That's his saving grace.
「……いた。」
俺は胸を撫でおろし、だけど締め付けられるような思いで、血まみれの猫に駆け寄った。
そうあって欲しいと思う反面、これで無ければいいと思う願望もある。
胸を覆う予感は大いに的中していたのか、黒い猫は車に強か身体を横たえた状態で浅い息をしながら道の端に転がっている。
念のため確認すれば、黒い革の首輪がしっかりと首に結わえられていた。
「ピクシー、大丈夫か。」
全く初対面の二人同士なのに、いきなり名前を呼んで。
相手からすれば馴れ馴れしい態度でもって俺は、ピクシーの怪我をしていない頭に手をのせてやる。
まず、レイに電話……いや、その前に獣医を探そう。
俺はスマホで周辺の動物病院を検索し、今からでも行けることを確認する。
次にレイへ連絡すると、
「すぐ行く。」
と言うなりすぐ通話を切られた。
「……すぐ来るって。」
俺はピクシーの傍らにしゃがみ込み、励ますように言ってやる。
恐る恐る傷口を見てみれば、車に轢かれたというワケでは無いらしい。
どうやら野良猫と喧嘩でもしたのか、何かガラスや瓦礫にひっかいてしまったのか、裂けた傷が背中に走っていた。
「俺一人で運ぶのはちょっと難しいから。
飼い主と、一緒に病院いこ。」
よく言われることだけど、こういうのって猫はちゃんと聞き取っているのかな。
人間が猫の言葉が解らないなら、猫に人間の言葉は解らない筈に決まっている。
なのにピクシーは「にゃあ」と弱弱しそうに答えた。
しかも、さっきよりも少し活気がついたように。
「うーん」
猫、か。
猫じゃなくて、鳥だったら、飼ってたことあるんだ。
俺は疲弊した身体を伸ばしながら、ピクシーに向けて、話しかけていた。
遭難した時なんかは、眠ると衰弱死するから、こういう風に話しかけ続けるのが良いんだっけな。
「青くて、黄色の模様が入ったやつだよ。」
名前は……思い出せない。
咲乃が言ったんだっけ、もう忘れた方が良いって。
「お前みたいに、逃げてったからね。」
逃げてったんじゃなくて、正確には、アイツに、飛ばされたんだ。
――「やめてー、やめてー!!!!」
と絶叫しながら泣いていたのは、少年時代の俺だ。
名前を忘れたとしても、今でも心臓が握られるように苦しかったことだけはハッキリと思い出せる。
俺を見下ろしながら、鬼のように口をひん曲げて笑うアイツ。
一番忘れたい顔は、何故かやけに鮮やかに、記憶に残っていて。
全開の窓目がけて、
そいつが伸ばした腕が鳥かごを開放する。
俺は背が低く、解っている、届かないことは。
なのに懸命に阻止しようとして、縋りついて、懇願して。
「お願いします!!!何でもするから!!!!!許してください!!!!!」
「あはははははははははは、ほーら、飛んでけー!」
―――「結局、どこ行っちまったのか解んないし。」
「にゃあ。」
「お前のこの姿見たら、あの鳥も躊躇ったのかな。」
「外ってけっこー恐いトコじゃんって思い直して、部屋に戻って来たりしたのかな……はは。」
俺は無意識にピクシーの額をゆるく人差し指で撫でながら、話しかけていた。
「ピクシー!!!」
ノスタルジックな感傷に浸り、ボンヤリ車の行きかうのを眺めていて数分。
ドロドロで黒ずくめの華奢な姿が走りながら俺たちの視界に現れた。
「にゃあ。」
力なく、それでも律儀に返事をするピクシーに驚きつつ、俺はしゃがんだまま片手をあげる。
「結構、血、出てるから。あんま動かしたりしない方が良いと思う。」
傍らに、俺と同じくしゃがんだレイに注意する。
「ピクシー……痛かったね。」
涙声でピクシーにやわやわ触れるレイ。
だが感動の再会に割いてる時間はあまりないように思えた。
「病院、この近所にあるって。歩いて行ける。」
俺は立ち上がって促す。
「どうやって…救急車?」
レイは眉尻を下げて俺を見上げた。
さっき公園で拭いたはずなのに、竈の中にアタマ突っ込んで探したのか?
と尋ねたくなるくらいにその顔は汚れている。
「救急車は呼べないよ。
担架もないし、こうするしかないでしょ。」
俺は恥を忍んで、着ていたポロシャツを脱いだ。
初夏の見本みたいな六月の晴れた空の下、間抜けな上半身裸の姿が晒される。
そこでレイが「キャア!」とでも言えばラブコメの典型的パターンだっただろうけど、
まさかこれはラブコメではない。
もう一度言う。
これはラブコメでは無い。
「でも、それ、白じゃん。
悪いし、そういう事ならわたしの服で良いよ。」
レイはここでまさかの遠慮をしたのだった。
――――まさかの、ここで!!!!
今迄数多く遠慮すべき場面があったにもかかわらず、レイはこの状況で
“遠慮する”を選択した。
「わたしの服、黒だからね。」
レイはそう呟くが早いが、着ていたブラウスのボタンを躊躇なく外し始める。
「いやいやいやいやいや、その下、駄目でしょ!」
俺は両手を伸ばしてその動きを封じた。
「ほら、もう俺、脱いでるから!もう早く行こう!」
そう言って、レイを手伝わせる方向へ導く。
「でも」
「じゃなくて、早く!」
俺は傷を気にしながらピクシーを自分の来ていたシャツの上へ注意深く寝かせ、なるべくピンと張る様にしながら四角に伸ばした片側の両端をレイへ持つように促し、歩き出した。
「スマホでちょっと調べたんだけど、まあ喋れるし、意識もあるから、大丈夫だと思う。」
「うん、」
俺とレイは真ん中に重症の猫を挟みながら、好奇の目に晒されて歩く。
ゾンビみたいにボロボロな美少女と、ヒョロヒョロした裸で野暮ったい野郎の図、はかなり滑稽に思えるだろう。
「…………ありがと。」
だけどそんなことにいちいち恥ずかしさを覚えていたら、この小さな猫は助からない。
レイだって、ピクシーが死んでいたらどうなっていたことか。
「見つかって、よかったよ。」
あとは、ピクシーが頑張るだけだね。
俺は心の底からそう言っていた。




