第93話 グレザリアの守護神
人の領域を超えた美しい顔立ち――その女は気に食わない何かを、気に食わないまま楽しむように、ミラア・カディルッカを歓迎する。
「久しぶりね」
久しく耳にする、強く美しい声。
ミラア・カディルッカは女を見上げながらも、見下すような目で言う。
「リリス――アンタ、生きてたんだ」
かつてこの王国を創った魔王リリス・ロ・ドゥ・グレザリア。
太陽王の名を冠する勇者ハバートに首を斬り落とされ、胸に杭を打たれ、太陽に焼かれ、灰となったという史実は嘘だったということか。
最も、今目の前にある事実をミラアが誰に言った所で、信じる者はいないだろうが。
「何でも、貴女だけだと思わないことね」
リリスはそう言って、可憐な唇を愉悦に歪めた。
「うわ、何その口調。きもちわる」
あからさまに顔を歪めて言ったミラアに、リリスは微笑む。
「もう国を統べる立場じゃないのだから。こうして優雅に暮らしているとね、厳しい言葉を言わなくなるものなのよ」
それに、とリリスは優雅な微笑みのまま続ける。
「貴女みたいに薄汚れた生き方をしている女に言われても、むしろ肯定された気分にしかならないわ」
ミラアは鼻で笑った。
「同感ねー。自分では何もせずにコソコソして。アンタみたいな他力本願の性悪女に褒められたら、私も虫唾が走るわ」
「貴女と違って、私は人間たちと共存するつもりなんてないから。私自ら手を下すはずがなくてよ」
リリスは憐れむような目でミラアを見下ろし、
「人間が作ったコインのために必死に生きて。落ち目――無様よ、貴女」
「けっこー楽しいよ?」
ミラアも涼しく不敵な笑みを浮かべたまま答える。
「……それで、何の用?」
笑みを消したリリスに、ミラアは言った。
「アンタが今回の黒幕ね」
「秩序よ」
「一緒だよ」
沈黙が落ちる。
それを破ったのは、金髪の魔王だった。
形の良い眉と美しい瞳を歪め、
「――やっぱりアンタ気に食わないわね。この世界に入りたいみたいだったから、わざわざ門を開けてあげたのに」
「開けてあげた? 私に壊されたくないから守っただけでしょ?」
飄々と言うミラアを、リリスは睨んだ。
「やっぱり――貴女、気に入らないわ」
「そもそも、私たちはそう出来てるんだから」
ミラアの表情からも笑みが消える。
未だに赤みの消えぬ瞳で、前世紀の魔王リリスを見据えて、
「本題に入るよ。私は、知りたいことが分かればそれでいい。貴女には、ただそれに答えて欲しい。そしたら大人しく帰るよ」
「――いいでしょう」
この世界の〝神〟を気取る女は、それらしく答えた。
「まず、何でアンタが生きてるの?」
「何事もなかったから生きてるのよ」
死ななければ生きていて当たり前だ、ということか。
めんどくさいな、と思いつつも訊き方を変える。
「アンタ、死んだんじゃないの?」
リリスは、うっすらと見下したような目で淡々と答える。
「そうした方が都合がいいからよ。人間如きが王になるなら、魔王を殺したってゆー武勇伝ぐらいないと、誰も認めないでしょ」
なるほど。
「じゃあ、なんで王座を退いたの?」
「もう分かってるでしょ? 人間たちの上に座っていてやらなきゃいけない――ハッキリ言ってそんな義理はないのよ。だから、国は人間たちに任せたの」
この異世界を見て、そんなことだろうと思っていた。
王座を引き、神格化を果たした――と。
くだらない趣味だとは思ったが、分からなくもない。
特にこの女の性格を考えれば、妙に合点が入った。
次の質問は、一度唾を飲み込んでから訊ねる。
「――ローザリア卿は、アンタとどういう関係?」
「……アンタと違って発情してないわよ、私」
小馬鹿にしたようにリリスが言った。
ミラアの表情が険しくなる様を見ながら、女王は淡々と続ける。
「あの子が子供の頃にね、引き取ったの。この国を人間に授ける時のためにね」
ミラアは深く息を吐いてから、ゆっくりと吸い込んで、また吐いた。
全身に走る激情を忘れて心を落ち着けようにも、ローザリア卿の甘い笑みと、死闘を繰り広げた夜の壮絶な表情、そして垣間見た幼い頃の光景が脳裏から消えない。
剝いた目を細めるも、昂る感情が静まらない。
それは、激しい嫉妬によるものなのか。
その様を見下ろしながら、リリスが一言。
「貴女、ほんとに変わらないわね」
「……っさいな……」
燃え上がり暴れそうになる感情を押さえつけ、ミラアが呻いた。
リリスを睨みながら。
そんな女に溜め息一つ、金髪の女王は続ける。
「ハバートと、キュヴィリエ。それにヴァインシュヴァルツとミルバーン兄弟もね。あの子たちは私の手足よ。私が手を下さなくても、事が成せるように躾けてあるのよ」
人類の夜明けから、この国の歴史は既に茶番劇だったということか。
