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幾千夜の誓いを君へ  作者: 月詠命
終章 グレザリアの夜明け
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第98話 満たされて、溢れる心




 屋敷の二階にある、カタリーナの私室に面したルーフ・バルコニーは、当然ながらミラアが住んでいた客室のそれよりも遥かに広いものだった。


 テーブルの上には湯気の香る紅茶、用意された椅子二つに座るミラアとカタリーナ。


 夜空と庭園を背景に、二人の話は咲いた。


「だいたい、お世話になった屋敷を無言で出てくって、貴女どうなの?」


「カタリーナ、堅くなったね」


 そう言って少し気まずそうに笑うミラアの表情に、いつもの涼しさは無い。

 代わりに滲んでいるのは、彼女らしくもない温かさ。


「もう貴族だからね」

 そう言って、ティーカップに口をつける公爵夫人。


「私はハンターだから」

 同じく、口をつけるミラア。


〝ハンターだから、お世話になった屋敷を無言で出ていく〟

 通常貴族には理解できないミラアの感覚を、カタリーナは懐かしむような想いで理解した。


「フィーネ、可愛いね」

 そう言うミラアの顔は、いつになく優しいものだった。


「貴女にもそう見える?」


 カタリーナは溜め息をついて、


「フィーネが生まれてから、近衛騎士団の剣術指南役になっちゃって。頭がもう仕事漬けでさ、母親としての感覚が、自分でもよく分からないのよ。だいたいディルクが弟子を育てられないからって、私にその役目を押し付けたんだから」


 日頃の鬱憤を口にする公爵夫人。

 その顔は、ミラアの知る彼女とは似て非になるものだった。


 そこに新鮮な喜びを感じながら、小さなケーキをフォークで口に運ぶ。

「貴族も大変なんだ」


「領地の管理はディルクがやってるけど。公爵夫人も、剣術指南役も、ハンターとは違う意味で楽ではないわね」


「でも、ハンターより優雅で安全だよね」

 笑みを浮かべるミラアに、


「いい環境がつくれたら、かしら?」

 カタリーナはそう言って笑い返した。


「カタリーナは昔から愛想が良くて、人間関係つくるの上手かったもんね」


「貴女が無愛想すぎたから、私が愛想よく振る舞うしかなかったんじゃない」

 少し目を見開いて、公爵夫人は語り出した。


「忘れもしないわよ、ジャスニーで貴族の狩りの案内した時のこと。あのおっさんがあれだけ冗談言ってたのに、貴女が全く笑わないから、あの人怒ったり落ち込んだりで大変だったじゃない」


