外伝 その12 「どうせ、僕なんか、何の役にも立つもんか……ほっといてくれ。」
その12 「どうせ、僕なんか、何の役にも立つもんか……ほっといてくれ。」
あれから、2年。今は王国暦403年である。
「おい、生きてるネ?」
「……。」
「まだ死んでるネ。さっさと生き返るネ。」
真昼にもかかわらず、暗い部屋に降り立った人影が、ベッドに横たわる者に声をかけている。
ほとんどスキマのない天井裏からどうやって潜入したのかはわからないが、おそらくはシーフ(盗賊)であろう。
一般的なスカウト(偵察)ではありえない潜入スキルである。
いや、その声も、対象以外には聞こえないスキルによるもの。
かなりの熟練者でもある侵入者は、しかし10代半ばほどの少女のようだ。
室内の、すえたような臭いに顔をしかめる様子は、少し悪ぶってはいるが、見る者が見ればもともとのかわいらしさがうかがえる。
「…………僕のことはほっといてよ。」
返事の声はまだ若い。
薄暗い部屋の中は、その造りや調度品の見事さとは裏腹に、なんとなくさびれた、或いはけだるく雑然とした様子である。
「あんた……そうやって、もう2年近くもひきこもって、しかも軍に利用されっぱなし。情けないにも程があるネ!軍が大っ嫌いじゃなかったネ?家族のもとに帰りたくないネ?」
もともと彼が自分たちと別れたのは、家族のもとに戻るためのはずだ。
それなのに、あれから3年以上も軍にいる。
退役できない事情は分かっているが、それでも到底納得できるものではない。
まして……
「余計なお節介はやめてくれ!」
「いい加減にしてよ、アント!あんたがこのままじゃ、どうにもならないんだってば!」
「だからほっといてくれ!僕にかまわないでよ、フィネネさん!」
ベッドの上の人物は、以前よりもやせた少年である。
いや、子どもじみた外見は、まだ幼いながら多少は成長していた。
声変わりも終わったらしい。
「この、バカ!ひきこもり!役立たずの根性なし!もう二度と来てやんないから!」
売り言葉に買い言葉を放った少女は、そのまま天井に飛び上り姿を消した。
「もう二度と?……それ何回目だよ、まったく。」
少年は、いや、もう20歳になった彼は毛布をかぶってそのまま丸くなった。
現実逃避である。
もともとひきこもり体質だったのだが、相当助長されている。
室内は食べかけのトナムやジャーキー、ワインボトルなどが転がっていた。
「どうせ、僕なんか、何の役にも立つもんか……ゴメン、ナーデさん……」
「……アント二等兵、昨日の報告書だが、敵の動向を説明してくれ。」
アキシカ州都、エーデルンにある南方軍総司令部。
数日後、それに隣接する参謀府の一室に、彼を含む四人の男が集まっていた。
ここは、実質的に参謀総長に次ぐ役職である総務課長が私的に使用する一室であるが、彼自身の偏向した趣味のため装飾性は無論居住性すら一部度外視された、実務一色の異様な部屋である。
壁一面に各戦域の戦況や陣形図などが現在進行形で掲示されているのはむろん、天井にアキシカ全域の戦況が掲示されてるのは、掲示する者の苦労を察して余りある偏執ぶりである。
或いは術式か呪符物を使用していればそんな苦労も少ないのであろうが、部屋の主が魔術そのものはともかく魔術師は好まないという思想(ほとんど趣味)の持ち主のため、担当の従卒が昼夜奮闘し、なんとか実現できている。
そのせいか、総務課長の従卒は極めて名誉な役割である反面、人員の入れ替わりが異常である。
ただ、交代されても部屋の持ち主への忠誠心は微塵も変わらない。
一種の中毒性がありそうなカリスマだ。
それに影響されてか、彼の声には以前とは少々異なって、どこか勢いがない。
「……ああ。亜人の主力はオークに見える。展開している数だけならそうさ。でもこれは見せかけ。本命はここのゴブリンの大群だ。つまり日中はオークに引き付け、夜にこの森から長駆しての奇襲。未確認だけど、ゴブリンライダーの報告があがってるよ。」
少年、いや、すでに若者になったはずの彼は、陶製のジョッキに入ったワインを飲み干した。
そして、小さな樽から……ボトルに詰める前の……再び赤い液体をジョッキに注いだ。
それを見ても、顔色一つ変えない部屋の主と、一方露骨に軽侮の目を向ける若い男。
そしてもう一人。
「……おい。」
若者が座る椅子の隣に立った長身の男が顔をしかめる。
「……うるさいな、リーチ特務曹長殿。ワインなんて水みたいなもんさ。スポーツドリンクがわりだね。これくらいは好きにさせてくれよ。」
特務曹長。
近代以降の軍では、准士官とされる特別な階級であるが、時代や国によって少々扱いが異なる。
英国のように下士官ながら士官相当に礼遇するという上級下士官型、旧日本軍などのように事実上の士官として扱われる士官相当型があるが、この世界の王国軍では独立階級型、つまりNATOやアメリカ軍のような軍務上特別な技能を有した者に与えるため、上意下達の組織から切り離した階級に近く、場合によっては士官よりも高給である。
「しかし、大佐の御下命に酒を飲みながらとは、無礼にも……」
「いいんだよ、元隊長殿。そもそも僕の席にワインを置いてるんだから、これは大佐の意向なんだ。特務曹長殿は、参謀府の大佐より偉いのかい?」
彼はワインくらいで酔うことはないのだが、この場の者には酔っ払いの戯言にしか聞こえなかった。
或いは酒以外の何かに浸っていたのかもしれぬ。
虎の威、こと大佐の威を借りる彼の様子は、控えめに言っても見苦しい。
複雑な顔でそれを見るリーチだ。
もっとも、これは彼の任務の結果である。
