外伝 その13 「うるさいな……アント、アントって……僕をもうその名で呼ぶな!」
その13 「うるさいな……アント、アントって……僕をもうその名で呼ぶな!」
「その勇猛な戦いぶりに、赤のいでたち、勇者ロデリアとお見受けする。」
強引に部屋の主の首ねっこをつかみ連れ出そうとするロデリアは、控えめに言って拉致の現行犯であるが、待ち構える兵士たちは軟禁の実行犯なのでいい勝負である。
しかし、その兵士らの先頭には、いつしか2m近い長身に、ひときわ長い長剣を片手で軽々と構えた男が立っている。
参謀府直轄機関所属、リーチ特務曹長のお出ましである。
「……こいつあぁ、すげえヤツが出てきたなぁ……ジューネ並みに強そうだぁ。」
勇者ロデリアは未だ修行中の身。
彼女の戦技の師匠は騎士くずれのナーシア……が嫌がって、結局、主に女蛮族ジューネになったのだが、二人にはまともに相手されたことすらない。
それでも共に幾度も戦った身であれば、その実力は肌感覚に刻まれている。
そして、その二人に匹敵するバケモノじみた圧力を、目の前の男から受けるのだ。
「その男は、我が軍に所属する者。例え勇者とは言え、強引に連れ出すのはいかがなものか。それに……我が主の許可なくここから出すわけにはいかん。」
「ああ……でもなぁ、こいつは、俺様の従者で、仲間なんだぁ……それにちぃっと用事があるしなぁ。」
と、言いつつロデリアは右手のトンファーを眼前に構える。
左手は、「お荷物」を押さえたままだ。
まともに闘えば負ける相手だが、それでもロデリアは退く気はない。
激突は必至だ。
二人の戦意が限界を超え、そして!
「勇者ロデリア殿、そのご用事とは、今エーデルンに迫る亜人の軍勢とかかわりがあるのですかな?」
その時、良く通る低音が、二人を押さえた。
リーチは一度構えた長剣をさげ、声の主のもとへ向かい、ロデリアとの間に立つ。
「え?亜人の軍勢?そんな話聞いてないけど?」
そんな緊迫する場面をぶち壊す、能天気な声である。
「ついさっき話したではないか!オークの大軍にゴブリンの群れが迫っていると!」
話の腰を思いっきりへし折られて、いつも冷静なシャズナーも調子が狂う。
美丈夫が惜しいことである。
「ああ?あれ。エーデルンのことだったんだ。気がつかなかったよ。」
そして、相変わらず興味関心が大きく偏っている彼である。
彼の脳内は対象に興味ありかなしかでその処理能力が全く異なる特殊な二層構造をしており、記憶力にいたっては更に極端で、興味なしに分類されれば即座に廃棄されるようになっているらしい。
だから人の顔と名前はほとんど覚えない。
今日も亜人の生態について聞かれたことは覚えているが、いつどこで、ということはまったく記憶していない。
「く、く、くっ……相変わらずだなぁ、おめえは……だけど、そんなおめえに今は手伝ってもらわなきゃなんねぇ……亜人、いや、魔獣がらみのことなんだけどよぉ?」
「アント二等兵!軍人として、軍務を優先するのだ!」
シャズナーとしては困ったことに、このアント万年二等兵は以前、軍務の中で勇者ロデリアに随行し、その従者として認められてしまっている。
軍の慣習として、従者本人が希望すれば、今も随行を認めざるを得ない。
例え相性最悪の勇者であっても、その影響力は絶大なのだ。
「……アント。お前ごときが大佐殿に必要とされているのだ。」
かつての隊長も、彼の異能は認めている。
それゆえの説得らしい。しかし……
「うるさいな……アント、アントって……僕をもうその名で呼ぶな!」
ロデリアに首根っこをつかまれたままの、はなはださえない姿のままで、彼はそう叫ぶのだ。
今まで強圧的に抑えられていたことに対して、遅ればせながらの反抗期みたいなものかもしれぬ。
「ロデリアさん……ついてってもいいけど、条件があるんだ。」
正直に言えば、彼にとって、今の命は実感なくて、エーデルンもアキシカも所詮は他人の土地で、どうなろうが知ったこっちゃないのだ。
もっとも実際に困った人を見てしまえば無謀なことをしてでも助けようとするだけの、バカなのだが。
だから、今はただ、ここから出たくなっただけなのだろう。
それは、さっき聞いたエルミウルの声のせいかもしれない。
「アントくん!」
「アントの坊や……おい?……ロディ、どうしたんだい、コイツ?」
「……勇者殿、アントになにかしたのか?」
ロデリアは、軍の参謀府から彼を拉致して、意気軒昂と引き上げて、仲間と合流した。
連れ出された彼は、しかし一言も口をきかない。
そればかりか、名を呼ばれる度にふてくされ、かつて生死を共にした仲間と再会しているとは思えない。
宿の床に座り込み、膝を抱えているその様は、童顔と小柄な体格のせいで、せいぜいやさぐれた高校生、というところ。
いや、これでもこの2年余りで多少は成長したのだが。
「なんだかわかんねえけどよぉ……せっかく部屋から出してやったのに……んったく、助けた甲斐がねえぜぇ。おい、アントォ?」
アント。
ホントは、そんな風に呼ばれたくなかった。
アントの癖に。
黒くてちっこくて、ちょろちょろ動くわけわかんねえヤツが、「アリンコ」が……。
