイスオルン主任。
わたしたちにひたすら厳しくて、でも、そのご本心はわたしたちを戦場で死なせたくない、できれば行かせたくもないということ。
それは一種の女性差別でもありますが、優しさに裏打ちされた厳しさは、あのコアードたちの選民思想とは雲泥の差なのです。
そして、ワグナス副主任。
わたしたちクラスの担当教官ということで、他の教官方と比べても格段にお忙しいにも関わらず、いつも穏やかに接してくださいます。
生徒相手でもホントに丁寧な物腰で……わたしたち、いつも騒いだり問題を起こしたりでご面倒ばかりおかけしてるのに、イヤな顔一つしたことがない。
そんなかけがえのないわたしたちの教官が、あんな「呪い」なんかのために……悔やしくて、不安で泣きたくなるのです。
あらためて、勇気を出してお二人のお顔を見つめるわたし……そして、あることに思い当ったのです。
「黒マントが言ってた、人の顔をしたタラスクや牛鬼って……」
お二人の、未だ人のままのお顔を見てそう気づくのです。
「それがつまり、タラスクを倒して呪われ、姿を変えられた者の姿……。」
気づきたくなかった、そんなこと。
でも、そのかわり気づいたことも。
わたしがメールしていた相手は、こんな事態を相談する相手とは……黒マント。
アンティノウス・ジロー・アシカガだったのに違いないのです。
「やはり、メルと黒マントは知り合い。そう言えば、さっき、ご主人様とかって言ってた?」
なぜここで「ご主人様」って?と思い、聞き間違いと思っていましたが、まさかアンティノウス・ジロー・アシカガは、メルの師匠?
そうであれば、さきほどの、二人で唱えた詠唱の見事さも理解できるのです。
でも、もしそうなら、わたしの魔術の同門の師でもあるということではありませんか!?
なのに……全然記憶がない。
いえ、それよりも頭痛がする。
この十日ばかりに、時々わたしを襲う、頭の芯までぎゅうっと締め付けられるような頭痛です。
わたしはその痛みに耐えながら、メルとエクスェイル教官が術式を唱える姿を見守るしかないのです。
ガタタタ。
機甲馬車が動き出しました。
どうやら2号車と連結したまま、走らせているようです。
術式を詠唱中のメルとエクスェイル教官が、振動で中断しないか心配になりましたが、お二人とも、いえ、主任たちもわずかに宙に浮いているようです。
こんな事態を考えて「浮揚」を使っていたのでしょう。
なるほど、こうすれば高速走行中でも舌をかまずに術式を行使できます。
もっとも下級魔術士の身では「浮揚」なんてまだまだ。
そこに緊急一斉メールです!
この場の全員に送られた魔伝信!
『ゴラオンと機甲馬を止めろ!今すぐ!!』
これは一体?
もどかしい、と思いつつ返信しようとして……相手がわからないのです。
「魔伝信」は差出人の名を文頭に記していて、生徒用指輪の限定された機能では、その相手を指名しなければ返信できません。
わたしはポーチにしまったメルの指輪を思い出し、再び「魔伝信」を使おうとするのです。が……指輪がチカッって。
これは受信の合図です。
慌てて宙に文面を表示します。
すると緊急メールの前にもう一通。
『11より 魔力炉が暴走する!ゴラオンを止めるんだ!』
わたしは急いで機甲馬車の伝声器を使い、呼び掛けたのです。
「戦隊長より 今すぐゴラオン、機甲馬の動力を停止して!緊急メールの言う通りにするの!魔力炉が暴走する可能性があります!もう一度言います。いますぐ魔力炉を停止!」
これで機甲馬車や機甲馬、ゴラオンの乗員には聞こえるはず。
ならば今はクラス全員に伝わったと考えていいでしょう。
早速馬車は停止して、シャルノからわたしに返信がきました。
「こちら2号車シャルノ。クラリス、全魔力炉緊急停止しましたけれど……魔力炉の暴走ってどういうことなのですか?それに……これではここから脱出できませんわよ?」
