外伝 その6「え?それ、勇者が言うセリフじゃないよね?」
その6「え?それ、勇者が言うセリフじゃないよね?」
異世界勇者。
この世界には異世界からの転移者や転生者が存在する。
「勇者」とは、その中でも特に強力な力を持ち、かつ人族の守護者として戦う者に送られる称号である。
亜人による侵略とほぼ同じころから、この世界には異世界からの人族やヒト種の転移が見られるようになった。
さらにそれに前後して、異世界の記憶をもったまま生まれ変わったと思われる事例も発生したのだ。
しかし、その能力は千差万別。
多くの転移・転生者は、もとの世界での力や知識を行使するだけであり、中にはこの世界の人間と同程度、或いはそれ以下の者もいる。
一方、一個人としてはありえないほどの力を振るい、この世界の超人的な能力者を超越する者もいる。
転移現象が始まった初期には、多くの異世界出身者とこの世界の超人たちが争うような事態もあったという。
その中で、異世界出身者たちも自然にある種のルール作りを始め出した。
その一つが「勇者」の襲名制である。
最初に「勇者」と呼ばれたのは、「黄金竜の御使い」ゴルディアードという少年だった。
彼はこの世界の聖獣「黄金竜」に認められ、世界の守護者「勇者」の称号を得たのだ。
そして、「黄金竜」の「次の勇者は自分で見出し鍛えよ」というお告げに従い、「全壊の滅空師」シュダラドを二代目に任命したのである。
これによって「勇者」を名乗るような力と信義を持つ者は、「勇者」本人に認められなければならない、というシステムが出来上がった。
こうして「勇者」の称号は代々受け継がれるようになったのだ。
しかし、勇者の襲名が始まって80年足らず。
その中で当代の勇者が13代目であるから、その一代は決して長くはない。
そして、数ある勇者の中でも史上最強と謳われたのが、後のロデリアである。
今、ジューネとナーシアは、この「勇者」を目前にしているわけだが、実はこの時期、ロデリアは襲名したばかりで知名度が低い。
転移して一年もたたないうちに、この南方戦線の乱戦に巻き込まれ、その力と義侠心を先代に買われたのはいいが、先代は襲名のご披露を盛大にする前にさっさと引退し、悠々自適の冒険生活に戻ってしまったのである。
だから、このド派手で、見ようによっては特攻服に見えなくもない衣装……真っ赤なドレスで背中に金の竜の刺繍……は、彼女なりの必死のアピールと言えるだろう。
もちろん自身の趣味であることは隠す気もないが。
「では……その、勇者ロデリア殿?先代の勇者様は今、いずれに?」
「おや、あんた、先代を知ってるのかい?」
先代とは第12代異世界勇者「青い血風」ラルバである。
両手に長大な鉄鞭……剣型の鉄棒……を振りまわしては、戦場を暴れまわるという、傭兵上がりのオジサンだ。
勇者にしては珍しく、魔術や異能を使わない純粋闘士である。
まぁその分、体力は異常なのだが。
「うむ……私がまだ修行時代に……随分と世話になった。いつかは恩返しを、と思っていたのだが……そうか。ご引退なさったのか。」
「引退っていっても、あの人、勇者を退いただけで、今は大冒険に出かけてるよ。まだまだ元気だね。」
ナーシアたちの会話を聞いて渋面になるジューネである。
義理堅い上に、実はマチズモなナーシアが、あの筋肉ダルマにご執心なことを警戒している。
ラルバに声をかけられたら、この女、仲間より男を選びかねない、というところだ。
いや、今までも時々、その心配はあった。
少年をネタに、そっちの趣味と疑ってるふりをするのは、その反動なのだ。
「……貴公、何か言いたそうだな。」
「ベッツにぃ~……ところで勇者様が、なんでこんなところで、この坊やを?」
知名度が低い上に、アヤシイなりのロデリアなのだが、ジューネまでも勇者と疑わないのは、無論背中の「黄金の竜」の刺繍が効いている。
天に翔け上がる黄金の竜の姿をカタルようなバカには、「竜の罰」が下るのが常識。
一種の偶像崇拝禁止世界でのお墨付きであろうか。
その意味でも、ロデリアはじめ、歴代勇者が自分の衣装の一部に「黄金竜」を描いたのは正しかったであろう。