誰かに言われた記憶は、実はない。
だが、確かにそう思われている。
いや、みんな、明らかにそう思っているし、きっと言われていると思う。
それでも、それは故郷でも部隊でも自分の略称として、知れ渡っているし、本名……真名で呼ばれるよりは、まだマシ。
なぜなら、アンティノウスという名は、本来自分の名ではないのだから。
孤児の自分を引き取ってくれた両親の、失った子どもの名前。
それがアンティノウス。
ある日、それに気づいてからは、両親にも兄にもその名で呼ばれることを嫌がるようになった。
だから今では実家でも、彼の名を呼ぶ者はいない。
「エルミウルさん……あの人だけだったな。僕のこと、わかってくれたの。」
2年近くにわたっての知り合いながら、今日初めて言葉を交わしただけの相手に、そんな思いを抱いてしまう。
それくらい、自分でも気づかなかったモヤモヤを教えられた衝撃は大きい。
「だれよ!その女!?お姉さんに無断で別のオンナと……まさか、その女に奪われたのね?」
「奪われた?何を、だ?」
「ひひひ。決まってるじゃねえか。おめえは相変わらず固くて鈍いな。」
以前と変わらない大事な仲間たちの賑わいも、今の彼には少々重い。
ひきこもり生活の中でようやくなにかを得られそうになりそうだった矢先での拉致である。
もう少しほっておいてほしかった、タイミング最悪、と感じている。
しかし、拉致の相手はロデリアである。
強運と強引にかけては歴代異世界勇者の中でも群を抜いている……らしい。
「ああ!いいかい!僕をもう、アントと呼ばないでくれ。僕はアンティ……アンティ・ノーチラスって名乗ることにする!これからは、そう呼んでくれないと反応しないから!」
なんでノーチラスが出てくるかはわからないが、これはオウムガイでも腕時計でもなく、潜水艦のほうであろう。
おそらくは原作でも原潜でもなく、アニメ版の。
「ロデリアさん、そういう約束しましたよね!」
随分とまぁ、つまらない条件で拉致されたモノである。
「ああ?そうだっけ?……めんどくせぇなぁ……アンティ、だな?」
彼なりのソウル・ネームらしい。
というより、これ以降彼の著作は全てこれがペンネームになるわけだが。
そこに、舞い降りる影。
「なにやってるネ、ロディ?人を走らせておいて、みんなも楽しそうに……って!?」
実体化した影は、フィネである。
部屋の隅にいる彼を見て驚いて、というよりウンザリしている。
「……こんなの連れてきて、どうするネ?」
先日のケンカが尾を引いているらしく、口をとがらせて、手にもったモノをヒラヒラさせる。
ややわざとらしい仕草に気づき、それを見つめる一同だ。
「おお、ご苦労だったなぁ……。それ、なんだぁ?」
「へへへ……これ、ネ。これは、ロック鳥の羽ネ!ヤツを追っていたら落ちてきたネ。これだけでも金貨10枚はするネ!」
「ええ!?それがロック鳥の!?」
驚いた一同は、しかし一瞬遅れて再び驚くことになる。
約一名が豹変したからである。
「ホントに?それがあのロック鳥の?確か体長20m以上あって、ワシに似てて、岩を落として攻撃するからロック鳥って思われてるけど実はルフっていう実名がなまって」
さっきまで自分でもロック鳥の目撃情報を調べていたこともあるのだが、フィネに抱きつかんばかりの大興奮、猛接近である。
この変りように驚いて、すぐに呆れる一同だ。
「術式だけじゃなくて魔獣にもこんなに食いつくようになっちゃって……お姉さんよりモンスターがいいのね!?」
「なんか前より症状進んでねえか?」
「うむ。まだ若いのに不憫な。」
「ちょうどいいじゃねえかぁ、これから見に行くんだからよぉ。」
「よくないネ!あい変わらず面倒くさいヤツネ!……あたいの羽に、触るな!」
拾ったものは自分のモノ。
拾ってなくても自分のモノ。
さすがはシーフの鑑なのだが。
そんな声に臆することなく、彼は間近でその羽をジ~っとみること2秒。
「なぁんだ。偽物じゃん。」
ぷい、って顔を背けるのである。
もう興味ありません態勢で、また部屋の隅に戻ろうとしている。
フィネは、今度はその首根っこをつかんで引き寄せた。
「何が偽物だ!ちゃんとあたいが拾って来たんだよ!いちゃもんつけんな!」
もとはかわいい顔立ちなのだが、思いっきり目つきが悪くなって悪人顔になる。
しかし、それに動じもしない彼は、つまらなそうにボソボソつぶやくのだ。
「だって、それ、そんな大きくないし、何より白くない。ロック鳥は本来白い巨鳥だし……やれやれ。がっかりだよ。」
そんな投げやりの言葉もイラっとするフィネである。
「そんなことねえよ。ロック鳥って言っても、赤いのもいるんだよ!」
「え?そうなの?確かにディスクワークよりフィールドワーク。書物でしか知らない僕だし……でもフィネネさんの言うことだから信用性に欠けるな……ねえナーデさん、どうなの?教えてよ?」
とっても失礼なことをヌケヌケと言われ、フィネが歯ぎしりしているのだが、一方ナーデは未だ少年の容姿を保つ彼に頼られ、特殊な趣味がうずいている。
「えへ。やっぱりお姉さんがいいのね……うん、お姉さんが教えてあげる!」
なんて言い出して、彼の前にしゃがみこんでいる。
