外伝 その9「……そんなぁ……これならナーデさんたちと一緒にいた方がよかったよ……。」
その9 「……そんなぁ……これならナーデさんたちと一緒にいた方がよかったよ……。」
「ええい、こいつら、ちまちまうっとうしいぜ!」
肉感的な厚めの唇が歪んで、そんなうめきを漏らす。ここは深い森の中である。
オリーブ色の髪に日焼けした肌の女戦士兼狩人が、短弓を捨て、戦斧に持ち替えながら辺りを警戒している。
森林戦が得意のジューネにして、ついグチがもれてしまう。いち早く奇襲を察知したのはいいが、相手の数が多い上に、見慣れぬ亜人は小柄だがなかなか素早い。
五感を大切にするジューネは頭部に防具をつけない主義なのだが、今日の敵のように頭上から執拗に攻撃されると宗旨替えしたくもなろう。
それでも未だかすり傷一つ負ってないのは、以前にもまして発達した勘の良さと俊敏な身のこなしのせいである。
何年も着こなした厚手の革ヨロイ(ハードレザーアーマー)はその動きを妨げない。
みんなはもっといいヤツに新調しろというが、それは当分先になるだろう。
「樹上からの攻撃とは、確かに困った。しかし、所詮は武器を持たぬ者ども、焦らず守りを固めるのだ。」
こちらは防御力重視のナーシアだ。
戦闘を続けることが勝利の条件で、そのためにはまず防御という考えなのだ。
豪奢な金髪の大部分が兜にかくれているが、その美しさは隠しきれない。
しかし、今は普段と勝手が違う。
守る対象が多いため狭い中でも動き回っている。
微かに輝きを帯びた騎士鎧は、「軽量化」「疲労回復」が呪符された新装備である。
いや、手にもつ長剣と盾も魔力を帯びているようだ。
ナーシアは盾を掲げ、呪符された「挑発」を唱えた。
敵の意識を自分に引き付けたのだ。
期待以上に群がる敵の数を数えようとして諦め、浮かびそうになった後悔を首の一振りで打ち消した。
これぞ、騎士の誉れである、と。
まぁ、所詮は騎士崩れなのだが。
「二人とも、もう歳ネ。敵を減らすのはあたいに任せるネ!」
「「うるさい!!」」
栗色の髪は随分伸びて、後ろ髪は黄色いリボンで結ぶようになった。
フィネは、身軽に森を走り回り、右の順手に小剣、左の逆手に短剣を使い分ける。
敵は小柄で軽武装。身軽なフィネにはもってこいの相手である。
短剣に刻まれた「装甲無効」の呪符が鈍く輝き、亜人の胸元を鋭くえぐる。
抜いた刃からその血が飛んで、フィネの革ヨロイに赤い点をつけた。
「もっと硬くても、こいつがあればへっちゃらネ。」
新装備の短剣にキスしたくなるが、さすがに亜人の血に濡れている今は我慢する。
その背後には、木々に隠れて数十人の人族がしゃがみこんだままだ。
悲鳴がもれる。
その多くは子どもだが、中には武装した大人もいて、子どもたちを守っている。
しかし冒険者たちのように慣れている様子ではない。
彼らは一様に赤みを帯びた肌をして、白または明るい灰色の髪をしている。
南方人の特徴である。
その彼らを取り巻く、白銀の巨大な魔法円があり、中央には白い長衣をまとった赤い髪の女性が立っていた。
そのヒスイ色の瞳が見開かれる。
「…………我ナーデ・エレクセルの願に応えよ!『護陣法』!」
「護陣法」。
純粋な魔力を防御力の向上に向ける防御術式である。
難易度は中級でも最高位の一つ。
そして、その効果は、単に防御力を上げるのではなく、敵意をもつ存在そのものを近づけさせないという強力な障壁を発生させる。
強力ゆえに魔力消費が激しいのだが、ナーデはこの術式を範囲拡大して使役している。
ここにいる50人余りの人々を守らなくてはならない。
そういう契約だ。
半ばボランティア、というのは、プロ意識の高い彼女らは決して口にはしないのだが。
「みんな、安心して!必ずお姉さんたちがみんなを守ってあげるからね!」
こんな面倒な仕事をひき受けたのは、決して彼女の特殊な趣味が動機ではないはずである。
例えその目がもっぱら少年たちに向かっていたとしても。
「めんどくせえなぁ、おいナーデェ、ここはこの勇者ロデリア様が」
「やめろ!」
「よすがいい。」
「絶対だめネ!」
「後始末する身になってください!それにあなたは修行中の身、先代世界樹の力に頼り過ぎてはいけません。」
仲間の総スカンをくらい、口をとがらせる勇者は、よく言っても反抗期の不良少女、というよりやはりヤンキーである。
真っ赤なドレスが特攻服にすら見える。