キュヴィリエとヴァルに対しては薄々予想していたが、他の面子は少し意外だった。
いつか新興都市ノーザンフォードで、フェイが言っていた〝母親のような女〟
あれは、この女のことを指していたのだろうか。
そこで、キュヴィリエに閉じ込められた異世界の檻の中で、幼いキュヴィリエと一緒に座っていた赤い髪の少女の姿を思い出した。
あの少女は、きっと――――。
気分が落ちる。
それで胸の怒りが少し落ち着いた。
代わりに生じた不安が大きくなるのを感じながら、ミラアはできるだけ声音を変えずに訊く。
「……ルイーザは?」
ミラアの問いに、リリスが笑みを浮かべた。
「気付いた? 彼女も私が拾ったのよ。廃人になってたから、精神干渉して新しい人格をつくってあげてね」
表情に出そうとしなくても、ミラアは頭から血の気が引くのをハッキリと感じた。
「昔、ハーフエルフを集めて人体実験しまくってたイカレ女がいたでしょ? その犠牲者よ、彼女。頭の中見させてもらったから間違いないわ。それに、キュヴィリエも危なかったのよ? 私が助けてあげなきゃ、同じように奴隷商人に売り付けられて、人体実験されてたわ。どっかのイカレ女にね」
楽しそうに言うリリスの言葉に、ミラアは視線を落とした。
それを愉快そうに眺めていたリリスは、ふと思い出したように言う。
「貴女が拘ってるのは、グレイス家でしょ?」
「!」
ミラアが再び顔を上げ、祭壇の上に座るリリスを真っ直ぐに見た。
やはり、この話題は別格のようだとリリスは思った。
「いいわよ、グレイス家の皆様が無事に過ごせるように図ってあげる。その代わり――私の存在を口外しないこと。ヴァインシュヴァルツや、ルイーザにもね」
リリスの存在に気付いたキッカケ――ヴァインの首筋に残った不可視の噛み痕を思い出す。
吸血による精神干渉の応用、記憶の忘却。
記憶そのものを削除するのか、思い出そうとする思考を深層意識ごと制限するのかは分からない。
戯曲〝魔王〟でも、女王リリスは人心掌握術に長けていたとされている。
他人への精神干渉は、この女の得意分野なのだ。
「いいけど、なんで?」
なぜ、協力者であった彼らの記憶まで封じるのか。
その答えを予想しながらも、確認しようとミラアは問いかけた。
リリスはルビーのような赤い瞳を、優しく見下ろすように光らせ、
「あの二人は――というより、私が育てた子たち全員が、もう私のことを思い出せないわ。自分自身の意志で、自ら行動し、すべてを為した気になっている。私は私という明確な存在をこの国から消したいのよ」
「存在を消して、どうするの?」
冷めたミラアの問いに、リリスはどこか楽しそうに笑った。
「神様って、偶像でしょ? その明確な存在を知る者なんかいなくていい」
つまり、どこまでも神のように振る舞いたいのだということか。
個人的な趣味は構わない。
しかし、
「ハバートとキュヴィリエに国を任せて、やばくなったらヴァインをけしかけて。そんなアンタが、本当にグレイス家の平穏を保障してくれるの?」
真剣なミラアの瞳に、リリスは少し困ったような顔をして、
「今回は国の危機だったからよ。キュヴィリエには、私の精神干渉が効かないし。ほら、ルイーザと違って精神崩壊してないハーフエルフだから」
「……」
また、ミラアが顔を歪めた。
リリスは気にせず続ける。
「それに、ヴァインシュヴァルツ王が、この国を危機に陥らせるなんて思う?」
それはないだろうとミラアは思った。
「この国が危機にならなければ、アンタが絵を描くこともないと?」
「そういうこと。あとは、勝手に踊ってくれてればいいのよ。私が楽しめるように」
それが魔王リリスの思い描く〝神〟の在り方なのだろう。
「でもさ、アンタ神様になろうってんなら、他の国を侵略しようとか思わないの?」
何気なく訊いたミラアに、リリスの表情が冷気を帯びる。
「……昔、貴女が創った〝蒸気機関〟――随分いいものになってるみたいね」
「……あれから大分経ったからね」
「魔術と組み合わせて、空まで飛ぶなんてね」
「情報が早いね」
「それを軍用されたら、勝ち目がないわ。今のグレザリアじゃ」
玉座の上から見下ろしつつ、そう言うリリスの瞳は平穏ではなく、明らかな殺気が宿っていた。
(〝今のグレザリアじゃ〟)
ミラアは魔王の台詞を胸中で繰り返す。
グレザリア王国のために動けと、そう言われた気がした。
そしてこの自称女神は、いつかは他国を侵略するつもりでいるのだろう。
グレイス家は人質なのかもしれないと思う。
だが、ここが落としどころか。
「そう。じゃあカタリーナとフィーネ、グレイス家に縁の者たちの身の保証は任せたわ」
ミラアはそう言って――そのまま、佇んでいた。