「えっとね、アンティ?でいいの?」
ナーデは、青年の主張を受け入れ、新たな名で呼んでくれる。
思わず彼も微笑んだ。
そんな光景を見て、なんとなく憮然となり、コソコソと「アンティ?」とささやき合っている一同だ。
「……ロック鳥は、この南方じゃ、亜種が多いのよ。」
そして、ナーデは、この地では未だに未整理な分類を、なんとか話し始めた。
さすがは博識な魔術師で熟練の冒険者なのである。
後日、それを検証して体系化するのは、今、聞いている本人なのだが。
「待って、ナーデさん。それだと、この辺りは大きい鳥をまとめてロック鳥って呼んでるだけで、実際はいろんな鳥がいるってこと?」
我々の現代の世界でも、例えば鷹と鷲は厳密な区別がなく、実はどちらもタカ目タカ科で、比較的大きいのを鷲、小さいのを鷹と呼んでいるわけなのだが、どうもこの世界では、ロック鳥については未だそれ以上に分類が大雑把らしい。
「……確かに、同じ竜種でもドラゴンと竜は性質も形状も実は様々あるけど、とりあえず竜種ってことでまとめてる。……それと同じ感じなんだ……やれやれ。研究のし甲斐があるんだかないんだか……。」
ナーデの話では「この赤とキンキラな鳥も、広い意味でロック鳥なのよ」となるわけだ。
ここでは、要は、大きい鳥はみんな「ロック鳥」なのだ。
実際、このアキシカには青、赤、白、黒、それに五色の巨鳥がいるらしい。
「って、待ってよ!じゃあ……それ、もしかして五行に対応してる?いや、違うよね?五行にしては黄色がないし、一羽で五色?それに、五鳥はなかったよね?五蓄や五獣、五虫ってのはあったと思ったけど……」
五行とは、彼の前世、つまり我々の世界で言う古代中国の五行説のことらしい。
一言で言えば、全ての事物は木火土金水の五元素で成立しているという思想である。
ちなみに五虫とは虫というよりは動物全体を指し、鱗(魚類・爬虫類)羽(鳥類)、裸(人類)、毛(獣類)、介(亀・甲殻類・貝類)である。
で、五竜(竜の仲間)や五燐(麒麟の仲間)まであるのだが、五鳥はないはずである。
五虫で言えば、羽、すなわち鳥類は南、赤の象徴である。
本当に我々の世界と同じ原理なのか、関係があるかは、わからないが。
「僕にはわかんないことだらけだよ……だれか教えてくれないかな?」
なんて彼は言ってるが、結局のところ、系統だっていない知識ばかり多くて、しかも前世の知識と現世の経験が入り混じり、この時期の彼の脳内はゴチャゴチャに絡み合って、まさに自縄自縛の状態。
だから、彼が何に疑問を感じて、何を知りたがっているのかは、目の前のナーデにもまったくわからないのである。
で、見かねたロデリアは、
「ち、めんどくせえ。いいから、行くぞ!」
あたふたするナーデと首をかしげるナーシアとニヤニヤ笑うジューネと何やら怒っているフィネを置いて、彼をヘッドロック態勢で部屋から連れ出したのである。
「行くって?どこに?ロデリアさん?」
「もち、ロック鳥んとこに決まってんじゃねえかぁ……ち、おめえ、やっぱ背が伸びやがったな、前より抱えにくいぜぇ。」
少女の脇の下に顔を挟まれるという、少々問題のある姿勢である。
以前より成長した分、かがめることになり腰が痛い。
幸いにしてロデリアには体臭が少ないし、羞恥心はもっとない。
おかげで
「ロデリアさん……意外にフローラルな香りがしますね。」
なんて言ってもセクハラ認定はされないのである。
「ふろーらるぅ?なんだそりゃぁ?」
フローラルは花っぽい香りで、ハーブだと草っぽい香りなのだろうか?
どちらも植物系の香りのことらしい。
「それで……あれってどういうことなの?」
エーデルンの城門を出て数時間、既に夕刻である。
街道の分岐点で、南に向かうはずの一行は思わず足を止め、行く手の空を仰ぐ。
そしてナーデは思わず、両手を握りしめるのだ。
「ありゃ、煙。根っこは赤いけど、火事ってよりは、どっかの集落が襲われてるな。」
ナーデの言葉に応えるジューネは、煙の様子で距離や規模、種類がわかるらしい。
「フィネ、心当たりはないのか?」
ナーシアが夕焼けの雲に伸びる黒々とした煙をさし、問いかけると
「細かくは、見てないネ。でも……確かに小さな町があったネ。」
という返答だ。
「そういやぁ……ええっとアンティ、あのエラソーな軍人、オークがどうとか言ってなかったかぁ?」
実は興味のないことは覚えない点で、彼とはいい勝負のロデリアである。
「そっか。あれなんだ……あっちから来るんだ?んじゃ、ゴブリンライダーも近くにいるんだな。」
彼はシャズナーに読まされた報告書や地図の内容を頭に浮かべる。
関心がないと出てこない知識とは、半ば死蔵されたようなものになりかねないのだが、それでも幸いなことに、どうやら脳内に入っていたらしいが。
「エーデルンを守護する第1、第4師団が城内に、で、あっちには第9師団が備えていたはずだけど……やられたか、逃げたか。」
もともと精強と言う噂には程遠いかつての古巣である。
2年前のバルボア沈没以降連戦連敗で弱体化し、そのため東部戦域を半ば放棄する羽目になった。
シャズナーも足止め以上の期待はしていなかったはずだ。
