第16章 冬季実習は突然に その1 呼び出しは突然に
第16章 冬季実習は突然に
その1 呼び出しは突然に
「クラリスくん。主任がお呼びです。すぐに主任教官室へ行ってください。」
そんな不吉な指示がくだったのは、2学期も終わり近い12月半ばの帰りのホームルームのことでした。
「あなた・・・なにをしでかしたのですか?」
シャルノが、その白皙を青ざめ
「こらあかん。自分、生きて帰ってこられんわ。」
エミルがまたあの奇妙ななまりで話し始め
「・・・死ぬときは一緒。」
リトが悲壮な決意で拳を握りしめるのもムベなるかな、なんです。
学園北棟の3階に並ぶ数多い教官室の中でも主任教官室は、まさに鬼門。
いつぞやは「1分以内」という条件付けで呼び出され「俊足」で駆け込んだ挙句、「廊下を走るな」という規則違反を問われて、野外演習場を何周走らされたことか・・・。
わたしの手をつかむリトの暖かさがなければ怖気づいて逃げ出していたでしょう。
他の教官室とは材質からして異なる扉は、おそらくカシン木製で金貨5枚はします。
つばを飲み込み意を決し、コンコンコンと三度のノック。
「誰か?」
こんな鬼の住処にやってくる「勇者」なんて、呼ばれてきたわたしくらいしかいないでしょうに、わざわざ聞きますか?
もはやわたしは魔王に対面する気分なんですけど。
「ク・・・クラリス・フェルノウルです。お呼びと承りましてやってまいりました。」
「リーデルン・アスキス。クラリスに同行。」
「リトも?・・・まぁよかろう。入れ。」
たったこのやり取りだけで、わたしもリトも、その手は汗でびっしょり。
わたしたちは、叔父様の教官室の5倍はあるであろう、広大と言っていい広さの室内に入ります。
その一番奥の大きな机にいる主任まで、なんて遠いんでしょう。
その背景にある大きな窓ガラスが、薄暗い室内では微かな違和感をもたらします。
手前にある準備室は二つ。
その一つは助手のジャーネルン講師のモノです。
しばらく出番も精彩もありませんけど、部屋だけは大きそうです。
少し進むと、左右の壁にびっしりと何かが張り付けられています・・・地図?
「いえ、ただの地図じゃない・・・戦場図に陣形図・・・。」
「こっちには敵の亜人やその使役するモンスターの図説・・・」
いずれも先月復帰なされた当初にはなかったもの。
まるで軍の参謀府にでもいるみたいです。
5年前の「ギュキルゲスフェの戦い」から先日の「巨人災禍」まで・・・軍の配置に敵の動き・・・なんて精密に書き込んでいるんでしょう。
つい見入りそうになりますけれど、それを許さない圧迫感が奥から漂っては、歩みを止めるわけにはいきません。
もっともその圧迫感こそがわたしたちの歩みを鈍らせている根源でもあるのですが。
ようやく机の前に立つと、イスオルン主任が意地の悪そうなお顔を挙げます。
そしてその丸眼鏡。
絶対過剰な悪意を人に感じさせる呪いのアイテムです。
それから放たれる圧迫感に思わず怯むわたしたち。
そして告げられた一言が・・・
「クラリス。お前にはこれから特殊な任務を与える。」
って!?
「ええ?それって行き先は教官のお住いの鬼ヶ島ですか?それともやっぱり魔王城ですか?まさか・・・異世界の「悪魔」が住まう地獄とか・・・。」
・・・・・・・・・。
あれ?
何かわたし、間違えました?
この白い空気はなんでしょう?
「それ、絶対違う。」
まぁ、その誤解のおかげでいましがたまで感じていた重圧はかなり軽減されましたけど。
「・・・わたしは家族と普通の家に住んでいる・・・「悪魔」が何かは知らんが、鬼やらの住処に行く必要もない。」
奥さんもいらっしゃるんですか?