それでも赤い両手の手袋に握られたのは施棍である。
どうやら武器を使うことを覚えたらしく、これでも進歩したと言える。
素手でのケンカ殺法からトンファーに切り替えたのは、「打つ」「突く」「払う」「絡める」「受ける」という攻防一体の自由度だ。
その手首を返しトンファーを回したロデリアは、頭上からとびかかる亜人の腹を、伸ばしたトンファーの先で突きあげた。
それがカウンターになり、トンファーが腹を突き刺し貫通する。
結果、その場には内臓がまき散らされた。
ニヤリ。
浴びた血しぶきの中、ロデリアは唇に飛んだ血をなめる。
いや、これでは「トンファーバトン」として対象を無傷で確保するために、と採用しているアメリカ各地の警察が泣くであろう。
「ところでなんだい、こいつらぁ?」
その後ろで彼女にとびかかった亜人を、槍の一突きで討ち取る少年に向けた言葉だ。
これはこれで息が合っているらしい。
「こいつら?ゴブリンの亜種、ボーグルかな。どちらかって言うと温暖な地は苦手なはずなので、こいつらも中央や北方に向かって移動してるのかもしれないね。」
ボーグルは、知能はゴブリンより低く、言語も未発達である。
そのせいかろくに武器を使わず、手足の鋭い爪を武器とする。
小柄で敏捷な上に体力は高い。
加えて得意なのは樹上からの様々な攻撃である。
木の枝にぶら下がり後ろ足の鋭い爪でひっかいたり、逆に足で枝をつかんで手の爪で攻撃したり、木々を飛び回っての頭上からの変則攻撃は、手練れの冒険者すら手を焼かせる。
挙句に、スキを見せれば上からとびかかってとどめを刺しにくる。
「しかも僕はこういうの、苦手ですよ。」
少年は、まったく背が伸びていない。
もうすぐ18歳とは誰も思えないだろう。
「へっ。いい加減、そのゴノセン以外の戦い方も覚えろよぉ。俺なんか、素手ゴロは卒業したぜぇ。」
頭上からの攻撃を左のトンファーの覆いで受けたロデリアは、そのままボーグルを引きずりろし、踏みつけ悶絶させる。
確かにこういう多方面複数の敵にはロデリアのストリートファイト(なんでもあり)的な戦い方の方が向いているであろう。
槍で、しかもタイミングを計って戦う少年は危うく背中をひっかかれるところであった。
更に頭上からもう一体のボーグルが落ちてくる。
慌てて飛びさがった少年に、やはり樹上から声が投げかけられた。
「相変わらず、頼りないネ。アントも守りに入るネ。」
「おめえも、すっかりレンジャー(田舎者)だなぁ?シーフ(都会住まい)は廃業かぁ?」
「うるさいネ!ずっとダンジョンもシティアドベンチャーもご無沙汰だから仕方ないネ!」
「へっへっへ……おい、アント、おめえも守り手だとよぉ。」
「だけど、せっかくナーデさんが頑張ってこんな大技で守ってるんだ。ナーデさんの魔力が尽きる前に敵を追い払わなきゃ!」
「アントくん、お姉さんの心配してくれるの!うれしいわ!」
最近は少年よりも年下の……要は「どストライク」な年代の少年たちも増えたせいで目移りしていたナーデだが、相変わらず小柄で危なっかしい少年もまだ守備範囲らしい。
「でも、この戦局じゃ、アントくんの言う通り、攻め手が足りないわ。守りはわたし、ジューネ、ナーシア、勇者様。これで充分。」
ナーデは髪から髪飾りを外した。
蒼い実がついた木の髪飾りは、花をあしらっているようだ。
そして、「敵検知」で見つけていた標的に向け、ナーデはそれを投げつける。
「開いて!『森の道!』」
叫びと共に、ナーデが指した森が一斉に裂けた!
木が、草がまるで意志を持って動いたように場所を開け、2mほどの道をつくったのである。
「ええ!?こんな術式初めてみたよすごいよナーデさんこれってどういう系列の術なの!」
「今は、いいから!」
「後にするネ!」
もう道を進むばかりかクルリと背を向けてナーデに向かう少年を、慌てて引き戻すフィネである。
ナーデは頭を抱えている。
「俺様が呪符してやったんだよぉ。後で教えてやっから今は行きやがれぇ!」
群がるボーグルをトンファーで叩き、突き、払い、おまけにスカートを気にせず蹴り上げたハイヒールのつま先は、飛び降りたボーグルの水月に突き刺さり、その中身をぶちまけた。
近くでその有様をみてしまった南方人の純情な少年は、今夜うなされることになるであろう。
いろんな意味で。
「あなたとフィネで敵のボスをやっちゃって!」
「ちぇ。ナーデェ、俺様はぁ?」
「勇者様がいないと、味方の士気が下がります。」
