第8話 港湾都市を発ち、王都へ
王都グレザリアは、グレゼン島の西に位置するもう一つの大島〝カイルランド島〟を含んだ全王国領の中心に建設されており、グレゼン島の西海岸に位置する。
よって、ミラアとフィーネが護衛する隊商は、ジャスニーから北西に向かうことになる。
グレゼン島はかつて深い森に覆われていたそうだが、街道沿いに栄えた街の発展に伴う燃料や、暗黒時代に盛んだった造船の材料として大木が伐採され、今はもう街道沿いには平原が広がっている。
隊商は、ジャスニーから王都まで最短の距離で通る街道を進むことになる。
街道沿いに幾つも点在する街を経由しながら、約四百キロの道のりを経て王都に到着する予定だ。
順調に進めば、ジャスニーと王都を除いて三つの街に宿泊する、四日間の旅になる。
まだ暗い空の下、宿屋を後にしたミラアとフィーネは、隊商宿までの道を歩いていた。
既に街灯の消えた街は、ほぼ真円を描く月明かりに照らされているため、彼女たちが視界に困ることはなかった。
今夜、若い女が二人で出歩くことを狂気の沙汰だと思う者はいない。
今日は、王都グレザリアに拠点を置く、大陸有数の商会である〝シュバイン商会〟の隊商が、ジャスニーから王都へと戻る日である。
この日この時間に出歩く者は、老若男女問わず腕利きのハンターたちなのだ。
静寂に包まれた夜明け前の街の空気は、歩くフィーネの小高い鼻から肺の中までを冷やすように流れ込んでくる。
身を包むマントに有難みを感じながら、大気に満ちる精霊を感じ、体内に満ちる霊的な力を感じ、それらを語り合わせて全身を巡る血に火をくべて体を温める。
隣を歩くミラアを見ると、彼女の周囲に魔術の気配は全くなかった。
人一倍、寒さに強いのかもしれないと思う。
これからこの街を発つのだと思うと、先日ここへ来た時の記憶が蘇る。
初めて一人で訪れた港湾都市ジャスニーは、フィーネの心を躍らせてくれた。
修道院や地方の貴族の館ではなく、民間の宿屋にも初めて泊まった。
自らの労働で金銭を得た。
ここでは堅いしきたりに縛られることなければも、優れた従者たちに守られることもない。
ただハンターという道を強く歩く、凛々しい騎士のように在りたいと思う。
漆黒の空には数え切れぬ星々と天の川が輝き、東の果てではまだ見ぬ陽光の気配が空を微かに染め、世界は気を長くして夜明けを待っている。
西の空に浮かぶ月の逆光で、並び立つ建物が黒いオブジェのように見え、フィーネに言葉にならない感慨を与えた。
辿り着いた夜明け前の隊商宿は、少し離れた場所からでもその存在を誇張していた。
窓の無い壁から灯が漏れることは無いものの、建物を囲むように設置された無数の松明が、今夜仕事に集まるハンターたちを迎えている。
門にも大きな篝火が二つ設置され、その横で屈強な門番たちが大槍を手に、門を潜る者たちを判別している。
歓迎すべき護衛か、或いはその槍で突き殺すべき賊か。見極める眼光に、フィーネは僅かに身を竦ませた。
「護衛に来たんだけど」
ミラアはそう言いながら、右手の指に嵌めたライセンス・リングを見せて名乗りを上げる。
「ミラア・カディルッカ」
続けて、フィーネも指輪を見せ、
「フィーネ……グレイスです」
指輪に貴族を示す〝ディア〟がないのは、ハンターとしての戸籍は誰でもつくることができるため、あえて貴族としての身分を隠して名義を登録したためだ。
「よし、入れ!」
大きな声に込められた盛大な気合は、こちらを威嚇激励する以上に、自分自身の眠気覚ましなのかなと門番の顔を見上げながら思うフィーネ。
ミラアの後をついて、開け放たれたままの門を潜ると、様々なスパイスの芳香が鼻をくすぐった。
広場を囲む建物の内側には、無数のランタンに照らされた中廊下が剥き出しになっている。
中央広場から見ると、中廊下側の柱とアーチ状の手摺りを黒い影に残して、宿舎の内部に光が満ちているといった様子だ。
フィーネたちが泊まった宿とは大きく異なり、隊商をもてなすための堅牢で豪華な宿であることが良く分かる。
