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外伝その16 最終話 後篇「……約束したじゃないか!北で迷宮探検だって!みんな……北に行こうよ!」

 最終話、後篇です。

 想定以上に長くてなってしまったため、わかりにくかったかもしれませんが、外伝、ようやくの完結です。作者は焦りながらも楽しく執筆させていただきました。

 最後までお読みいただきありがとうございます。

外伝その16 最終話 後篇 


 女王種ミレイルトロウルの巣穴から脱出した一行は、そのまま隠し通路を上っていった。


 そこまでの脱出ルートを誘導したのはアンティで、敵にも会わず、かなりの速さでたどり着いたにもかかわらず、なぜか仲間たちからは「鬼畜の案内人」とか「マッドマッパー」などと呼ばれ、大変不本意のようである。


 そのせいか、どうも無口で元気がない。

 

 その日のうちに旧アルグラデ山塞にたどり着いた一行は、ここで一泊することにした。


 これ以上は体力的にもう限界なのだ。

 

 リーチたちは、そんな一行と別れ、女王種の首をもって早々にシャズナー大佐のもとへ更なる強行軍である。


 さすがは特殊部隊、その体力と忠誠心は底なしなのであろう。




「……お前、あいさつもなしでいいのか?」


 アンティノウスとは師弟関係のヒノモトに、リーチは珍しくもそんなことを言う。


 彼にしては無駄口の類だ。


「おめえの方こそ、なんか言い足りなそうだぜ?ちゃんと話してやりゃいいのに。」


 ヒノモトは、リーチという男を知っている。


 おそらくは危なっかしい部下であるアンティを戦場に置きたくはなかったのだろう。


 それは任務とは別の感情だが、たまたま任務とも合致していた。


 しかし、何も言わなければ、アンティから裏切者と思われてもしかたがない。


「……見かけによらず腕は立つ。しかしあの柔弱さでは、兵士に向かん。」


 あれだけ周りにさけられていても、人の危機には手を出してしまう愚かさ。


 オークに襲われた村の惨状を嘆き、ゆかりのない少女らの遺体を一人で弔う世間知らず。


 なにより憎むべき敵である亜人どもすら殺して苦しむ覚悟の無さ。


 全てが戦場では無用どころか害悪になりかねない。


 そして、アレは絶対に治るまい。


「そうかい。ま、縁があればまた会えるさ。」


 縁。


 それは、異世界転移者の一族ヒノモトのロクローにとっては、格別のものなのだ。


 思いがけない時に出会う美酒のような。


 だから、次の出会いと関りを、この世界にいないはずの神仏に祈るのだ。


「ナミャーダブ。」


「……なんだ、それは?」


「一族のまじないだよ。運命への。」




 アンティたちは、山塞跡で比較的マシな状態の一室を見つけ、珍しく夜番も立てずに一斉に眠ることにした。


 住み着いていた厄介なモンスターは先日退治したばかりだし、壁に囲まれた人工的建造物は、やはり人族の彼らには安心をもたらす。


 とは言え、ナーデが「錠前」「警戒」などの術式で、フィネとジューネが警報具や罠を準備することは忘れない。


「カギよし、だ。」「警報、点検済みである。」「罠、オッケーネ。」「毛布いいぜぇ。」「一応、水も。」


「これで全ていいわね……おやすみなさ~い!」


「「「「「おやすみ!」」」」」


 で、一斉にバタンキューである。


 しかし……そのまま眠れないまま一人。


 万年不眠症のアンティノウスでも、今日ほど消耗すればさすがに眠れるはずなのだ。


 しかし、女王種から浴びせられた断末魔の思念が今もその精神を責め病んでいる。


「まったく……魂を持ってかれないだけマシだって。」


まったくである。


 どんなに素質は最強ながら性格に難ありの二代目主人公でも あの二の舞はゴメン被る、と思う。 


とは言え、深刻なダメージをどこかに遺したかもしれない。


 さっきからナゾの寒さに襲われている。


 それに加えて押し寄せるのは、トロウルたちの喉を貫きその脳を砕いた感触。


 自分が離れた戦場で死んだ名も顔も知らぬ人族の戦士の死体。


 そして、小さく無垢な青い瞳。


「僕が奪った命、救えなかった命、助けてしまった命……」


 徴兵されて、兵士になってもう5年目である。


 何度も死にかけて、無数と言えるほどの死体を見て、たくさん殺して。


 非暴力主義を唱えてるのに、実際にはこうも戦いに関わって……。


「……ん?ナーデさん?」

 

 思い思いの場所で寝ていたみんなだが、気づけば自分の側にナーデがいる。


 その体温まで感じられる距離なのだ。

 

 彼女が自分に微笑みながら、その毛布が開いて、彼を招いてくれる。


「……ナーデさん……」


 かつて2年近く冒険を共にした。


 その間も幾度か、ナーデが苦しい時に慰めてくれた。


 抱きついた時の彼女の柔らかさも甘い体臭も、2年前と全く変わらない。


 そして彼女にそっと頭を撫でられる。人に疎まれがちな自分の黒い髪を。


「何かあったの?」


 そう優しく尋ねる彼女は、彼にとって母親に近い。


「……ううん。何もないよ。」


 いっそう強く抱きついて、でも素直に答えてくれないまま、自分の胸に顔をうずめるアンティノウスをもう一度ナーデは抱きしめ愛おし気に髪を撫でる。


「でも……ツライのね?」


「…………うん。」


 出会った頃は、10代前半しか見えず今でも10代半ばに見えるアンティは、ナーデにとって、その慈愛深い母性と厄介な少年趣味の両方を刺激する存在だ。


 それでも、こんな時は魔術師でも仲間でもない、母親としてふるまうことにしている。


 だから、今はしつこく聞いたりしない。


 甘えもわがままも、全部含めて彼を受け入れる。


 いつもは人との触れ合いを避ける彼が、実はかなりの甘えたがりだと知っているのだ。


 ナーデは、念を集中し、小さな声で術を唱える。


「……『診察ダイアノシス』。」


 うっすらと見える彼の霊体は、少し魂がくもって見える……呪術ではないが、ミレイルの精神攻撃の影響であろう。


 外的には、しばらくすれば回復しそうだ。


 この程度で済んでいる方が異常だけど……でも内的には?


 ナーデには、彼の心そのものがひどく苦しんでいるように感じられた。

 

 その間もナーデは彼を抱きしめたまま、ひたすら癒し甘えさせる。

 

 そして、いつしか、自分に抱きついたまま、ようやく寝付いたアンティノウス。


 その寝顔に優しく微笑む。


 彼女にとって彼は、危なっかしくて、頑固で、妙に物知りで、無茶苦茶な、でもとってもいい子なのだ。


 まぁ、時々彼女の厄介な性癖がぶり返しはするけれど、今はそうでない時の慈愛の顔を見せている。


「この子は、どんな大人になるんだろう……?」


 15歳で成人の王国で、20歳の彼は立派な大人である。


 それでもこの寝顔は、子どもにしか見えず、ナーデにはかわいくて仕方がない。


 そんな、安らいだアンティノウスを抱きしめ、そして間もなくナーデも眠りに落ちた。


 


 少し離れた場所にいたロデリアだが、耳飾りを失った耳は鋭敏で、そんな二人のささやき声も寝息までもがはっきりと聞こえてしまう。


 暗視体質の目には、暗闇でも抱きあって眠る二人が見えてしまう。


 他の仲間のは、まったく気にならないのに不思議でしかたない。


「なんだか……モヤモヤする……」


 理解不能なモノが、胸の奥に沸き上がる。


 思わず毛布をかぶったロデリアに、ふと握ったハチマキの感触。


「あんなに急いで、布を裂いただけなのに……」


 とがった耳を隠すための幅広なハチマキは、その見た目の違和感とは裏腹に、今のロデリアに安心をもたらしてくれた。


「ふふふ……」


 ハチマチを胸に引き寄せ、抱きしめる。


 それで、ロデリアもようやく寝入ったのだ。

 



