第19章 その8 襲い来る剣士(ソードマン)
その8 襲い来る剣士
餓鬼がいなくなるや、世界は再び白い冬の景色をとりもどしました。
いえ、それ以上に、あの怪人黒マントことアンティノウス・ジロー・アシカガの声が周囲の気温を急速に低下させた。
それはわたし以外の仲間にも、そしてコアードの一党にもわかったのでしょう。
この場のすべての視線が、だから今は彼に注がれているのです。
「いつもは……え?ううん。さっきまではあんなにゆるい表情でだらしない言動だったのに……。」
そして、わたしはなぜか胸の奥がチクリ、なんです。
「妖精族……そうなんですね!」
そこに場違いなデニーの声。
なんてうれしそう。
いくらミステリーマニアで推理したがりだからって、これではただのビョーキです。
「ワグナス教官殿!先ほど教官殿が『一人の人間の腕一本にしては、召喚されたものが多過ぎます』と仰っておられましたが、それは供物となった者が妖精族の血を引いていたからなんですね!妖精族の血は供物として実に効果的なんですね!」
だから、なんの推理ですか!
しかもなんか不謹慎!
もっとこの状況を打開することを考えてほしいんです!
ですが……ザワッ。
その声を聴いたコアードを率いる「大尉」とやらが笑い出したのです。
「そうぉなのですぅ!この子はぁ呪われた勇者にしてぇ汚れた妖精族ぅ、ロデリアの娘ぇ!」
勇者!?
それは6年前の王国最大の敗戦ギュキルゲスフェの戦いで……。
「あの偽勇者の!?」
デニーがさけぶのは当然のこと。
勇者を名乗っていたロデリアとその仲間たちは、人族を裏切り、王国の軍勢を消滅させてしまったのですから。
でも、それが妖精族?
「ん!裏切者!」
滅多に感情をあらわにしないリトですが、今は怒りで顔を紅潮させています。
「そうそう、許せない!」
いつもは明るいリルも怒っています。
それくらい敗戦に、いえ、王国そのものを危機に追いやった偽勇者への怒りは強いのです。
「それはそうです……せやかて、なんや事情があったんかもしれまへんし、ホントのことはわからんもんです。」
で、こっちは現在進行形の裏切者、いえいえ、表返り者ジェフィの言うことですから素直には聞きにくいのです。
なんだか遠回しに自己弁護してるみたいですし。
或いは、何か知っているんでしょうか?
「なかなか冷静だね、キミのお仲間の子は。」
ふん、です。
どうせ、わたしと違って、と言いたいのが丸わかり。
思わずゴラオンの中で頬を膨らませてしまいます。
ですが、この人、盗賊さんに成りすましていた時から、ジェフィへの評価が妙に高い。
それも気に入らないのです。
でも……男の声から、さっきまでの冷気が薄れていることに気づき、ほっとするわたしです。
「さて、ラーディス大尉。僕だってその場にいたわけじゃないけど、あの一件が捏造されたものだって推測くらいはできる。そこらへんはお前もわかるだろ?なんたって僕は関係者なんだから。ロデリアさんが、みんなが裏切るわけがない。自分たちから進んで王国に見捨てられた土地で、魔境と呼ばれたあの地で戦い続けた彼女たちが、人族を裏切ることは絶対にない!」
王国に見捨てられた土地?
魔境?
聞いたことのない言葉が続きます。
「それはぁあなたのぉ勝手な思い込みでぃしょうぉ。それにぃあなた自身ぅ、そのロデリアをぉ裏切ったのですからぁ…‥ねえぇ、ロードぉ?」
白い軍服を着たラーディス大尉は、同じ服を着た、しかし片腕になった娘を前に出すのです。
以前は背中まで伸ばしていた紅金の髪は、今は肩の高さでバッサリ。
そして、その青い目は強くまっすぐ黒マントに向けられています……おそらく憎しみの目で。
「こぉの娘はぁ、わぁかりぃますねぇ?」
「わからない。でもその子はロデリアさんとは無関係だ。」
「いいやぁ、この子はぁロデリアとぉあなたのぉ娘ですよぉ、アント万年二等兵ぃ。仲間をぉ見捨てたぁあなたがぁ、ロデリアをぉだましてぇ犯しましたぁ。その時のぉ娘ですぅ。」
そ!それは許せません!