そして、その結果をさっきまで考えようともしなかった彼である。
しかし、いざ事態に直面すると、急に戦渦が気になりだす、一種、理想主義的な平和思想と言えそうだ。
普段は無関心なくせに、目の前で現実を見せられると急に大騒ぎするタイプだ。
前世のお国がしのばれる。
「ロデリアさん、ナーデさん、ジューネさんにナーシアルドさん、それにフィネネさんも……あの集落、なんとか助けられないかな?どうせあっちに行くんだろう?」
これである。さっきまで頭にもなかったくせに、いざ集落が襲われることを想像すると、もうガマンできないらしい。
その脳内には、バルボア救援の向かう途中でみた、あの集落の光景が浮かんでいる。
自ら葬った、名も知らぬ少女の死に顔も。
「だけど……アンティ。ロック鳥の……ううん、それよりもそんな大軍を押さえようとするなら……。」
もともとはエーデルンを巨鳥が襲撃することを未然に防ぐための出立であった。
しかも、寄り道どころか進行方向である。
潜伏しつつ移動というのが賢いのだが……悩んだナーデは、それでも、ある方向を見る。
「そうだな。でも仕事じゃねえし……町から報酬はでねえかも?」
一応はそう言いながらも、反対しないジューネも、
「……異論はない。騎士としてはむしろ本望だ。」
むしろ賛成しているナーシアも、同じ方向を向いている。
しかし
「ええ?それはダメネ!どうせ金にもならないし、ロック鳥、どっかにいっちゃうネ!」
こんな時は一人反対する、ムードメイカーのはずのフィネなのだが、最近では一応言ってみただけ、という印象が強い。
みんなと同じ方向、つまりロデリアを見ながら、わざとらしく頬を膨らませているが、もう半ばあきらめている。
「まぁまぁ。フィネ、ロック鳥だって、どっか襲わねえ限りはホーチするさぁ。なら、勇者がすることは一つだろぉ……んじゃ、いいんだな、俺様全開でぇ!」
一様に顔をしかめる仲間たちだ。
彼ですらその例外ではない。
なにしろ、ロデリアの言う「全開」とは、あの木刀に見えるゴッドアイテムの出番なのだ。
そのことを考えると、激しい頭痛がロデリア以外の全員を襲っている。
それでも反対する者はいない。
「へへへっ…‥んじゃ、やったるぜぇ!」
集落を守る石の城壁を、黒っぽいオークの群れが襲う姿が見える。
攻城兵器のないオークは仲間の死体を背負って前進を続け、概ね背負った死体ともども攻城用の斜面の一部となり果てる。
何百、いや、何千ものオークの死体でできた斜面は、もうすぐ城壁に達するであろう。
「火柱!」
その時、オークの密集した包囲網の一画に巨大な火炎の柱が立った。
数十体のオークが炎に巻き込まれ、空中に舞い上がる。
それは一度では終わらず、次々と続き、もはや数百のオークが一方的に焼かれ、とばされ、落とされた。
全軍に動揺が広がるが、近くの軍旗が……おそらくは大隊旗……その方角に向けて前進を始める。
さすがは亜人の中では随一の統制を誇るオーク軍、いち早い対応と言える。
しかし、その足取りも止まる。
その先鋒が何者かに押し返されているのだ。
それも、わずか、二つの人影に。
「ははは、おせえ、おせえぜ!」
戦斧を振りまわすジューネだが、その動きはオークたちには全く追えない。
どうやら行動速度が異常に上昇しているようだ。
斧の一振りごとに確実にオークは戦闘不能となり、反撃を許さない。
ばかりか、ジューネに近寄ることすらできず、その後を右往左往と追いかけるばかりだ。
「ふん!」
こちらは、一種の戦闘領域の固定化でもしているのか、ナーシアに近づいた者は、彼女を倒すまでその場から離れられず、かと言って彼女の頑強な大盾と騎士ヨロイを突破できる者はおらず、そして反撃を受けては一体、また一体と絶命していく。
ナーシアの攻防一体の領域で、3秒と生きられるものはいない。
それが一般種であれ、戦士種であれ隊長種であれ、変りはないのだ。
そして、その両者から少し離れた位置では、ナーデが唱える術式を「火球」に切り替え、オークの焼死体と爆死体をヤマ単位で量産している。
中級術式をこれだけ連射できるとは、既に通常の中級魔術師の域を大きく超えていると言える。
ひょっとすれば正規に申請をすれば上級魔術師に認定されるかもしれない。
「あ~あ……僕はこれでも非暴力主義なのに……っと。」
自分からは攻めないものの、ナーデやロデリアに近づくものには、容赦のかけらもない必殺の突きを放つ彼である。
おいそれと近づく敵はいないものの、それでも十体以上は軽く葬っている。
つぶやく内容と、実際の行為の落差が著しい。
言行不一致の見本である。
しかし、実戦からのブランクや体格の変化によるぎこちなさなどは感じられない。
槍の修行で真っ先に、自分の間合いではなく槍の間合いを徹底的に体得させられたおかげであろう。
「まったく、何言ってるネ?ま、せいぜい目立つがいいネ……アンティ?なんだか言いにくいネ。」
一方こちらは姿を見せないシーフである。
彼の影に潜み、そこから出る時は、敵の影に入る。
そして後ろからの一撃で確実に殺す。
影から影へ、フィネが移る度に血しぶきが飛ぶのだ。
「フィネネさん……なんだか暗殺者みたいだ。」