嘘である。
離れた位置で奮戦しているジューネとナーシアも「ここは任せて、さっさと行ってくれ」と願っている。
しかし冷静に戦局をみるナーデからすれば、いつもと状況が違うのだ。群がる敵を防ぐには、ジューネたちの戦闘力は不可欠だが、この乱戦ではロデリアもなかなか強い。
しかし、少数で敵を突破して大物を狩るには、身軽な二人が最適なのだ。
そしてこれ以上戦力はさけない。
しかし、素直に言って聞くロデリアではないのだ。
「あなたがいるから、子どもたちもここでこらえているんです!みんながあなたを見て、勇気づけられているんですよ、勇者様!」
結果、こんな言い訳で勇者を気分のいいまま納得させたナーデである。
決して腹黒で仲間をいい様に操っているわけではない。
が、こんな問題だらけの一行では、少々の詐略は許されよう。
もともといた仲間はまだしも、半ば軍を追い出されたような問題二等兵と、うかつに力を発揮すれば地形が変わりかねない暴走ヤンキーがいる。
何より、南方大陸で生き残った集団……正確にはその一部……を率いた旅である。
1年半以上かかった大冒険を、こんなところで終らせるわけにはいかないのだ。
王国暦400年の12月。
少年はもうすぐ18歳になり、兵役期間の二年を終えるころである。
ここはアキシカ地方に近い、アルデウス大森林の最北端だ。
ナーデたちは、1年以上もの間、南方の黄金帝国で幾多の冒険をこなしていった。
そして、この地では絶滅したはずの人族が、未だ隠れ生きのびていることを知った彼女らは、彼らの集落を見つけ接触したのである。
しかし、今のままでは、いつ亜人や魔獣に襲われ全滅するかもしれない。
そこで、一部の志願する者たちを南方大陸から脱出させる計画が持ち上がった。
およそ三か月はかかる危険な仕事。
多くの冒険で財貨を得た彼女らにとってはさほど大きな報酬ではない。
それでも、彼女らは引き受けたのだ。
「ああ、もう、有象無象が次々やってくるネ」
「すごいやフィネネさん、有象無象なんて難しい言葉知ってたんだね。」
「あんた……いい加減あたいの名前くらい覚えろ!」
「え?フィネネさんでしょ?」
「フィネ、ネ!」
敵を目の前に言い争いを続ける少年とフィネなのだが、正面と頭上の敵を少年が、左右の敵はフィネが瞬殺し、ナーデが作った森の道にそって血路までも拓いていく。
「あいつネ!」
「……なんだ、ただでかいだけじゃないか。このボーグル種は小柄で樹上攻撃があるから厄介なんであって、ただでかいだけのボーグルじゃ、ゴブリン以下だよ。」
「大口叩くネ!なら自分でやるネ!」
「うん。でも……ymhsr?」
「何やってるネ!?」
大木の前で立っている大きなボーグル……とは言えせいぜい人族並……の前で、わざわざ立ち止まり、話しかける少年にフィネは切れかかった。
「だって、ボスならひょっとしてゴブリン語くらい話せるかなって……うわぁ!」
当然ことであるが、ボスボーグルは自分たちの縄張りを侵す人族に親愛を示そうとはしなかった。
代わりに手に持っていた棍棒を振るい……一瞬の後、どさりと音を立てて倒れた。
「あ~あ……やっちゃった。非暴力主義の僕としては、ちゃんと話をしたかったのにな。」
手に持つ槍の血を振るって落としながらも、悄然とうなだれる少年である。
「お前、ホントに懲りないネ。」
フィネに言わせれば、南方大陸最弱種を見逃してくれる亜人なぞいるわけないし、一度争いが始まったら、話し合いが始まるのは戦い終わった後だけなのだ。
この少年はいろんなことを知ってるくせに未だ学習しない愚か者だ。
つける薬はない。
「ま、ぶれないところは、らしいけど……ネ。」
「おっ、やったじゃねえかぁ。さすが勇者ロデリアの……四番弟子と五番弟子だぁ!」
「あたいらが、いつ弟子になったネ!」
「それだと、どっちが五番目なんです?」
「アント坊や、おめえ、突っ込むところ、そこかよ。」
「勇者殿。そこで指を折って数えなくてはならないとは……これではあなたの世話を仰せつかった先代に申し訳がない。以後、少年に師事して算術も学ぶがよかろう。」
「はいはい、みんなお疲れ様。それじゃ、先を急ぐわよ。」
もうすぐ大森林を抜ける。
そしてグラデ川を渡れば、そこはアキシカなのだ。
一行は南方人を率いて、旅を再開した。
これが、ナーデら一行と少年の、南方大陸探索の最後の冒険となった。
それから1週間後……。