こんな不実で卑怯な男は、やっぱり怪人で充分なんです!
「レン、『精神結合』よ!増幅した「魔力矢」であの男を」
「いやなの。ちゃんと事情を知らずに暗殺なんてダメだってレンは思うの!」
……レンの裏切者。
わたしたちがそんな仲間割れをしている間。
「ばあか。パパがそんなことするわけないじゃないか。お前、ウソつき!」
二人と怪人の間にフィアちゃんが立ちふさがるのです。
で、あっさり全否定。
これはどちらを信用すればいいんでしょう?
でも、大尉の言うことが本当なら、あの二人は姉妹では?
「そうだ、フィア。偉いぞ。もっと言ってやれ。僕がどんなに高潔な男か、特になんだかわからないくせに真っ赤になって僕をにらんでるあの生徒たちにも聞こえるように。」
黒マントがわたしや機甲馬車の窓から顔を出すみんなを苦々しく見ながら、フィアちゃんの頭を撫でると、彼女はますます大きな声で訴えるのです。
「だって、パパったらフィアがちょっと下着姿で抱きついても逃げ出すくらいだし」
「ぐさ!」
黒マントはなんだかダメージを受けました。
「それに、そんな下種な男なら、こんなにかわいいフィアにちょっかい出さない訳ないだろ!」
親子で何やってるんですか!
いえ、やってないならいいんですけど、いえいえ、そういう問題じゃない気がします。
そして黒マントは更なるダメージを受けたようです。
「だいたいパパは、次の転生で魔法使いになるために二つの世界でDTセイジンを貫くなんて言っておいて、この前、魔術師になっても未だ女に近寄らないヘタレなんだぞ。」
「ぐっさあ!」
そして黒マントは限りないダメージを受けて、胸を押さえ突っ伏すのです。
さらに追い打ち。
「つまりパパは魔法使いになるための誓いなんて言ってたけど、ホントは女が怖いだけなんだ。だからお前の言うようなこと、できるわけがない!」
「ぷしゅうううう……。」
黒マントは煙を上げて、なんだか真っ白な灰になったようです。
なんだかさすがに少し哀れ。
これではかばわれたのか、とどめをさされたのか、悩むところです。
「だいたいパパは、非暴力主義者で、それ以上に女性尊重主義者なんだから、女にケガなんか絶対させない!もしパパが戦う時は、それは何かを守るためだ!だからパパは強くて優しいフィアの大好きなパパなんだ!」
そう叫ぶフィアちゃんは、おそらく出会ってわずか数日の父親に、絶対の愛情と信頼を向けています。
ひたすら真っすぐ。
なんでそこまで……?
「最初からそう言ってくれよ、フィア……っていう言うか、それ以外言わなくていいだろ?」
あ、黒マントが復活しました。
現金です。
でも、さっきよりずっと優しくフィアちゃんの頭を撫でて、彼女もうれしそう。
かわいい娘にあそこまで言われたら、父親なら当然立ち上がるでしょう……あれ、なんでわたし、もやもや?
「……うるさいぞ、真っ白な標本女。お前に何がわかる?何がパパだ?お前なんか、アントのことを何も知らないくせに!こいつは戦場で逃げ回ってばかりで、まわりにバカにされて、だから5年も軍にいたのにずっと二等兵のまま!それで万年二等兵なんて言われてたんだぞ!臆病で卑怯な奴だ!」
「そっちこそ何もパパのことを知らないくせに!」
……これは雲行きが怪しくなってきました。
やっぱり娘同士の仁義なき戦いなのでしょうか?