夜明け前の広場に並ぶ数十台の幌馬車と戦車には、既に幾人ものハンターたちが乗り込んでいた。
夜明けを待つ者、魔術による小さな明かりの下で武具の手入れをする者、仮眠を取る者など時間の使い方は様々だ。
「おう、来たか」
良く通る太い声に目を向けると、夜明け前の空の下を、筋骨隆々な巨体が豪胆に歩いてくる。
Sランクハンター・フェイ。
護衛たちの試験官を務めた男である。
まだ冷たい夜気が重量を増した気がしたが、隣にいるミラアはいつもの涼しい眼差しを向ける。
「おはよー」
「おはようございます」
ミラアとフィーネの挨拶に対し、フェイは大きな背中を向けて、
「おう。こっちだ」
と言って歩き出した。
いつの間にか月が沈み、日の出が近付いている。
建物の上に見える東の空は白く霞んで、星々を飲み込みつつある。
それでも群青色を残す寒空の下、幌馬車と戦車と人の間を、フェイに連れられて二人の女ハンター達は歩いて行く。
「これがお前たちに任せる車だ」
そう言ったフェイの目線の先にあるのは、前後に二基のバリスタを積んだ全長5メートルほどの車体を、鋼鉄製の四つの巨大な車輪で支え、二頭のユニコーンが引く〝対魔獣用戦車〟だった。
薄暗くてよくは見えないが、間近にて見るその重圧感と堂々としたフォルムは、フィーネの想像以上に頼もしく、街の外で魔獣を相手に戦う絵図を連想させる。
「おお!」
可愛らしい声を上げるフィーネを尻目に、ミラアは車体の周りを見て回る。
「昼に整備を済ませたところだ、異常はないぜ」
フェイはそう言って二人から離れていく。
再び門の近くで、他のハンター達を待つのだろうか。
少し見上げぬうちに空も大分明るくなり、広場がよく見えるようになってきた。
これから自分が担当する戦車だと思うと、フィーネの好奇心と学習意欲に火が点いた。
昼間にも確認したが、この隊商の馬はすべてユニコーンであり、大型の幌馬車や戦車を二頭で引くようだ。
ユニコーンは力が強く、普通の馬では引けないような大きな車を引くことができる上、スタミナ切れを起こすことも滅多にないため、こうした大掛かりな輸送に重宝される。それが、この動物が人間たちによって聖獣指定されている所以であろう。
ただし、この聖獣には不埒な面もあり、なぜか若い女性にしか懐かない。
つまり、この隊商の手綱を握る御者たちは、皆若い女性ばかりであることが分かる。
荒くれ者のハンターたちと旅を共にし、街の外に出て魔獣と戦おうなどという命知らずな若い女性たちもそう多いはずもなく、莫大な人件費を想像したフィーネは、この輸送で生じる利益の大きさを改めて考えた。
貴族として生きるにしろハンターとして生きるにしろ、街で生きる人間にとって手持ちの金銭は自分の命そのものだ。
一人で生きていくためには、常に頭に入れておく習慣をつけていかなければならない。
フィーネが大きな車輪と板バネの迫力に見とれていると、不意にユニコーンの甘えたような鳴き声が聞こえた。
目を向けると、ミラアが二頭のユニコーンを、それぞれ片手ずつ撫でていた。
二頭のユニコーンは、鋭利な角でミラアを傷つけないように、彼女の手に頬をすりよせる。
ユニコーンは聖獣指定されてはいるものの、獰猛な動物である。
そもそも魔獣と聖獣の違いは〝人間にとって有益であるか否か〟という違いでしかなく、大型の肉食獣を軽く撃退するこの草食獣は、扱いを誤れば〝人身事故〟を起こすことがよくある。
そんな獣たちを二頭、初対面であやしてから、ミラアはこちらへ歩いて来て言った。
「フィーネ、あの子たちに触っちゃダメだよ」
「なんでですか?」
神業的な光景を見せられ、もはや何を訊けばいいのか分からないが、とりあえずそこを訊いてみる。
「機嫌が悪いから」
「……はあ」
ミラアに甘えていた様子からは想像できない答えに、曖昧な返事をする。
「上のぼろっか?」
ミラアに連れられて戦車の甲板に上ると、建物の上に広がる東の空は、先程よりも鮮やかな光を帯びていた。
日の出が近い。
甲板に座り込むミラアに、フィーネも真似る。