ブランクこそ感じないもの、2年間の仲間の成長ぶりには驚いている。
彼がそう言うのも当然なのだが
「暗殺者になんてクラスチェンジなんてしてないネ!」
と言いつつ、フィネが影に潜んで後ろからその頭をはたく。
「いて!」
「こんなの痛くないネ。」
いや、見かけによらず、実は体力もかなり伸びた彼女である。
下手すれば昏倒する威力であろう。
「あら、フィネ……なんだか楽しそう……やはりあなたもアントくん、じゃなくてアンティを狙ってるのね!」
「なに言うの!あんたと一緒にしないでよ、このショタマギ!?」
ショタマギとは、おそらくはショタコンとマジックユーザーの合成語であろうが、作者も自信はない。
それでもナーデには通じたらしい。
いや、通じない方がいいんだけど。
「……火撃!……ち。」
「ち、じゃねえよ!今、あたいを狙った!」
「気のせいよ。心にやましいことがあるから、そう思っちゃうのよ?」
客観的に言って、攻撃術式は基本的に狙いは外れないので(発動に失敗した場合、そうなることもないではない)、ナーデの言う通りなのだが……状況的にとても怪しいことは作者も否定できない。
で、いよいよである。
もはやオークの大隊は三つくらい全滅(編成上の)してるのだが。
「待たせたなぁ!」
真っ赤なドレスの攻撃色に侵食された、これまたアヤシイ緑の輝き。
ロデリアの木刀が一閃するや、空間が切り開かれ、巨大な木と無数の木が見える不思議な光景が浮かぶ。
それは一瞬で消えて、何者かがやってくるのだ。
どんなものがくるかは、ロデリアにしかわからない。
過去の悪夢が一同の脳裏をよぎる。
数百体の樹人兵に荒らされた森を。
風の上級精霊に吹き飛ばされた村を。
無数の大地の精霊が空けた、これまた無数の地面の穴を……。
毎回起こる惨状に、覚悟はしても、つい心がひるむ。
そしてやって来たのは……ぴょこ?
空間から出て来た一本の指をみて、ナーデが小首をかしげる。
続いて手首、さらににょっきりと左腕。
ジューネは顔を思いっきりしかめる。
同じ流れで右腕が。
「……不安だ。不安しかない……先代ラルバ様、どうかご加護を!」
なんてナーシアが呟いても、まだどっかで生きてる本人はきっとなんの手助けもしない。
そして両腕が狭い空間の扉を強引に開いてゆく。
ねじれ広げられる空間の扉から、頭らしいものが、胸が、腹が這い出して来る。
「これ……木の巨人ネ?」とフィネが言えば、「ウッド・ゴーレム?でもこんな大きいなんて……きっとヘクストスを守護する魔法鋼像よりも大きいよ!」と彼が答えるように、枝葉も瘤もあちこちについたままで木目もくっきりした人型が、ついに下半身もあらわし、ようやく立ち上がった。
これまでの光景は、まるで段ボール箱でつくったトンネルから子どもが這い出した感じに近い。
そして、ウッド・ゴーレムとやらもやたらとでかい癖にプロポーションは三頭身半、というところ。
それでもスケールが大違い、ゴーレムはおそらく身長100m前後、伝説巨神級かと思われる。
「こいつぁ、なかなかいいぜぇ……がははははっ!」
その右肩上で近くの枝をつかみ、体を支え、下を見下ろして高笑いする勇者ロデリアである。
そして彼女に指示されるがままにオークの密集した軍に足を踏みいれる木の巨人は、なんだかアリの群れの中を歩く子どものようだが、繰り返す。
そのスケールは段違い。
包囲されていた町の高い城壁の中からも、丸見えな大きさであり、町からは大きな悲鳴が聞こえてくる。
「ウワサの山虎だって、倒せたんじゃねえか?このでかさなら。」
「……でも、確かにこれじゃ、町の人、怖いよな……。」
「まったくだ。勇者として守るべき人々を恐怖に陥れてどうするのだ。」
「そうねぇ……あまり怖がって自暴自棄になられたら逆効果だし……フィネ、町にお触れ、頼める?」
「ええ?マジネ!?……仕方ないネ。でもナーデもくるネ。連れていくから説明はナーデがするネ。」
その間も、ウッド・ゴーレムはオーク軍を蹂躙し、潰走に追い込んでいく。
いや、遠くで逃げるのはジャイアントウルフであろう。
近くに潜んでいたゴブリンライダーも戦意喪失で総崩れである。
そして……亜人の軍勢が追い払われた後に残るは、くうくうとかわいく寝息を立てるロデリアと、巨大な足型に踏み荒らされた田畑であった。
夕焼け色が奇妙に心にささる、そんな景色だ。
茫然と立ちすくむ一同。
「いつもながら、暴れた後はぐっすりとは、いい気なモノだ。」
「しっかし、この田畑の惨状……これ、どうする?」
「バレる前に逃げましょう、ジューネさん!」
「何を言う!亜人の軍勢を追い払った代償だ。いうなれば正義のための尊い犠牲。町の者たちもわかってくれよう。」
「ですが、ナーシアルドさん。町の人も理屈では理解できても心情では納得できないんじゃないかな?」
「ナーデらがもどってきてからにすっか。とりあえず、アンティ、おめえ、今日のロデリア番な。」
「ええ?それはないですよ、それに僕はこれでも男ですよ!」
「どうせ、貴公は何もできぬよ……いや、できるものならやってみるがいい!」
