please encount。
「何とか言えよ!!!」
満員の店内で客たちの盛り上がりも最高潮の中、それをかき消すようにド派手な音を立てて卓上のジョッキやらグラス、皿や唐揚げが散乱したのをカウンターから目にする。
はいはい、またでっかまたでっか。
此処は安値がウリの大衆酒場、しかもヤンキーやDQNが多いことで噂の民度どん底住宅地のど真ん中。
こんな喧嘩は日常茶飯事で、「お客様どうされましたぁ?」だなんて店員は誰も声をかけに行かない。
勝手にダスター渡すから、ホレさっさと拭いておくんなましよってなもんだ。
「ったく、割れても弁償のベの字もないのに。」
俺は伸びっぱなしの髪の毛を掻きながらぼやいた。
飲食業にあるまじき悪癖、しかし先述のようにここは衛生面に関していってもレベル最悪の店なので、誰に咎められることもない。
「うち、ちょお行って来るわ」
俺と同じくバイトのカジヤン(25歳、シングルマザー)が呆れた顔つきでダスター数枚とトレンチを持って片付けに行ってくれた。
俺はと言えば――見送るだけ。
「てめーが死んで地獄に堕ちろ!!!!」
喧嘩はまだ続いていて好奇心からちらりと座敷の方を覗き見れば、予想に反して滅茶苦茶小柄な女が仲間の男どもに取り押さえられながら髪を振り乱し一人で喚き続けているのだった。
怒鳴られている方は肩を落とし、一方的に攻撃されているらしくかなり悲壮感が漂っている。
女バーサス女の修羅場ってわけか。
おー、こわ。
クワバラクワバラ……何があったのか知らないけれど、あんなに躍起になって感情を撒き散らす女は久しぶりに見たわ。
数か月前にクラスの女子が修学旅行の班決めで泣き叫んでるのを見た以来。
それでも、“地獄に堕ちろ”とまでは言ってなかったか。
カジヤンが黙々と畳に落ちたエビチリを拾っている。
エビチリの神様に悪夢の中で怒られろ、と思いながら俺は手伝いにも行かずレジ横のメニューをおもむろに整頓した。
別にこれは今すべき仕事ではない。
要は、負担の多い作業からはなるべく遠ざかっていたい、けど手持無沙汰だと店長に目をつけられてメンドクサイ、という私利故のポーズ。
こういう容量の良さがモノを言うんだよな、バイトってのは……
なんて考えていたその時、すごい勢いでカウンター横の狭い通路を駆け抜ける人物にぶつかられた。
「っ、なん……」当たったところを押さえながら振り返っても、もうそいつはそこにいない。
出入り口から外を見れば、全力疾走で去っていく小さな女の背中が見えた。
……痛ってぇ、あの煩い女かよ…
黒いレースのブラウス、やけに広がった黒いスカート、黒いタイツ。
あ、そう言えば靴を履いていない。
木の札を靴箱に差し込まないと取れない形式になっているから、そんな暇もなかったのだろう。
後ろから声をかける間もなく、全身黒づくめの怪しい容貌は猛スピードで闇の中に溶けていった。
修羅場から全力疾走で逃げ出すって、漫画かドラマか、と益々呆れる。
「すみません!」
俺が腰をさすっていると、追って走ってきた男に謝られた。
女と一緒の席にいた仲間だ。
「いや、いーデスけど。」
俺は適当に返事をし、それに納得したのか男は軽く頭を下げるとちゃんと靴を履いて店を出て行った。
残された奴らの座敷を確認する。
残っているのは3人。
どいつもこいつも皆黒づくめで、怪しいミサでも開催しそうな集団だ
――――と、観察しながら俺は背後に置かれた荷物に気付く。
ステッカーまみれのギターバッグに銀色のジュラルミンケース、キャリーカート。
こいつらバンド野郎か。