「「「「「「乾杯!!!!!!」」」」」」
ここはアキシカ州都エーデルンである。
場末の酒場ではあるが、酒も料理も悪くない。
何より小部屋の貸し切りができるので、他の酔っ払いが絡んでくることなく安心して騒げる。
女4人で活動していたころからの馴染みの店だ。
「こんな手の込んだ料理は久しぶりネ!」
大きなテーブル一杯に並ぶ料理は、ありふれた羊肉の串焼き、豚肉の腸詰、蒸したイモ、焼きトウモロコシなどであるが、そもそも人里から離れていた一行にすれば涙が出る。
いや、フィネはよだれが出てる。
18歳の娘盛りが台無しである(自称永遠の17歳)が、そんなことを気にする者は、本人を含めて誰もいない。
「ここに来るのも二年ぶりかよ。マスターに『生きてたのか』って驚かれたぜ。あれが、ゾンビを見る目ってヤツか?」
ジューネももうすぐ22歳になるが、もともと大人びて見えたせいか、外見はまったく変わらない。
が、グビグビと喉を鳴らしてうまそうにエール(麦酒)を仰ぐ様はかなりおっさんくさい。
「ぷはぁ」っともれる息がひときわ大きく響く。陶器の大杯はもうカラだ。
「ふふふ。それも仕方あるまい……随分ご無沙汰でしたから。」
こちらもくつろいだナーシアだ。
今日は珍しく女性らしい普段着で、むしろ年より若く、二十歳前に見える。
実は以前ナーデに「身も心も固いだけ」と言われたことを、まだ根に持っているらしい。
しかし、今は彼女本来の気品と美貌が際だって、意外なほど柔らかい雰囲気を醸し出している。
それを口に出して褒める者がこの場にいないのが残念だ。
「そうね……アントくんも勇者様も、ここ初めてだね。どんどん飲んで食べて!」
一行のリーダーこそ表向き勇者ロデリアに変わったが、冒険の指揮や物資の手配、金品の管理に宴会の幹事まで、実質しきるのは相変わらずナーデだった。
気苦労の多くも背負っている。
それでもそんなことは微塵も見せず、笑顔で明るくふるまう健気さである。
2年近くにわたる大冒険なぞ、まったくなかったかのように、変わらない。
今日も白の長衣だが、汚れに強くなるよう覚えたての「保護」を使っているのは内緒だ。
「……はい。いただいてます。」
そして、こういう場が大の苦手の少年である。
相変わらず人嫌いで女性は苦手だが、仲間に対してのみ大いに改善した。
それでも宴会はダメ。
にぎやかに飲食する場では未だに大人しく、借りて来たネコのようにワインを飲んでいる。
それでも今日参加したのは、これが最期だからだ。
ただ、この地でのワイン造りは、気候的に不向きで、すぐに王国産ワインかコーン・ウイスキーに切り替えることになるだろう。
このアキシカでは、バーボンよりもトウモロコシを多量に使うコーン・ウイスキーを熟成させずに飲むことが多い。
その色は無色透明である。
アルコール度数80%近いものもあり荒々しいが、後味にトウモロコシの甘みが残る。
もっとも最近ではアルコール度数を半分くらいに抑え、熟成してから出荷することもあり、この店ではそちらも置いている。
これは原料の風味が残り、やや上品と言われている。
「おい、おめえ、もっと飲めよぉ……俺様の酒が飲めねえってかぁ?」
こちらは早々にワイン(水で割ってる)でトラとなったロデリアだ。
もう15歳であるから、この世界の王国では成人で、問題はない。
問題は、酒癖が悪いことで、普段からヤンキーじみた言動なので、さほど目立たないのが幸いだが、それでも少々人に絡む。
そして、だいたい真っ先につぶれる。
「しっかし……いろいろあったな。」
案の定、つぶれたロデリアを横目に、しみじみとジューネがつぶやく。
邪白竜とすら戦い、これを打ち倒した一行だ。
ギルドには証拠の竜骨の換金と共に正式に「ドラゴンスレイヤー」の申請をしている。
南方探検で彼女が受けた唯一の深手はその時の戦いだった。
「これ、せいぜい若いエルダー種です」などと少年が呟いた時は、みんな一斉に不満の声を挙げたものだ。
その竜の巣で、彼は「エンシェント種になるとヘクストスに飛び立つんです。その謎は、まだわかりませんが、この地では成長速度が異常に早いですね」などと、ほうっておけばこのまま研究を続ける勢いで、ナーシアが殴って気絶させ、ようやく引き上げたほどだった。
「そうだな。先代と共に戦えたのは、一生の宝です。」
なにしろ第12代異世界勇者ラルバと肩を並べたのだ。
あの「青の血風」と!