 バサバサバサ……。


 崖の途中、強風で真っ赤なドレスがまくれ上がる。


 しかしそんなことは全く気にしないロデリアだ。


 自分のすぐ下にいる彼に、平気で呼び掛ける。


 昨夜の屈託は微塵も見せない。


 まぁ、その点はナーデに癒された彼も似たようなモノなのだが。


「どうしたの?下着を見たくらいで、そんなに顔を隠してたらまた落ちちゃうよ!」


 やはり「素」のロデリアも羞恥心の位置は人族とかなり異なるようだ。


「まったくネ。そんなにあの色気のない白パンツが気になるネ?」


 親切なのか、いちいち落ちる彼を拾いにいくのが面倒になったのか、今日はアンティのすぐそばに控えるフィネである。


 手を置くべき岩の位置や特徴を丁寧に教えているのは、どうやら本格的に彼を冒険者として再訓練するつもりらしい。


 とりあえずは登攀技能の特訓である。


 アキシカが平和になったら、今度は王国北方に散在する迷宮探検の予定なのだ。


 戦闘主体の南方と、探索込みの北方では冒険者に求められるスキルも多少は異なる。


 今のうちに仕込んでおこう、という気の早い話だ。


 それでも、それは彼にとっても目ざすべき明るい未来でもある。


 が、そんな明るい未来に突如、大きな危機がやってくる。


 いや、自分で呼んでいる。


「色気のない白?んじゃ、フィネネさんはどんな下着をはいてるのさ?」


 ……いくら世間知らずでもコミュ障でも、これはいけない発言であろう。


「……このスケベ!死ぬネ!!」


 バキッ。


「え?うわああああ!落ちるぅ!」


 ガシッ。


「ふう。これじゃ、冒険者の前に遭難者になるほうが早いぜ。」


「うむ。北方探検などムリであろう。貴公はまず人としてなっておらんぞ!アンティ!」


 そんな眼下の騒動を見て、一人先行するナーデは、ぼそっとつぶやくのだ。


「いいな、みんな今日も楽しそうで。」

 

 ま、あれが楽しく見えるのなら、いいか。一人死にそうだったが自業自得であろうし。


 


 崖につきだした大岩で、ナーデたちは待機である。


 ここからはロデリアとアンティの二人が入る。


 巣穴には彼らしか入れないからだ。


「お前ら二人じゃ、いろいろ心配だぜ。」


「しかし、これも修行であろう。」


「そうね、しっかりやってくるのよ。」


「ちゃんと報酬もらってくるネ!」


 先輩方に期待と不安で送り出される二人なのだ。


 暗い洞窟を、ランタンの明かりが照らす。


「いつもナーデさんの魔術に頼ってたから、ランタンが暗くて仕方がないよ。」


「ふふふ。魔術ってすごいよね。それに……アンティはナーデが好きなんだ?」


 聞きようによっては意味深なロデリアの発言だ。


 もっとも聞いた相手が彼である。


「そうだよ!魔術ってすごいよね!それにナーデさん、上級魔術師並みにすごいんじゃないかな!魔術の種類も魔力の量も、きっとそのくらいありそうだよ!」


 そんな感じで、その大興奮のリアクションはロデリアの予想の斜め上。


 いや、これは予想が甘過ぎであろう。


 この魔術フェチにこの手の話題は不用意すぎで、何度も懲りたナーデなら絶対しない。


「そ、そんなに魔術師がいいの?だったらアンティも魔術師になればいいのに。あんなに術式にくわしいんだから……ん?」


 で、とどめがこれである。


 人族の魔術に詳しくない身であればやむなしではあるのだが。


「ぐっ……うるさいな!僕だってなれるものならなってたよ!!そしたら、徴兵なんかされなかったのにぃ~!!」


 実に痛い所、まさに秘孔をつかれて爆死したいくらい痛いアンティノウスなのだ。


 しかも、いつものヤンキーなロデリアならばともかく、人目がないせいでとがった耳を見せたままの、妖精のような美少女(妖精族なのだが)に罪のない顔で言われるダメージはハンパナイ。


「ええん、ロデリアさんのバカァ~!」


 なんて走り出してしまう彼なのだが……一本道の洞窟で逃げだしても、無意味に近いのである。


 すぐに追いつかれてしまうだけ。


 逆にロデリアがしょんぼりしてしまう。


「……なんだか言っちゃいけないこと言ってゴメンなさい。」


「ううううう……。」


「お願い、もう泣きやんで。大人なんでしょ?」


 見た目と人格的成熟度はともかく、これでも20歳である。


「……これでも、昔からすごく頑張ったんだ!魔術の勉強して、魔力量を増やす修行もして……でも、肝心の魔術回路だけは、何をどうやっても起動しないんだよぉ~」


 ものごころついてから、まぁ無駄な修行を積み重ねてやっぱりムダでした、というヤツである。


 採算の取れない事業に投資してやっぱり回収できませんでした、なのだ。


 魔術回路が開かなければ、魔術は行使できず、当然魔術師になれるわけがない。


 そして、人族にとって魔術回路の起動は完全に先天的なもの。


 修行でどうにかなるものではない。


 先天的に魔術回路を持った森の妖精族にはわからない事情を泣きながら説明するアンティに、さすがのロデリアも平謝りである。

 

「……もういいよ。どうせ、異種族にはわからないことだし。」


「それはそれで、傷つく言い様よ?アンティ。」


「だって、ロデリアさんは魔術回路が開けるんだから、いいじゃないか。僕の気持ちなんて……あれ?でも、なんでロデリアさん、魔術使わないの?術式の知識はあったと思うけど、使ったの見たことないよ?どうして?なんで?ねえねえ?」


 で、魔術がからむ疑問になると、相変わらずの豹変ぶりで、ロデリアに迫りだすのである。


「ちょっとちょっと……もう……これ、ナイショよ。わたしの余剰魔力は全部『先代世界樹の芯核』に捧げているの。だから……」


 実際には、もっといろんなモノをささげている。


 それは、今は言えないのだが。


「ゴメン!もうわかった……僕が無神経だった。それは考えればわかるはずのことなのに。それに異種族なんて言って、確かに僕が悪かった。」


「ううん。もともとはわたしが……」


 その後は互いに謝罪を繰り返し、まぁ、無駄な時間をかけたものの、一件落着したのだが。


「聞いていい?それでアンティはどうしてそんなに魔術師になりたかったの?」


 そして、そんな質問がロデリアから発せられた時、思いっ切り困ることになる。


 前世では、結構な年齢まで中二病をわずらっていたわけであるからなのだが、それを魔法が実在するこの世界で森の妖精族相手に説明するのは意外に難しい。


「まんが?げえむ?らのべ?あにめ?」


 ほら、この通り。


 縄文人にマシン言語で話しかけるのに近い反応だ。


 そもそも概念が通じないのである。


「……要は、魔法使いが出てくるいろんなお話があってね。それに憧れたんだ……絵本みたいなもんかな?」


 恐ろしく簡略化すれば、そんなに間違いではないかもしれない説明であろう。


「絵本?」


「え?絵本もわかんない?」


 意外なところでカルチャーギャップである。


 しかし、少人数で森で暮す妖精族には書物が発達しにくく、一方、全員魔術が使えるからには直接イメージを伝達するのが主流かもしれず、その優劣は別として文化の違いではあろう。


「ええっと……文字と絵を組み合わせた本だよ。ほら、こんなヤツ。」


 そこで「倉庫」から取りだしたのが、一冊の絵本である。


 文字は王国の現代文字で、こちらに転移したロデリアも勉強して一応読める。


 が、勉強のための書物ではない本は初めてらしい。


「あら……図鑑じゃないんだ?」


「これは、お話。ま、悪く言えばつくり話になるんだけど……でも、読むと楽しくて……いや、泣いたり怒ったりもするんだけど……で、そのお話のイメージをつくりやすくするために、いろんな絵をつけるんだ。」


 それは王国でも希少な、高価な装丁を施した絵本である。


 どうやら実家の製本工房から持ち出したお気に入りの一冊らしい。


 本来子ども向けであるべき絵本だが、大人が読んでも面白いものとしては、実に珍しく、一部では評判になったものだ。


「……人族って、こういうのが好きなの?」

 

 本が貴重なことは知っているのか、丁寧に、それでも興味深げにページをめくるロデリア。


「人による思うよ。僕は好きだけど。」


「だったら、あなた、自分で書かないの?魔術とは違って絵本なら……あ、ごめんなさい。わたし、また無神経なこと言ってる……怒ってる?」


「……いいや。ちょっとびっくりしただけ。考えたことなかったから。」


「どうして?魔術師と違って、これなら特別な才能とかっていらないんじゃないの?それとも……いるの?」


 いると言えば、いる。


 しかし、魔術のように全然ムリ、ということではないし、なにしろ彼は製本業者の息子として育った。絵も苦手ではない。


「そうだね……冒険者になったら、僕たちの冒険を絵本にして、みんなに読んでもらう……なんて面白いかもね。」


 それは、ほとんどノンフィクションファンタジーという新ジャンルかもしれぬ。


「ええ?それじゃ、わたしも描かれちゃうの?」

 

 思わずそのとがった耳に両の手を伸ばすロデリアだ。


 よほど王国の異人種差別に困ってるらしい。


「ははは。そうだね。でも、ちゃんと耳は隠しておくよ。」


 が、ロデリアはその手を降ろし、今度はアンティの手を握る。


 人に触れられることを好まない彼にして、この手の感触にはドキっとしてしまう。


「でも……お話なんでしょ?だったら……ウソのお話でいいなら、人族の中にいて、人族と仲良くなりたがってる妖精族のお話なら……書いてほしいの。あなたに。」

 