意外です。
実は、主任はご身分にふさわしく正妻に加え内妻お二人もちゃんと養っていらっしゃって、奥様方もみな仲がよろしい・・・これは何かと事情通なデニーの報告です。
手渡されたのは大きな封筒。
その表紙には張り紙があり、教官方のお名前が並んでいます。
「主任。質問してよろしいでしょうか?」
その、意を決したわたしの一言は
「却下だ。その書面通りの順に従って、各人から承認の署名をもらう。それ以外のことは必要ない。」
まさに「けんもほろろ」・・・通称「けんほろ」の扱いです。
ちなみにこの「けん」は「剣」じゃなくて雉さんの鳴き声「ケ~ン」で、「ほろろ」は雉さんが飛び立つ羽音だそうです。
要するにさっさと引き下がらざるを得ないような「シオタイオウ」なんです。
「さっさと済まそう。」
前向きと言いますか、或いは果断と言うべきでしょうか。
教官室から早々に追い出され茫然としているわたしなのに、リトはもう行動に移ろうとしています・・・ですが。
「ねえ・・・やっぱりおかしくないですか?教官方を回ってサインを戴くなんて、生徒のわたしたちにさせる任務としては不適切ですし・・・」
重要な案件であれば会議で話し合うべきですし、簡単な連絡であれば教官方には「魔伝信」があります。
それでも重要な一件で急ぐにしても、主任には助手のジャーネルン講師がついていらっしゃいますし・・・。
「クラリス。考えてもムダ。なら前進あるのみ!」
この子はストレート一本の剛球派。
駆け引きも裏の事情も関係ないのです。
でも主任直命の特殊任務。
断るのが不可能とあらば、確かに猪突あるのみ
「そうですね。早く済ませて、お茶でも戴きにまいりましょう。」
三日連続の叔父様訪問になりそう・・・この時のわたしたちには、この程度の認識だったのです。
魔王城・・・いえいえ、主任の教官室から20mほど西に歩くとそこはもう第一関門。
なんてお手軽なダンジョンでしょう。
ですが油断には程遠いんです。
「ここが一人目・・・ヒュンレイ准教授の教官室ですか。」
「・・・だれ?」
リトが尋ねるのも当然と言えるでしょう。
ご専門は魔術付与。
平たく言えばマジックアイテム製作で、土系列の精霊魔術もお得意です。
ですがその専門を活かす実習はわたしたちにはまだ手に負えず、いまだ正式な授業がないんです。
おそらくは進級してから、または専門学科生向けに開講すると思うのですけど。
そのおかげで、なかなかお目にかかったことがないんです。
加えて生来人嫌いな上に研究熱心で、朝会や行事でもまず姿を見せず、たまに姿を見せるのは学園施設の修復の時くらい。
これでは、まるで「用務員さん」枠です。
同じくひきこもり気味な叔父様が、いろいろ事件を起こし有名になっているのとは真逆で、ひたすら人知れず静かに、ただただ穏便に過ごしたいだけの謙虚な(?)お人柄とも思えるのですけれど。
わたしはゴラオンを修復していただいた時にお声は聞いたのですが、すぐに立ち去られたので、お顔は見ていません。
ヘクストス市街の復興作業の時も遠くでお見掛けしていたくらいです。
「そんな人が一人目・・・いきなり難敵?」
「・・・ですが、まぁ当たって砕けない方向でいきましょう。」
扉の札は「在室」。
ならば躊躇は不要です。
「ヒュンレイ教官。クラリス・フェルノウルです。重要な用件で参りました。失礼します!」
「リーデルン・アスキス、同じく。」
・・・・・・・・・・。
「反応なし、ですね。」
「ん。予想できた。」
ならば・・・まずは一応ドアを開け・・・ガチャガチャ・・・られません。
「これも?」
「はい。予想通りです。」
では、もう次の手はこれです!
学生杖を片手に持って唱えます。
「・・・解錠!」
「それ、違法。」
咎めるようなリトの一言はわたしにとっても心苦しいのですが、仕方ありません。
主任の厳命です。
ここで足止めされるわけにもいきませんし。
わたしの唱えた術式でドアのカギがカチッて鳴って。
「では・・・改めて!クラリス・フェルノウル、特別任務により入室・・・きゃああ!?」
「どうしたの?」
・・・いえ。
ちょっと予想外だっただけです。
危うく前と後ろから挟み撃ちになる所をかろうじて踏み留まります。
「し、失礼いたしました!まさかすぐそこにいらっしゃるとは!」
真っ暗な部屋の中、開けたドアのすぐ真正面にご本人が立っていらっしゃるのは、わたしの想像を超えていただけなんです。
かなり不気味と言っては失礼ですけど、黒いローブに包まれた人影は、わたしの悲鳴にも動揺せず、闇にまぎれて静かにたたずんでいます。
お顔はローブのフードにかくれて見えませんが、もともと知りませんし。
「ヒュンレイ教官殿、主任からこれを申し付かってきまし・・・た?」
あれ、未だに無反応で、目も虚ろ・・・なんだかおかしいです。
「これ・・・違う。土像?」
ってリトの言葉にハッとして、よくよく目の前の人物を観察すると・・・確かに土かなにかで作られた彫像のようです。
「悪趣味。」
・・・確かに。
まぁ、カギを無効化して不法侵入したわたしが言う筋合いでもないんでしょうけど。
「あの!ヒュンレイ教官殿!勝手に入室した非礼は謝罪いたしますけれど、イスオルン主任の特殊任務でして、なんとかお目通りをお願いします!」
この果てしない暗闇の向こうにいるであろう、ヒュンレイ教官に向かって叫ぶのですが・・・反応なし。
「かくなる上は・・・光!」
不自然に暗い室内に術式で明かるくしてみると・・・部屋には、天井近くまで土の壁に覆われています。
その真ん中にいかにもっていう感じでパックリ開いた四角い入り口。
・・・ああ、なんということでしょう。
そこには室内とは到底思えない迷路が広がっていたのです・・・質の悪い室内迷宮とでもいうべきなんでしょうか?