その深蒼色のヨロイ姿で両手の鉄鞭を振りまわし、数百の敵に単身飛び込む男である。
あんな無謀はもうコリゴリという表情を隠しもしない仲間に全く気付かず、一人もの思いに向けるナーシアだ。
彼女はその後もラルバに同行するつもりだったのだが、ラルバ本人に「未熟な当代を育ててくれ!」と熱く懇願されて諦めたのだ。
仲間が……特にジューネが……ヒヤヒヤしていたことなぞ、欠片も気づかぬそぶりであった。
「でも、何より黄金宮殿だよネ!金がたっくさん!」
人影のない廃墟にたたずむ無人の宮殿は、確かに黄金であった。
地下に隠されていた財宝を見つけたからよかったものの、さもなくばフィネは宮殿の建材をはがしまくっていたであろう。
いや、「次に来たときは絶対はがすネ」と未練タラタラだ。
「それにネ!ナーデが魔術で宝物をたくさん運べるって聞いて驚いたネ!」
「あれは、アントくんが、空間系や重力系の術式にも詳しくて、『収納庫』なんて珍しい術式を解読してくれたからよ。」
錬金術に、南方系の珍しい魔術。その秘術や秘法が多数発見された。
しかもナーデがうかつにも気づかないことを少年は見つけ出し、しかも古代魔法文字をやすやすと解読してみせた。
ちなみに英米語のマガジンはもともと「倉庫」「武器庫」という意味が強かった。
「雑誌」という意味になったのは、1731年創刊の英国の総合文化雑誌「ジェントルマンズ・マガジン」の影響と言われている。
「ねえ、ここだけの話、ホントにいいの?わたしたちの発見した財宝、軍に報告しなくて?」
「報告しますよ。見える分には。」
見つけた財宝は本来山分け。これがナーデたち仲間のルールだった。
少年にもその莫大な財産が分配されたのだが、彼はその取り分を軍に報告するという。
南方大陸の偵察という、彼本来の任務には最後まで忠実で、その報告書は、偏執的なまでに正確で詳細だ。
「だから、隠れててわかんない不正確なものは報告しません。あくまで、僕の手元にある、正確なモノだけが、南方探検の成果です……それだって莫大なモノだし。」
と言いながらも、実は南方の遺跡で発見した書物や巻物はすっかり要約を終えて、自分の頭の中に入れている。
実物は軍に報告しても価値がわかってもらえないので、スクロール以外は提出しない。
「それに、僕にとってはみなさんから学んだことも、負けず劣らず価値があったんです。」
ジューネに学んだ動植物の活用法、ナーシアに教えられた戦闘術、フィネの真似をして身に着けた解錠や探索法、ナーデが行使するエーデルン派の術式、なぜかロデリアが異様に詳しい植物系の精霊魔術と知識……。
「ホント、海外じゃディスクワークよりフィールドワークが評価されるってのがよくわかりますよ。」
自分自身で活用もしない上に、五感を使わない学問の危うさを改めて感じた少年だ。
出世のために発達した学問と、真理の探究は大いに違うことを痛感させられたのだ。
このひきこもり気質の少年にとっても、それは貴重な、何より楽しいと思える日々だった。
「そういや、ナーデ、南方の坊やたちに手をつけてねえだろうな?」
「それはさすがに許せんぞ。まさか!?」
「商品に手を付けるのは信用にかかわるネ!」
「あんたたち、人を何だと思ってるのよ!ちゃんと最後まで見送ったわよ!」
50余人の南方人は、このまま北上し王国本土に入る手はずだ。
ギルドに話は通している。
実は彼女らが請け負った報酬のほとんどは、ギルドを通して彼らを王国まで逃れさせる費用に回しているのだ。
「ホントかネ?なにしろナーデは特殊な趣味の持ち主ネ!」
「誰にだって捨てきれない欲くらいあるだろうしな?」
「何しろ貴公は公私混同も過ぎる。」
かなり酒もまわったせいか、席の雰囲気も少々荒れて来たようだ。
「あんたたち……どうせ、ジューネは道中イケメンに会えなくて欲求不満だし、ナーシアはラルバ様に振られて寂しいだけだし、フィネにいたってはもうすぐ18になるのに全然その気配もないお子様だからって、私に当たらないで!」
「……おめえ、言っちゃいけねえことを!」
「私は振られてなどおらん!」
「年中子ども相手にサカってるのが大人かよ!」
「え~ん、アントくぅん、みんながいじめるの!」
これが最期とばかり、堂々と抱きついて来るナーデに、少年は思いっ切り硬直してしまう。
酔っているせいか、赤い頬にワインの香りが漂うナーデは、いつもの清楚な姿より数段色っぽい。
「「「そんなことするから疑われるんだ!!!」」」
仲間の声もそろってなかなかに騒がしい。
そこにボソッ。
「おい……なんでおめえ、軍に戻るんだよぉ……俺たちと一緒はイヤなんかぁ?」
つぶれていたはずのロデリアがむっくと起き上がり、目の前の残ったワインを飲み干した。
「このロデリア様の従者なら、軍だって脱走扱いしねえし、一生面倒くらい見てやるぜぇ?」
シ~ン。
にぎやかだった席に沈黙が下りた。
ジューネとフィネは気まずげに席に座り、ナーシアも口をへの字に結ぶ。
ナーデもまた、少年から離れて、その表情をうかがうのだ。
「今日の料理はうめえけど、旅の途中でおめえがつくった食いもんも、俺様はけっこう気に入ってたんだぜぇ……野山で食える物や薬もよく覚えたし、難しい罠や謎解き(リドル)でも随分救われたぁ……ヘタレてるくせにいい腕してるしぃ……」