 群青色の瞳が、瞬きせずに自分を見る。


 何かと自己評価が低い彼も、その真剣なまなざしからは逃げることはできなかった。


「……ロデリアさん。僕……そのうち書いてみるから、その時はちゃんと読んで、感想教えてよ。」


「うん!わたし、すごい楽しみにしてる!……絵本作家アンティ・ノーチラスさん。」


「なんか、責任重大だけど……いいね。その呼ばれ方!でも、そのためには、まずは、アキシカの戦いを終わらせて、今度こそ退役して、母さんたちに許可とって。」


「それで、みんなと一緒に、北方で大冒険ね!」


 なんだか天罰みたいな転生で、挙句に魔法世界でも魔術師になれない自分。


 でも、今は冒険者として次の目標ができて、更に兼業絵本作家という夢まで見えた。


 ようやく自分の人生が新しく始まりそうな、そんな予感で一杯になったアンティノウスであった。


 


 エルミア・イスオルン中尉は、南方軍でも精鋭で知れ渡った第8師団司令部直属の特務中隊を率いる中隊長である。


 その名を聞いて、優美な女性をイメージする者は少なくないが、当のご本人は30代の男で、不愛想この上ない厳格な軍人である。


 おそらく名前による被害は本人がもっとも受けている。


 しかし、特筆すべきこととして、魔術師である彼がれっきとした中隊長任務に任じられるのは珍しいことなのだ。


 軍における魔術師の多くは速成魔術士で士官教育以前の練度であり、魔法学校卒業生も多くは魔術の行使者として期待されても、指揮や作戦に直接携わることは少ない。


 所属にもよるのだが、総司令部から派遣される参軍魔術師のように、一種の技術士官的な扱いをされることも多いのだ。


 これは彼が魔術師として、そしてそれ以上に軍人として評価されているからであろう。


 わずか200人の特務中隊、しかもその中で実際に魔術士が配属された特務小隊は2個小隊、さらに言えば魔術士は各小隊に1個分隊10人。


 要は「特務」と謡ってもその9割は非魔術師という実態なのであるが、それでも魔術を運用することによる行動の幅や戦闘力は通常の中隊を大きく上回る。


 まして、中隊長自身が貴重な中級魔術士。


 師団司令部が切り札として重用している所以である。


 ちなみにシャズナーのもとにいた頃、資料請求を却下されて憤慨したアンティが、自分で勝手に推定した結果、全王国軍24万人の中で、魔術士つまり魔法兵は、徴兵された兵士の中で敵性を認められ(1000人に一人程度)速成教育を受けた240名と魔法学校を卒業して入隊する正規の魔法兵の1000名(年平均50人として20年勤務と概算)、それに現地徴用兵らを加えて1500人以下と算出している。


 そのうち、南方軍アキシカ州に配属されるのは、正規魔法兵200人ほどが各工兵中隊に、正規・速成魔法兵合わせて400名ほどが戦闘部隊に配属と、勝手に試算していた。


 そのアヤシイ試算を基にすれば(なにしろ本人が勢いで始めて途中で飽きた試算である)前線には40個の特務小隊があり、それが20個の特務中隊の中核となっているはずである。


 で、各特務中隊は、特務大隊(6個特務中隊)として集中運用されることもあるが、現実は編制上、アキシカ州には特務大隊はエーデルン直属に配属された2個しかなく、残る8個特務中隊が、各師団に配属されているという次第。


 つまり、各戦域の中核である1個師団約1万人に特務中隊は1個しか通常配備されない。


 そんな中とは言え、魔術師への理解が少ない中隊長が特務を率いた場合、その運用を間違えて貴重な魔術師を使いきれないか、使いつぶすことも多く、最悪魔術師そのものを戦死させてしまうことすらある。

 

 その点、イスオルン中隊では、そんなことは絶対にないと言い切れる。


 その階位は既に中級でも高位であり、また指揮官としても非常に優秀なのである。


 問題は、少々厳格過ぎる外見で、部下が彼の前ではジョークの一つも言えなくなってしまうということくらい。


 いや、これはこれで部隊にとっては必要以上に緊張をあおる欠点と言えるが、彼自身の責任は少ない。


「ふん……またか。」


 そのイスオルン中尉は、きわめて機嫌が悪い。


 自分が所属する精鋭第8師団が撤退につぐ撤退を続けるのだから、当然と言える。


 2年前は大魔獣「山虎」の急襲にすら踏みとどまり、果敢に抗戦した第8師団が連日にわたっての撤退である。


 自分の部隊こそ損害はないものの、いや、それが戦闘に加わっていないからこそ、余計に腹ただしいのだ。


 彼の直属小隊40名は、もう生きた心地もしない。


 もうそのやせた長身に細い目、薄い口。


 ムダに人の悪さを感じさせる外見が、ひときわ悪い。


「そもそも、あんなモン、どっから出てきたのやら……信用ならん。」

 

 今回の決戦には、アキシカの動員可能な全戦力を投入している。


 その要である第8師団の司令部直轄部隊の隊長として、一部明かされた総司令部の作戦案は、亜人の生態を熟知した者の助言が基になっているという。


「亜人の生態だと?助言だと!?……そんなもの、当てにできるか!」


 王国軍人としての鑑のようなセリフではある。


「何が亜人同士が連携してるうちはガマンだ、連携が消えた時こそ勝機だ?このままでは、撤退が敗走になってしまうぞ!?」


 そう。


 精鋭第8師団が身をはって、連日の撤退である。


 逆に言えば、これほど撤退を重ね、未だ戦力も戦意も維持していることこそ精鋭の証。


 第9師団辺りであれば、撤退と敗走は同義に近い。


 そして、敵の大群を阻止する限界点まで、あとわずかである。


 もしも、そこまでに敵を押し返せなければ、亜人の連携とやらが消滅しなければ、人族の集落は一飲みされ、おそらくは州都エーデルンまでの撤退か敗走かを選ぶしかないのだ。


 いや、それを選べれば、まだマシなのであろう。


「戦場を知らないヤツが何を言おうと、信用なぞするべきではないのだ!」


 こんな不機嫌をかこつ中隊長に誰が知らせるか、重大な問題である。


 撤退の知らせを告げる使者は、もう来ている、と。




「鳳凰様……?」


 道の奥の扉はすでになく、首をかしげた二人が巣穴の間に入ると、そこは空虚なだけ。


「いない?もう……召喚される前の世界にもどったのか?」


 そう口にしたアンティは、それを信じていない。


 霊獣でも瑞獣でも、その呼び名はともかく、いずれにしろある種の概念を結晶化した姿であり、それが認識されるためには誓約が欠かせない。


 そんな存在が依頼した相手に姿を見せずにこの世を去る?


 ありえないと思う。


(その通りです)


 以前とは違う、はっきりした思念が頭に響く。


「鳳凰様?確かに微かな気配を感じます。」


「でも……思念がずっと強いし、姿が見えないよ?」


(いま、私はそこにいて、でもそこにいない。鳳凰であって朱雀のまま。姿も決められず、この世界にありつつ、異世界より来たりしもの……。)


「存在の虚数化?概念の混在?……ちょっと僕の思考や知識じゃ追いつかないよ。」

 

 言葉にしたものの、それが正しいのかも自信がない。


 言ってみただけ、かもしれぬ。


 所詮は付け焼刃で、体系化されない雑学から、さほど域を出ない彼である。


 何よりも突然の事態にまだ現状把握がおいつかない。


「わたしには、なにがなんだかわからないわよ。でも、要するに、ここにいるかいないかは、今、鳳凰様にも決められないのね?なら、私が決めればいい、そういうことよね?」


「ええ?そうなのか?……でも、そういう可能性もあるのか?」


「悩むんなら、まずやってみるわ。」


 ヤンキーなそぶりこそ今はないが、要するに「素」のロデリアも強引なのだ。


 あらためて思い知ったアンティである。


「だけどロデリアさん!どんなイメージで定着させるの?」


「え?この前、見たままだけど?赤い姿の。」




 初めに言葉ありき。


 言葉は概念を具現したものであり、極度に存在が不安定であったそのものは、ロデリアの一言でその存在を決定されてしまう。


 何もなかった空間に、突如ほとばしる黄金の輝き。


 そしてそれに続いて現れたのは、赤と黄金の輝く羽根をもつ巨鳥。


(……またこの姿になってしまいました。)


