それぞれの夜
対面からのその後は全く覚えていない。夕食は一緒に取り、主に父親と婚約者が楽しそうに談笑している様子を微笑みながら見ているだけだった。たまに話を振られても、一言、二言を述べるだけであり、何を食べたかさえも覚えていない。本当は食後の後に、明日は念願の街に行くのだから、下調べをしなければならないと思い、机に向かって本を読もうとするのだが、内容が頭に入ってこない。そんな時、開いていた本の横にそっとホットチョコレートが置かれた。顔を上げると、ジゼルがそこに立っていた。
「あ、ありがとうジゼル……」
「いえ、今日は色々あったからお疲れでしょう。それを飲んで、お休みになられた方が良いかと思います」
湯気がほのかに立っているホットチョコレートを一口飲んでみる。思っていたより適温で、ほのかな甘さが身体に染み渡る。
「本当に今日は色々ありすぎたわ……。婚約者の件については、お母様が帰国してきてから、二人を問いたださなければいけないわね」
「正直、お二方がそのような重要なことをジェス様に言わないということはありえないですが……。まあ、それはさておき、いかがでした?」
「なにが?」
「婚約者様の第一印象です」
そういいながら、失礼しますと言って、ジゼルは近くのソファーに腰を掛けた。
「クライド様? 優しそうな方だと思ったわ」
髪の色ではなく、目を褒めてもらえたから、ということは口に出さなかった。自分自身もこんな些細なことでときめいてしまうのかと驚いているくらいだ。
「私は正直に申し上げますと、優しい方に見えますが、外面がいいだけかもしれません」
「……どういう意味?」
「作り笑顔のように見えました」
気のせいだろうと否定をしたかった。しかし、ジェスレーナはそれが出来なかった。ジゼルは本当に人を見る目がある。長年、一緒に傍にいるからこそ分かっていることだ。そんなジゼルの言葉の方が、今日会ったばかりの婚約者の笑顔よりもよっぽど信じることが出来る。
「こんなことを申し上げることは、ジェス様を不安にさせることは重々承知しております。しかし……」
「分かっているわ、ジゼル」
ジゼルの言葉を遮り、ジェスレーナはジゼルが座っているソファーに近づき、横に座った。
「あなたの言葉で少し目が覚めたわ。初めて城外の殿方に出会ったから、少し舞い上がっちゃったかもしれない。クライド様が婚約者である以上、よほどのことがない限りはこの縁談が破談になることはありえないでしょう。でも、上辺だけで判断せずに、クライド様の本心を見定めるよう心掛けて接するわ」
「……もしも、最悪な方だった場合は?」
「まあ、その時は!」
ジェスレーナはスッと立ち上がり、ジゼルの方を振り返って言った。
「家出をするしかないわね!」
ジゼルは呆気にとられていたが、すぐに何かを決心したかのような目で立ち上がった。
「その時はお供します」
ジェスレーナはその言葉にニコッと微笑みかけ、ジゼルにぎゅっと力強く抱きついた。
「ジゼルがいれば心強いわ!!」
「当然です」
一方、ジェスレーナの部屋の外では―
「今の声は?聞こえたかい、オーガスト」
「ジェスレーナ様の声ではないでしょうか」
オーガストと呼ばれたクライドよりもさらに長身の男がジェスレーナの部屋の扉を見て、そう言った。
「ジェスレーナ様か!……そうか」
「こんな時間に部屋を訪ねるなどしませんように。非常識ですよ」
「おや、ばれた?」
楽しそうに答えるクライドに対して、オーガストはため息をついた。
「本当にその自由な言動は慎んでくださいね。突然、花祭りをみたいとかおっしゃるからびっくりしましたよ」
「花祭りに興味があったのは事実だよ、他にも目的はあるけど」
クライドは笑顔を変えないままジェスレーナの部屋がある方を見ながら答えた。
「ジェスレーナ様ですか」
「ようやく会えた婚約者だ。結婚する前にはどんな女性かもっと知りたくてね」
「で、第一印象はどうです?」
クライドはんーっとしばらく考えた後、ぽつりと籠の中の鳥と言った。
「籠の中の鳥?」
「伝説の姫だから、城の中で大事に育てられてきたんだろう。この城の人以外とは接したことがないから、人見知りだな。とても素直で思っていることが分かりやすい」
「それはクライド様だからではないのですか」
「いや違うよ。彼女はとても顔に出やすい、本人は隠しているつもりだけど」
クライドはそう話して一呼吸おいて、オーガストの方に振り向いた。
「伝説の姫と言われているけど、今の所、これといった特徴はないかな」
少しがっかりだよ、と言うクライドの顔は変わらず、笑顔のままであった。