「あー、そんなこともあったね」


 ミラアは懐かしさに笑いを溢し、


「今は大丈夫だよ。愛想良くやってる――フィーネに聞いてみてよ」


 そう言ってすぐに、フィーネを巡って隊商の御者クラーラ・ブルーニと険悪なムードになったことを思い出し、


「……まぁ、時と場合によるけど」


 と、軽い訂正を入れる。


 だが、カタリーナは目くじらを立てたままミラアに言う。


「他のハンターたちともすぐ揉めるし。Sランクだった貴女はよくても、駆け出しだった私は、いっつも気まずかったんだから。貴女の腰巾着だとか、金魚の糞だとか」


「悪かったよ」

 ミラアは心底申し訳なさそうに、それでいて懐かしむように笑みを浮かべた。


 そんな彼女に、

「でも、今思えば――王都に着いてから、私とディルクが仲良くなってからの貴女の行動――全部私とディルクのこと考えてくれてたのよね?」


「……」


 気付いてくれたことが嬉しいのか、ミラアは自らの頬が緩むのを自覚する。


 答えないミラアに、カタリーナは続ける。


「それにしても、貴女の肌、本当に綺麗ね。若くて羨ましいわ」


「カタリーナこそ若すぎでしょ。充分じゃない」


「貴女に言われたくないわ」


 と、カタリーナはミラアをまじまじと見て、


「……貴女、いくつなの?」


 しばし流れた静寂の時。

 夜の風が優しかった。


「……びっくりしないんだ」


 ミラアは目を逸らすかのように、遠くに視線を向けて言う。


「驚いてないわけじゃないけど……ローザリア卿を見てるからね」


「……」


 風が優しく頬を撫でる。

 月は優しく二人を照らす。

 白いテーブル、白いティーポットに白いカップ。

 広がる庭園。


 この夜を、ミラアは夢のように儚い宝だと思った。


「いくつなんだろーね、私」


「……」


「幼い頃の記憶がないんだ。これは本当。ただ、あんまりカタリーナには知られたくない人生だったよ」


「そう……」


「……人間と一緒には住めない。ローザリア卿を見てたなら、分かるでしょ?」


 不老という特別性。それが良いか悪いか。神秘的とされるか不気味とされるか。


 ローザリア卿は、不老長寿であったが故に王座から退くわけにはいかなかったのだとミラアは思う。


 高い地位にいない特異なものなど、周囲にとってはキワモノでしかない。


「貴女は、ハーフエルフなの?」


「……」


 ミラアは何も言わない。

 ただ、ひどく困ったような顔で黙っている。


 カタリーナは、ずっと深追いしなかった――それでも、気になっていた。その安否を、ずっと案じ続けていた相手の素性に対して。

 今夜こそは、あわよくば知りたいと強く願う。

 種族の違いや時の流れを超えて、自分たちはやはり大切な間柄なのだと確信したから。


「ヴァンパイアじゃないわよね? 陽の光浴びてるし、ご飯食べてるし」


「……」


「ダンピール――――女だと、ヴァンピーラだっけ? は、実在しない。ヴァンパイアには生殖能力がないから」


「……」


「となると、ハーフエルフしか残らない。それか、悪魔と契約した人間?」


「私はキュヴィリエか」


 ついツッコミを入れたミラアに、カタリーナは笑みを溢し、


「なんでもいいんだけどね」

(貴女が何者であろうと、私にとっては大切な人だから)


 優しく輝く星空を背景にして、カタリーナがミラアに訊く。


「……また、行くんだよね?」


「……うん」


 少し残念そうな表情を浮かべ、だがカタリーナは心の底から微笑んだ。


「そう。でも、私のことを気遣って、わざわざキアラヴァ王国からここまで来てくれたんでしょ? なんで何も言わずに行こうとするのよ?」


 ミラアは少し意外そうな顔で、


「いや、カタリーナが元気そうだったから、まぁいいかなって」


「貴女、まだ友達いないでしょ?」


 むすっ。


「フィーネがいるもん」


「ああ、そういえばそうね」


(あと、ルイーザも)

 そう言おうとするも、記憶の彼方から蘇る光景が、強烈な罪悪感となってそれを拒絶した。


 だが、心の闇はすぐに払われる。

 カタリーナの眼差しによって。


 二人を取り巻く夜の空気が息を吹き返した。

 遠く彼方から聴こえる夜鳥の鳴き声、風の声。星々の瞬き、月の明かり。

 白い椅子に座ったまま、ティーカップを手にした二人。

 その距離の近さは、これから遠く離れるであろうという予感から、代え難いものだと理解する。


 しばしの間を置いて、カタリーナが訊いた。


「……もう明日のキャラバンとは契約してるんでしょ?」


「……うん」


「その辺は抜かりないってゆーか、器用なのね」


「ほっとけ」

 またそっぽを向くミラアの横顔。


 それを見ながらカタリーナは言う。

「これで、またさよならね――でも、本当にありがとう。また助けられた……貴女が笑うようになって良かった」


 今蘇る、遠い日々。

 今目の前にある、初めて見る優しい微笑み。


 ミラアの胸に生じた耐えがたい温もりが、眼球の裏から熱く溢れた。

 無意識に俯き、目蓋は強く閉じ、堪えられぬ声を殺して耐える。

 両の手は真っ直ぐに膝に伸ばし、腕にはただ力が籠っていた。


 いつの間にかカタリーナが自分の傍へと来てくれたことを肌で感じた。


 頬を流れる温かさも、それ以上に温かいカタリーナの身体――今我が身を抱くその両腕も、免疫の無い喜びとだったから。


 いつか出会った頃とは比べられぬ程に育ったものは、今己を抱きしめるカタリーナだけではなかったのだろう。

 きっと、この温もりを感じることのできる自分の心も――。


 打ち明けられぬ己の存在。

 抱えきれない宿命。

 解らずとも、解る範囲で理解してくれていたという喜び。


 人類の歴史に忌み嫌われた女は、やり場の無い気持ちをただ涙に変え続けた。


 千年の孤独を潤す想い。

 自分こそ助けられたのだということ。

 今自分が笑えるのは、過ぎ去ったあの日々の間に、カタリーナの心の在り様を学べたからだということ。

 本当は一緒にいたいこと。

 でも、世間が自分を許さないこと。

 打ち明けたいすべてを――だが口にできぬまま、それが涙と嗚咽となって溢れ出ていく。


 カタリーナの目に映る、零れ落ちるサファイアのような涙。

 その意味を探ることをせず、ただかつて姉のように慕っていた女性を抱きしめる。


 柔らかい身体と心は、記憶に残るそれよりも幼く感じ、カタリーナは己の成長を実感した。

 そして、そんなカタリーナに抱かれ、揺り篭に包まれるような気持ちでミラアは泣き続けた。


 形の良いミラアの耳に、カタリーナは想いを届ける。


「もし良かったら、その時に貴女の気が向いたら、またフィーネに会いに来てよ。私の孫のことも見て欲しい」


 ミラアは、涙と嗚咽を堪える想いを捨てて、泣きながら答える。


「うん、くる……! 絶対くる……!」


 月は孤独に夜空に輝く。

 満天の星々は、それを祝福しているのだろうか。


 未だに分からないその答えなど、どうでも良いことなのだと思えた――この温もりに触れ合えたのだから。




 

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