「目立つ」とか「カッコイイ」とか、いう趣味の上でも、実益の上でも。
「なんか、おかしな精神波を感じたんだよ……もうなくなったけど。で、来てみたらコイツが、ここにぶっ倒れてて……ん?」
「何か?」
「鈍いゼ、ナーシア!」
「なんかよってきたネ!」
「ええ?まだ全然治療追いつかないのにぃ!……あれ?」
ここ数日間の少年の記憶は、なぜか二種類あった。
彼は逃走した上官たちと合流し、洞窟に潜みながら亜人たちと戦っていたのだ。
そして、一人生きのびた。
もう一つの記憶も、概ね同じだった。
二人の少女が登場していた以外は。
いや、どちらが本物なのかはわかっている。
少女の姿も、交わした会話も、もう少ししか覚えていないのだから。
これは夢。
だけど、夢の中で感じた想いは、決して偽りではない。
しかし、その記憶は、自分が目覚めようとするこの一瞬の間にもドンドン消失していく。
「……ク……ク?」
「アントくん?起きたの?……どうしたの?」
「……泣いてるネ?」
少年は、自分を抱きかかえてくれる女性にしがみついた。
それは暖かくて柔らかく、とてもいい香りがして……でも、消えようとする記憶のソレとは異なっていて。
「……あ?」
そして、すくった水が掌から零れ落ちるように、その最後の記憶も消えていった時、少年は目覚めた。
「……ナーデ……さん?……」
「気がついたの?」
「……ひどい目にあったみたいネ。」
「ナーデさん……ナーデさん、ナーデさん……ナーデさん!」
少年は、口に出したい言葉が、出てこない。おそらくは夢の中の少女の名前。
だが、それは彼の記憶から既に失われている。
「アントくん?……あらあら、ちょっと見ないうちに大人の階段上っちゃったのね?よしよし。」
少し寂し気につぶやいたナーデは、少年を優しく抱きしめ、片手で頭を撫でる。年下の少年を慰めるという役どころに酔いつつも、彼女にはなんとなく察するところがあったのだろう。
きっとこの子が呼びたいのは、自分の名前ではないのだ、と。
「なんだ?こいつら?」
ここは敵地で、敵が近づいている。
そんな中の思わぬ愁嘆場に呆れるロデリアだ。
「ほっとくネ。今は。」
「優しいじゃねえか、フィネ。」
「意外だな。」
「足手まといは放っておけって言ってるのよ!」
背後には、崩れた洞窟。
前方の木々の合間からは、多数の赤い輝きが近づいて来る。
「ちぇ、夜でも亜人の目は見つけやすくて、いいんだがな……」
「見つけたって、何にもできないネ。」
今さら逃げ道はなく、包囲は厚く、洞窟前は微妙に開けて隠れる場所もない。
それでも、うかつに森林に逃げ込んでの撤退戦よりは、と迎撃戦を決意して武器を構えるジューネたちだ。
「ナーデ、お取り込み中だが、もういいであろう?」
「ええ?もう!いいところだったのに……アントくん、立てる?」
右腕を失い、残った左腕は以前からの火傷跡が未だ生々しい。
加えて多少の回復術式では治療しきれないほど、全身に無数の傷。
「はい、ありがとう、ナーデさん。僕はもう大丈夫。」
それでも立ち上がった少年は、意外に落ち着いている。
先日の奇行が目立った分、今は「普通の子」に見える、とつい思ってしまったナーデは、すぐに後悔することになる。
「てめえも、男だろ!女に甘えてばかりじゃなくて、いいとこ見せろや!敵が来てるんだ!」
そして勇者ロデリアは、ほとんどヤンキー女である。
赤いドレスがほとんど特攻服に見えてしまうのは、赤いハチマキ以上に本人の言動のせいであろう。
ちなみに長身のせいで、少年よりも年上に見えるが、実はまだ14歳である。
もっとも、少年にとっては「女の子は苦手」でひとくくりしているからさほど気にしていない。
実は目覚めた彼は、少し壊れている。
壊れた原因は本人にも不明であるが。
「敵?……あの赤い目は、人族を憎む亜人の印……。」
少年は、だから、ロデリアのことはまったく気にせず、自分の考えに没頭する。
「でも、なんで僕らは亜人に憎まれるんだ?」
そして、そのつぶやきは、この場の人族の緊張を思いっきり弛緩させるのであった。
「はあ?」
短弓をかまえて前方を警戒していたジューネが、思わず振り返った。