ロデリア番とは一行の隠語で、異世界のゴッドアイテムを行使し意識を失ったロデリアをお世話する係である。
仕事の内容は、おんぶに汗ふき、お着換え、添い寝など多岐にわたる。
正直、異性が担当するにはいろいろなハードルがある。
とは言え、ナーデを除けば、他人の世話など面倒くさくてお断りなメンバーぞろい。
確か日替わり制だったはずなのだが、面倒ごとは新参者に押し付けられるのはどこの世界でも当り前らしい。
このアイテム「先代世界樹の芯核」には、数万年に及び世界を支え続けた巨木の生命力が残っている。
ロデリアはその力を振るい、元いた世界から自分の眷属を召喚しているらしい(もっとも転移させられた自分自身は戻れないのが不思議である)。
で、この力を使った後は、ぐっすりオネム。
いつものヤンキーじみた様子は消え去り、無邪気に眠るはかなげな美少女に大変身だ。
寝顔だけなら、親衛隊も師団規模で編成できそうなのだが。
そんな罪のない寝顔を見ても騙されず、まったく心が洗われない彼である。
「疲労回復!……もう、アンティ、体なまり過ぎよ。」
「すみません、ナーデさん。なにしろ2年くらい運動不足で……。」
軽いとはいえ、戦闘後、人一人背負っての強行軍。
ひきこもりあけのリハビリにしてはハードな一日で、ナーデの回復魔法がなければ、もう彼自身がリタイアしていただろう。
結局、ナーデ、フィネとの合流後、ナーデの英断で、町の報酬も祝勝会もキャンセルし南を目指しての強行軍である。
「しかたないでしょ、死人でなかっただけマシよ」とはさすがは実質上のリーダーなのだ。
ま、田畑も全損ではないし、オークやゴブリンの餌食になるよりはよっぽどいい。
運がよければエーデルン周辺に展開している軍が支援してくれるであろうし。
「でも、もう真夜中だし。さすがに今夜はここで野宿ね。」
本来であれば、街道とは言え、夜の移動は危険である。
亜人も魔獣も夜行性が多い上に、人族の視力がどうしても制限される。
術式やスキルで補うにも限度はあるのだ。加え昨今の治安の悪化では、盗賊がでることもありうる。
もっとも、オークの大軍を普通に追い払う一行に恐れる相手は、希少であるが。
幸い州都が近い街道脇には、一定の間隔で空き地が置かれ、焚火跡や岩がある。
旅人が定期的に野宿に使っているのだ。
「で、なんでフィネネさんまで、入って来るの?」
「見張りネ。お前がロディに変なことしないかの、ネ。」
小さいテントを建て、ロデリアとそのお世話係が使うのはいつものこと。
アンティも久々の屋外生活でかなり消耗している。
ひょっとしたらロデリア番に任命されたのは、体力が回復していない自分を早めに寝せるためのジューネの気遣いかもしれない……なんて甘いことを考えていると、せまいテントにもう一人、小柄な影が滑り込んできたのである。
「……いまさら僕がロデリアさんに?とんでもない!どうせそう思うんなら、さっさと番を変わってくれりゃよかったのに。」
珍しく正論である。
今だって下着姿のロデリアをようやく毛布にいれるのに、精魂を使い果たした彼である。
「あたいだって疲れてるネ。今日は西に東に走りっぱなしネ……テントと毛布が恋しいネ……で、お前、その恰好でなんの言い訳ネ?」
確かに今日は酷使されたフィネがテントでの安眠を求めるのは自然である。
が、その眠気も吹き飛ぶ。
爆睡中は抱きつき癖があるロデリアは、同じ毛布の中のアンティにしっかり抱きついて幸せそうにスヤスヤと寝息を立てているのだ。
それを見たフィネは、なんだか異常に怒っている。
「え?これ?……別にやましいことはしてないよ?ただロデリアさん、よく寝てるだけで……僕はなにも……。」
もちろんオトコとしては、やや困った状態にないわけではないが、それは正常な男子であれば止むなきこと。
別になにをしてるわけでもない。
しかし、フィネはそんなことでは納得しない。
「つい?もてない男が、寝てる女にイタズラしてるようにしか見ねえよ!」
実際女の子が苦手なアンティだが、キライではない。
抱きつかれて、困惑してしまったというのが本当のところだが、それ以上の意図がないのも本当である。
実際ロデリアは、単に抱きついているだけではなく、無意識のうちにその相手から精気を補充している節がある、というのは長年一緒にいる魔術師ナーデの推論である(異性同性に関わらずなので、淫魔系ではない)。
羞恥心のないロデリアからすれば、実際にアンティに抱きしめられても気にしない。
気づいたらかえってからかうくらいである。「俺様のミリキにメロメロ?」とか。
「だから、僕がもてないこととこの状況には何の関係もないよ!」
「……すぅ……すぅ……うぅん……ん……すぅ……すぅ……」
「……………………どうだか?だったらなんでそんなにくっついてるんだよ!」
そんな感じで、狭いテント内から男女の言い争う声が聞こえるのだが(一人熟睡中)。
「お、思った通り、にぎやかなことになりやがった……で、この後どうなるか、だ。」
どうやら、下世話なことと賭け事が大好きなジューネが、フィネを巻き込んだこの騒動の大元らしい。
この後の展開、「三人参加」に銀貨一枚である。