「え?イヤだったの?」


「…………そうか。僕が鳳凰様のイメージで呼び出せば、五色に輝く鳳凰に戻れたかもしれなかったんだ……」


 ヒトによってムリヤリ朱雀に変換された鳳凰であれば、鳳凰の姿に戻すべきであった。


 その機会をうっかり逃してしまい、さすが申し訳ないと思う……少しだけ。


「でもさぁ……来たら何もいなくて、急に思念で呼び掛けられて……わかんなくてしかたないよね?」


 この時、ロデリアは、霊鳥のため息をきいた気がした。


(ええ。仕方がありません。私にしても、少々、いえ、かなり突然のことで驚いていましたから。)


 おそらくは認識による具現化が世界の根本にあるならば……鳳凰のようにイメージによって形成され、かつ変成までされた存在は、意識そのものが影響されやすいのであろう。


 アンティノウスはそう思いながら、自分の目の前に降ってきた羽根を、自然につかむ。


 それは、赤い羽根に見えたのだが、次の瞬間、白く変わっていた。


「……これじゃ、最初に追いかけていたロック鳥の羽だね。」


「なに言ってるの?……ホラ、赤いままよ?」


 同じく目の前に降る羽根をつかんだらしいロデリアが持つ羽根は、確かに赤い。


(……私が定着する直前に飛び散った羽根です。この場にいて、最初につかんだ者の本質に感応して色が変わったのでしょう。)


「それって、僕の本質が五行だと『金』だってこと?だから五色で白?まさか?大間違いさ。ロデリアさんは見たまんま真っ赤だけど……でも『火』はまずくない?」


 アンティノウスは、普段黒い身なりだし、白は好きな色でもない。


 ロデリアにいたっては、言動と身なりで言えば五行の「火」で五色の「赤」は正解に思われるが、もともとは森の妖精族の身である。


 「木」で青、或いは「水」で玄(黒)、せいぜい「土」で黄色のほうが無難であろう。


 しかし朱雀の姿をした霊鳥は、こう続ける。


(彼女は五方は南、五色は紅(赤)、五虫は羽、五神は神……なんて強い気を放つのでしょう……どうりで。この娘が私にこうあってほしい、そう願ったからこそ、私は結界の守護者として、今ここにいるのかもしれません。)


 よくわからないくせに自慢げなロデリアと、そんな彼女に呆れるアンティ。


「それ、後付けで言ってませんか?」


 鳳凰様は、ロデリアのせいで、つまり彼女の気のせいで南の赤い神鳥としてこの場にご顕現されたと言っているわけで、いくら強運と強引がえこひいきしているロデリアだとしてもあんまりな展開だ、とアンティは呆れているのだ。


 しかも、自分の気は全然違うし。


 鳳凰様の「五行占い」なんて、全然信用できないのである。


 目の前に当の神鳥様がいらっしゃるにも関わらず、いい度胸ではあろう。


(あなたの気……五行は『金』、五色は白、五方は西、五常は義、そして……五神は……。)


「……はく。やれやれ。魂だけ天に昇った後の抜け殻が僕か。前世の罪をもったままで、転生しそこなった僕にはピッタリかもね。それに……魄は、月の失われたもの、月の光……そんな意味もあったよね。」


 前世の故郷も、桜も山も未練はない。


 温泉なんか興味もない。


 だけど……月だけは忘れられない。


 だから、全然違う星空で、月すら存在しないこの世界で、僕はいつも月を探している。


「でもさぁ、金は、確か、悲とか憂とか哭とか、ひどいイメージしかないんだよね。五虫じゃ獣……そりゃケモノ耳やケモノ尻尾の女の子はキライじゃないけど、五蓄の馬には蹴られてばかりだし、風水でいけば、白虎は大道の具象化だけど、僕の前に道はない、って、高村光太郎かよ?」


 意味不明の言語の羅列はいつものことながら、さすがのロデリアも「ケモノ耳やケモノ尻尾の女の子」のくだりはイヤそうに顔をしかめていた。


 どうやら前世の彼は「エルフスキー」というより、「ケモノッ娘萌え」だったようである。


 もしかしたら、転生した今、ああも馬に嫌われているのは、前世で「ウマ娘」にひどいことをした報いかもしれぬ。


 だとすれば、ただの因果応報であろう。


「ま……羽根はお約束の品ということで、いただいておくさ。なんか手にもったら大きさも変わったみたいでしっくり、羽根ペンにちょうどいいかもしれないし。」


(……霊気を帯びた私の、しかも特別な羽根ですよ?文具などにしていいのですか?)


「……この人族は変人なんです、鳳凰様。毎晩ろくに寝ないでなんか書き物ばかり。あなたの羽がペンに使えるのなら、きっと本気で満足ですよ。」

 

 相当に失礼なことを言われているらしい。


 しかし、彼は、この羽をペンにしたくて仕方ない。


 他は全て余事なのである。




「鳳凰様。遅くなりましたが、ミレイル・トロウルは打ち倒しました。」


(ありがとう。本来なら、その知らせを聞いたら、もうここから飛び立つだけだったのですが……)


「もしかしてロデリアさんに朱雀にされて、南方の結界を守護しなくちゃいけなくなっちゃった?」


(…………。)


「ええ?本当ですか?」


(……………………。)


「まぁ、もともとこの世界に実体がなかった霊獣様だ。どうしても……そうだな。地元の怪獣、河竜や山虎より力は強くても、誓約による縛りは強いんだろうね。」


(…………しかたありません。これもあなた方と結ばれた縁の結果なら、受け入れます。)


 縁、か。


 4年前、自分に槍を教えてくれた師匠が、ふともらした言葉も縁だった。


 いかにも東洋的なもの言いに聞こえる。


「わたしも鳳凰様が残ってくれて助かります。結界があれば、亜人たちが転移してくることがなくなって、少しは人族も戦いやすいから。」


 鳳凰と呼ぶべきか、朱雀と呼ぶべきか?


 残ってくれたことを素直に喜ぶべきかお悔やみ申し上げるべきか?


 なんて悩むアンティに対しロデリアは単純だ。


 思ったことを実行する。


(……ですが、この地の霊脈は断たれ、私を崇めることで力をくれた一族も既に滅んでいます。この姿でここにとどまるのも長くはありません。)


 人が提供する祈りや霊力に魔力、言葉はなんでもいいが、この巨大な霊獣を存在させるには莫大なエネルギーが不可欠なのだ。


「う~ん……鳥なら木に宿ればいいんだけどなぁ……シームルグはハオマの木、鳳凰は吾桐あおぎりの木、三足烏はやはり扶桑の木なのかな?そしてスザクはくるるの木ってか?でも、枢って樹木はないしなぁ?風水なら、湖か海?ないない、ここじゃムリ。」


「アンティの言うことは相変わらず全然わかんないけど、霊脈や樹木の代わりなら、ここにあるわ。」

 

 そう言ってロデリアが取り出したのは、普段は薄茶色の長大な木刀。


「ええ?いいの?だってそれは……」


 彼女が元いた世界から持参してきた、ゴッドアイテム「先代世界樹の芯核」。


 ある意味これほど霊鳥の活力になりうるものはあるまい。


「これがこの世界を守るのに役立つなら、世界樹もきっとお許しくださるわ。」


 絶句したままのアンティノウスに、何事もないかのように答えるロデリア。


 その面差しには迷いもためらいも感じなかった。

 

「……偉大な先代の世界樹の芯核よ……この地に根付き、朱雀さまのヤドリギになって!」


 広い空間をも埋め尽くす、目もくらむ黄金の光。


 それと共に、巣穴の一画に突き立てられた世界樹の元の一部は、持ち主の願いに応える。


 ついには、緑の輝きとともに根を生やし、枝を伸ばし、葉を茂らせて、アンティノウスも見知らぬ小木となった。


 いや、今は小木でも、すぐに巣穴から伸び出て巨木になるであろう。


「この木、何の木?」

 

 聞いたような質問に、ロデリアは沈黙を返す。


 そして、その瞳に光るモノを見たアンティは自分を殴りたい衝動に駆られた。


 即断で最良の答えを出したからといって、自分に託された宝物を、しかも長年愛用していたものを手放して、この少女が決して平気なわけではない。 


 そんなことに気づかない自分が情けないのだ。


 そして音もなく、一足先に巣穴から歩き出すのである。


 


 ロデリアが何事もない顔で、洞窟の前の大岩に戻るまで少々の時間を要したが、その間、アンティは外で待っていた仲間に無言を貫いていた。


「……うまく事情を説明する自信がなかっただけだよ。僕は口下手らしいから。」


 ただ、自分が立ち去った後、ロデリアと鳳凰の間で何があったのか。


 それを知らないまま、彼はこの後長い間過ごすことになる。



 