それを悟ってすぐに表情を消した。
「……アント二等兵、今、話しに出てきたゴブリンライダーとは、どんな兵科だね?初めて聞いたのだが。」
そして再び質問が飛ぶ。
どうやらこの場は亜人の軍勢について秘密裏に話し合う特殊な会議らしい。
王国では、あのバルボア沈没以降、多くの亜人が跳梁跋扈するようになった。
それまでは認められていなかったアルデウス大森林以北での亜人の「転移」が確認され、未だ大集団ではないとは言え、数十体程度の集団転移はこのエーデルン周辺ですら頻発するようになった。
近隣の小集落の中では、村の防壁内にオークが転移し、多数の女子どもが犠牲になることもある。
アキシカ州内のいくつかの村は既に滅んだ。
そして、勢力を増やした亜人が大軍を編成し、弱体化した人族に挑むようになったのである。
それまでは「亜人には知能はない」「あれは人でなくケモノである」という立場の大佐としても、現在の窮状やいくどかの敗戦を経て、あくまでケモノとしながらも、その生態や特性を調査する必要を感じている。
その任に抜擢されたのが、アンティノウス二等兵であった。
かつて提出した報告書とバルボアからの撤退戦の際に見せた活躍が評価されたのだ。
「レドガウルス王子や騎士団、特務中隊が亜人の追撃の中無事撤退できたのは彼の功績が大きい」とは、王子の護衛として派遣されていた参謀府直属の特務曹長の言である。
その彼につれてこられた初日、当時の少年は大いに衝撃を受けたようだったが。
「隊長まで僕を裏切ったのか……」と。
それで彼は無気力になった。
逆に言えば、参謀府にとっては使いやすい道具となり、以後、軟禁しているが文句の一つも言わない。
「ジャイアントウルフに騎乗したゴブリンの軽騎兵かな。主武器は投槍と短槍。射程は人族の騎兵に劣るけど、荒れ地での速度や近接戦では明らかに上、加えて夜戦にめっぽう強いよ。」
そして、各戦域から送られる報告書を基に、相手の戦力を分析し、推測する能力は他の追随を許さない。
同じ報告書を読んだはずの情報課とでは、まったく次元が違うと言える。
亜人のみならずアキシカの動植物や地理にも精通し、かつそこから導き出す推論は正確無比。
直属の部下の進言を基に、その抜擢を決めたシャズナー大佐ですらここまでとは思わなかった。
本人は「直接見ていないからには断言はしない」というが、この2年近くの間、彼の進言に間違いはなかった。
今回、大佐は彼の分析に満足し、それに即した作戦を作戦課に立案させるよう指示をする。
おそらくは魔術士の連絡網で現場に送るのだろう。
もっとも前線の司令部からすればそれは不快であり、結果貴重な情報も利用されないことが少なくない。
その辺りに疎いのが、王国軍作戦参謀という人種の欠陥かもしれぬ。
「さて……アント二等兵。もう一件だ。こちらの方が重要なのだが。」
男性的にして気品あるそぶりだが、あくまで軍人らしい剛直さを失わない。
そんな絶妙のバランスの中、追い詰めるような視線が迫る。
「そっちは……だからジモピーに当たってよ。」
それに対し、微かに姿勢が後ずさる彼だ。
本来は苦手というよりキライに近い大佐のような相手に、敬意と畏怖を感じている。
すくなくとも大佐は私心なくアキシカの為に日夜激務をこなし、自分のような役立たずにも誠意をもって相手してるように思える。
少なくとも、この2年間、彼に何らかの価値を見つけてくれたのは大佐だけなのだ。
そんな相手にもナゾの言葉を飛ばし周り困惑させるところは変わらないようだが。
「……ジモ……?なんだね、それは?」
彼の奇矯な言動に振りまわされることに慣れ始めたシャズナーは、優雅に質問するにとどめる。
同席する者たちがいちいち顔をゆがめるのとは対照的である。
「地元の人。つまりアキシカ在住の人に、土地の伝承や瑞獣のことをちゃんと聞くべきだってば。前から言ってるだろ。ディスクワークよりフィールドワークなんだよ。」
実は南方軍の兵士は、そのほとんどが王国本土からの徴兵である。
彼らや役人の消費する物資もほとんどは王国本土からの輸送に頼っている。
実は、戦場であるアキシカの住民は無税の上に兵役もない。
この地には、もともとは王国とは別の諸勢力が乱立していた。
それが南方大陸諸国の滅亡後、亜人侵略の危機を感じて王国に服属を申し出たわけだ。
そして、その時の条件の一つに、「亜人撃退に成功するまでは、住民には無税」というものがある。
独立の気風が強く、小勢力が互いに争っていた地方である。
なまじ徴兵して故郷から離し兵士の戦意をさげるより、そのまま自警団として止めおいた方が効率がよい、と納得したわけだ。
それでも、戦地であれば、軍としては「人夫」や「土地の案内」として住民に助力を求めることもある。
そのために「現地徴用」の制度がある。
現在ではこの制度を応用して魔術師や冒険者といった特殊技能者を雇うこともできる。
「しかし、地元の伝承なぞ……」
「だから、軍人は、いや、王国人はキライだ!直接敵を殺さない知識なんか意味がないって思ってるんだろ!」
そこで、リーチの鉄拳が飛んだ。
ガマンの限界らしい。
彼は吹き飛ばされ、床に転がって押し黙った。
一緒に床に落ちたジョッキから赤いワインがこぼれる。
「つけあがるな、アント。」
「曹長、その辺にしたまえ。彼の異能は、その人間的欠陥を上回る。あまり締め付けるのは彼の持味を殺してしまうのだ。」
「はっ。」
直立不動でシャズナーに応えるリーチを、彼は床から見上げる。
口元は固く結ばれたままだ。
そして、強引に起き上がらせようとするリーチの手を振り払う。
