Things she dislike
「だから、違うってば。」
レイは拗ねた子供の様に口を尖らせて反論する。
「イトちゃんは、そんなんじゃないもん。」
ね、と上目遣いで確認されたので、聞こえないフリをしていた俺も仕方なく同調した。
「あ、ああ。そうです。ホント全然、間に合ってますんで。」
“間に合ってますんで”。これは咲乃の仕事仲間たちにワイワイ囲まれて
「弟クン、良かったらうちらと遊ばへん?」なんて揶揄われた際に俺が口にする常套句だった。
これを言えば大抵の女子は「間に合ってる…って、もう、かなわんわぁ」ってなもんで、場のムードをぶち壊すことなく和やかにその場を去ることが出来る。
俺は此処でもそれを使い、男女間の拗れた会話がスプラッシュマウンテンラストの急流から、
緩やかなジャングルクルーズ的な流れに変わってくれないかと願って、自嘲するようにいつもの調子で言った。
「間に合ってる……んだ。
――ね、言ったでしょ。」
レイは骸骨男に納得させるように再びそう呟き、
「だからもう、帰って。」と静かに言い放った。
「えー、じゃあまた今度来るから。」
骸骨男は今回は一旦引くけど、という態度丸出しで低い位置にあるレイの頭をポンポンと叩く。
「やめてよ、もう来ないで。」
レイはその手を払い除けて冷たい瞳で男を睨んだ。
あんまり逆上させんなよ、そいつ変態なんだろ、と俺は冷や冷やしながらそのやり取りを眺める。
狭苦しい玄関で、逆上した男がどうしたこうした、とかいう事件に巻き込まれるのは勘弁してほしい。
「はあ?俺らの仲じゃんよ。」
男は挑むようにレイへ言った。
「取引しただけでしょ。」
レイは憮然とした表情でそれを否定する。
「それだって、こっちの方がいっぱい払ってんだから。
もうこれ以上は無いよ。」
俺にはいまいち理解できないやりとり。
レイは淡々と言い放ち、仲良くしたがる男の態度を跳ねのけ続ける。
「あぁ?つまんねー…」
そして男は乱暴にブーツに足を突っ込んだかと思うと、急にニヤニヤ笑いだして
火のついたままの煙草を見せ付けるように壁に押し付けて消した。
あーあ、他人の家の壁になんてことを。
呆気に取られながら横目で当の家主を見ると、それまで虚ろそのものといった風に、
くすんだガラスさながらボンヤリしていたその瞳は、炎を宿すように鮮やかに色付いていた。
黙ったまま男を押しのけて、凄い勢いで冷蔵庫から牛乳パックを取り出すレイ。
「まさか、」
と俺が止める間もなくダッシュで戻ってきたレイは、1000mlの中身がまだたっぷり残っていそうな量の牛乳を男目がけてぶちまける。
白い液体を脱色された髪の毛からビシャビシャと滴らせた骸骨男は一瞬の沈黙の後
「何すんだよ!」と叫んだ。
タッパがあるせいで、威嚇されると結構な凄味がある。まるでホラーだ。
「それはこっちが言いたいんだけど。」
レイも負けじと言い返す。
「今すぐ帰んないと、全部バラすから。」
まっすぐ見据えながら呟かれる、脅迫めいたその台詞に男は怯んで見えた。
「……わーったって。」明らかな悔しまぎれの舌打ちをして、
男は顔に付いた牛乳を雑に腕で拭いながらドアノブに手をかける。
「てめーなんて胸も尻もねーけど締め付けだきゃ良いから、
相手してやろーと思って来てやっただけだし。」
「だから、帰れってゆってんの!!」
レイが叫んで空になったパックを投げつけるが、それを避けるようにドアは急いで閉じられ、
鉄の板に大きな音を立ててそれは地面を転がるのだった。
何か声をかけてやらねば、そう思っても気が利く咄嗟の一言が閃いてはくれず
俺はただ地面に落ちていた借り物のタオルで、あちこちに散らばった白い滴を黙って拭う。
床と、三和土と……ああ、壁に付いた焦げ跡はどうすりゃ落ちてくれるんだ?
そして、自分の不甲斐なさ。
「……突っ立ってただけで、ごめん。」
ただ静かにそう呟くのが精一杯だった。