熟練の戦士が残念なことに口を思いっきり開けてしまっている。
「大丈夫?頭打ったの?」
実は、フィネは男性不信で、話の上なら恋バナも猥談をオッケーだが、実物がいる時は片時も油断しないはずなのだ。
それが、この少年の見かけと奇行に騙されてか、ネ語を忘れて心配してしまった。
そして年齢相応の幼い表情を浮かべてしまうという、かわいい醜態を演じ、後で反省することになる。
もっとも当の警戒対象は見てもいないが。
「噂には聞いていたが……やはりこの少年、おかしいのではないか?」
その油断ない様子は、さすがは騎士の修行の成果、と言いたいところだが、なんと、構えていた長剣を取り落としたナーシアである。
いやいや、落としたことに気づいてもいない。
これは、かなり間抜けに見えてしまう。
後で剣を拾いながら一人赤面することになる。
「アントくん……あなた、どうしたの?やはり、この何日かでなんかあったのね?」
少年は、以前とどこか変わってしまった。
人と触れ合うことを嫌がってたのに、自分から抱きついてきたのは、きっと何かつらいことがあって寂しがってると感じた。
しかし、それだけでもない、違和感がある。
「男子三日会われば」。
その刮目すべき貴重な瞬間に自分はいるのだろうか、と特殊な趣味をうずかせて期待するナーデだ。
「……あんた、何するつもりだい?」
そして、一人、前に歩き出した少年に声をかけるロデリアも、当然の疑問をもったようだ。
「僕?僕には、今、試したいことがある!」
そして少年は振り向きもせずに、前方の赤い目の大群に向かい、思いっきり叫ぶのである。
「hdg。hgclxsxs!」
そんな、まったく意味不明の、それどころか発音不明瞭な奇声を発したのである!
そして、次の瞬間、数本の矢が飛んできた!
亜人にも弓手はいるのだ。
下手なせいでハズレただけだ。
「アントくん、危ない!」
しかし、少年は、その場で残った右腕を振りまわし、猛烈に抗議を始めるのである。
「なんて野蛮な連中だ。僕は非暴力主義者だぞ!平和主義国家の生まれでもある!hgclxsxs!……うわっつ!」
「バカ、何やってるのよ!死んじゃうじゃない!」
ナーデさんが強引に肩をつかんで引っ張らなければ、二射目は直撃だったであろう。
もう、さっきの印象とか期待感とかは消し飛んでいる。
「阿呆!」
「特殊な趣味ネ!」
「変質者だな。」
「すっこんでな!」
そして、残った人族たちは、一斉に防戦を始めるのである。
おそらくは、数十体というゴブリンの群れ。
それでも、不幸中の幸いか、音や光に驚いたゴブリンが各自でやってきたおかげで、逐次投入に加え未統制で軽武装、要は雑軍である。
「あんたら、なかなか強いじゃない……。」
そう言う勇者ロデリアは、ケガこそないが、疲れた様子だった。
実は当年14歳で戦歴は浅い。
それでも、その足元にはゴブリンの死体の山。
第一波を退けた一同だ。
「まあな。これでも俺は、11から戦って、もう10年目だし。」
ちなみに王国では数え年である。
故にジューネが言う11歳とは、満年齢で言えば10歳、下手すれば9歳であろう。
さすがに息も切らさず余裕に見える。
そのベテラン戦士は、勇者様の戦いぶりに、実は心中で首をかしげている。
手に持つ薄茶色の木刀をなぜか使わず、赤い手袋をつけた拳で「死ねやぁ」とゴブリンを殴りまくる。
真っ赤なドレスとハイヒールは戦いの邪魔になるかと思いきや、スカートを気にせずにキックの嵐、かかとは敵の喉を貫き、つま先はあごを砕いた。
あれはあれで勇者の制式戦闘装備らしい。
挙句に一本背負いはするわスープレックスはするわ、なんでもアリ……まさにヤンキーの素手ゴロだ。
その戦いぶりを見た少年は思いっ切りヒいていた。
本格的な武闘家という風でもなく、派手ではあるが、いや、派手であるからこそ、どこか素人臭い。
強弁して、ストリートファイター、と言うところ。
もちろん「勇者」らしさは全くない。
「あたしも、ゴブリン程度だから、なんとかネ。」
オークより武装が軽いゴブリンは、スカウト兼レンジャー(自称)のフィネでも戦えなくはない。
実は少年とナーデの護衛めいたことをやっていた。