「僕に触るな。自分で立つから。」
もう2年近くも前のことである。
「お、アントやないか。自分の部隊に手紙の返事、きとるで。」
東部戦域から命からがらエーデルンに戻ったばかりのころだ。
オッティアンとエルミウルを訪ねてアドテクノ商会の支部に顔を出した彼は、「テガミ」を受け取った。
兵役延長による前線兵士の著しい士気の低下を防ぐため、徴兵された兵士とその家族の間に「テガミ」というシステムを提案した少年である。
その一便目が無事届いたのだ。
そして割り当てられた宿舎に戻って「テガミ」を配り、そのまま代読までしてやった。
日頃の様子からは想像もできない人の良さである。
しかし……やはり少年には決定的に何かが欠けている。
「アントさん、そいつ、やられちまったじゃないですか。」
「ああ、ヤツはラグスまで、あと二日ってとこでゴブに狩られちまって……」
「おいおい、同じ部隊の仲間が死んだの、憶えてないのか?……ちっ!」
……そう。
覚えていないのである。
人のことを覚えようとする意識がない。
同じ部隊でも、少年は基本的に周りから遠巻きにされ、一人でいることが多い。
戦場では義務感で仲間の窮地を救うだけで、自分でも隊の仲間に話しかけることはまずなく、例外は分隊長のリーチくらいだった。
だが、顔は覚えていなくても、代筆した手紙の内容は不思議と覚えていた。
そのせいか、わたす相手がいないまま、手元に残った手紙が、奇妙に重い。
一人、宿舎の部屋にこもり、そして、ふとそれを開き読み始める。
「セレオ、子どもは無事生まれました。あなたと同じ、紺色の髪の女の子です。クレオと名付けました。とても元気な子で、セインなんか、赤ちゃん返りして、もう妹に負けてます……」
そんなありきたりな、しかし幸せな母子の様子がつづられていた。
そして最後には
「セレオ、無事に帰ってきてください。手柄なんかどうでもいいから、あなたの帰りをわたしも子どもたちも待っています」
と、父になったばかりの兵士の無事を祈る文面で締めくくられていた。
これを読むべきものはもういない。
帰りを待つ家族のもとに、帰ることはないのだ。
少年は、自分がいつしか泣いていることにようやく気づく。
人が死ぬ。
今までいた人がいなくなる。
知識でわかっていることが、初めて実感となった。
セレオール・エクスェイル。
同郷の後輩だ。
とは言っても、やはりほとんど口をきいたことはない。
それでも、手紙を代筆する時に、同郷と知って「んじゃ送った手紙は僕の家族に読んでもらいなよ」と話したことは覚えている。
その後、エクサス出身の兵士たちの手紙の代読・代筆を実家に依頼するよう、オッティアンに伝えて……あ!?
「アンティノウス。元気ですか……」
やはりあった。
実家から、母のイーシュから自分宛の手紙だ。
自分は実家に手紙を書かなかったのに、商会を通して消息を知り、手紙をくれたのだろう。
「……母さん。ごめんなさい……」
しかし、手紙はそこで閉じられた。
自分には、これを読む資格がない。
なぜかその時の少年にはそう感じられたのだ。
手紙は大切にしまわれ、しかし、読まれることはなかった。
次の日、彼は部屋から出て来なかった。
そんな少年に、召喚命令がでる。
そして隊長のリーチにムリヤリつれてこられたのが、ここ、参謀府の一画だった。
そして、彼は生死を共にし信頼していた隊長が、実は軍中枢の工作員であったことを知らされ、当時中佐であったシャズナーに登用されることになったのだ。
「亜人と異常現象の謎の解明」を任務とする情報分析スタッフとして。
以来あてがわれた部屋から自主的に出ることはない。
出るのは、シャズナーの指示があった時だけだ。
外出許可を求めない理由をリーチに聞かれた彼が、一度だけ答えたことがある。
「僕にはもう、やりたいことがない。何かを守りたいわけでもないし、何かが憎いわけでもない……僕に価値があるわけでもない。だから、適当に珍しい本でも読ませてくれれば、それでいいさ。大人しくしてるよ。」
そんな主体性のなさ、自己肯定感の低さは、そのまま軍に利用され、軟禁生活に半ば自主的に応じているわけだ。
兵役は自動的に延長され、既に5年目。
それでも、その傍若無人ぶりは変わらなく、昇進は頑として拒んでいる。
そんな少年……すでに成人しもう少年ではないのだが……が、それでも時折怒り出すのは、王国の軍事偏重主義である。
いや、そんな主義があるわけではないのだが、ここ80年余りにわたって亜人との闘いが続いているせいか、彼には、社会のシステムが軍事目的を優先し、それ以外を軽視しているように感じられるのだ。
いやいや、亜人そのものへの研究も進まないことから、人族優越主義でもあり、異物排斥でもあろう。
まるでかつての母国のように感じられてしまう。
そんな時だけは、無気力な従順さが消えるのだ。
で、その言動が大佐よりその取り巻きや元上官を怒らせる。
今日も、結局、大佐への報告会はこれで終わり、いつものように軟禁である。
自主的にひきこもるわけだから、実際は軟禁ではないかもしれないが。
もともと不眠気味の彼である。
ひきこもって以来、安眠や熟睡から更に遠ざかるようになった。
むしろ本人が眠ることを拒んでいるふうでもある。
眠ってしまえば、無防備になった彼の意識には、いろいろなモノが浮かんでしまうの。
それは見たこともないセレオの家族。
戦場では頼れる隊長だったリーチ。
穏やかに自分に話しかける大佐。
自分が葬った、名も知らぬ少女。
時には暴れ狂う竜であり洪水に破壊される城壁であったりもする。