 で、戻ったロデリアが何食わぬ顔で説明を終えると、今度は非難やら質問やら大変である。


「世界樹の芯核を!それで本当によかったのですか、勇者様!?」


 衆目が一致する「勇者の後見人」であるナーデは、さすがに相談なしの決断に驚くし


「ナーデ、いまさら言っても仕方ねえだろ?結界がありゃ、随分楽なのは確かだしよ。」


 現実主義のジューネにすれば、すんだことは仕方がないのである。


「しかし、ジューネはそう言うが、勇者殿にとって、いや、人族にとってあの御神器はとても大きな戦力なのだぞ?やはり軽率ではないか?」


 今まで使うたびに一番文句を言っていたナーシアだが、どの口で言うかは追究しない。


「それでも、ちゃんと聖鳥様から報酬をもらってきたのはえらいネ、ロディ。」


 で、もらえるものが貰えれば満足な、シーフの鑑なフィネである。


 ちなみにこの場合、シーフと書いて守銭奴と読む。


「どうしてアントくんも、止めてくれなかったのよ!」


 で、一周まわって、ほこ先が、しかも珍しくナーデからアンティに向かうわけだが……。


「世界を守る世界樹の力を、破壊やら殺戮やらにしか使ってなかった今までより、よっぽど有意義だって僕は思うよ。」


 珍しく正論で返される。

 

 これには「後見人」ナーデも、もはや「ばあや」枠のナーシアすら反論できなかった。


 


 早朝。


 第8師団師司令部に緊急招集されたイスオルン中尉は、待ちに待った指示を受け取った。


 自分の中隊を所定位置に突かせるや、自身は「憑依ポゼッション」により、飼いならされた鷲の意識に憑りつく。


「これは……上級魔術の『飛行』なぞより使い道があるかもしれん……。ちっ。」


 舌打ちは、昨今まで気づかなかった自分への戒めである。


 そもそも彼が所属するヘクストス魔術協会では普及していない術式だ。


 しかし、いざ軍命で使わせられるや、上空から敵に怪しまれず、かつ人族の8倍とも言われる視力に加え、紫外線などの不可視域すら見える鷲の目なのだ。


「肉眼の偵察と比較することすら馬鹿馬鹿しい。」


 肉眼とは言え、「遠視」術式を使った肉眼ではあったが、視点、視力、視野、その全てが比べ物にならない。 


 以前は総司令部直轄の参軍魔術師にしか貸与されなかった軍鷲が、師団直属とは言え中隊長にまで使用許可が下りる実態を考えれば、この数年間の軍の拡充ぶりと今次作戦にかける意気込みがわかるというモノだ。


「なるほど……あのデカブツ、トロウルとやらが、今日はオークから離れ孤立している……あの森では……戦闘跡?オークの群れに?……あれはゴブリンの足…‥なるほど。仲間割れか?」

 

 帰投し、十分な偵察結果を師団司令部に伝えたイスオルンは、自分の部隊と、すぐ近くに控える工兵部隊にも戦闘準備を告げる。


 今回の主役は、魔法兵と工兵なのだ。


 もっとも工兵の中には多くの正規魔術士が含まれている。


 そして再びの「憑依」だ。


 精神系の術式は中級の中でも難易度が高く、かつ長時間の行使である。


 さすがの彼も今日はこれで魔力のほとんどを使い果たすであろう。


 もっとも、そうなればその後は指揮官として部隊を酷使するだけなのだが。


 この高台の陣に集められた中級魔術士は、なんと十名を超える。


 どっかの暇人が暇な時に試算したいい加減な数字によれば、王国軍に所属する中級魔術士は、おそらく100名前後で、そのうち南方軍に40名以下。


 更にアキシカには20名以下であろう。

 

 その半数がこの場にいることになる。


 しかし、魔術の効果範囲はトロウルの投擲距離に大きく及ばない。


 そのため得意の遠距離戦で人族は圧倒され、その間にオークの大軍に接敵され、その後、ゴブリンライダーに迂回・側撃されて、おまけに獣人たちの追撃を受け、という流れで負け戦が続いていたのだ。

 

 魔術は、現在の統制された亜人群に対し、有効な決定打になり得ない。


 それゆえ今日まではほとんどの魔法兵は温存されていたのである。


 

 

 ぴゅう~。


 三十羽にも及ぶワシが、トロウル投擲兵が移動する地点に飛来した。


 そこは予定された攻撃地点である。


 ワシは体長は1mほどで、翼を広げて2mという所。


 猛禽類としても最大級の大きさで、急降下した時の衝撃力はアサルトライフルの銃弾に匹敵する威力があるというワシだが、4mものトロウル相手にわずか30羽では、さすがに分が悪いであろう。


 それでも熊を襲うワシはいるわけで、攻撃不可能ではあるまいが、相手はなにしろ約200体。


 おまけに再生能力まである。白兵戦は最後の手段であろう。

 

 ワシは、3羽一組で編隊を組んでいる。


 その先頭には中級魔術士が「憑依」して隊長役、後続の2羽は調教師の訓練で先頭の真似をすることだけを徹底的に仕込んだ軍鷲である。

 

 そのワシの群れは、足に大きなツボを抱えている。


 そして、ワシは急降下してそのツボをトロウルにぶつける。


 一種の急降下爆撃である。


 なかなかの衝撃であるが、外れることもあるし、くどいようだが再生能力のある敵ではすぐに回復するに決まっている。

 

 一般種のトロウルがほとんどで、いったん混乱はしたものの、あまり有効な攻撃ではない。


 しかし、一度飛び去ったワシの群れは、数分すると、またツボを抱えてどこからか飛来し、無駄な爆撃を行うのである。


 うっとうしくなったトロウルは、さすがはスリング片手に巨石を背負った投擲兵。


 空中のワシを狙い撃つのだが、相手は時速70km以上、瞬間的にはそれすら数倍上回る速度で飛来するワシを相手に、榴弾はあっても散弾はないのでは命中するわけもなく、結局ツボの直撃や至近弾を受ける。


 とは言え、当たっても無害なワシの急降下爆撃と、当たらないトロウルの対空投擲。


 どちらが無意味かは甲乙、いや、丙丁つけがたい……しかし、ムキになったトロウルの中には背中に背負った籠の中身をカラにする愚者もいる。


 そう考えれば、タッチアンドゴーの反復で補給しながら波状攻撃を繰り返すワシの方が、有利……でもなかったようだ。


 ワシの爆撃は、魔術士が「憑依」したものが率いてこそのであり、長時間の憑依戦闘で魔力を使い果たせば、戦闘不能である。


 結局この戦いはともに戦果なし、トロウル投擲兵の残弾と中級魔術士の魔力と、どちらが有効かの判断次第なのだろうか。


 残ったのは、戦闘した跡に飛び散った油だけが知っている。


 そう、ワシが落としたツボの中身は油である。


「ふう……疲れた……いや、疲れたというのは、魔力がカラになったという意味ではないぞ!こんなバカな作戦に従った徒労感だ!」


 「憑依」を解いて、調教師にかわいいワシを預けたイスオルンだが、不機嫌全開である。


 これほど元気なら、このまま敵に突撃してほしい、と密かに願う部下たちである。

 

 本陣近い高台では、他にも多くの中級魔術士が疲労している。そんな中、罵声が良く響く。


「中尉殿。お元気ですね。」


「もう一度、憑依して攻撃の成否を確認していただきたいくらいです。」


 ギロッ。


 軽口をたたいた工兵魔術士たちが、思わず口をつぐんで逃げ出した。


「中隊長、大人げありませんよ。」


 ようやく指揮下の小隊長が間に入り、工兵魔術士も作業を再開するのだが、能率悪いこと甚だしい。


「ふん!……だれだ。こんな回りくどい、対トロウル戦なぞ考えた素人は!」


 高台に並べられたのは、数日前から工兵たちが用意した攻城兵器である。


 投石機カタパルト弩砲バリスタなどが10基ほど並び、全てに火弾または火矢が装備されている。


 亜人相手に攻城兵器は不要と言われるアキシカの地では、ほぼありったけ、と言える。


 照準も既に設定済み。


 試射すら一昨日までは毎日行っていた。


「まぁまぁ、中隊長、味方が死ななくていいじゃありませんか。」


「……バカモン!それも貴様らがこれを見事命中させてこそだぞ。いいか!」


「はい、中隊長殿!……いいか、第1小隊は『風操り』で弾道補正の用意!第2小隊は交代で『偽装迷彩』続行!」


「はい!小隊長殿!」

 

 とは言え、「風操り」も「偽装迷彩」も制式術式ではない。


 精鋭と言われる魔法各小隊でも、暗唱できる者は半分以下、残った者は警戒と迎撃準備である。

 