「……どうにもならぬであろう。なにしろ中の男はあのアント、いや、アンティだぞ。二年かそこらで、変わりようもあるまい。」
それは言外に紳士、と言うより根性なし、と言ってるナーシアである。
実は彼女は先代勇者のような筋肉とヒゲと中年が好きというマチズモ趣味なので、ある意味ナーデ以上に偏っている。
ついでにいつもは固い性格だが、今は「何もなし」に銀貨1枚だ。
「そうよ。アンティはわたしじゃなきゃダメにきまってるのよ!」
こちらは本来、極端な少年趣味のナーデだが、アンティが未だ少年っぽい外見のせいか、彼が20歳になった現在でもまだ守備範囲にしている。
もちろん「何もなし」に銀貨1枚。
「へへへ……でもよ、フィネ、男嫌いなくせに、アンティには前からけっこう絡むよな?」
「そ、そうなのよ!なんだか、おかしくない?」
「うむ……それは実は気になっておった。」
「ひょっとして、あいつ、ダメな男につい世話しちまうっていう不幸体質かもしれねえぜ……てことで、ちょっとここで枠を増やしますか……『勇者抜きの二人!』俺は銀貨2枚!」
「くっ……しかし……フィネにしてもあの年で未経験のハズ。自分から強引にいくとは……」
「そうよ!所詮は21にもなって……って、ナーシアがそれ言うの?」
「そりゃそうだ。フィネだって、26でなんもないナーシアには言われたくねえよな。」
「う、うるさい!」
実は南方大陸で先代勇者ラルバといい雰囲気だった、と自分では思っているナーシアである。
しかしそれももう3年以上前のことだ。
「おい!お・ま・え・ら!」
おや、いつの間にやら3人の後ろに黒い小柄な影が立っている。
「な・に・を・し・て・る・ネ!」
振り向いた3人の前には、もちろん激怒したフィネである。
しかし、外の様子に気付き、あまつさえ、この3人に気取られずテントから抜け出して背後に立つとは、おそるべし隠形術である。
まぁ、そんな優れた技の無駄遣いという声はきっと正しい。
「いつの間に?」
「ナーシアは気配に鈍いんだよ。」
毎回のように、その点を指摘され不本意なナーシアだ。
「……『敵検知』にも察知されずに?」
「殺気を消すくらい、な。」
消すだけで、殺意の存在は否定しないらしい。ナーデは思わずぞっとする。
「俺の目と耳にもひっかからねえとは。」
「油断し過ぎなんだよ……。」
狩人の先輩を出し抜いての快挙なのだが、褒める余裕はジューネにもない。
「で、なんか言いたいことは?」
「「「ごめんなさい!」」」
もちろんこれで収まらないのだが。
これは、チーム内下克上が成立した瞬間なのだろうか?
「やれやれ……これで僕もノンビリできるよ……って、ロデリアさん……ああ、もう。」
フィネと言い争っているうちに、多少動いたせいか、毛布からロデリアの肩が出てしまっている。
優しく毛布を掛けなおし、彼は目をつぶる。
「すぅ……すぅ……」。
そんな寝息を聞いていると自分もなんだか眠くなってくるから不思議なものだ。
どうやら今日は久々に眠れそうだ。
外の惨状には興味がない。
いや、関わってはいけないのである。
「あれネ。」
順調とは言えぬ。時々襲う魔獣や野獣、そして亜人の群れ。
その全てを撃退しての強行軍だ。
目的が見えたのは、翌日の午後である。
こんな悪条件の中でも到着が異常に早いのは、ほぼ休みなしで歩き続けた結果であり、術式を使いまくったナーデの手柄である。
もっとも、ナーデの術式のほとんどは、戦闘と移動ではなく、「疲労回復」「手当」などで彼に使用されたのだが。
「ずっと……ひきこもってたのに……こんなに……歩かされて……これじゃ……軍隊より……ひどいや……。」
まぁ、確かに軍隊では大人数なので、術式を使ってまでの超強行軍は不可能であるが。
「ゴメンなさい。でも、急ぐ旅だから。」
「仕方ねえだろ、お前、馬にも嫌がられるし。」
「馬車を御せるわけでもなかろう。」
「ムチで打たれないだけマシネ。あたいだけなら昨日のうちについてるネ。」
「いいじゃねえかぁ。俺様の背負い心地は最高だったろぉ?」
ついさっきまで寝ていたロデリアを背負ったままでは、さすがに文句もいいたくもなる。
その分荷物がない、というのは大した特典にはならないし。
「で、遠くからでも、ロック鳥があの山頂に降りたのが見えたネ。」
「そう……なら、みんな、ここで、回復も準備も済ませて。これも、飲んじゃうから。」
パーティー備品の魔力回復薬を飲み干すナーデ。
ふとまだ少年だった彼に初めて会った時を浮かべ、ニヤニヤと思い出し笑いだ。
「……そんなにおいしいんですか?魔力回復薬って?」
魔術師に憧れながらその才能がない彼は、無論こんな高価なものは飲んだことがない。
この時代では金貨一枚以上の価値がある。
それでも、昨日からかなり消耗したナーデには当然飲ませるべきで、金にうるさいジューネやひたすらケチなフィネもむしろ勧めるほどだ。
「さあて、みんな準備いい?」
いよいよ登山である。
無論みんな、アンティですら経験済みではあるが、高地では低地とは勝手が違う。
まして目指す山頂はひときわ高いのだ。
ナーシアはいつもの重装備を諦め予備のクイルボイル(油で煮固めた革ヨロイ)に着替える。