そして……母であり父であり……ナーデたちであったりもするのだ。
目覚めた時は、枕元のワインをあおる。
いい加減、バーボンにしてほしい、と思いながら。
「あったまくるネ!もうあんなヤツ、ほっとこうネ!」
今日も戦う、勇者ロデリアとその仲間たち。
その中で、比較的ヒマしてるとは言え、一人グチが絶えないフィネである。
仲間からすれば、うっとうしくて仕方ない。
チームのムードメイカー役のフィネがこれでは、全体の雰囲気が暗くて士気にかかわる。
「もう……フィネったら、いい加減機嫌なおしてよ。いつまでも子どもみたいに。」
真っ白い長衣は「保護」がかかって、森でも戦闘でも汚れにくい工夫がしている。
そんな、さりげない気遣いが彼女らしい。
丸い頬が子どもっぽいと悩んでたナーデさんも、もう26歳……なのだが相変わらず若々しい美人さんのままである。
この数年間の時間がまったく感じられない。
「へへへ、そりゃ『永遠の17歳』だからな。一生お子様なんだろうよ。」
こちらは厚い皮ヨロイ(ハードレザーアーマー)のジューネだが、その素材は以前狩ったエルダードラゴンの革に代わっている。
丈夫で軽く、そのくせ動きを妨げない柔軟なスグレもの……なのだが、奇妙に露出部分が多い。
おかげでメリハリある体形がはっきり見えて、対異性効果が異常に高まったジューネである。
何を高めてるのか、という疑問はあるが、どうやら後続部隊を意識しているらしい。
なかなかのイケメンがいる。
「うるさいネ!」
そして、樹上のフィネ。
相変わらず小柄で、21歳とは思えぬ幼さである。
メリハリでは完全に負けている。
そのせいもあってか、一層不機嫌なのだ。
この数年間、自分も仲間も全く外見上の変化はないが、20代で変化がない仲間たちと、10代のままずっと成長しない自分では意味が大きく異なる。
以前吹いていた「永遠の17歳」は、今では呪いの言葉と化している。
ここはエーデルンから離れた森林である。
いや、昨年まではここに森林はなかった。
この2年ほどで急速に広がったと言われる「生きた森」の一部だ。
正確には、その先ぶれのような、小さな森なのだが。
「帰ってからそればかりじゃねえかよぉ……おめぇ、よっぽど、あいつのこと、気にしてるんだなぁ?」
そう言いながらも、その右トンファーはオーガの巨体を吹っ飛ばす。
ロデリアは、相変わらずの真っ赤なドレス。
しかしトンファーさばきは格段に上達したらしい。
背中の竜が一瞬消える。
いや、後ろからきた敵に振り向きざまに左トンファーでのエルボーを放ったのだ。
それは正確にその顎先に炸裂し、その意識を刈り取る。
倒れる前に跳ねがった、これまた赤いハイヒールの踵がのど元を貫通し、辺り一面に血しぶきを飛ばす。
赤いドレスは、返り血を気にしないロデリアには良く似合う……いや、そんな意図で赤いドレスを着ているわけではないのだが、「白衣のナーデ」さんとしては近寄りたくない戦いぶりだ。
「勇者様、少しは後続の民兵の目も気になされてはいかがです?」
足をけり上げる度に、スカートの中が丸見えである。
勇者としてもだが、乙女としてもいかがなものか。
もっともいくら下着が見えても全く色気を感じさせないのがロデリアの「恐ろしさ」なのだが。
民兵の若者だって、目を背け、まるで見てはいけないものから逃れるようだ。
周辺の集落の自警団は、もはや民兵として再組織されている。
集落ごとの自警団では、もはや急増する亜人の群れに対処できないのだ。
その集落も既に「森」に呑み込まれ、今や絶賛、避難中である。
女子どもや老人を囲み、エーデルンに向け数日間の逃走劇だ。
そして仲間から少し離れて、村人たちを率いるのは、ナーシア。
「全くだ。勇者ともあろう者が、相変わらず見苦しい戦いよう。これでは先代に申し訳が立たぬ。」
青みを帯びた銀色のヨロイは、すっかり体になじんでいる。
「軽量化」の支援があるとはいえ、軽装の民兵たちよりも身軽に動く。
ナーシアの指示に従って、5人一組となった民兵は、ナーデたち護衛をかいくぐって接近するオーガに備えるのだが、そのほとんどはいち早く迎撃に出たナーシアが一刀のもと切り伏せている。
その度に揺れる豪奢な金髪は、兜に隠れているが、その美しさは隠せない。
しかし、ロデリアに厳しいのは変わらないようだ。
いや、以前にもまして厳しく感じるかもしれぬ。
ロデリアはナーシアの声を聴くと露骨に顔をしかめる。
「もういいじゃねえかぁ……先代の話はよぉ。」
紅金に赤いハチマキ、これまた真っ赤な特攻ドレスのロデリアは、クルリとその背を向ける。
先代の話が出たので敵前逃亡だ。
背中の黄金の聖竜が泣いている。
まぁ、アレと比べられては大抵のものは逃げるしかない。
さすがは進むも退くも素早いのである。
いや、ただでは逃げないロデリアは、そのまま直感に従ってまっすぐ突き進む。
どうやら敵の首魁に気づいたらしい。
いつしか彼女の手には、長大な木刀が握られている。
「へへへっ、逃げるよりやっちまう方が早いし楽だってなぁ。」
慌てて支援に追いかけるナーデとジューネだ。
「ナーシアとフィネはみんなを守って!こっちは3人で片付けるわ!」
「へへん、いいとこもらいっと!」
「ええ~!?なんで護衛ネ!?不公平ネ!」
「……止むを得まい。確かに守り手を指揮する者は必要だ。」
そして数分後。
「魔力槍三連射!!」
「後ろがガラアキだぜ!」
「とどめは俺様だぁ!必殺勇者パンチぃ!」
……木刀はどうした?さっきまで持ってた、あの、先代世界樹の芯核でできたゴッドアイテムは?