ですが、これも、でもなんだか見ていて、とっても……です。
いえ、これではご近所トラブル「痴話げんか」に遭遇した時のかあさんとおんなじです。
仮にも北方実習で魔獣を退治して、この黒マントの陰謀を撃ち砕くためにやってきたのに……もめている当人たちは深刻でも、なんだか「ヤジウマ」になった気分なんです。
「フィア、少し代わって。」
不満そうなフィアちゃんを優しく押しのけ、黒マントことアンティノウスが前に出ます。
「キミは、いやコアード一党はどうも僕のことを忘れてないようだ。どこか対魔術結界に潜んでいたんだね?」
「忘れる?バカなことを言うな!貴様の悪行を忘れるもんか!」
しかし、アンティノウスが前に出たことで、ロードは更に激高しています。
もしも彼女の言うことが本当なら、その怒りも憎しみもわかるのです。
「ふん、どうせ『大佐』が追跡を逃れるためにあちこちに結界張ってコソコソ隠れてたんだろう。……ラーディス大尉、ところで僕の娘なんてウソをついて、この子に何をさせようってんだ?」
「ウソだと!貴様、義父上が俺にウソを言ってると言うのか!」
「そりゃそうだ。僕が臆病で卑怯なことは認めるけど、だからってロデリアさんにそんなことできるわけないし、もちろんそんな事実もない。キミは妖精族の血を引いているみたいだけど、ロデリアさんとの血縁をうかがわせるほどじゃないし……髪の色と、乱暴な言動くらいか?でも、会ったこともないんだろ?なのになんで変に乱暴な態度だけが似てるんだい?誰かがそう教えたからかい?」
「うるさい!うるさい!うるさい!」
そんな、叫びだした少女から、黒マントはつらそうに顔をそむけます。
「やれやれ……ラーディス、お前、ホントに何をしたいんだ?」
「決まっているでしょう?この娘が汚れた妖精族の血を引くことは間違いのです。」
「ち、さすがは排斥主義のコアードだ。人族以外はなんでも汚れただの、罪深いだの、決めつけて……!?」
そこで何かに気づいたのか、黒マントは弾かれたように動くのです。
しかし、それはわずかに遅く……
「飢呪の王よ……我が生命を以て願いに応えたまえ!死ね、アント。俺の父にして人族の裏切者!」
ロードが右手に隠し持った短曲刀で自らの首を切り落とそうとしたのです!
短曲刀がその喉に、その直前でした!
「いててて。さすがに利き腕じゃないせいか、少しだけ反応が遅かった。やれやれ。」
「き、貴様、ジャマするな!」
短曲刀が半ば食い込んだのは、彼の右腕!
彼は、そのままの腕で暴れる彼女を取り押さえています。
「パパ!またフィア以外の女相手にこんな無茶して!」
そして、ロードという少女を邪険を押しのけ、フィアちゃんが黒マントに抱きつき、その腕を押さえます。
「パパ、治癒魔術使えないの?」
「……ゴメン。まだ覚えてないんだ。」
やはりおバカなんでしょうか?
中級魔術師にもなれば、自分の生命を守るためにも回復系の「治癒」は優先して覚えるべき術式でしょうに、あんなに変わった術式を、しかもほとんど無詠唱で使えるくせに、まだ習得していない?
「だいたい止めるだけなら『眠り』とかで眠らせればいいのに。パパってやっぱりおバカ。」
「慣れてないんだよ、とっさの使用には!……でも、ま『眠り(スリープ)』」
そして、意外に素直にフィアちゃんの助言に従い、ロードを眠らせます。
自分の腕は血止めすらしないのに、倒れるロードをそっと抱き留めて寝かせて。
どう見てもお人よしでしょう、それもかなりの。
或いは単に女性が好きなだけ。
でも娘に言わせればヘタレだそうですし?