驚きです。
そして、その驚きに追い打ちするみたいに
「・・・わたしを訪ねてきた者は・・・ボソボソ・・・この迷宮を抜けなくてはならぬ。引き返すなら今のうちだ・・・入った者の・・・安全は・・・ボソボソ・・・保証できない・・・。」
どっきり、です。
彫像が話したんです。厳密には口が動いていないので「話した」わけではないんでしょうけど。
「迷宮?土系の精霊魔術?」
「そういう術式があったような気もしますけど・・・室内で造りますか!?」
まったく、なんて特殊な趣味の持ち主でしょう・・・叔父様よりも非常識な人物がこの世にいるとは、呆れる思いでいっぱいです。
世界はとっても広いって感じです。
「で、行く?」
「はい!むろんです。」
わたしたちは室内迷宮に挑むべく、手を取り合って入り口に向かうんです。
そして!
「疲れた・・・。」
護身用に持っていた短刀を持ったまま、床に崩れ落ちるリトです。
「ええ・・・あれはビョーニンの、モーソーのサンブツです。」
一緒に崩れるわたし。
もうぐったりなんです。
迷宮の中には、ジャイアントアントやキャリオンクローラーと言った大地系の怪物・・・の動く彫像が多数いて、進入したわたしたちを襲ってきました。
昆虫系が多いのは正直イヤでしたが、虫嫌いなレンがいたらもっと大変なことになっていたに違いありません。
まぁ、小さいダメージを与えれば崩れる程度のモノですから、リトの素早い短刀の一撃やわたしの「魔力矢」で軒並み倒しましたけど・・・。
「頭痛い。」
「大丈夫ですか?」
リトが早々に頭痛に苦しんだのは想定外でした。
リトは風の精霊と相性がいいようなのですが、その反動なのか、狭くて暗くて地の精霊の影響が強過ぎる場所は苦手みたいです。
ここだけの話ですが、せまい教室に長時間いるのもホントはちょっとガマンしてるくらいなんです。
「ん・・・迷宮を出たから少しラク。」
「でも無理しないで。しばらくここで休んでてください。」
そう言ってわたしは独り奥の部屋に・・・って?
「・・・ボソボソ・・・よくぞここまできた。」
こんな近くまで接近に気づかなかった?
なんて存在感のなさなんでしょう?
思わずワンドを構えるわたしです。
男性にしてはやや小柄な、黒のローブ姿。
ヒュンレイ教官ご本人、ようやくのお目通りみたい。
「・・・ボソボソ・・・まったく・・・こんなところまでやってくるなんて・・・人になんか会いたくないのに・・・ボソボソ・・・何の用?早く済ませて出て行ってくれ。」
・・・なんか、人嫌いもここまで来たら迷惑極まりないんですけど。
ひたすら人知れず静かに、ただただ穏便に過ごしたいだけの謙虚なお人柄?
ついさっきまでそう思ってた自分がおバカみたいです。
「ええっと・・・ヒュンレイ教官殿。こちらがイスオルン主任からお預かりした書類です。こちらに目を通されて、よろしければご承認の署名を・・・」
「・・・署名終わり・・・ボソボソ・・・んじゃ出て行って。」
読んでないし!
これはいけません。
このまま帰っては楽でしょうけれど、読んでいただけなければ、わざわざここまでやってきて署名していただいた意味がないんです!
エミルにも融通が利かないのが取り柄と言われたわたしです。
だから思いっきり前に出て訴えるんです。
「いえ!あの、きちんとお読みになった上で・・・」
「・・・ボソボソ・・・面倒・・・早く出て行って・・・」
「ですが・・・」
「・・・ボソボソ・・・今なら迷宮はないけど・・・」
あ?ホントです。振り向けば通路までの扉が見えます。
「・・・10秒後にはまた出来ちゃうから・・・」
それは、えっと・・・確かに署名をもらうのは任務でも、書面を読ませるのは任務じゃありませんし!