まぁ、アイテムに頼らないのは成長の証かもしれないが、作者としては「猫に小判」とか、その類義語が浮かんでてしまうのである。
「それで……結局アントくんは、ダメだったんだ……」
近隣集落の一行を無事エーデルン近くまで避難させた勇者たちは、なじみの酒場で会合中である。
王国産の白ワインを飲みながら、つぶやくのはナーデだ。
近頃はアキシカのワインは流通が妨げられてむしろ品薄。
高価だが王国産の方が入手は楽なのだ。
「あんなひきこもりの根性なし、ほっとくネ!……んぐっ……プハッ!」
「……でもなぁ、このままじゃ俺様たちもじり貧だぜぇ?いつまでも避難民を逃がすだけじゃよぉ……あいつに敵の中核を見つけてもらわねえとさ……んぐんぐ……ぷはぁ~。」
フィネとロデリアは陶製のジョッキにエール(麦酒)をイッキである。
良い子の皆さんは決して真似してはいけない飲み方であろう。
二人とも、特にロデリアも少しは酒が強くなったようだ。
見かけだけなら、最初に会った時の14才くらいで、それは今も変わらない。
「そこなのだ。なぜ勇者殿はあの少年が、敵の首魁を見つけられると思うのです?」
こちらは王国産の赤ワインに、果汁を加えて上品に飲むナーシアだ。
酒席になるとなぜか上品になるのは、酒のせいで却って生まれの良さが出てしまうのだろうか。
「そうそう。あの坊や、確かに亜人やらにも詳しかったけどな……あれから2年?ちったぁいい男になったんじゃねえか?」
ジューネのジョッキはもう三杯目である。
やたらとペースが速い。
ほんのり赤い頬が色っぽくなっている。
それでもまだまだ飲みそうで、そろそろ麦酒より火酒に代わるかもしれぬ。
「全然ネ!……でも少し背が伸びて、声も変わったネ。」
そう言って、羊肉の串焼きを食いちぎる。
こちらは食い気優先のフィネである。
「ええ!?もう少年じゃないの!?そんなのアントくんじゃないよ……オトナになっちゃったのね……」
ハムステーキに伸びていた手がピタリと停まる。
やけ食いする気もなくなったようでしょんぼりしている。
厄介な性癖である。
「ナーデの特殊な趣味の領域から脱したか。これで彼も毒牙にもかかることなく何よりです。」
で、やはり品よくヤギのチーズをつまむ。
周りとは対照的。
人、これを浮いているというが、ナーシア本人は気づかない。
「何が毒牙よ!大人にしてあげるだけよ……でも、もうオトナになっちゃったのかぁ~あ~あ、時の経つのは残酷ね……ぐすん。」
それでも、とったばかりのハムステーキを切り分け、自分以外の仲間に分ける。
あくまで気配りを忘れない素晴らしい女性なのだ。
特殊な趣味さえなければ、もっと素晴らしいのだが。
「……見かけだけよ。その外見だって、精々、やっとあたいとおんなじくらい……中身は全然変わってない……かな?」
そう言いながら、あの目の暗さはなんだろう、とフィネは思う。
以前の自分のような、そんなイヤな目だった、と。
彼女も食べ物に伸ばした手をもどしてしまう。
で、ため息なのだが。
「あら、じゃ、ぱっと見、まだ16、17くらい?ならギリ、セーフ!」
思わずずっこけるフィネである。
「この女、図太いネ、さすが年の功ネ」とは決して口には出さないが。
「いいのかよ!」
「好きにするがよい。どうせなびくとは限らぬ。」
「…………そっかぁ。あいつは順調に成長してやがるんだなぁ。」
どきり。
ロデリアの言葉に一行は全員、微妙な顔である。
ロデリアと組んでから、既に4年になる。
しかし、年を追うごと、ますます気になることがある。
4人の目くばせ戦が続き、最後はナーデが折れた。
まぁ、いつものことである。
「あの……勇者様。実はわたしたち、聞きたいことがあるのですが……。」
そんなナーデの声に、ロデリアは気まずそうに肩をすくめる。
その拍子に長い紅金の髪が揺れて、いつもは隠れている耳が表にでる。
それは不思議な耳飾りに覆われている。
王国暦403年。
一部で「魔境アキシカ」などといわれるようになって2年ほどである。
王国属州としてのアキシカ、つまり王国軍の勢力圏は大きく減じていた。
特に東部域はそのほとんどを失い、リブロ川以東の海岸部は完全放棄、ラグス周辺に展開していた第9師団は、州都エーデルンの東部を守る一部隊に過ぎない。
同時期に西部域を撤退した第8師団がなんとか踏みとどまり、ほぼ戦線を維持してるのとは大違いなのだが、もともと西部域が面積的には小さいせいもあるかもしれない。
一方、南部域は、第5、6師団を失ったばかりか日々成長する「生きた森」の影響で後退を続け、その避難民の流入が深刻な問題となっている。
それでも、避難できただけマシなのはずだが、エーデルン近郊の軍や住民からすれば、急激な難民の増加は好ましくない。