戦車は人が乗ることを前提に作られているとはいえ、その乗り心地はあまりいいものではない。
屋根も手摺りもなく、荷馬車に簡易な狙撃台と車輪がついたような構造。
車体の前後に一基ずつ設置されたバリスタは全方位式。
戦闘では立って使用するため、狙撃手用の椅子が用意されているわけでもない。
ミラアとフィーネは二基のバリスタの間に設けられたスペースに座り込んで、日の出と共に行われるであろう隊の出発を待った。
昼間活気に溢れていた港湾都市は、まだ寝息と静寂に包まれていて、一日の始まりをじっと待っているようにも思えた。
周囲のハンターたちも、比較的静かな時間を過ごしている。
その様は、戦に備えて昂る精神を沈めているようだとフィーネは思った。
「よろしくねー」
急に声を掛けられて振り向くと、一人の女性がフィーネ達の座る戦車の御者台へ乗り込んで来た。
夜明け前の風に、長い金髪を靡かせながら。
この戦車の御者なのだろうとすぐに理解する。
「あ、はい、よろしくお願いします!」
「よろしくー」
無表情のままで、ミラアも軽く挨拶をする。
隊商において、御者と護衛は命を預け合う関係になる。
街の外で予定の時間内に目的地へ辿り着かないことは、食料不足による死に繋がるため、御者の馬の扱いが物を言う。
盗賊や魔獣に襲われた際は、護衛の腕が物を言う。
互いの活躍が、互いの死活問題に繋がるのだ。
さらに、この隊商においては、車を引くのはユニコーンである。
何かの拍子で機嫌を壊され暴走でもされたら、ろくに整備もされていない街道を高速で走る振動と衝撃で車体が破損しかねない。
よって、御者がユニコーンの機嫌を、護衛が魔獣の襲撃を意識し合って、一つの車を守りながら旅路を進むのである。
フィーネが魔獣に対してバリスタを撃つイメージトレーニングをしていると、広場を囲む建物の上に広がる空がひと際明るくなった。
日の出だ。
隊商宿の東にある塔から鐘の音が響いた。
「行くぞ!」
よく通る太い声が、夜明けの澄んだ空気に力強く響く。
フィーネの視界では確認できないが、その声の主がフェイであることに疑いはなかった。
隊商宿の初老の男性が見えたら笑顔で手を振ったであろうミラアは、その機会に恵まれず、ただ順番に発進していく馬車たちを見つめている。
ゆっくり歩き出していくユニコーンの足音も、車輪が敷石を踏み締める音も、これだけの数が揃えばやはり幾重にも響き、この静寂を勇猛に染めていく。
揺れる車体。
流れ出す景色。
甲板に座るフィーネたちは、そのまま宿の敷地から門を潜って一旦街へと出る。
夜明けの太陽に照らされた、コンクリートと煉瓦で飾られた家々は、フィーネにただ新鮮だった。
西門から街を出て北西を目指すため、港がある街の南東側がどんどん離れていく。
こんな夜明けは海が美しいのだろうなと思ったら、ミラアと一緒にその景色を見ていないことが名残惜しくなった。
やがて市壁に設けられた門を潜ると、視界に広がるのは朝日に照らされる露草の原。
鼻腔を満たす草木の香りに包まれながら、隊商は北西へと向かう。
後ろを振り返ると、夜明けの空を背景に広がる、グレザリア王国領最大の港湾都市の姿があった。
かつて海上防衛拠点であったことから建造された市壁は高く、北にある小高い丘の上には古い灯台と大きな古城が見える。
すぐ後ろを進んでいる幌馬車の御者の女性と目が合ってしまい、僅かばかり気まずさを感じたフィーネは、また隊商の進む方向に視線を向けた。
街道が続く先は、目の前を進む幌馬車で見えないが、その方角に広がるのは一面の緑と地平線。
遥か遠くには、高山地帯が青く霞んでいる。
そこに人はいなく、街はなく、村どころか建物一つない。
人工物の無い大自然。
完全なる自由。
際限なき自己責任を強要される世界。
王都からジャスニーに向かう時もそうだったが、こういった状況では隊商内での仲間意識が自然と強くなるような気がする。
そう考えているうちに、港湾都市ジャスニーの姿は、もうずっと遠くに行ってしまった。
コロニーから離れたヒトの群れは、次なるコロニーに向かうのだ。