わたしはメルたちの様子を確認し覚悟を決めるのです。
「最悪、機甲馬車ほか装備を放棄して。徒歩で脱出しましょう。まだ、サイドポーチに非常用ポーションが残ってる子もいるでしょうし、機甲馬車の中にも残っているかも。コートと長軍靴のおかげで寒さにも耐えられる。幸い二日も歩けばノルサスに着くでしょうし、多分、学園長たちが救出隊を派遣してくださるでしょう。」
「……ですが、あのご様子の主任と副主任は……。」
他のみんなはお二人が呪いに侵されていることは知りませんし、そんなお二人をお連れするわけにいきません。
それこそ最悪は……魔獣となったお二人を……いえ、なる前にお二人を。
きっと主任も副主任もそれを望まれるに決まっています。
ならばそれはわたしの役目。
他の誰にもこんな任務、任せられないのです。
「わたしが一緒に残ります。みんなはメルとエクスェイル教官の指示に従って……」
「バカなことを言わないでください!装備は仕方がありません!けれどあんなになった教官方をあなた一人に任せて先に帰れとおっしゃるの!」
「先に戻って、救出隊をつれてきてください。戦隊長としての命令よ!」
「そんな命令は聞きません!」
「シャルノ!」
何事かを察したか、いつになくわたしに強硬に反対するシャルノです。
でも、こんな役割は、わたし一人で充分なんです。
わたしは軍属として「戦隊長」。戦闘任務中は上司なのですから、命令権はわたしにあります。
シャルノだって、わかってるはずなのに……でも、今は強引でも強権的でも命令する時なんです!
「待って!まあまあ……二人とも落ち着いて。直接顔を合わせて相談しようよ?ボクは、こんな器械を通して言い争うよりよっぽどいいと思うよ?」
そんなヒルデアの仲裁はありがたいのです。
しかし、実はそんな事態はとっくに過ぎていたのです。
大きな、それこそ山が崩れるような大きな音。
そして何度目かの地割れ。
思わず「噴火?」とか口走った子もいます。
そう。
その轟音の正体を確認すべく、わたしたちは機甲馬車から一度降りたのです。
走行再開を急いだせいか1・2号車、3・4号車をそれぞれ連結したまま、その前に3頭の機甲馬をつないでいた2両の機甲馬車ですが、今はその動力を停止して、ただの細長い鉄の箱。
そしてあちこちに散在する、乗り捨てられたゴラオン。
そして、目の前に広がる景色は!
「浮いてる……」
リアクションが薄いリトです。
でもその黒曜石のような瞳が大きく見開かれてるのは驚いてる証拠です。
風がびゅうびゅう吹いて、彼女の長い睫毛を揺らしています。
「地面がここだけ浮いてますわ……」
こちらは茫然とするシャルノ。
そのプラチナブロンドの髪が、やはり強風でなびいています。
こんな時でも絵になるのが、少し悔しいくらい。
「天変地異や!出発の時に伯母ちゃんなんか見たから、ヤバイ思うとったんや!」
ホントはシャルノに負けない美少女なのに、こんなこと言って顔面が崩壊してるのはエミル。
そう言えば、メルも似たようなことを言ってました。
どうやらこの冬季実習は、こんな目にあうのが予定済みだったのでしょうか?
「うわぁ……あたしら、地面ごと空飛んでない?すごいすごい!」
いつも無邪気なリルです。
こんな時でもその無邪気な驚きようは、なんだか心強くすらあります。
さすがは最年長生徒なんです。
地響きのたびにム……が揺れるのはご愛敬。
「もう、下の景色が小さいの。けっこう高く飛んでるの。」
一方、純粋に感動してるようにみえるくらい無垢なレンです。
そう言えば、この子、以前ゴラオンで空を飛んだことが……あれ?頭がチクリ。
「もう、言葉もあらしまへん。うちらはこの一日で一生分の厄介ごとに関わってはおりまへんか?」
ジェフィ、甘いです。
何でか知らないけど、この半年でこんな出来事に何度か遭遇したわたしです。
こんなモノでは……きっとこれからも?