武装を考えれば適任であろう。
それでも戦果的には、ロデリアとさほど変わらない、という印象である。
「……どうも気に入らんな。」
本当の騎士家のヨロイであれば、正規の術式で「軽量化」や「適正化」が呪符され、着脱も容易だ。
だが、冒険者に身をやつした彼女は、苦労して金属ヨロイ(プレートアーマー)を着ている。
はっきり言って、重いし暑い。
時々ナーデが「冷却」や「疲労回復」してくれるからこその重武装である。
その彼女が前で敵をひきつける、いつもの戦い方なら、この程度のゴブリン群は、余裕、とは言わないが苦戦でもない。
ただ、勇者と名乗るには、この赤まみれの少女では力量不足であろう、と冷たい感想を隠している。
ナーシアは先代に憧れているため、当代には点が辛いのかもしれぬ。
「それで……アントくん!なんでさっき、あんなバカなことをしたの!?」
できるだけ魔術は温存し、護身用の小剣で身を守ることに専念していたナーデだが、それでも危なげなく少年の身を守りつつ、それなりの敵を倒している。
そんな中、第二波が来る前に、一度少年にお灸をすえることにしたようだ。
子どもでも犬でも、しつけはタイミングが大切なのだ。
適切だし適任であろう。
あんな、とはもちろん敵前に行って殺されかけたことである。
当の本人は、あの後は大人しく逃げ回っていた。
武器もなく、けが人のくせに妙に逃げるのがうまかった。
それでも時々あの妙な奇声を発していたが。
「だって……ナーデさん魔術師でしょ。なら、わかんないかな?魔術の行使だけが魔術師の務めじゃないはずだよね?」
「やっぱりそうなの?さっきのあれ、亜人の言語なの?」
亜人とは、ヒト種に近い、という意味である。
が、一口に亜人と言っても、もともとこの世界にいたはずの森の妖精族や地の妖精族もいれば、異世界よりおそらくは種族ごと転移してきたゴブリン族やオーク族、オーガ族、獣人族などもいる。
一般に前者は人族より長命で賢いと言われるが、後者はほとんどケモノ並、と思われている。
「でも、あいつら、奪った武器で身を固め、集落をつくって集団で暮しているんだ。ネアンデルタールほどじゃないにしろ、それなりに知能があって言語も発達してるって思う方が自然じゃないか?なのに魔術協会や錬金術協会は、なんでやつらの言語を、いや、生態すら全然調べもしないで、戦うことばかり考えてるのさ?世界の深淵を、未だ知られざることを探求しないで、なんの真理の探究者だよ!」
ネアンデルタールってなに?という「はてなマーク」は少年には見えはしない。
「それは、わかんないけど……」
思わず押されるナーデさんと、話題についてさえもいけない一同である。
真理の探究者とは、もともと魔術も錬金術も、世界の真理の追究を目的として発達した学問、ということに由来する。
魔術を偏愛するくせに使えない少年であるが、だからと言って、真理の探究は怠っていない。
いや、むしろ魔術に向けられないエネルギーがそっちにまわっているという事情もある。
困ったことに、彼の実家は製本・写本業者として小規模だが腕はいいという評判で、時々名著の依頼が来ては、少年がその原著を盗み読んでいる。
そのせいか、歳と身分の割には異常に博識である。
いや、付け加えれば、前世での、異常に情報が発達しかつ誰でも容易に知識を学べたという経験が、迷惑な形でここに結晶化していると言える。
感覚的に言えば、中世から近世、少なくても前近代の感覚の世界に、現代的な常識をもった非常識な人間が転生した、という悲劇……喜劇かもしれぬ……であり、単に知識とか技術とかの格差ではすまないのである。
そもそも、「亜人」というくくりで戦争以外にありえない関係になってしまったこの世界だが、少年の前世にしろ、人種差別もあるし、民族差別もある。
「原始人」「劣等人種」と言って一方的に虐殺するなんてことは今も昔も絶えないのが現実である。
「亜人は私たちを襲う侵略者よ!そんなケモノと、戦う以外に何ができるって言うの!」
そして、これがナーデさんたち、この世界の魔術師の現実で、魔術師でない者全ての事実。