1年半以上もの間、生死を共にした一行だ。
女の中に男が一人状態では、ハーレムどころか下僕のように酷使されることも多かった。
また、もともと人なれしない少年は、仲間と打ち解けるまで時間がかかった上に、打ち解けてからもトラブルが絶えなかった。
「それでも……一緒にやってきたじゃねえかぁ……なんで……」
ロデリアは酒が弱い。
それでも小さな杯を飲み干しては、ワインをついで、また飲み干す。
ナーデがワインを水でわったものに代えようとするが、首を振られて諦めた。
「すみません。ですが……兵役が終わるまでには戻らないと。家族が待ってるんです。」
一周まわっての原則論。
振出しに戻った少年だが、今度はもう決めている。
「もともと戦うのはキライだし。だから兵役を延長する気はなかったし。それでも……二年間の兵役の大部分をみなさんと一緒にいられて……」
後は言葉にならなかった。
うつむいて肩を震わせる。
「ちぇ……しらけちまったぜ。でもな、アント坊や。俺も楽しかったぜ。今度会う時は、いい男になってなよ。」
ジューネは立ち上がり、少年の杯にワインをついだ。
それを一息に飲み干す少年。
ワインはなぜか少しょっぱかった。
「それは努力しますけど、僕、身長はもう伸びないんじゃないかなぁ、成長期も終わったと思うし。」
「ならば、筋肉だ!体を鍛えるのだ。筋肉は一生成長するぞ!」
続いてナーシアもワインをついだ。
そんな筋肉趣味全開の様は、さっき「公私混同」がどうとか言った口とは思えない。
「そう言えば少年よ、実家はヘクストスの近くだったな。ならば帰りにでも私の実家、デルミーヒッシュ家に伝えてくれ。私は元気でやってるとな。」
そしてその肩を叩くナーシアだが、
「ええ?ナーシアさんの実家って上位の騎士のお家ですよね!僕にはちょっと敷居が高いですよ……」
「ふ。気が向いたらでよい。」
少しさびしげではあった。
「アント、あたいの技盗みやがって……うかつにその技見せたら、盗賊ギルドに目を付けられるネ。」
知識や技術の独占は、中世社会の特徴であろうか。
ヨソモンには内緒な飯のタネなのだ。
「そんなに大したことはできませんけど……でも気を付けます。フィネネさん。」
「最後までそれネ……まぁ、いいネ。お前にはフィネネ、ネ。」
「ええっ、フィネネネさんだったんですか!?すみません、今まで間違えて呼んでて!」
「いい加減にしやがれ!」
事情を知る一同の失笑が響く。
それは次第に大きくなって、いつしか爆笑に変わった。
フィネも、それに加わっている。首をかしげるのは、少年だけだ。
「あ~あ……ホントに今日でお別れか。」
「ナーデさんたちは、もう軍の仕事は請け負わないんですよね。」
「徴用されないよう、もう軍には近寄らないようにするわ。でも勇者ロデリアの一行だから、まずそんなことはないだろうけどね。」
勇者への敬意は民衆の間に深く根差している。
いかな軍であっても、また知名度皆無であったとしても、勇者の一行に強権を発動することはまずありえない。
「だからアントくん、もしもの時はいつでも会いに来てね……。」
珍しいことに、少年はぐっと近づくナーデの目をそらさず、まっすぐ見つめ返した。
「ええっと……ナーデさんの瞳、透きとおった明るいヒスイ色……涼やかな森林みたいで、とってもきれいです。ずっと素敵な色だって思ってました。」
「……ありがとう。私が地味な色って気にしてたの、憶えてた?最後の最後に……うれしい。」
ナーデは少年の左頬にそっと口づけをした。
今までここまでの親愛の表現を避けていた少年も、最後のキスは真っ赤になりながらも受け入れ、場を大いに湧かした。
「男ならそのまま最後までやっちまえ!」
「貴公は品がないな……ま、最後くらいは羽目をはずすもやむなしだが。」
「え?んじゃ、ナーシアが相手するネ?」
「なんでそうなるのだ!?」
「だめよ、アントくんの初めては安売りさせないわ!」
「いや!あの!僕はDT聖人を貫いて、次の転生こそ魔法使いになるって願掛けをしてるんです!」
「阿呆、そんなバカな願掛けなんか、今すぐ捨てっちまえ!なぁ、ナーデ!」
「う~ん……さすがにここじゃダメなの。アントくん、お姉さんとこのまま出かけましょう!」
ここは彼女らが通うだけあって、飲食専門である。
世間でありがちな、二階が連れ込み宿になっているわけではない。
「おお、ついに毒牙にかけるのか!」
「何が毒牙よ!大人にしてあげるだけよ!」
「うわぁ……年増の生々しい会話ネ。」
「「だれが年増だ!!」」
「なんならおめえも交じって来いよ、マダなんだろ?」
「ぎゃああああ、何言うのよ!この色ぼけアマゾネス!」
いくら小部屋でも「静寂」も「防音」をかけずにこうも騒ぎまくれば、さすがに迷惑であろう。
店員が食後の果実を持ってきながら「お静かにお願いします」と泣き顔だ。
追い出されずに済んだのはカオなじみの上に果実なんて高級品まで頼む上客だからだ。
「ちぇ……俺様の従者が一人減かぁ……おめえ、つまんねえとこで死ぬんじゃねえぞぉ!」
この声で最後の乾杯が終わり、少年は一人、酒場を去った。