ジューネもムダに露出が多い部分にもちゃんと皮革を着こむ。
なぜ普段からそうしないかはナゾである。
ちなみに余分な荷物はナーデの唱える「倉庫」に収納済みだ。
「さぁてぇ……アンティ。こっからがおめえの出番だ。ロック鳥ってのは、どんなヤツなんだぁ?」
「ええ?ロック鳥って言っても、ここじゃ、いろんなロック鳥がいるから特定は……でも、フィネさんの拾った羽根が本物なら……」
「本モンにきまってるネ!」
「んじゃ……推測になるけど?後は、実物を見てから。」
一羽のワシがエーデルン参謀府に舞い降りる。
もたらされたのは、第9師団参軍魔術師からの急報である。
100キロ程度の中近距離ならば、緊急の知らせは定時の「念信」よりも、軍の調教士が飼育し魔術師が利用する軍鷲が一番速い。
その速さは最高速度で200キロ前後という。
その知らせで、事態は急転した。
エーデルンに迫っていた亜人の主力が、なんと勇者ロデリアの一行に追い払われたというのだ。
それまでも、当代の異世界勇者には異様なウワサが絶えなかった。
わずか数人の一行でありながら、一個師団を優に上回る戦力であるという。
現実にこの二年間、侵略を強める亜人の軍勢から度々集落を守り、時には住民を護衛し避難させている。
文字通り一騎当千を上回る働きであると言える。
それだけならば、先代の「青の血風」ラルバも、単身でオーク数千を、しかも己の肉体と手にした武器だけで殺しつくしたという実例もあるのだが、ロデリア一行は全員がそれに匹敵する猛者なのだろうか……。
「リーチ特務曹長。貴官は勇者ロデリアをどう感じた?率直なところを聞かせてくれ。」
「はっ!……腕は立ちますが、まだまだ未熟。比肩するものは、軍にも在野の冒険者にもいるでしょう。」
そんなところであろう。
未だ修行中の身でアイテム頼みなのだ(もっともそのアイテムがゴッド級なのだが)。
そんな評価を聞くと、ついせっかくの情報も疑わしくなってしまうシャズナーなのだ。
それでも昨日作り上げたばかりの戦域図をにらみ、早速現状に合わせて書き加えていく。
「アント二等兵……お前ならばこの後の亜人の動きをどう読む?」
彼の推測を基に(あくまで亜人の動きの、である。彼に戦術的判断を求めるほどシャズナーはバカではない)、エーデルンを軸に作り上げた縦深陣地だったが、どうやら不要になりそうだ。
しかし、今後の作戦を決める上で、あの異能が惜しかった。
なにしろ敵は人族とは異なる相手。
その動きには判断に悩む大佐だ。要は、この後、敵は進むか、退くか、なのだが。
手間がかかるが、アントがまとめた亜人の行動から、今まで大敗した後、周辺の亜人はどう動いたかを調べるよう、麾下の若手参謀に命ずる。
この時間が惜しかった。
ヤツなら即答であったろうに。
「大佐殿、いかがなさいますか?今ならば、残存した各師団に加え、エーデルン守備の第1、第3師団も出撃できますが?」
この2年間、悪く言えば撤退続きの南方軍であるが、考えによっては戦力を極力温存していたと言える。
これは王国軍がこの地を属州として強力な軍政を敷いていたことに加え、その兵や物資を本国に頼り基本的に各集落は自衛に任せていたから可能だったとも言えるのだが、結果として軍の主力は戦わず撤退が可能だった(おかげで残された人々を守ってロデリアや腕利き冒険者たちが大変だったのだが、非情にも黙殺)。
亜人相手でも「勝算のない戦はしない」という、シャズナーの徹底した方針による。
この男、政治的・思想的には問題があるのだが(アキシカ州と本国を分裂させる軍閥化とか人族至上主義とか)、軍人としてはどっかの冒険主義の旧帝国軍人に見習ってほしかった。
現在、かつてバルボア戦で壊滅した第2、第4師団と旧東部戦域担当の第9師団、新設早々解散になった第11師団を除けば、全ての師団が動員可能。損害を受けた第5、第6師団は再編され、第8師団は補充されている。
まして第1、第3師団、第7師団は温存されたまま、いつでも出撃可能。
唯一、アキシカと王国南部を結ぶグオル街道とその関門を固守する第10師団は動かせないが。
「王国南方軍は、総力を挙げて南部域奪回作戦を断行する!グラデ川上流域を回復し、アルデウス大森林からアキシカへの、亜人どもの流入を阻止すれば、再びアキシカ全域の回復も可能である!そのために、まずは失われたアルグラデ山塞を再建するのだ。」
2年前に失われた南部域は、唯一陸路による南北の移動が可能な地域だ。
しかしシャズナーはそこにとどまらず、その更に南を目指す。
目先の大敵が敗走し、最大限の兵力を投入できる今だからこそ、「アルデウスの悪夢」で奪われた南北の結節点の奪還を視野に入れた、まさに乾坤一擲の勝負に出たのだ。
もちろん彼は総司令官ではないし、参謀長ですらない。
それでも、この時は、その影響力をアキシカ全軍に及ぼすことができた。
彼は参謀府に事実上の指令を下した後、彼を信任する総司令官のもとへ向かおうとする。
いや、その前に一度足を止めた。
その前にもう一つ、うつべき手が残されていることに気づいたのだ。
「リーチ特務曹長!貴官には、別命がある……本隊に先行し、勇者と接触せよ!」