結局住民とのトラブルが増えるし、根本的な問題を解決しない限りはどうしようもないことだ。
そして、こういう状況では、アキシカの軍政は、市場や治安の統制くらいしか手が打てないのである。
その性質上、他にアイデアを浮かべるようにできていない、とも言える。
加えて、王国政府や中央軍には未だ公式な報告をせず、当然支援も求めていない。
行ったのは再び一方的に兵役を延長したことくらい……。
軍閥化が進んだ、と目のある者や心ある者はそう呟いている。
救いと言えるのは、最初の衝撃的な一報以来、謎の大魔獣の襲撃がないことくらいだ。
普通の魔獣の襲撃が増えたのは、しかたない。
「アンティノウス、前に送った手紙は読んでくれましたか?……あなたがまた兵役を延長したと聞き、母さんたちは心配です……」
あれから、軍の手紙システムは南方軍はおろか、中央軍でも導入されて、兵士とその家族の精神的な支えになると同時に王国各地に代筆業という新しい職業を育てることにもなった。
加えて、軍のみならず、各地の通信・流通が発展し、特にアドテクノ商会がその一翼を担い成長していった。
そのせいか、時々オッティアンとその義姉エルミウルが彼を訪れては、家族からの手紙を置いて行くのだ。
いや、それはまだいい。
自分への手紙は、出だしだけは読んでしまうが、後は読まない。
問題はもう一通の手紙だ。
「愛するセレオ。お元気ですか。わたしたちは元気です。クレオはもうハイハイして、家中を動き回っています。本当に活発で、わたしとあなたのどっちに似たんでしょう?髪の色や目元はあなたとそっくりだってみんな言います。セインは、一時の赤ちゃん返りをようやく卒業して、少しお兄さんらしくなりました。昨日なんか、クレオの周りを飛ぶ蚊を追い払って……」
オッティアンとエルミウルは、少年の軟禁部屋に入室できる数少ない客なのだが、その表情は硬い。
「なぁ、アント。自分、いい加減ホンマのコツ、書かへんのか?」
気難しい顔をしながら死んだセレオ充ての手紙を読む、そんな彼にオッティアンは厳しい目を向けた。
背後に控えたエルミウルはいつも通り無言のままじっと見つめている。
「いつまでもウソの手紙書くのは、アカンやろ。」
「うるさいな!」
「うるさい言うな!ええか、死んだモンは生き返らんのや。そりゃ、どっかのどえらい魔術師なら生き返りもできる聞いたことあるけど、それでも死んでもう2年もたつんや!いい加減、この奥さんだますようなことはヤメイ!」
あれから、もう何通か、死んだセレオに代わってその家族に手紙を書き送る彼である。
書くたびに胸が苦しい。
返事が届くたびに罪悪感に責められる。
それでも、死亡通知を書こうとするリーチを止める。
「今回だけ」。
そう言って、結局またセレオのフリをして手紙を書く。
そのくせ自分の家族には一通も書かない。
「……だましてるわけじゃない。」
「何言うてんのや。死んだモンの代わりに、さぞ生きてますみたいに手紙書けば、そりゃだました言うんや!……自分、おかしいで?他のモンのコツは全然興味ないし、どこで誰が何人死んだ聞いても最近気にしいへんのに……なんでこのセレオいう男のことだけは気にかけてるんや?」
それは自分にもわからない。
ただ、手紙を代筆したことで、彼の人生の一部を知ってしまった。
それは他の仲間についても同じはずなのだが、同郷で、しかも死んでしまったことが、どうにもやり切れないらしい。
生きていればおそらくは全く興味もなく関わりもないはずの相手なのに……勝手なものである。
そして、毎回一緒に届く母からの手紙が依怙地さに拍車をかける。
碌に読まれずに、それで大切にしまわれている手紙。
セレオの妻の手紙は、母が代筆しているのだ。
筆跡でわかる。
そして、自分が代筆しているセレオの手紙も、誰が書き手かは母には知られているだろう。
それを、セレオの妻に読み聞かせる母の姿が浮かぶ。
「……明日来てくれ。返事を書いておく。お金は払うから。」
「……代金もらえるうちは、何も言わんけどな。」
ついさっきまで散々文句を言っていたことは、もうオッティアンの頭にないらしい。
「あの……」
その合間に、小さな声がする。
聞いたことのない声だ。
「え?今の……エルミウルさん?」
知り合って2年余りの彼女から話しかけることは初めて。
いや、声そのものをはじめて聞いた彼である。
彼女の名前を言えただけでも、彼にしては奇跡的と言える。
黒づくめの、男と見まごう身なりで、それでもその中性的な美しさは隠せないが、義弟のむさくるしさと中和されるせいか、声を出さないことも相まって、いつもは存在感を全く感じないのだ。
「……アンティ。あなたが罪を感じる必要はないのです。だから、自分を苦しめる必要も、きっとない。」