結局コーン・ウイスキーに手を出したが、足取りにも酒に酔った様子がまるでない。
もともと強い上に、飲んだ気がしない、そんな気分だったのだろう。
それでも
「今日は……ううん、今まで、ホントに楽しかったです!」
その言葉にウソはなかった。
原隊にもどることになる、と思っていた少年だが、それでも兵役の延長はしないとはっきり申請した。
事情がない限り、大部分の兵士がそうする。
その後、数日の間エーデルンの軍営地に待機させられた。
南方偵察の報告書について、詳細な事実確認を求められたのだ。
その間、情報部の参謀相手にほぼ軟禁生活であり、さすがに軍に戻ったことを後悔したものだ。
それでも彼は「それだけ自分の報告を重視してくれてるんだろう」と思って自らを慰めている。
ちなみに王国軍参謀府では、優秀と評価された人材は作戦担当に、評価の低い人材は情報担当にまわす習慣があり、まるで旧日本軍参謀本部のようで、情報の価値に気づくのは、なかなか難事業のようであった。
加えてアキシカの攻防と直接関わりのない特殊な偵察任務ではある。
そのせいか、軍の任務として事務的に真偽を確信した後、実は少年の提出した南方探検の記録は長く死蔵されることになるのだ。
年が明けた。
少年は原隊の東部戦域第9師団ではなく、州都アキシカで新年を迎え18歳になった。
「どうやら戦地に赴くことなく、無事退役できそうだな」なんて考えていた。
今月中には、2年間の兵役を終え、帰郷の手続きも終えるだろう。
「第11師団!?」
そんな時に、いきなりの配属命令である。
「僕の兵役はもうすぐ終わりですよ!どういうことですか!?」
なにしろ軍務を理解したがらない少年は、アキシカ地方の現状すらろくに把握していない。
この後、担当官やら少ない知人やらに聞きまくるのだが、この事態は、今年元日の南方軍総司令部から出された布告が大いにかかわっている。
「現在、アキシカ州をめぐるトロウル戦役において、我が南方軍は新たな局面を迎えている。」
王国の属州アキシカで最も大きな川は、その州南部を東西に横断するグラデ川であるが、もう一つ、それに次ぐ大河を挙げれば、王国本土の最南部ロブナル山脈を源流とするリブロという川が挙げられる。
リブロ川は、アキシカ東部を南北に縦断し、これがバルボアと言う地でグラデ川と合流、その後、東のケール湾に注いでいた。
このグラデ川とリブロ川こそが、アキシカの水運の要としてこの地の人族の物流を支えていたのだ。
が、11年前の「アルデウスの悪夢」とその後の戦乱でグラデ川流域が亜人の勢力圏になって以来、リザードマンや半魚人などが数多く住み着くようになったのは以前もお話した通りである。
そして、昨年、つまりは王国暦400年の秋以降、アキシカ東部に大きな動きがあった。
大河の合流地点にあるバルボア市が、亜人の大群に包囲されたのである。
バルボア市は二つの大河の合流地点にある河川港であり、未だアキシカ州の水軍最大の拠点であると同時に水棲の亜人がリブロ川を北上することをけん制していた要地でもあった。
そのバルボア市が包囲されたことによって、リブロ川の支配権が侵され、その水運を失ったばかりか、東部域内の川を越えての往来が停止してしまったのである。
なにしろなまじ大河であり、よほどの上流以外は橋がない。
当然、総司令部でもバルボア市防衛とリブロ川流域奪還は最重要課題となった。
「東部域の海岸部、それはアキシカ全体の二割を占めるのだぞ!」
「現在、海岸部の住民とは連絡不能!」
「当市には、第9師団第三連隊が駐屯、防戦中です。食料ほか、物資は充分のはずです。」
「第9師団本隊は東部域中央のラグス市一帯の維持におわれ、バルボア市解放、リブロ川東部に向かう余力はありません!」
不幸中の幸いであろうか、バルボアは堅牢な城塞都市で、また、この地は新種のトロウルの生存には向かないらしく、バルボアを囲む敵の主力はオークと半魚人の群れであった。
カタパルト以上の威力を持つトロウル擲弾兵が不在。
それゆえ戦いは長期戦に及んだ。
そして、援軍として派遣された第3師団が、ゴブリン・オーガ・トロウル連合と遭遇し(待ち伏せされた、という認識がない)、その餌食となったのである。
南方軍は、亜人が行った高度な作戦と種族間の連携に、大いに動揺した。
アキシカに配属される10個師団のなかで、司令部直轄の部隊は、州都エーデルンに駐留する第1~4師団。
理想を言えば、別方面への予備戦力と州都防衛の最低二個師団はエーデルンに駐留が必要だ。
残る一個師団では第3師団の二の舞になりかねない。
加えて、運悪く(もちろん運である。亜人が時期を狙うわけがない、と考えている)、南方軍では軍の再編成が始まる時期であった。
そんな中、ついに総司令部は決断した。
「現在までこのアキシカ州各地に配備される10個師団に加え、新たな第11師団を編制し、その上で東部域の解放作戦を実行する。なお、一月現在、第1~第10各師団は兵役を終える者も多く、その入れ代わりのため再編成に入る時期であるが、今年度は非常事態であり、それを延期する!」