 似たような光景が周辺で見られるが、ここはワシが飛び立った地点からは遥かに敵に近く、トロウルから500mほどしかない。


 隠蔽されているとはいえ、既に敵の射程内である。


 この位置からの射撃が外れれば、二射目の前に敵の反撃がくる。


 そうなれば命中精度、破壊範囲、発射速度に勝るトロウル投擲兵に適うわけがない。


 しかし、隠蔽された高台から、術式の弾道補正を受けた火弾・火矢が一定数着弾すれば、油にまみれたトロウルたちは、再生する間もなく焼け死ぬであろう。


 少なくとも大きなダメージは負うに違いない。


「こんな迂遠な作戦……イライラする。よほど軟弱なヤツが作ったに違いない!……貴様ら、もっとキビキビ動かんかぁ!」


 困ったことにイスオルン中尉が怒号を放つたびに、近くの味方はビビりまくって作業が遅くなる。


 いや、彼からすれば敵を前に隠蔽した陣地で怒鳴っているという自覚はないが。


「中隊長殿、各小隊および工兵隊、準備よし!」


「……やっとか。貴様らがのろくてトロウルに見つかるかと思ってヒヤヒヤしたぞ。」


 こっちは中隊長の声で敵にばれないかヒヤヒヤしてました……なんて言えない、おそるべし階級社会。


「……合図とともに放つぞ……放てえええ!」




「着弾確認……トロウル投擲兵に着火多数!」


「突撃!」


 森の各地で隠れていた騎兵中隊は、燃えるトロウル相手に急接近し、更に油ツボを投擲する。


 至近距離での突撃は馬が怯えて不可能であるが、馬上投擲隊は見事にその任務を果たす。


 前日までと違い、オークの大軍と距離があるトロウルは孤立しているため、多くの騎兵がとにかく序盤は徹底してのトロウル潰しに励む。


 反復し、徹底しての火攻めである。


 投擲を諦めたトロウル兵が火に包まれながらも、巨大なメイスを振りまわして迎撃したため、少なくない騎兵が犠牲になった。


 しかし、その戦果は充分以上と言えた。




「全軍、突撃!」


 トロウル兵がほぼ壊滅。


 残るは味方の三倍はいるであろうオーク兵と、味方と同数のゴブリン兵。


 しかし既に両者の連携はない。


 残る獣人などは数が少ない上に武器も使わぬ軽兵に過ぎない。


 ならば、いまさら亜人を恐れる人族ではないのだ。


 人族軍7万。


 それは、エーデルンを守備する第1師団と王国とアキシカを結ぶグオル関道を固める第10師団を除いた、アキシカの動員可能なほぼ全軍。


 これから始まるのは、その人族軍7万と、30万に及ばんとする亜人軍との最終決戦である。




 翌未明。


 戦場から飛び立ったハト数羽が、近隣の都市に舞い降りた。


 そこからは、待機していた中級魔術師の出番である。


 前戦には出向けないほど年老いた彼は、しかし、そのハトがもたらした知らせを見て、半ば泣きながら、都市内に常設された魔法円に駆け込んだのである。


 そこからは、瞬時にして「念話」が飛んだ。


「……シャズナー大佐、味方の大勝利です!」

 

 24時間体制での「念話」による通信体制を敷いた参謀府。


 アキシカに残る中級魔術師は民間人までも動員して、かろうじてここ数日間限定は可能なシステムだ。


 そこに飛び込んできた勝報に、参謀府は数秒前までの緊張感を全て消失し、巨大な祭り会場と化した。

 

 さすがのシャズナーも、自室ながら椅子に崩れ落ちるほどの安ど感であった。


 もっともその椅子は本人の偏執的なまでの実用趣味で、飾りはおろかクッションの機能すらないのだが。


 彼はそのまま意識を手放したい誘惑に耐え、必要な書面をしたためるとすぐさま副官と樹卒を連れて総司令室に赴いたのである。


 「人任せ」なモスフォールン大将閣下も、さすがにこの決戦の間中は総司令部にこもりきりである。


 間違っても、愛妾などと過ごして体調を崩すことなどないよう、その家令に何度も釘を刺しつつ莫大な財貨まで送りつけたほどである。


 なにしろ老齢なのだ。


「総司令閣下にお目通りを!」


 にもかかわらず、なぜであろう。


 総司令室には、立ち入り不可の厳命が出ており、軍医までが押しかけているらしい。


「何があったのだ!参謀府より火急の用件で、このシャズナーが参ったのだぞ!」

 

 シャズナーは日ごろの貴公子然とした優雅さをかなぐりすて、本来の軍人らしい荒々しさを前面に出した。


 その威風は彼の道を塞ぐ衛兵を後ずらせるには充分なものであった。


 しかし、衛兵に代わって現れたのは、副司令官……。


 総司令モスフォールンのもと、完全な飼い殺しの境遇にあった彼がなぜここに?


 シャズナーの胸中に、言い知れない暗雲が沸き上がった。


「シャズナー大佐……貴官には、少々職務とは無縁の騒動を引き起こす傾向がみられるという。今、小官は南方軍管轄属州アキシカに、緊急事態を宣言する。そしてそれに伴い、総司令代行の権限で、貴官の職務権限を凍結、その身柄を拘束する。」


 副司令自らの緊急事態宣言。


 それは総司令が行動不能になった時にのみ発動される異常事態を意味する。


 アキシカが王国属州として南方軍による軍政に置かれているのは、全ては国王陛下からモスフォールン司令が「統治の大権」を預けられたゆえ。


 そして総司令の信任厚く、参謀府の総務課長という実質的ナンバー2に対し、憲兵ではなく副司令自らが拘束を伝える……。


 それが意味するものをシャズナーは正しく理解した。


「謀ったな!この中央の犬が!!」




 数日後。


 混乱の最中、ロデリアたちは州都エーデルンに入ることができた。


 エーデルンは城外に野戦軍を展開したまま、その城門を閉ざしていたのだが、勇者ロデリア一行にはかろうじて許可が下りたのである。


 しかし、城内外に掲げられたのは黒の弔旗だ。


 ようやく入った街は、ほとんど戒厳令下に近い有様で、それは、ここに来るまでに巻き込まれた面倒で察していたつもりの一行の予想を超えていた。


 ほとんど人影のない州都など、何が起きたのか想像もできない。


 亜人の群れとの戦いは勝ったと聞いていたのだが。


「これは、さすがにどうしましょう?」


「参謀府に行ってリーチってヤツを呼び出せばいいんじゃねえか?」


「いや、なにやらきなくさすぎる。情勢の把握を最優先にするべきであろう。」


「んじゃぁ、フィネ、頼むわぁ。」


「またあたいネ!?……しかたないネ。ロディたちはいつもの宿で待ってるネ。」


「ああ。だが、おめえとは別に、もう一カ所当たってみらぁ……あなたも来るの、アンティ。」


「やれやれ。僕は疲れてるんだけどな。」


 一行は、秘密裏の樹報収集をフィネに、宿の手配と酒場での情報収集をジューネとナーシアに、アドテクノ商会での情勢把握をロデリア、ナーデ、アンティに、と三つに分かれて行動することにした。


 


 急成長のアドテクノ商会は、しかし、なんと店舗引き上げの真っ最中のようだ。


 そんな騒動にもめげず、受付に話しかける彼なのだが。


「ねえ、おっちゃん、いる?もがもが……」


「いえ、オッティアン副支配人はいらっしゃいますか?……その訪ね方は失礼過ぎよ。アントくん。」


「ロデリアとアンティたちが来たって伝えてくれよぉ……そうよ、アンティ。少し黙ってて。」


「もがもが……」


 彼の口が災いと実に相性がいいことを体感するナーデたちだ。


 しばらくその口は塞がれたままで、ようやく取り次がれる。


「おっ、ロデリアはんやおまへんか。ナーデはんも相変わらずお美しい……で、そこんオマケまで何しに来はったん?」


 ばしっ。


 オッティアンの後ろに控えた黒のスーツに身を包んだ美形社員は遠慮なくその後頭部をはたく。


 相変わらずいい音がする。


「エルン義姉……ひどいわ……へいへい。時は金なりやな。恩人相手に値を吊り上げることもしまへん。全く義姉は、こいつらに甘いわ……。」


 この数年間のアドテクノ商会の躍進は、物流の整備と良質な商品開発にあり、その多くはアンティからヒントを得たと言っていい。


 まぁ、当の本人が無自覚で無報酬バンザイなのだが、エルミウルとしては恩と感じている。


 また、彼女自身がもつ、ある才能がアンティに強く反応していることも無縁ではない。


 それは勇者と呼ばれるロデリアにすら匹敵する強さなのだ。


「勇者はん。ここだけの話、うちん商会は、いや、アキシカにある主な商人はもうこっから撤収します。いや、商人だけやない。職人ギルドも魔術師協会も、冒険者ギルドも時間の問題や。そして、軍も。」




 ロデリアたちは宿屋で合流し、互いの情報を確認しあった。


「総司令モスフォールン大将が急死した?」


「それも、戦勝報告を聞いて喜んだ挙句の心臓麻痺ネ?信じられないネ。」


「俺は総指令室で腹上死って聞いたぜ?」


「ふくじょうしってなんだぁ?」


「勇者殿にはまだ早い!」


「ロデリアさんっていくつだっけ?」


「わたし、もう18よ。忘れたの?」


「4年前から全然変わらないから忘れちゃうよ……って、ロデリアさんはともかく、ナーデさんたちも全然変わらないよね?」


「…………。」


「今更ながら気づいたのはおめえにしちゃ、まぁ……。」


「こほん、今は関係ないであろう。」


「そうネ!関係ないネ!」


「そうよ、アントくん。今は、要するに戦いには勝ったけど、直後に総司令が死んで、シャズナー大佐もなぜか収監され、その上、王国軍がアキシカから撤収するってことよ!」

 



 アキシカ放棄!


