プロローグ
この世界とはまた別の世界、セントヴァール。ここには数えきれないほどの国々が存在している。人口が一億人の大きな国もあれば百人ほどの小さな国もある。昔は侵略など様々な理由のために紛争があちらこちらで繰り広げられていたが、現在はほとんどの国が不戦条約を結んでいるため、外交の面では比較的平穏な日々が続いている。
そんな世界には古くからある言い伝えがあった。その言い伝えとは、銀色の髪を持つ姫が存在する国は、姫から永久の幸福を与えられるという。
現在、銀色の髪を持つ姫がいる国は公表されている限りでは一か国だけである。その国の名前はグユン王国。人口約六万人といった小さな国である。森に囲まれており、ここでしか栽培されていない農産物や花が特産品として販売している。伝説の姫はその王国の中心にある小さくて真っ白な城、グユン城に住んでいる。青い瞳に白い肌、そして腰のあたりまである銀色の髪はまるで絹のようである。彼女がグユン王国の姫、ジェスレーナ・マクフォールである。そして、またの名は「幸福を運ぶ姫君」と呼ばれている。
「そろそろお時間ですよ」
ジェスレーナはちらりと声をかけた方に目をやり、小さくため息をついた。そこには赤髪を一つにくくった女性が何かを持って立っている。それは綺麗に折りたたまれている真っ白な衣服だった。ジェスレーナは読んでいた本をパタンと閉じて、もう一度ため息をついた。今度は大きく聞こえるように。
「あら、お勉強中でしたか。それは失礼しました」
そう言いながらも彼女は悪びれた様子を全く見せず、衣服をひとまずベットの上に置き、机の上に散乱した本を片付け始めた。
「ジゼルが来る前にこの章を読み終えようと思ったのに。もうちょっとで頭の中に入れることが出来たのに」
ジェスレーナはジゼルと呼ばれた女性に聞こえるように、ぶつぶつと文句を言っている。
「今度は何を取得されようとしたのですか」
そんな姫君の言葉をまるで聞こえていないかのように無視して、ジゼルは机の上においてある分厚い本を手に取った。その本は普段から使用している地理の教材だった。
「別に取得をしようとは思っていないわ。ただの予習よ」
「ジェス様。予習もいいですが、休憩も取られた方がよろしいかと思います。何でも詰め込むのは良くありません。そしてもう一つ」
ジゼルはジェスレーナの顔を真っ直ぐに見て、こう告げた。
「勉強で重要なことは予習よりも復習です」
ジェスレーナは図星を指されて少し俯いた。確かに、前回勉強したところで覚えてない所があったかもしれない。いや、あった。しかし、新しい知識をどんどん増やしていくことは大切なことではないだろうか。
「まずは学んだことを確実に覚えてから、新しい知識を増やしていくことです。ジェス様は効率よく勉強していくことを学ばれた方が賢明です。せっかく、お時間を費やしてお勉強されているのですから」
「……なに、ジゼル。もしかして、心を読める能力でも開花したの」
ジェスレーナは苦虫を噛み潰したような顔をしながら言った。
「ジェス様の考えている事なんてすぐに分かります」
ジゼルは顔色を変えずにそう言い、ベットに置いていた服をもう一度手に取った。
確かにジゼルの言っていることは正論だ。ジェスレーナは何も言い返せなかった。ただ、同じことばかり勉強をしていると、煮詰まってしまい集中できなくなってしまう。そこで、気分転換にと違う事を覚えようとしていたからだ。
そんなことを考えていると、ふとどこからか視線を感じた。はっと見ると、ジゼルがじっとジェスレーナを見ている。
「だから、頭の切り替えには休憩をなさって下さい」
「もう! ジゼルが怖い!!」
「とにかく儀式のお時間なのでこれにお着替えください。お手伝いします」
ジェスレーナは服を脱がそうとしたジゼルの手に自身の手を重ねた。
「大丈夫よ、一人で着られるから。ジゼルも着替えなきゃいけないでしょう?」
そう言いながら、ジェスレーナは服を手に取ってみる。肌触りのいいシルク素材でできたドレスを着れるという所が唯一、儀式の中で好きな点だ。何も装飾がないドレスだが、着心地が良いためとても気に入っている。
ジゼルはかしこまりました、と頭を少し下げ、部屋を出た。
パタン、とドアが閉まったことを確認し、ジェスレーナは姿見の前に立ってみた。その前で着ていたドレスを脱ぎ、儀式用のドレスを着てみる。それとレースのベールだ。儀式では常にベールを頭に被らなければならない。手櫛で髪を簡単に整えた後、そっとベールを被ってみる。姿見に映る自分自身の姿を見て、ジェスレーナは少し笑った。その姿はまるで花嫁みたいだったからだ。花束を持ったらもっとそれらしく見える。今から執り行うのは結婚式でもなく、祈りの儀式なのに。
「さて、今日も頑張りますか」
そうつぶやき、ジェスレーナは部屋を出て行った。
自室を出て廊下を歩いていくと、同じような白い服を着ているジゼルが私の到着を待っていた。ジゼルは姫君の姿を見つけると、自身のスカートの裾を軽く両手で持ち上げて、深々と頭を下げた。
「お待ちしておりました、メイセスさま」
「……参りましょう」
そう言って、ジェスレーナは再び歩き、ジゼルはその後を続いた。
長い長い廊下の先には大きな茶色の扉があり、中央に金色の鍵がかかっている。しかし、その鍵は普通の鍵とは少し違っていた。なぜなら鍵穴がないからだ。ジゼルが一歩前に出て、それに触ると、鍵は瞬く間に消滅し、扉がギギッと音を立てて開いた。
「お入りください」
ジゼルに言われ、ジェスレーナは静かに扉の中に入っていく。
―さあ、儀式の始まりである。