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幾千夜の誓いを君へ  作者: 月詠命
終章 グレザリアの夜明け
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第91話 月下城




 大地を照らす太陽は西に沈み、王都グレザリアに息づく人々の営みは終わりを告げていた。


 次に来る日の出を待つ時間、人々は歓楽街にて戯れた後、或いはすぐに各々の帰路へつき、そして眠りにつく。


 空は漆黒。


 輝く満月と瞬く星々、通りの両端に揺れる幾つもの街灯が、無人の街を照らしている。

 家々の屋根の上――遠くに見える大時計塔の針は真上を向いている。

 眠れる王都の一角にある、石畳で敷き詰められた広大な円形の空間。


 今月明かりに照らされているこの場所は、この王国にとって非常に大きな意味を持っている。


 かつて魔王リリスを討伐した太陽王ハバートと、その側近の魔術師が、魔王を焼いた灰を埋めたとされる記念碑〝リリスの針〟


 四角捶の上に直立した柱状の巨大な石碑は、魔王討伐を果たした太陽王とその家系が、この国の王たる由縁を象徴するための建造物である。


 暗黒時代を終わらせ、人類に夜明けをもたらした人間たちの王――すなわち〝太陽王〟ハバート、彼がこの国の中心たる所以を語るもの。


 誰もが眠るこの時間、記念碑の前に立つ一人の女の姿を、月明かりが照らしていた。


 今時の若い令嬢が好む流行りの服に身を包んだ、その身体と姿勢は凛として美しく、また同時に脱力による自然体を維持しているのが見て取れる。


 微かに吹く風に揺れる、絹のような艶と質感を持つ長い髪の色は白銀。


 その瞳は宝石のような赤紫。

 その視線は、月明かりを黒く反射させる〝リリスの針〟をじっと見つめていた。


 女――ミラア・カディルッカ。


 キアラヴァ王国にて、己が生きるその国と、ここグレザリア王国が戦争を起こすという話を聞いた。


 思うところがあり、船に乗ってジャスニー海峡を渡り、グレザリア王国に辿り着いてすぐ、フィーネ・ディア・グレイスに出会った。


 彼女と共に仕事をこなしながら死地を超えて王都に着き、脅迫めいた手段を受けてカマイタチの事件に巻き込まれ、その結果としてこの国の政権を覆し、戦争を避けたという大きな結果に至った。


 自分が行ったことは、護国卿キュヴィリエ・ディア・ローザリアの暗殺。

 トドメを刺したわけではないが、今回の革命の主役といってもいい働きをしたと思う。


 そして、失踪していた王子――ヴァル・シュバインことヴァインシュヴァルツ・ロ・ドゥ・グレザリアが政権を獲得。

 社交界は既に王子の復権を認めていた上、護国卿の義娘ジェルヴェール・ディア・ローザリアとの婚姻を以って、彼の支持率は最高の値になった。


 事は順調に運んでいるようだが、そこはもうミラアには関係の無い話だ。


 仕事は果たした。


 そして、この国が戦火に包まれないのであれば、ミラアにはもう思うところなどない。


 しかし――。


 月だけが見守る中で、女ハンターは記念碑の手前に右手を翳した。


 陶器のように透明感を帯び、雪のように白い右手。

 女性としての美を再現したような、人ならざる者の手。

 それが、虚空に隠れたもう一つの次元へと触れられて――。


 赤い稲妻が弾けるような、そんな音と光が広がった。


 ミラアの右手が触れた何もない空間に、不可視にして確かな〝何か〟を感じる。


 響く音は、ただ破れるような音。

 明滅するのは血よりも赤い光。


 そこに感じるのは、規格外の神秘によって生じ、次元の狭間に隠された異空間。

 あのキュヴィリエ・ディア・ローザリアでさえ、大きなリバウンドを被った秘術が、桁外れの規模でここに隠されている。

 強制された世界の矛盾が、浮き彫りにされるが故に生じる熾烈な光。

 神の前に暴かれた罪の大きさと、在るべきその罰を表すようなけたたましい音。


 涼しいミラアの表情は変わらない。


 むしろ慣れ親しんだような、懐かしむような眼差しでその光源を見つめながら、そのより深くへと右手を差し込んでいく。


 途端に、空間が大きく歪んだ。


 貯水ダムが砕けたような、倒壊しかけていた建物が一気に崩れたような、そんな印象を与えるほどに急激な空間の変化。

 それは、波紋の広がりに似た現象を〝世界〟に引き起こした。


 そこに残ったのは、人の頭一つ分ほどの穴。


 巨大な壁に穴を空けたようにも見えるその〝向こう〟には、異常な程に美しい星々が瞬き、異様に巨大な満月が煌々と輝く異質な世界が垣間見える。


 そこには、水晶のような材質で出来ているのだろうか、半透明な城が建っていた。


(異世界への穴……)