 もともと王国政府中枢には、アキシカ諸勢力に乞われて、この地を併合し、亜人に対する前線として軍を投入することに根強い反対があった。


 それを押し切って併合したのは、当時少壮の国王が、個人的に友誼のあったモスフォールンを信頼し、彼に全てをゆだねる決定をしたからに他ならない。


 そしてアキシカ統治に与えられた権限の大きさは絶大で、事実上の自治すら上回るものであった。


 王国政府と中央軍は、アキシカの為に巨額の負担を強いられたのだ。


 それが30年余り。


 それもアキシカの亜人が撃退され、完全な王国領になるという望みがあれば許容しえたのだが。

 

「魔境アキシカ」。


 この噂が王国政府を直撃する。


「かの地は亜人ばかりか、既に魔獣らが跋扈する魔境であり、人の治むる地にあらず」。


 次期アキシカ大公を内定されていた王族が、こううそぶいてその地位を返還したのだ。


 かの者の子息が現地にて体験し、帰国後に語った戦渦が、彼をおののかせていた。


 加えて、南方軍との乖離。


 この数年間、新種の亜人に関する布告に始まり、兵役の無断延長、総司令の本国召喚拒否など、「統治の大権」をふりかざしての専横が目に余る。

 

 その結果としてなされた決定こそが「属州アキシカの放棄」である。


「もともとこの地は無税であり、王国政府は軍を常駐しその戦費や物資を負担こそすれ、得るものはなのもない。」


「今や、魔境と化した属州に、我が王国の将兵を派遣しその犠牲を強いることは人道に反する。」


「軍は王国内にて、敵に備えるべし。グオル関門を閉ざし、グレイウォーンを軸とした南の大三角、それに加えて旧アキシカ勢力に備えていたロブナル山岳の防衛線を再構築するほうがはるかに守るに固い。」


「アキシカの住民が王国への避難を求めた場合、関門を閉ざす期日までは無条件に受け入れる。」


 総司令の急死が異常なまでに早く正確に王国中枢に伝わるや、上記のような議論を経て、瞬く間にこの決定がなされたのである。




「……なんだか、いろいろ裏がありそう。」


 この控えめなナーデの発言には、一同ももちろん同意するのだが。


「勇者様。私たちは……いかかなさいますか?」


 軍は大勝し、南方の結界も維持された。


 トロウルの支配種も倒し、当面の危機は、実は王国政府が案じるほどではない。


 しかし、アキシカと南方大陸を結ぶ地点を塞ぐという、シャズナーの作戦は完遂途中で放棄され、この後も土着化した亜人や南方から流入する亜人との戦いは続くであろう。


 そんな中での王国軍のアキシカ撤退である。


 アキシカに生まれ育ったナーデは、おっとりした外見で隠しているものの、実はこの地を政治ゲームのコマにしているかのような王国政府に怒りを覚えている。


 しかし、軍のいない地に残り、戦い続ける困難さを思えば、予定通り北方に赴き迷宮探検も合理的な選択ではある……。


 そんな見えない葛藤に苦しむナーデなのだ。


「もちろん、俺様はぁ、アキシカの住民を守るぜぇ!」


 そして、そんな葛藤なぞどっかに投げ出した勇者様の決断なのである。


「ン、残るのか?軍はいなくなるんだぜ?」


 と言いながら、この女蛮族は見かけによらず甘いのである。


「報酬がないネ?傭兵や冒険者も何人残るかわかんないネ?それでいいネ?」


 で、この女盗賊も、金に意地汚くて悪ぶってるくせに諦めがいいのだ。


「しかし、住民がいる限り、その者らのために戦うのが勇者の勤めであろう!勇者殿、よくぞ決意なされた!」

 

 ましてや、この美豹の女騎士に至っては、まさに武人の本懐とばかり大興奮だ。


 おそらく草葉の陰の先代に大いに胸を張っているのであろう……生きてるはずだけど。


「なら、決まりね。勇者ロデリアとその従者は……」


「待って!ナーデさん!みんなも、ロデリアさんも!」


 そこに異議を唱えたのは、帰り新参のアンティノウスだ。


 この世界への帰属意識が全くない彼にとって、逃げられる戦いは逃げるべきなのだ。


 何かを守って戦うにしても限度がある。


「だって……下手したら一緒に戦う仲間が誰もいないんでしょ?」


 軍は撤退。


 ギルドも撤収。


 傭兵や冒険者が残る合理的理由は見つからない。


「それに、敵は、これからまたドンドン増えるんだし。」


 大勝した今から後は、敵は増える一方で、味方は減る一方。


 残って勝てる軍事的要因は皆無であろう。


「だったら……もう仕方ないじゃないか。逃げたって!……だから北方に行こうよ!僕も冒険者になるから!母さんが反対してもきっと説得するから……約束したじゃないか!北で迷宮探検だって!ねえ、ロデリアさん!ナーデさん!ジューネさん、ナーシアルドさん!フィネネさん!みんな……北に行こうよ!」


 もはや泣き出しそうなアンティの顔を、それでも逃げず、穏やかに見つめ返す一同。


 それを見て、彼も覚悟を決めた。


「そうか。どうしても、残るんだ……じゃあ、僕も」


 残って戦う。


 それは非暴力主義者を自称する彼の、最大限の好意の言葉。


 が、それは言葉になる前に封じられる。


「ダメよ、アンティ。あなたはもう戦っちゃいけない。」


「ごめんね。アントくん。」


「ば~か。おめえが残っても死ぬだけだ。」


「……足手、まとい、ネ。」


「帰るがよかろう。貴公には帰る場所があるのだから。」


 仲間たちの言葉は全部違って、でもその奥底にある想いは同じ。


 人の心に疎い彼にすら伝わる想い。


「アントくん。もう兵士をやめていいんだよ。あの人も言ってたじゃない。」

 ・

 ・

 ・

「アンティ。あなたは故郷に帰る。あなたの人生はまだ本当の意味では始まっていないの。だから、あなたは自分の人生を見つけるために、帰らなきゃいけないの。もし、この後帰るか残るか、悩むときが来たら、必ず帰るの。今は、それが誰にとっても一番だから。」

 ・

 ・

 ・

 それは、商会でエルミウルが彼に伝えた言葉。


 濃茶の髪が淡く輝き、紫銀の瞳が彼を射抜いた二度目の瞬間。


 あの時はわからなかった言葉の意味が、ようやくわかる。


「っで……でも!」


「でもじゃねえんだぁ。おめえはもう帰れぇ!兵士なんかやめてぇ、冒険者にもしてやれねえけどぉ……戦うのはやめて国に帰るんだぁ。」


「ロデリアさん!」


「でもよぉ……一緒に北方いけなくて……ゴメンね。」


 ロデリアはついにその群青の瞳を背けた。

 

 どさっ。

 

 その時、アンティは倒れたのだ。


「すまねえな。バカな弟子のせいで世話をかける。」


 そこにたたずむのは、着流し姿の男が一人。


「しかたないネ……後は任せるネ。」


「フィネ?この人は?いつの間に?」


「こいつ、アンティ坊やが師匠って呼んでたヤツじゃねえか?」


「フィネが手引きしたのか。ナーデも気づいていたのだな。しかし私に悟られずに部屋に忍び込むとは……」


「鈍いぜ、ナーシアって、ロディも気づかずか。修行が足りねえな。」


「ロディはそれどころじゃなかったネ。ジューネも鈍いネ。違う意味で。」


「…………俺がそんなことを言われる日が来ようとはな。」


「後はお任せします。アントくんを、わたしたちの大事な仲間をお願いします。」


 ロクロー・ヒノモトは、ゆっくりとお辞儀をするや、己の不肖の弟子を背負ってこの場から立ち去るのである。


「ち、このバカ弟子のくせに。美人を泣かせて師匠に手間かけさせやがる。」




 彼の二度の人生で、馬車に乗せられることはほとんどない。


 街道を北上する馬車は、二頭立てのありふれた幌馬車だ。


「ち、やっと起きやがったか、このバカ弟子。」


 状況を悟り、目を閉じる。


 全てはもう終わっていたらしい。


「なんだ、師匠に向って口もきかねえのか?まったく、嬢ちゃんらの心遣いをムダにすんな。」


 心遣い。


 そう言われても、この時の彼には到底納得しがたいものだ。


 結局彼は師匠に対し話もせず、一方的に事情を聞かされる羽目になる。


「ち、恩知らずのバカ弟子め……。」


 シャズナー大佐が収監されたことで、参謀府では大混乱である。


 彼が主導した軍事的な成果はアキシカの自主独立を薦める側からは賞賛されるべきものであるが、現在の総司令代行や王国中央から突如「転移」してきた一派から全否定され、今はその成果を根こそぎ消されている。


