Sakino's master.
「すんませーん。」
誰もいない従業員室を通って、奥の厨房にいるはずの店長に声をかける。
「お!?何やどーしたん?今日シフト入ってないやんな。」
店長は焼き鳥の肉を串に刺す作業の手を止めて俺を見た。
続いて、背後にいるトラが姿を現して一礼する。
「すんません、昨日はご迷惑おかけしました。」
店長はボンヤリした表情でトラを見、「ああ、昨日来たお客さんね」と一瞬で記憶から思い起こしたようだった(そこは流石接客業のプロ)。
「えぇですよ、多少の粗相は居酒屋アルアルっちゅーもんでしょ。」
なあ、と店長は人好きのする笑い顔で俺に同意を促し、俺もそのまま2回頷いた。
正直言えば、片づけやゲロの処理はかなり面倒くさいけどな。という下っ端の愚痴は飲み込む。
「で、ご迷惑ついでに靴箱に靴忘れたんで、取りに来させて貰いました。」
「おー、1個だけ閉まったままのがあったからどないしよか思っててんな。
取りに来てもーて逆に助かったわ。」
店長はニカッと歯を見せて笑った。
そのまま入口へ向かい、目的の“は 3”の箱を開けて、俺は子供靴のように小さな黒いブーティを取り出す。
何となくサイズが気になって内側を見れば、32と書かれていた。
cm単位でいえば20程度だろう。
「マジで小さい。」
俺は誰にともなく呟いた。
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咲乃が世話になっている友禅工房は俺たちの最寄駅から電車とバスを乗り継いで一時間かかるかどうか、といった場所にある。
「やっぱり京都はバスが主流なのねー」
「わあ、ホントにお寺がいっぱいあるー」バスの窓から外を眺めながら、まるで観光気分で浮かれるセオとレイは、姉弟だと知って見ると確かに顔の造りも似ているように思えた。
乗り合わせている地味な客たちの中で異質な雰囲気を放つ彼らは周囲の注目を集めてジロジロ見られているにも関わらず、キャッキャとはしゃいでいる。
「抹茶アイス食べたいわあ。」
「ねえ、トラ買ってよー」
「うっさいよ。」それを窘めるようにトラは言い放ったが、まるで女子同士のお喋りは目的地まで止むことがなかった。
瓦葺の長屋が連なる古風な街並みの中静かに佇むそこは、看板も暖簾も無い“知る人ぞ知る”職人の隠れ家で、今はもう彼の手によって生み出された品は一般人に出回ることが無いと言われている芸術品らしい。
国際的式祭典のため、超一流の要人や懇意にしている大女優の注文にしか仕立てないのだ、と咲乃はかねてより俺に言っていた。
「師匠って、どんなヒトなの?」
セオがバスを降りてギターケースを抱え直しながら俺に聞いてくる。
「やっぱ昔気質の職人堅気な頑固オヤジって感じ?」
俺も、かってはそう思っていた。
「いや、それが―――」
全くそんなこと無い、と言おうとしたのと、当の本人が目の前にやってきたのはほぼ同時だった。
「望遠鏡で見てたからすぐ解ったで、よう来てくれたわ。」
骨と皮だけ、といった出で立ちの痩せた白髪の老人が紺色の着物の上着を優雅に翻して、俺たちを迎えに来てくれたのだ。
「師匠、お久しぶりです。」
俺もこの人を呼ぶときは、一応姉の立場を気にして“師匠”と言っていた。
「初めまして、今日はわざわざすみません。」
トラが年長者らしく恭しく前へ進み出て、角度をつけたお辞儀をする。
さっきの店長との会話もそうだけど入れ墨が無けりゃ、かなりシッカリした好青年だよな、と俺は上から目線でトラを評した。
「おお、何やキミ見た目とのギャップが凄いなあ。」
師匠もそう感じたらしく、大げさに笑う。
「よろしくお願いしまーす」
「オネガイシマース。」
セオとレイも続いて頭を下げた。「うんうん、じゃあいこか。」師匠は満足そうに頷くと、工房への道を進んだ。