「それでも!それでもさ!そもそもなんで異世界転移なんて起こるのさ!なんで僕たち転生者が生まれるのさ!?転移してくる亜人を調べれば、何かわかるかもしれないんだよ?わかったら転移した亜人たちを追い返せるかもしれないじゃないか!それこそ世界の深淵の探求!これを調べないのが魔術師の在り方なのかい?魔術師が知識の探求を放棄して、何が探究者だい?探求を究めてこその探究者だろ!」
勢いで自分が転生者、異民ということを暴露してしまう少年である。
ナーデたちは思わずドンビキしてしまったわけだ。
「あなた、異民なの!?」
「マジか……。」
「まさかネ?」
「勇者様のお仲間なのか?」
「…………。」
そこでようやく自分の失言に気づいたが
「あ、言っちゃった……ま、いいや。」
どうせいつも黒い髪やら身長やら奇行やらで侮蔑される身である。
今さら気にもしてしない。
「だけど、それはそれ。」
「それなんだ……。」
「うん。大事なのは、魔術師であるナーデさんが、目の前の未知から逃げていることさ!」
少年の言葉が理解はできても納得できないナーデである。
このアキシカ地方で育った身であれば、亜人に奪われたモノが多過ぎて、到底うなずくことはできない。
それでも「真理の探究者」として、未知から逃げた、と言われるのは、なまじ優秀故に不本意なのだ。
それゆえの沈黙。
「くだらねえ、どうせ戦うしかねえんだよ。」
みかねたジューネである。
戦歴10年を超えるベテランだ。
その半生は亜人との闘いだった。
失った仲間の数は、ナーデたちですら比ではない。
「それでも!それでも、相手のことを知らないまま、なんてダメだよ。それに、僕だって、非暴力主義者だけど、無抵抗主義者でもない!」
戦わない手段を探る一方、有効に戦う手段もまた探らなくてはならない。
それも少年の主張なのである。
彼にとっては無論、非戦が優先されるが、それでも聞く耳もたない相手に一方的に殺される特殊な趣味は持っていない。
「昔、ある国が、絶対勝てないような国と戦うことになった。でも、その国では自分たちより発達した国の事をバカにし、その国の言葉を使ったら敵の仲間だって非難したんだ。」
敵性語の禁止。
バットは「打棒」でストライクは「よし」の時代である。
ちなみにバッテリーを「対打機関」と呼称したのは作者も初めて知った。
もっとも地域や組織によってかなりのバラツキがあった民間の排斥運動であり、それほどでもなかった、という意見が強い。
それでも国民が、当時の首相(兼陸軍大将)に高等教育での敵性語教育禁止を要求したことはあったらしい。
意外なことに、この件は首相が却下した。
軍内部の方がむしろ寛容で、というより技術用語やらなにやら変換しようもないし、一部の急進的な者に「柄付き螺回し」と言われてもそれがドライバーなんてわからないのである(もちろんこんなバカな呼称は広がらない)。
とは言え諸般の事情で……国民による学生迫害とか教育にまわす余力がないとか……敵性語の教育は急速に衰えていったそうである。
「でも、相手の国は、徹底的に敵国の言語を研究した。そして、敵国の様子を正確につかんで、効率的に戦うために敵国語教育を戦略的に実行して、戦争に利用した。」
まさに「敵を知り己を知らば百戦して危うからず」。
おかげで大戦後期の情報戦は敵国の圧倒的優勢であった。
「だから、戦うにしても戦わないにしても、知らなきゃその選択肢そのものが存在しないじゃないか?いや、どうしても戦うんなら仕方ない。でも、戦うにしても、相手のことも何も知らないで戦うなんて無謀だよ!」
無謀はお前だろう、という反論を、ジューネは喉の奥に押し込むことにした。
どう見ても襲ってくる敵にアヤシイ声を発するために前に出た少年の行為は無謀そのものなのだが、今の意見にはうなずくところがあったのだ。
獲物の習性を知らずして狩をしようとするのは、素人であろう、と。
「敵を知らずに戦って何が悪い!戦いとは自分の戦い方を貫くべきものだ!」
つい先日「兵は詭道なり」と言った口である。
ジューネはナーシアを見つめて呆れるのだが、騎士の家で育ったからにはこちらが地であろう。