「失礼しました!」
わたしはクルリと踵を返し、倒れてるリトを背負って「俊足」です!
その背後からはズカッカカ、ガッカ~ン、ガガガガガって異音が鳴り響いて・・・それがだんだん迫ってきて。
もう突き破る思いで扉を開き、教官室から出るや否や、再び倒れ込むわたし。
セーフです!
「はぁ~・・・やっと第一関門突破です。」
「これ、なんの荒行?」
ただの学園内のお使い・・・って、言ってる自分が信じてませんけど。
いきなりスタートでつまずいた「特殊任務」です。
まさかこの学園の教官方って全員変わった方で、その教官室は全て「あんなの」なんでしょうか?
そんな不安でいっぱいになったわたしたちです。
「リト・・・ここまでありがとう。後はわたしだけで・・・」
これ以上リトを巻き込めない。
わたしはそう思って悲壮な決意をするんです。
「だめ。死ぬときは一緒。」
なのに、リトはその小さな可憐な姿で迷いもせずに・・・。
「あ~ん・・・リトぉ~・・・ありがとうぉ~お。」
「いい。クラリスのためなら。」
もう校舎の北塔の廊下の真ん中で抱き合うわたしたちなんです。
ですが・・・まぁ、そうですよね?
「はい、署名したわよ。」
スフロユル准教授(救護主任)。
そして
「わたしも済んだよ。」
ミラス准教授(魔法工学・数学担当)。
なぜか救護室にいらっしゃいましたけど。
ご一緒なのはやはりお二人「そういう」ことなんでしょう。
それでも、二人目以降は、実に順調に進みます。
よく考えれば、みんなが「あんな」人ばかりでは、学園の機能が維持できるわけありませんし。
一人でも、いえ、叔父様を入れて二人なんて多過ぎなくらい。
「クラリスくん。リトくんまで。ご苦労様・・・ま、お二人に免じて署名しますよ。」
ワグナス副主任にいたってはねぎらってすらくださいました。
そのまま快調に進んで、ついにあと二人です!
まずは学園長室です。
三回のノックの後に、室内から「どなた?」という魅力的なお声がします。
「学園長、クラリス・フェルノウルです。イスオルン主任より特殊任務を拝命し、やってまいりました。」
「同じくリーデルン・アスキス。」
「「失礼します。」」
「いらっしゃい・・・って特殊任務ですか?・・・なんです、それは?」
中に入って、促されるままソファに腰掛けます。
「こちらの書面をお読みいただいて、同意していただけばご署名をお願いいたします。」
封筒をお渡しし、説明するわたしですが、学園長は書面を見るや
「あら?これって集団合意形成魔術「決判状」・・・なんて巧妙な。」
っておっしゃいました。
え?
シューダンゴーイケーセイマジュツ・・・?
「それはどういう魔術なんですか?聞いたことがないです。」
叔父様に学んだ魔術は、もちろん一人で行う術式が中心です。
例外として集団詠唱がありますがこれはまた別です。
「まぁ、あのひきこもりじゃ、教えないのは当然ですね。」
なんでも儀式魔術の一種で、その署名した者は書面の主旨に賛同するどころか「誓約」したこととなり、後で意志をひるがえそうとすれば「制約」の呪いにかかるとか・・・うわ、です。
それでも全員が合意し署名したならば、その書面に託された事項の成功率が飛躍的に上がるとか。
「上級魔術・・・ワグナスならともかく他の教官は気づきもしなかったでしょうね。」
「そう言えばワグナス教官、わたしたちに免じてって・・・」
そう言っておられたんです。
その時はそんなに深い意味があるなんて考えませんでした。
「そう。趣旨ややり口には言いたいこともあったけど、生徒のことを考えて納得したってところでしょう。」
「・・・そんなに大事なことをわたしに託するなんて、いえ、他の教官方にも隠し事をして、主任は何をお考えになっているんでしょう?」
「そのヒントは、この後に控えた最難関の人物にあるわね。」
封筒の表面に書かれた方々の、最後を飾るその名は・・・フェルノウル講師。
これって・・・まさか最初から叔父様を標的にした特殊任務!?
「あの、学園長。その書面の内容って・・・」
「それは答えられません。秘密保持も含めての「合意形成」ですから。でもね、本来学園の意志決定にかかわるのは准教授以上の者に限られます。にも関わらず一介の講師をこの合意形成に参加させる・・・あの困った人に直接かかわる案件なんでしょうね。」
そう学園長が語られたのは、とっても不吉なお言葉なんです。