「フィア。その子を頼むよ」
「えええ!?こんな女死んじゃえばいいんだ!」
「ダメだよ、ちゃんと事情を聞いて、こっちのこともわかってもらって誤解を解かなきゃ。いい子だから。」
「……はぁい。」
そこで、黒マントは思い出したようにわたしを、正確にはわたしが乗るゴラオンに向って呼びかけたのです。
「ああ、キミたち。今さらだけど一時休戦だ。こいつらを拘束するまで、いいだろ。」
「よくありません!」
思わずそう叫ぶわたしですが、この状況では……でも!なんだか納得が!
「わかりました。クラリスくん、みんなも。その方とは一時休戦です。」
そこでワグナス教官がとりなして……ぐっ。
「仕方ありません。ですが、あくまで『一時』です!」
「はいはい。キミは頑固で融通が利かないね。でもさすが、ワグ氏。話が早くて助かる……さぁて大尉。僕が出番を大幅に早めて登場しちゃった責任をとってもらおうか。」
「パパ、それ、単にパパが我慢できなくなっただけじゃない?」
「それは黙ってて……こほん、で、大尉。ちゃんと聞かせてもらうぞ。あの子の事、それに偽勇者の件、そして……『大佐』はどこにいる!?」
怯えたのか、「大尉」が後ずさり、逃げ出すそぶりを見せます。
残ったコアードの黒兵士たちが彼を助けだそうと動きはじめます。
もちろんそれを許す黒マントではありません。
「おっと……『炎壁』!」
簡易詠唱の一声で黒兵士の前に巨大な炎の壁が燃え上がるのです。
「ワグ氏が、地も水もダメなんて言ってたから、苦手な精霊系ばっかり唱えて、疲れてきたよ。」
あれで苦手?
こんなに簡易詠唱や無詠唱で多くの魔術を使いこなしているのに?
「パパは魔術言語は上手なのに、ちゃんと精霊たちと向き合って話せてないから、精霊がなかなか言うこと聞いてくれなくて、ムダに魔力を使うんだよ。もっと心を込めて伝えないとダメだよ。」
要は、言葉に不自由はなくてもコミュ障で、膨大な魔力量でごまかしているってことでしょうか?
なんとなくわかる気がします。
なんだかこの男は、自分の言いたいことは言うけど人の話は聞かないタイプ、いえ、自分の話だって感情に任せてちゃんと伝えてないんです、きっと。
「……んじゃ、重力系か空間系にするよ。こんなので。」
大尉は黒マントが油断していると思ったのか、炎の壁を避けて逃れようとしていましたが、突然ギュウって地面につぶれて……これが重力魔術?しかも無詠唱……。
「『加重』だよ、こっちの方が楽だね……生きてるだろ?大尉。たかだか10Gくらいじゃ、全然平気だろ?……ち!」
その時、黒マントの周囲は白銀に輝き「障壁」をつくります。
それは後ろのフィアちゃんや倒れたままのロードも守っていました。
しかしその障壁が一瞬で切り裂かれたのです。
「剣圧だけでここまでやるか!……って、来てたのか!」
それでも、もう一つ張り巡らされていた小さな障壁が黒マントを、そして彼女たちを守っていたのでしょう。
二つの障壁は消えましたが、中の3人は無事のようです。
しかし今の一撃で、黒マントの術式は中断し、炎の壁も局所重力も消滅しています。
「久しぶりだな、アント。」
「そうでもない。15年ぶりに会った後じゃ、3週間なんかあっと言う間さ。」
そして……黒兵士の一人がゆっくりと前に歩いて来るのです。
その長身。そして手に持つ長剣……。
「間違いありまへん。曹長はんです。やはり来てたんです……あきまへん。」
「ですが今までなんで出てこなかったんでしょう?」
「あの強いヤツだ!でもメルちゃんをやっつけた悪いヤツ!」
「いつ魔術師になったんだ?」
「う~ん、一週間前?」
それはわたしと初めて会った日!