「あのね!風車に突撃するのがドン・キホーテだからって、騎士がみんな風車に突撃するのかい!」
ドン・キホーテって誰?という大きな「はてなマーク」はもちろん少年には見えない。
「どうしても風車を壊したいっていうにしても、どこをどう壊せば風車を解体できるか、ちゃんと知らなきゃいけないだろ?」
「私は別に風車を壊す趣味なんてないぞ!」
と反論するが、要は敵の急所を知らずして戦うのは能率が悪い、とは察したナーシアだ。
もっとも未だ自分が名前すら憶えられていないなんて気づいてもいない。
「なんだかよくわかんないネ。」
「そうだよ!わかんないから、知らなきゃいけないんだよ!」
触らぬ神にたたりなし、とか、知らぬが仏、とかと言いたげだったフィネなのだが、発言を曲解されてしまい以後は沈黙。
だが……そんな中、ロデリアは真顔で聞くのだ。
見開かれた群青の瞳は意外に大きい。
「それで?さっきのが亜人語なのかい?お前、ゴブリンどもになんて言ったんだ?」
何を言ったとしても、戦いの直前に前に出れば危ないし、和平にしても相手やタイミングもあるだろう、ということは、まずはこらえる。
なんとしても、異世界勇者としては、転移現象にも敵の言語にも興味はある……のだが。
「さぁ?」
これである。
振り向いて背中の竜を拝ませるロデリア。
「てめえ!勇者ロデリアをなめてんだろう!この黄金の聖竜が……」
そのにじみ出る殺意は隠せないのだが、少年は聞いちゃいない。
空気読まない属性の発動である。
「なめてなんかいないよ。ただ、僕は頭に中に残っていたそれらしい言葉を言ってみただけで、まずは可能性を片っ端から試そうって……一応『亜人の習性』って、あのグレイゾン超級魔術師が書いた本は読んだことはあるけど、でもあれ……言語には触れてなくて、しかもたいしたこと書いてなかったし……あ!」
「なんだよ?」
「キミ、今勇者って言った?」
「言ったよ!」
14歳のロデリアは、勇者になっても日が浅い上に苦労が多い。
それにしても、これほど調子を狂わされたことはない。
「すごいや!本物の勇者なんだ?転生したの?それともキミは転移なの?僕は転生はしたけど転移はしたことないし、今まで他の異民にあったのは初めてなんだ。書物には転移者は様々な異世界からきているって書いてるけどキミのいた世界ってどんな世界で……(中略)……ねえ教えてよ勇者さん、いや、勇者ちゃんかなって、キミ名前なんだっけ?」
「一遍死ねや!」
ゴブリン相手には振るわれなかった長大な木刀がついに振るわれようというのだから、その怒りは推して知るべし。
「待てよ、勇者殿。殺人はまずいぜ。」
「しかも非武装の者を勇者が撲殺、ではあまりに先代の名を辱めるであろう。」
「ああ、もう、謝るネ、アント。」
そんな中、一人反応が薄い。
いや、途中から別なことに気を取られていたナーデだ。
「『敵検知』に反応ありよ!……もう、アントくんも勇者様も大人しくしてて!今度は、あのでっかいヤツもいる!新種よ!」
ゴブリン多数に新種。
さすがに今度は手ごわいようだ。
ナーデはいったんさっきの件を置いておくことにする。
「新種?手ごわいのか?」
「ああ、勇者殿。俺は見てねえけど、何でも先日の戦で味方の大隊がやられたのはそいつらのせいらしいぜ。」
ジューネの言葉に「不正確だ。それ以上に敵の統制が異常に……」とか付け加えたかったのだが、ややこしくなることを恐れて口をつぐんだナーシアだ。
それよりも、と戦闘の再開に集中する。
「そうか……数も多いし、手ごわいのもくるのか……わかった。」
そして、ロデリアはその長大な木刀を目の前にかざしたのだ。
そして声高に宣言した。
「んじゃ、俺、今から本気出すぜ!」
と、まるでどっかの世界の自宅警備員か、負け続けの三下のような発言をする勇者様である。
「え?それ、勇者が言うセリフじゃないよね?」
少年ならずとも、思わず醒めた視線を送る一同なのだが……。
「だけど、これ、時間がかかるんだ。その間、あんたらに任せるぜ!」
そんな反応を気にもせず、天に木刀を掲げ、一人集中を始める第13代異世界勇者。
そんな一行に、数多くの赤い光が近づいてくるのだった。