 ミラアは、そう理解した。


 躊躇うこともなく、精神を以ってこの世界に干渉、生じているその異世界にまで干渉していく。


 黒魔術の理論で言えば、魔術という現象は世界の歪み方そのものだ。


 そして、水面に穴を空けてもすぐ元の水面に戻るように、世界も歪みに対して即座に修正がかかる。


 今目の前でハッキリと見える、異世界という名の世界の歪み。

 そこに新たなる歪みを加えて、既に世界に生じている修正力をより強く促す。


 今目の前に見える異世界は限りなく安定しているのだが、この世界からそこに対して〝不安定な歪み〟を生じさせることができれば、この世界はミラアの創り出した〝不安定な歪み〟ごと、異世界を飲み込むかたちで修正を行うことになる。


 具体的には、ミラアがこの世界の修正力を利用して、異世界への穴をこじ開けるということだ。


 心配なのは、異世界がこの世界に完全に飲み込まれて、崩壊してしまうこと。

 だが、そんなことはミラアには何も関係ない。

 それに――。


(この異世界に〝神様〟がいるなら、自分の世界の崩壊を黙ってないはず……)


 無論、この手段は黒魔術的な解釈によるものであり、魔術を〝精霊との契約によって発生するもの〟だと解釈している精霊魔術的発想で言えば、このやり方は的外れだと言えるだろう。


 だがそもそも四百年前、魔王カーミラ・ロ・ドゥ・キアラヴァが人間たちに与えた魔術は、彼女と同じ黒魔術である。


 精霊魔術など、人間たちが吸血鬼の魔王から得た魔術を、自ら〝昇華した〟と言いたいが故に生み出した幻想に過ぎない。

 どちらの解釈が人間に合っているかなど知ったことではないが、黒魔術こそが世界の理に最も近いのは確実だ。


 そして、空間に開いた曖昧で不完全な穴は、突然その存在を明確に安定させ、トンネルのようにミラアの視界を大きく包んだ。


(――行ける)


 ミラアはそう直感した。


 自分という異物が異世界に受け入れられていく感覚と共に、その様を視覚的に確認していく。


 水に生じた波紋にも似た景色を超えると、この世ならざる絶景がミラアを迎えた。


 足元に広がるのは、鏡の如く磨き抜かれた白亜の床。


 見上げる漆黒の天空は、雲一つなく澄み渡っていて、極彩色の星々や星雲が隙間なく瞬き、どうしたことか無数の流れ星が途切れることなく虚空に尾を引いている。


 そんな出鱈目に飾られた空の中央では、その大部分を覆うほどに巨大な月が煌々と輝きを放っている。


 そして、その下には聳え立つ、先程見えた硝子の城。


 ミラアがいる場所は、硝子の城より数十メートルは離れた場所だ。

 城へ行くためには、十数段ほどの幅の広い階段を登らねばならない。


 白亜の床は、ミラアの周囲から階段を経て城まで続いていて、周囲には月光に照らされた深い霧が流れている。


 光を遮り、視界を遮断する程に濃い霧。


(違う、これ――――――)


 白亜の床は見える部分だけで広く、ミラアの背後と、左右にそれぞれ十数メートル。

 城までは数十メートルはある。

 上から見ると、縦長な範囲しか見えてないだろう。


 ミラアは後ろを向くと、城と反対側へと歩いて行く。


 霧に辿り着くまで、数える程の時間もかからなかった。


 なぜそのタイミングなのだろうか。

 不自然なほどに心地の良い風が吹いて、〝霧〟が大きく流れていく。


「――――――!」


 広がる視界、現れた景色にミラアは目を見開いた。


 広大な視界を埋め、今海流のように大きく流れ去っていくそれは霧ではなかった。


 そこに広がっていく景色は、地平線まで広がる下界。


 グレザリア王城の〝月読の塔〟など問題にならない、遥か高きから見渡す壮大な絶景。


 大地は遥か下界に広がり、有り得ない光量の巨大な満月に照らされていた。


 夜空がやけに広く、雲一つ無いはずである。

 ここは既に空の上。

 白い霧だと思っていたものこそが雲であったのだ。




 

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