ウソ!
ゼッタイウソ!
そんなんでこんなに術式を使いこなせるわけがありません!
それではわたしたちの修行も学業も、全て無駄な努力と言われるようなものなのです!
「そうか。おめでとうと言うべきかな。」
「いやいや、昔とは言え上官に言われちゃ、恐縮だね……で、わざわざ兵士のフリまでして隠れて来たのは、僕に祝辞を伝えるためなのかい?」
「用件は別にある。伝言だ。ラーディス大尉へ……『大佐』殿からの。」
それを聞き、飛び上った大尉。
ですが、部下に、伝言?
わざわざ隠れて?
それに曹長というこの男の、隠し切れない『大佐』への畏敬はただ事ではありません。
曹長は、黒マントから油断なく離れ、大尉の前で立ち止まると見事な敬礼をします。
これは陸軍式。
しかもなんて立派な敬礼でしょう。
この人は「階級」だけじゃない。
ホンモノの軍人です。
「ラーディス大尉、リーチ特務曹長です。『大佐』殿からの伝言をお伝えします。『大尉……貴官のことは全て知っている。』以上であります。」
その言葉。わたしたちには、まったく意味不明なそれだけの言葉。
でも
「大佐が!大佐が、私のことを!?……そうですか……ハハハハハ。ならば、仕方ありません!」
大尉はそう叫ぶや、隠し持っていた短曲刀を取り出すのです。
まだあった?
「飢呪の王よ!私の命を捧げます!……コアードに栄光あれ!人族こそ真にして唯一の支配者!」
その短曲刀は迷いなく大尉自らの喉を切り裂き、赤い血を空中に吹きあげます。
そして、既に生命を失った大尉の体が地面に倒れる前に。
その上に再び出現する黒い渦。
浮かぶ渦がその血を、更に倒れようとしていた大尉の死体を吸い上げ、呑み込んでいくのです。
赤い。
雪原が、空が、世界が赤い。
落ちた短曲刀の刃は赤黒く、乾いた音をたてて転がります。
「ち。……リーチ特務曹長、あんた、あいつが死ぬための伝言を運んだのか?」
「さあ?俺は『大佐』殿の言うがままに動くだけだ。ただ、この男は……喜んで逝ったのだ。」
「あれがか!あんた、目が腐ったんじゃないのか!」
さきほども起きた現象です。でも……今度はもっと大きい!
「空が、赤い空が落ちてくるよぉ!」
「もうわやや!こないなこと、ごめんしてくんなはい!」
「レン?しっかりしてください!」
「……なぜこんな大規模な怪異現象が!?ありえません!!」
機甲馬車の仲間たちは大混乱、いえ、恐慌状態とすら言えそうなほどです。
「デニスくん!こんなときこそ、だ!」
黒マントがかけてもいないメガネを人指し指でチョイってあげる仕草をするんです。
「あ!?……はい!『平穏』!」
言われるがままにデニーは、メガネの隠された力で中級の精神系魔術を発現させます。
あれは、自分とその周囲の者も精神を安定させ、かつ沈着冷静にしてその集中力・思考力などを一時的に向上させる術式なんです。
だけど、なんで黒マントがデニーのメガネのことを知ってるんでしょう?
「ふふふ……そういうことですか!」
あ、おまけにデニーのスイッチがはいってしまいました。
また何かに気づいたのです。
「平穏」のおかげで。
でもこんな時に気づかなくても。
わたしとリトは機甲馬車に近づきながら顔を見合わせるのです。
お互いデニーに呆れて、ヤレヤレって。
「わかりましたよ。この現象が、先ほどの妖精族の少女よりの時も遥かに大きな規模と化しているのは、あの大尉こそがより強く妖精族の血を引く者!ロードの本当の父、ということなんですね!」
なのにデニーは絶好調。
周りが赤く侵食されていることなんか目にも入らないんでしょう?