 当然、彼につながりのある将校や兵卒らはことごとく拘束の対象である。


 特に、ある特定の派閥に属する者には容赦がない


「で、おめえも危ねえってわけだ。」

 

 一時はシャズナーの半ば私的なスタッフとして重用されていた彼である。


 その知見や献策の一部は、異世界人特有の先進性・合理性も相まって、数多く採用されていたのだ。


「ま。そういうわけで、おめえは一足早く強制除隊さ。建前は除隊希望を特例として認められたってことにして、さっさとアキシカから脱出って寸法だ。一介の二等兵だから、目をつけられる前で簡単だった。で、そのまま故郷に返してもいいんだが……せっかくだ。これも何かの縁。俺と一緒に来いよ……ヒノモトで戦場のアカを落とさないと、その目つきじゃ、家族に怖がられるぞ。」

 

 長い戦いで、ユルイ表情の彼ですら、時折険しい顔になるらしい。


 帰還兵が日常に戻れず問題となる、一種のランボー症候群対策であろう。


 そして、彼が持っていた槍……ミレイルを討ち取った……は、その穂先をヒノモトの野太刀であっさりと切り落とされた。


「おめえは、殺し過ぎだ。随分荒んでやがる……もう槍を使うな。棒で充分、いや、この方がおめえにはあってる。」


 ようやく反応したのは、この時。


「勝手だよ、師匠。」


 いろいろな事情を理解した彼は、そして、一つだけ質問した。


「……曹長は?」


「リーチか……ヤツは、大佐殿の子飼いだ。おそらくは……大佐殿を解放するつもりだろうな。」


 その後は、再び無言のままだった。

 



 王国暦403年夏。


 アンティノウス・フェルノウルは、三期目の兵役を途中退役、5年目にしてようやくその兵役を終えることになった。


 そして王国西方の地ヒノモト自治区で一年ほど過ごす。


 かつての故郷を思わせる豊かな自然と、自分を縁者とみなす素朴な人々の中で


 くすぶり、重く、そして濃くへばりついた戦いの痕跡を、


 苦くて、それでも一抹の甘さをにじませる仲間との日々を、


 それを昇華するのに費やすには、それでも短すぎた時間を終えて。


 ようやく師匠の許可が出てエクサスに帰郷したのは翌404年。


 21歳の初秋である。


 


 製本工房がくっついてるおかげで、少し大きく見える家。


 突然の帰郷に驚く家族。


「この子は……手紙一つよこさないで!でも……よく無事で……よかったわ……」


「まったくだ、このバカ野郎!」


 一方、彼自身も驚いた。


「兄さん、結婚したんだ?きれいな奥さんだね。」

 

 弟よりも大柄な兄アルジェウスは、4歳年長で、もはや一人前の製本職人だ。


 自立して当たり前、いや、遅いくらいであろう。


「去年、な。で、もう娘もいる。」


「ウソ!ひどいや、僕はまだ21なのに、もう叔父さんなのか?」


「もう、この子はなに言ってるの!」


「そうだ。おめえも早く結婚しやがれ、同い年の野郎は大概とっくに子持ちだぞ。」


 黒い髪の父に、白金髪の母。


 二人とも白髪が見え始めた。


 心配かけたんだろうか?


「見ないうちにこんなに大きくなって……あなたのお嫁さんも、早く探してあげるわ。」


 なるほど。


 言われて気づいたが、確かに退役してからもまた伸びた。


 20歳過ぎて伸びるなんて、どっかで成長期がずれたのか?


「うへえ?お嫁さん?結婚なんてマッピラだよ。」


 エルミウルが言っていた。


 自分の人生は、まだ始まっていないらしい。


 なのに、このまま結婚なんかしたら、始まる前に終わってしまう。


 なんてひどい人生だ。


 さすがは天罰みたいな転生だけど……。


 


 そして、彼はその夜、運命に出会ったのだ。

 



「もう一年以上か……」


 秋の星空には、やはり月はない。


 この世界には、そんなものは、観念やおとぎ話の中にしか存在しない。


 それでもつい探してしまう。


 前世の故郷ではもう十五夜が近い時期なのだ。


「みんな……。」


 そして、探すのは月だけではない。

 

 始めてのブランデーは、なかなかうまいのだが、時折、不思議と苦い気もする。

 



「おい、ちゃんと紹介するぞ……妻のクレシェだ。」


 夕食後、早々に自室に戻って出てこない弟を「まだひきこもりかよ」とアルジェウスが訪ねてきた。


 産後間もない妻子を連れてきたとあっては、いつもは入室を断る彼も、今日はやむなくドアを開ける。


 それはまだ若々しい、というより幼さを残した少女だ。


 この王国では当たり前とはいえ、14歳で結婚して15歳で母になる。


 そんな子が、赤い髪に細身の少女が胸の赤子を誇らしげに抱いている。


 兄さんは幸せなんだな。


 自然に祝福の想いが湧いてくるのは、ひきこもっても仲は悪くない兄弟だからであろう。


「アルの弟さん?初めまして、クレシェリアです。長い間兵役だったんですって?お国のためはいえ、お疲れさまでした。」


 後に、アンティノウスの天敵となる兄嫁も、初対面では兵役を終えた義弟に充分な気遣いをみせた。


 正直、アンティも初対面の少女の美しさにドキリとしたほどだ。


 ヒノモトでは逃げ回っていて、まともに女性と話するのが一年ぶりという事情もある。


 だが、そんな思いも次の瞬間消えていった。


「だああ……あ?」


 クレシェが抱いていた、小さな生き物が彼に向けて微笑んだのだ。


「へえ……これが兄さんの娘さん?よかったね、かわいくて、義姉さんにそっくり。」


「なんて言い草だ……まぁ、俺もそう思うが。」


「あら、お二人ともお上手。」


 恐る恐るほっぺに伸ばした彼の人差し指は、


「ああ……だああ?」


 その小さな手にしっかりつかまれた。


「この子……笑ってるの?」


「あら、ほんとです。この子、人見知りがひどくて、お母様にもアルにも全然なつかないんですよ。お父様なんか近寄っただけで泣かれて……」


 母親譲りの赤い髪。


 でもその目はいっそう青くて、まるで太陽をいっぱいに吸い込んだ透明な湖の色。


 赤子の青い目に映る、自分の姿は滑稽だけど少し悲しい道化師のようだ。


 それが今までの自分だ……。そう思う。


 この子には、自分が見てきた悲しみも苦しさも見えてないはずなのに、でもそんなものを背負った自分をそのまま見つめている。


 やれやれ。


 子どもに、いや、赤ん坊に見透かされるなんて、僕はやっぱりまだまださ。


 しかし、そんな想いとは裏腹に、なぜか胸の奥の一番深いところが開かれていく感じがする。


 そこには、今まで存在していたけれどピクリとも動かない歯車が無数にあって、それが今ギシリ、と動き、ゆっくりと回り始める。


「ねえ……この子、まだ名前が決まってなかったら……」


 そして自然と浮かんだその名。


 おそらくは成長したら、あの「銀の指輪のお姫様」そっくりになる。


 だから迷わず告げた。


「クラリス。この子はクラリスだ。」


                              外伝「戦場の青春」終


 当初は8話、二か月くらいの構想で書き始めたのですが、気がつけば完全に倍。しかも一話ごとの分量が多い。最終話と銘打ってからもなかなか終わらなくて、どうしよう?と思った時があったのは、ここだけの話です。それでも当初の構想は全てクリアしたつもりではあります。

 連載を始めて一年が過ぎ、しかも本編をほったらかして外伝を始めてしまうような無計画な作者ですが、こんな小説をお読みいただいた皆様に大きな感謝です。

 よろしければ、近日中に再開される本編も、お付き合いいただければ幸いです。


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作者:SHO-DA 作品名:異世界に転生したのにまた「ひきこもり」の、わたしの困った叔父様 URL:https://ncode.syosetu.com/n8024fq/
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