ここ数年、兵の損耗が急増し、その補充に追われる各師団は、通常一月~四月まで再編成と再訓練に追われていた(実際には少年の部隊のように更に短縮していた所もある)。
そして今年は除隊そのものを延期することで、各部隊をそのまま維持する、と布告したのである。
「なお、第11師団は、現在編成中の歩兵連隊を中心とし、これを東部域へ派遣する軍に加える。仮にこれを東部派遣軍と呼称する。軍の主力は、第2師団であり、第11師団は、その支援にあたるものとする。」
そして、実戦配備される部隊は、実際には兵役期間が自動的に2年延長されることになる。
さきの「新種の亜人」に関わる中央への進言に加え、南方軍が独自の判断で師団を新設し、兵役を自動延長したことは、王国政府ならび中央軍と、南方軍との溝をさらに深めた。
「……そんなぁ……これならナーデさんたちと一緒にいた方がよかったよ……。」
そんな後悔は手遅れなのである。
少年の決断は、だいたいこんな風に、いつも本人の意図しない方向にドンドン流れていくのだ。
しかも、事態は更に動く。
「第11師団は、未だ編成中である。しかし、戦況は予断を許さない。そこで、師団としての編成が終わる前に、編成を終えた歩兵連隊を中心に戦闘団として諸君を送り出すことになった。」
戦闘団とは、師団という独立した戦闘単位を分割し、その配下に他兵科混合の各部隊を柔軟に所属させた独立部隊である。
同一兵科の連隊が集まれば旅団、となるところだが他兵科混合、というところがミソと言える。
少年の所属するゼルベードルン戦闘団は、一個歩兵連隊(連隊長=戦闘団長)約3000人を中心に、魔法兵を配備した特務大隊約1200人、南方では希少な騎兵大隊約800騎、現地徴用兵を加えた傭兵約200人、一個工兵中隊200人に、リンデルヘーグ騎士団20人まで配備されている。
なお騎士団には騎士1人につき従士3人が加わり、実質では精鋭80人となる。
当然ながら騎士は貴族や騎士といった階級で占められ、中には王家の者もいたのである。
それゆえ、彼らの意識としては、騎士団が「主」で、戦闘団が「従」となる。
王国暦401年2月初め。
「第11師団所属、ゼルベードルン戦闘団、出陣!」
未だ編成中の11師団である。
その、名前だけの師団長から、指揮官の証である「将帥剣」を預かったゼルベードルン中佐は、その将帥剣を振り下ろし麾下の部隊に進軍を命じた。
少年はしばらくぶりに兜をかぶらされ、盾を持たされた。
相変わらずの小柄な体には荷が重い。
さっそく遅れがちになる。
そんな時、彼の盾が何者かに奪われた。
「アントと言ったな。上官として釘をさしておくが、特務大隊所属第2中隊の一員としてこれ以上手を焼かせるな。……だが、ま、これはお前には荷が重そうだがな。」
2m近くはあろう、長身の軍曹、分隊長である。
名をリーチと言う。
もとは由緒ある家の出らしいが、事情があるらしく家名を名乗らない、というのは少年が知らないだけの公然の秘密である。
厳格そうな顔立ちだが、言葉にも顔にも似合わない苦笑いを浮かべている。
「……勝手に兵役を延長して、挙句に最前線に転属?僕の人権はどこにあるやら。基本的人権の尊重バンザイだよ、まったく。」
今更ながらの第11条礼賛である。
聞いてる軍曹には人権の概念がなく、上官を前にこの言葉遣い、と首をしかめた。
が、それにとどめた、言えるとも寛大さだ。
普通は殴る。
「おまけに僕は昇進なんか希望してないのに、勝手に昇進させようとするのが間違ってるんだ!」
本来、少年は軍務を終えての帰還であり、これが認められれば昇進は当然。
加えて兵役を延長されたものは自動的に一階級昇進となっている。
そもそも軍という階級社会内で昇進を拒むというシステムがないし、当然そんな異常者は理解されない、
「よくわからないが、昇進がイヤで、わざと懲罰をくらって取り消された、というのは本当のようだな……噂通り変なヤツだ。」
それも二度も、である。
結果少年は兵役3年目にして未だ部隊最下級の二等兵である。
編成と訓練を終えたばかりのド新兵と同じ階級なのだ。
二等兵としては最先任とも言えるが、どうせすぐに追い抜かれるであろう。
「……わかってもらうとは思わないよ。ただ、僕は人に『死ね』と命令されることは諦めたけど、人に『死ね』なんて命令できない。誰かに死を強制するなんて絶対にイヤだ。それくらいなら理不尽な命令に従ってた方がマシさ。」
まるでわからない、というように手を広げ肩をすくめるリーチ軍曹だが、そのまま盾を持ってくれるらしい。
彼が知ってる中では珍しく、親切な上官である。
まだ若く、20代半ばほどであろう。
「ま、この訳あり小隊でも、お前は貴重な戦力だ。転属前の記録を見た時は目を疑ったし、正直今でも疑わしいがな。あの戦果が本当なら、とっくに下士官だぞ。そこそこアテにしている。」
晴れた空の下、5000人以上の軍勢が、土埃を上げて進む。
南方の地には珍しく、馬も多いせいで、舗装された道路には、ところどころ馬糞が落ちている。
慌ててサンダル踏む位置を変更し、
「やれやれ。僕の人生はどうなるのやら。」
と、ぼやくだけだ。
まぁ、こんな感じで、少年の二期目の兵役はわりと突発的に始まるのである。
その終わりとは裏腹に。