そう考えるとウンザリですけど。
「あんなところに湖?あれがさっき『探知』で見つけた地底湖でしょうか?なら……これは地底湖に浮かんでいた浮島のようなものではないのでしょうか!」
そしてデニー。
この子はもう大興奮してメガネがギラギラって怪しく光っています。
でも確かに地表には湖らしいものが見えます。
つまり、このわたしたちが今立っている……浮かんでいるともいいますが……地面は、あの湖を覆っていたフタのような浮島という推測はあながち間違ってはいないのでしょう。
機甲馬車の周りだけではなく、数十m或いは100mほどの範囲の地面が浮いている。
時々そこから岩だか土の塊だかが落ちていって、湖や地面にぶつかるのが見えます。
浮いてるというよりは飛んでいるみたいです。
「だけど……なんでこんなのが飛んでるのよ?」
アルユンがひときわ青い顔でうめいています。
何らかの前兆を感じていた彼女はもうゲッソリ。
見えないものが見える才能とは知りたくないことを感じてしまう不幸の元かもしれません。
ですが、そういうことなら……チラっとまたレンを見るわたしです。
「夢見の一族」であるこの子と一緒に見た昨夜の夢……なんか関係あるのでしょうか?
こんな天変地異に遭遇するなら、もっとはっきりわかりそうなものですけど。
でもキリンさんの事件でも、夢は見たけど「わからない」って言ってたし、そんな便利なものではないのでしょう。
今だって楽しくはしゃぐファラファラと怯えまくってるミュシファに挟まれてる普通の女の子。
「やれやれだよ。」
ドキリ!
そんな声にふりむくと!
「これが地表から見てるんなら、天空の城は本当にあったんだぁとかって騒ぐ場面なのに、こんな味もそっけもない、見た目ただの土くれの上じゃあな。」
「パパ、天空の城ってなに?またフィアにわかんない話?」
「そうだな。ラピュタの飛行石はアダマンティス。つまりアダマンタイト系の磁鉄ってスウィフトが書いてたけど、下から見ないと確認できないし。」
「やっぱり全然わかんないよぉ、パパぁ。」
……そこには怪人黒マントとその娘、この一週間ほどで8歳から16歳くらいに成長した速成乙女フィアちゃんがいたのです。
その真の姿はサクメイ、白麒麟のはずですけど。
「あなた、なんでここに……」
「急いでってキミからのメールを見てね。ホントに急いだんだよ。んじゃ、二人の所に案内して。」
もっと言いたいことはあるのです。
殴ってもやりたいのです。
ですが、黒マントは主任たちを「解呪」してくれるかもしれません。
少なくともその為にここに急いで来てくれた。
「ん、黒マント!?」
「お、こいつがか!」
リトとジーナのクラスきっての武闘派二人が抜刀しかけましたが、
「待って、今はダメ!」
わたしが説得するのは当然なんです。
イヤイヤ説得ですよ?
ホントはわたしが一番殴りたいんですから!
「んじゃ、二人はこっちに任せてくれ。」
「パパぁ、よくわかんないけど、フィアが呪いとくんでしょ。だったら後でたくさんかわいがって!」
ちなみに一号車は生徒立ち入り禁止。
とは言えわたしは黒マントたちを案内し、中に入ります。
わたしでは開けられない鉄扉はフィアちゃんが片手で軽く開けてくれます。
「お前、よわっ」とか言われましたけど。
一号車の床には何本もの空の小瓶。
魔力を全開で使い続けているメルとエクスェイル教官は、憔悴しきって、それでもまだ術式を行使し続けています。
そして、その二人の前には、もはや体も大きくなって機甲馬車からはみ出さんばかりに変容してしまったイスオルン主任とワグナス副主任……。
「メル、セイン。二人ともよく頑張った。後は僕たちに任せてくれ。」
「……どなたです?」
「あ、そっか。」
疲れ切ってはっきりしないエクスェイル教官は黒マントを不思議そうに見つめます。
明らかに力がありません。
完全に魔力欠乏症です。
短時間に立て続けに魔力回復ポーションを飲み続けると、次第に回復量が減少するばかりか、一定時間、魔力の自然回復すらできなくなってしまいます。
おそらくはメルもそういう状態。
二人で一号車に常備してあるポーションを飲み尽くしたわけで、その努力は報われましたが、後遺症は残るのです。
「……セイン、キミはしばらく休みたまえ。」
黒マントがそう呟くと、エクスェイル教官はあっさりと眠りに落ちてしまいました。
「眠り(スリープ)」です。
こんな初級術式の無詠唱で、中級魔術師を眠らせるなんて。
でも、正しい判断。
生真面目な彼があのまま無理をしてはいけません。
「エクスェイル教官、しばらくお休みください。ここはわたしたちで対処いたします。」
……でも、変です。
黒マント、セインって、エクスェイル教官の名前まで知ってた?