それは、ほとんど口をきかない代わりに、人を観察し続けた彼女が見抜いた正解であった。
自分自身に価値を感じていない彼が、家族から必要とされているセレオの死に後ろめたさを、罪悪感を持っていること。
自分なんかが生きて、仲間にも家族にも必要とされるセレオが死んでしまったことの理不尽さを感じていること。
それが、セレオの妻と、自分の母が一緒に手紙を送ってくることで一層つらく感じてしまうこと。
そんな、自分でも気づかなかったことが、彼女の一言で明らかにされてしまった。
まじまじ、とその顔を見てしまう。
自分を見つめるエルミウルの濃茶色の髪が、今は、なぜか淡い紫色に輝いて見える。
神秘的だ。
そして……
「…………その、アンティって……僕の事?」
初めての呼ばれ方だ。
エルミウルの細いきれいな声で発せられると、とても不思議な、異国的な響きで耳に残る。
それだけで、今までのつまらない自分が別人のように感じられた。
「あなたは、本当はアントとよばれることが好きではないし、アンティノウスという名前も受け入れていない。だから自分の名前を受け入れるまでは……どうかな?この呼び方は?」
まるで占い師のように、彼の心を見透かし、その中に踏み込んでくる。
いや、オッティアンも、義理の姉である彼女に絶対の信頼をおいているのは、この才能からであろう。
その力は、件という、半人半牛の、予言をする生き物に近い。
その秘中の才能が自分以外に発揮されたことに、大いに嫉妬する。
「……エルン義姉!こんなヤツに貴重な言葉を授ける必要ないわ!オレ以外に言わんといてや!」
「ダメ。この人はあなたの恩人。あなたが将来大きくなるには、絶対大切にしないといけない。」
物心ついてから、エルミウルが直接言葉を交わした人間は、その生涯で片手で足りるという。
その貴重な一人が彼なのだ。
エルミウルは真っすぐ彼を見つめたまま、義弟の言を却下する。
「……エルミウルさんの瞳って、控えめに光る銀盤が紫の輪で囲まれて……とてもきれいです。すごく繊細な……宝石細工みたいだ。」
そんな無遠慮な賛辞が、彼の口から漏れ出すと、彼とは違う意味で人に慣れないエルミウルは、その瞳をパチパチと瞬かせ、頬はうっすらとピンク色を浮かべた。
照れてるらしい。
これでオッティアンの嫉妬は限界を超え、ムリヤリ義姉を部屋から連れ出してしまう。
「オレの義姉さんに手ぇ出すな!この阿呆、色ボケが!」
バタン!である。
どうやら、義姉に対して複雑な愛情を抱いていたようだ。
あたふたと連れ出されるエルミウルが、妙にかわいらしかったが。
「……なんなんだ、あの姉弟…‥なんか、アヤしくないか?」
そんな彼は、この数年間で久しぶり笑みを浮かべたことに気づかない。
ま、せいぜい微かな苦笑なのだ。
それでも少し、心が軽くなった。
ほんの少し。
勇者ロデリアは強運の主である。
幸運ではない。
単に運がいい、とは少々違う。
宝くじが当たるとかではないのだ。
しかし、彼女が何かを願い、その実現に本気で行動を始めると、その強引さに周りも巻き込まれ、次いでなんとなくそういう流れができあがり、気が付けば確率的にどうなのよ、という事象が相次ぐことになる。
この2年間、魔境と呼ばれ始めたアキシカで戦い続けるロデリアだ。
最初はひたすら目の前の人を救い亜人を倒し魔獣怪獣を追い払うことの繰り返しだった。
幾多の敵を葬りながらも先の見えない戦い。
しかし、そんな彼女にもようやく「その先」が見えてきたのは、エーデルンでは新興のアドテクノ商会でアイテムの換金を行った時である。
ちなみにその日ここを選んだのはロデリアだ。
たまたま出会った支部長代理とその秘書が、近頃ウワサの勇者ロデリア一行と気づき話しかけてきたのだ。
支店長代理は妙にむさくるしく老け込んだ男であったが(実は彼女らと同年代である)、後ろに控える無口な秘書が、無言のままメモを渡してきた。
店から出て、「そんなモン、捨てっちまえ」「アヤシイモノには手をださぬがよい」「そうね……でも、ちょっと調べてみてもいいんじゃない?」「ええ?あたいがやるネ?」「そうだなぁ……ちょっくら頼まぁ。なんか気になるしよぉ」こんな顛末で、フィネがメモの場所に行くと、そこには旧知の少年がいた、という訳である。
それ以来、ロデリアはことあるごとに、彼の動向を気にしている(その度にフィネが訪問してはケンカになって帰って来る)。
夕べは少し飲み過ぎた。
昔からの定宿の廊下で、ナーデは軽く頭を押さえる。
どうも最近、仲間も酒量が増えたみたいだ。
先の見えない戦闘続きで、知らぬ間にストレスが溜まっているのだろう。
それで二日酔いまでいかないのは、さすがは勇者の一行と言うべきか、或いはこれも昨夜のロデリアの「話」のせいなのだろうか……あれはちょっと衝撃的だった。