ホントにあれ、冷静沈着になる術式なんでしょうか?
あれではむしろいけない「薬物」の類では?
「どうしてどうして?」
「なんでそないなります?」
ですが、みんなが疑問に思うのも当然の事で、でも平穏ですっかりみんないつもの調子に戻ってます。
周りはどんどん赤く侵略されていくのに、なんだかな、って感じ。
これも「平穏」のおかげ?
でもわたしとリトは効果範囲から外れているので、自力で平静を保って、そのせいでこんな怪異を目の当たりにして……でも意外に平気。
「キミたちはこの前、麒麟の昇天に立ち会ったから異常なくらいにSAN値があがってるんだ。だからレンさんも……繊細だから最初は耐えられないけど、すぐ意識を取り戻すと思うよ。」
SAN値ですか。そんな異世界語……なぜか理解できる自分がイヤなんです。
それに、その言い方では、わたしは繊細じゃないって聞こえます!
ですがその間にも、世界を覆う赤いモヤが、次第に近づき、一カ所に、しかもわたしたちの側に集まってるんです。
そんな様子も知ってか知らずか、相変わらずデニーの声が続きます。
「まず、妖精族の血を引いたロードの腕を供物として、さきほどの餓鬼を召喚されました。ですが、明らかにその時よりこの場の変容は大きいのです。」
「それは、さすがに妖精族の一族でも、ラーディス大尉が人族で命全部つこうて供物にしはったら、かなわんのではありまへんか?」
「いいえ、妖精族の血の一滴は、人族の生命に匹敵する供物と言われています。それでかつて人族は……おっと、だからこれは皆さんには知らない方がいいことなんです。なんで知ってるのですか!?まさかデニーくん、禁書に手を出したんじゃないですか!」
「そんなことはしません!ですが、ご助言ありがとうございます。教官殿のおかげです。これで大尉が妖精族の血を引いていることは、かなり可能性が高いわけです。そして……大尉はコアード。人族優越主義なんです!その自分が妖精族の血を引いていることがバレたら、組織内で粛清されかねません!」
それを聞くと、さすがにわたしもドッキリ。
警戒中なのに動きが止まります。
「そして、娘さんが生まれた時、何らかの事情で妖精族の血を引いていることが、それが自分に由来する血脈であることがわかってしまったら!」
どうするんでしょう?
自分のせい?
でも妖精族の一族だからって、娘は娘じゃあ……。
「なるほど……それで、妖精族の血の責任を、ロデリアさんと僕に擦り付けた。で、ロデリアさんを陥れる材料を探していた連中にとっては渡りに船。更にその妖精族の血をこういう呪術に利用しようって育てたわけか……頭に来るな。女の子一人の人生をなんだと思ってやがる。そもそも人族じゃなけりゃ生きる資格もないっていう思想が許せない。で、もっと頭に来るのは、そのことに気づいて、こんな風に利用してる『大佐』の方だ!」
周囲の赤い景色を見回すと、黒マントは自分に近寄るリーチ曹長にそう毒づくのです。
「別に犬猫としてなら、畜生としてなら生きててもいい。ただ、ヒトのふりは止めろ。ヒト種とは、あくまで人族だけ……それだけだ!」
そしてリーチは、その長剣を無造作に振るいます。
まだ間合いから随分遠い。
にも拘わらず、その剣風は地を走り、黒マントに向うのです。
ただの、普通の武器で、普通にはなった一撃がそんなことに!?
これは伝説の剣聖に匹敵するくらい強いのでは!?
コアード一党に、こんな強敵までいるのに、さらにわたしの目の前では邪精霊の眷属もまた、その姿を現し始めたのです。
敵、敵、敵!
そして敵だけど休戦中の黒マント。
わたしたちは目の前の敵と将来の敵の中で赤い世界で孤立したままなのです。
デニーなんかまだ推理の披露をしたそうだし……ピンチです。