「不肖の弟子を眠らせてくださってありがとうございます。」
そこにメルの澄ました声。
エクスェイル教官が眠りに落ちたのを見届けるや、張り詰めていた糸が切れたかのように、メルもまた倒れ掛かるのです。
そしてそれを優しく抱きとめる黒マント。
「ああ、フィアのパパが減る!」
お父さん大好きっ子の……と言っても外見は年頃……フィアちゃんは猛抗議ですが、メルも黒マントもしばらくそのまま……。
「後はお願いするのです……ご主人様。」
そしてぼそっとつぶやいた後、メルは意識を失ったのです。
わたしとは比較できないほどの魔力保有量を誇るメルが、こうもポーションを濫用して、それでも解呪できない呪い。
目の前でタラスクに変容しつつあるお二人の変わり果てた姿が、その恐ろしさを実感させます。
……もう手遅れでは?
そんな不安を押し殺し、わたしは黒マントを見るのです。
彼は床に毛布を敷いてメルを優しく寝かせていて、そんなわたしの視線には気づきもしない!
なんだか不愉快……。
「この子がこんなにムリして。僕の見込みが甘かった。よく知らせてくれたね。クラリス、クン。メルからのメールじゃ、この子は僕に遠慮してあんなにせかせない。」
相変わらずわたしには変な呼び方ですが、まあ、反省しているなら見逃しますけど。
「フィア、お願いだ。」
「パパが言うんじゃ仕方ない、やったげるね。」
そんな軽いやり取りで行われたフィアちゃんの解呪の儀式。
「えい……終わり!」
え?
そんなもの?
今、小刀で手首を切って、その血をお二人に振りかけただけですよね?
ただ、フィアちゃんの血は、赤いだけではなく、黄金の輝きを帯びた不思議なものではありましたけれど。
そしてその血を掛けられた主任と副主任は、全身が黄金色に輝き、そのまま小さく、甲羅も尻尾もウロコもなくなって……あっと言う間に人のお姿に戻られたのです!
何かの冗談や手品みたいに。
いえ、魔術師が言うセリフではないのですが、魔法のよう、と言うにも余りにありえない……。
「なにしろフィアは吉祥獣の中でもナンバーワンの麒麟の子だからね。その体液や髪の毛だけでも相当の霊力に満ちている。下手なエリクサーより効くんだ。もっともそのおかげで魔獣やら妖獣やらがこの子を狙ってどんどん襲ってくるけどね。」
「ホントだよ。パパが用意してくれた魔力を吸収するギブスでも、隠せないし。」
「この白妖狐の毛皮を編み込んだ長衣ですら、その霊力は隠し切れない。まったく。」
そう言いながらも、ご褒美のようにフィアちゃんの白銀の髪を撫でる黒マント。
そして目をとじてウットリしてるフィアちゃん……。
それ……ひょっとして!
「昼間、わたしたちの班があんなに魔獣に襲われたのは!?」
「ま、そういうこと。特に小細工しなくても、この子の霊力をちょっと漏らしただけで魔獣は来るわ、キミたちが退治するわ……キミらの機甲馬車がまるで『魔獣ホイホイ』に見えたね。」
ホイホイ?
それが何かは知りませんが、黒マントの言う、それはとっても不愉快な言い様なのです!