「ナーデ……珍しいネ。朝からボ~っとして?飲みすぎネ?」
みんな、もう朝食に集まっていた。自分が一番最後……初めてかもしれない。
みんな、タフだな、と思う。
あんな話を聞いたのに、もう普通にしてる。
「おせぇから、先に食ってるぜぇ。」
「勇者殿、いつになったら人並の礼儀を身に着けるのだ。」
「それ、ムリじゃねえか?ナーシア、諦めなって。」
「そうネ。ロディは野生児ネ。」
それでも、いつもの光景……しかし、後になって思い起こせば、この日が転機だった。
「!?外が騒がしいネ。見てくるネ。」
食事の途中で、飛びだしたフィネだ。
さすがは一行の目であり耳である腕利きシーフなのだが、しばらく後の報告が半ば悲鳴まじりだ。
「なんだかでっかい鳥!……金色と赤い羽根の立派な鳥ネ……ロディの親戚ネ?」
そんな巨鳥が州都エーデルンの上と飛び回っている。
もう大騒ぎでなのだ。
「俺様のポリシーカラーに挑戦するとはふてぇ鳥だぁ……食ってやる!ナーデェ、手ごろな火の術式はあるかぁ?」
「勇者様……こんな街中で、ですか?被害ボ~ボ~、非難ゴ~ゴ~ですよ。」
慣れたモノで、少し口をとがらせながら勇者に抗弁する、従者筆頭である(もちろん仲間に押し付けられた)。
日頃の苦労がしのばれる。
「まったくだ。そんなことも気づかぬとは……ああ、先代に申し訳がない。」
そして、こちらはすっかりお小言担当の騎士崩れだ。
もともと固い性格ではあったが、先代にロデリアを任されてからは、ほとんど「ばあや」である。
「でもよ、とっととやっつけねえとそれこそ被害がでっかくなるぜ。……ま、その後退治して恩にきせるって手もあるけどよ。」
口だけである。
ドライそうに見えて、この女蛮族は仕事以外ではけっこう甘い。
既に椅子から腰が半ばいているのがその証拠だ。
「そうネ……あ、動いたネ!」
「後を追えぇ、フィネェ!」
こちらはお気軽な勇者様だ。
それでも仲間への信頼はかなりのモノ。
「鳥の後を追うネ?無茶苦茶ネ!?」
これも口だけである。
この、どう見ても十代の少女は、今や熟練の盗賊兼狩人なのだ。
その追跡能力は近隣でもピカイチ、それこそ他の追随を許さない。
身軽な軽装のまま走りだす彼女を見つけられるものは、ほとんどいない。
「いっちまったかぁ……んじゃ、こっちは手札をそろえに出向くかぁ。」
ニヤニヤと獰猛な笑みを浮かべながら、ロデリアは準備を始める。
いつもの真っ赤な特攻ドレスに、これまた赤いハチマキ、ハイヒール。紅金の髪も輝いている。
赤い手袋に、最近は愛用のトンファーも赤く染めたらしい。
気合はムダに十二分で、エネルギー充填120%である。
「……手札?」
なんとなぁく、とってもなんとなぁく、残ったナーデらをイヤな予感が襲うのだ。
おそらくは、その予感の色も真っ赤っかだろう。
「河竜は、なぜ暴れたんだろう?」
あの日、アキシカ各地で起こった異変。
彼は実は、その出来事を正面から考えることを避けていた。
まともに推理しようとすれば、あっさりと人族の滅亡という結論が待っているようにしか思えない。
確かに、各地の大怪獣や大魔獣が一斉に暴れだせば、この大陸そのものがどうなるか、考えたくもなくなる。
原因の可能性は、人族がもう瑞獣としてあがめなくなった、或いは何かの禁忌を侵した、更に或いは亜人と何らかの契約をした、更には……操られた、とか?
それは、まさかだろうが。
「でも……『生きた森』以外は、あの日以来姿を見せていない……」
南と東の、二匹の河竜。西の山虎。
ただし、一部ではロック鳥が目撃されている。
ロック鳥は、かつての自分の世界では西方のフェニックスと近似種とも言われている。
東方の鳳凰やガルーダの仲間と考える者もいる。
かつてイタリアの貿易商マル子ちゃんはフビライにその羽を贈ったという。
それはヤシの葉に似ているとか。
だが、ロック鳥の羽は、製本・写本業を営む彼の実家では使わないのでピンとこない。
フェニックスの羽なら癒しの力があるはずだが、ロック鳥ではジャンプ力があがるのが精々でだろう?
そんなふうに、なぜか、たまたまロック鳥の考察を始めた彼のもとに、生きた騒動がやってきたのは、共時性の発現であるかもしれず、異世界のことながら草場の影でユング先生が喜んでいるかもしれぬ。
ガタン!バタン!!……ドカ~ンッ!!!
人同士の言い争う声も、本当に争った音も通さない分厚い扉が、いきなりふっ飛んで、過剰な衝撃で巻き上がるホコリ、バラバラはがれ落ちる壁の塗料、あちこち飛び回るワインボトルに食べかけのジャーキー……。
その中から現れたのは……
「よおぉ…‥久しぶりだなぁ、五番弟子ぃ。」
強引の主、勇者ロデリアのヤンキーな笑顔であった。