第95話 渡り鳥
カタリーナ・ディア・グレイス公爵夫人が二十歳の頃。
爵位はなく、まだ一介のSランクハンターの身分で、名字も貴族のそれではなかった頃。
まだ夫も娘もいなかった頃。
相棒である〝銀の魔女〟ラミアキカーヴァと、ここ王都グレザリアに辿り着いて、ここを拠点に暮らすようになって一年に満たないある日のこと。
いつも通り無言で食事を摂っていたラミア・キカーヴァは、目の前に座るカタリーナが自分に何かを言いたそうにしていることに気が付いた。
だが、顔色一つ変えずにただ食事を続ける。
そこに、一人の男が現れた。
ディルク・ディア・グレイス公爵。
王都に着いてすぐ、ラミアキカーヴァとカタリーナのコンビがこなした仕事。
その時の縁で、二人と知り合った無骨な青年だ。
ラミアとはすでに知り合いであり、その日そこで二人が結婚を決めた話を聞いた。
「ハンターを引退しようと思うんだ」
カタリーナは、ひどく言いにくそうにそう言った。
ラミアキカーヴァは、いつも感情を顔に出さない女だった。
今回も無表情。
だから、カタリーナにはラミアの心境が読めなかった。
「――それで、もし良かったら、ラミアも一緒に住まない? ディルクのお屋敷には部屋がいっぱいあるから。ディルクもいいって言ってるし」
そう言うカタリーナに、ラミアは人形のように整った美しい無表情のまま答えた。
「どうしようかな」
「すぐには決めれないよね」
少し困ったように笑うカタリーナに対して、ずっと姉のようだった相棒は、紫色の瞳を真っ直ぐに向けて言った。
「どうだろう、でも――心から祝福する。本当に、心から」
そう言った彼女はやはり人形のように無表情で、だからカタリーナにはその心が読み取れなかった。
その夜、ラミアキカーヴァはグレザリア王国から――カタリーナの知る世界から消息を絶った。
ヴァインシュヴァルツ王子が革命を成功させてから数日間、ミラアはフィーネと一緒にカタリーナの屋敷で過ごした。
その夜も、ミラアはグレイス家のダイニングで、カタリーナとフィーネと共に食事を摂っていた。
「あのヴァルが、遂に王様かぁ」
シャンデリアと燭台の光に揺られながら、スプーンで掬ったスープに口を付け、どこか嬉しそうに言うミラアに、フィーネは複雑そうに笑いながら、
「ヴァインは、昔から私たちのリーダーだったんです。その頃は、まだヴァインも正式な王子様育ちで。ローザリア政権になってから、ジェルヴェールを挟んで再会した時にはびっくりしました。あのヴァインが、マフィアたちのボスになってましたからね」
「じゃあ王様には、なるべくしてなったって感じ?」
「そう――ですね」
そう言うフィーネはやはりどこか嬉しそうで、そんな少女を見るミラアの表情も温かいものだった。
そんなミラアをしばし見ていたカタリーナが、視線をテーブルに伏せてフィーネに言う。
「お話を割るようですが――フィーネ、貴女の王家近衛騎士団入団許可が下りたわ」
「本当ですか?」
フィーネの瞳が輝いた。
「ええ、王子の御意志と、解体した黒の騎士団から護国卿に就任したジャック、それに近衛騎士団副団長に就任したエル・エスパーダからの強い推薦もあって」
「エル・エスパーダも?」
フィーネは驚きを隠せなかった。
「ただ、今近衛騎士団は、黒の騎士団からの移籍者が多く、今派閥に割れてるの。それに、これで貴女はディルクと私の娘である以上に、王家に仕える近衛騎士になる。その意味が分かってる?」
「はい」
フィーネは精悍な笑顔で頷いた。
「……貴女にとっては、もともと王家も身内みたいなものかもしれないわね」
カタリーナの話を黙って聞きながら、ミラアはヴァインシュヴァルツ王に強気にものを言うフィーネの姿を思い浮かべた。
「明日の戴冠式のパレードの時、ヴァインシュヴァルツ王の身辺警護をやって貰います」
「分かりました!」
いつになく張り切っている娘に、母は訊く。
「それで――ハンターにはもう未練はないの?」
フィーネは一度ミラアを見て、複雑な表情を浮かべて言った。
「はい。ミラアさんとご一緒させて頂いて、ハンターという生き方を経験させて頂いて……ヴァル、ヴァイン――王の革命にも貢献できて。私は、この王都とみんなが大好きなんだということがよく分かりました」
「そう」
そう言って、カタリーナは表情なく食事に戻った。
「甲斐があったよ」
フィーネにそう言って笑うミラアに、一度だけ視線を向けて。




