第88話 親愛なる謁見
「やあ」
ヴァル・シュバイン――ヴァインシュヴァルツ王子の爽やかな笑顔を見て、一人部屋へとやってきたミラアは、少しだけ笑みを溢して後ろ扉を閉めた。
煉瓦造りの壁が剥き出しになっている、窓一つない部屋。
天井から吊るされたシンプルなシャンデリアに並ぶ、光輝く大量の蝋燭。
部屋の中央に置かれたガラスのテーブル、その周辺を四つの黒いソファーが囲んでいる。
明らかに上座に当たると分かる豪華なシングルソファーに座って、燭台の蝋燭に揺られながら食事を摂っている黒髪の美青年に対し、テーブルを挟んで対面する位置にミラアはゆっくりと座った。
こうやって若き王を見ると、やはりどこかローザリア卿の面影があるような気がした。
幼い頃から、嫌いながらも彼を見習って生きて来たのではないだろうか。
もう一皮剝ければ、彼のようないい男になるのかもしれないと内心思う。
「こうやって会うのももう最後かな?」
少し寂しそうに言う若き時期王。
ミラアは顔をしかめて、
「は?きもちわる」
と一言。
「おい、なんだよそれ」
口を尖らせながら、ちょっと本気で抗議する青年に対し、ミラアはもう目を合わせないように顔を横に向けたまま、
「え、だってキャラじゃないじゃん」
「……まぁ、そうなるよな」
ヴァインシュヴァルツは、少し肩を落として言った。
ミラアが少し意外そうに見守る中で、ヴァインシュヴァルツ王子はテーブルに頬杖をついて、少し遠くを見ながら話す。
「俺だってさ、物心ついた頃から娼婦たちに囲まれて育ったんだよ? あいつら、いいと思う男には言いなりになるクセに、見下した相手にはとことんひでーんだよ。俺だって好きに生きて来たわけじゃない」
銀髪の女ハンターは、黒髪の青年を今一度よく見た。
持ち前だった妖艶さは掠れ、整った顔には素直さと不安が入り混じったような心境が浮かんでいる。
暗黒街から、王座という環境へ移った影響だろうか。
「ははあ」
ミラアは青年を見ながら、少しだけ意地悪くにやけて言う。
「アンタ、甘える相手間違えてるよ」
青年はミラアを見て、
「別に、甘えてないだろ」
「ほんとの自分を見て欲しい――それが甘えてないの?」
冷やかすような涼しい笑みを向けられ、ヴァルはムッとした表情を浮かべた。
ミラアは表情を緩めて続ける。
「たまに休むのはいいと思うけどね。これまで生きて来たアンタのキャラクターは、アンタが生きてきた道に適応したものだったはずだよ。立場が変われば、適した振る舞いも変わる。でもね――取り繕って生きて来たそれだって自分自身なんだし。それを全部捨てちゃうってゆーのは、これまで積み上げてきたものを全部無しにするってことだよ」
「……なるほどね。さすがミラアって思うけど」
ヴァインシュヴァルツ王子は、少しふてくされたように言う。
「俺は王サマやるのが初めてなんだ。だから、初心からやろうって思ってるんだよ。驕った王よりマシだろ?」
ミラアは優しい笑みを浮かべて答える。
「いい心掛けだけどさ。初心に返るのと、経験を棒に振るのは別だよ。アンタ、初心に返って何もできなくなった王様に着いて行きたいって思うかい?」
「……そりゃー、嫌だな」
「ほらあ」
ミラアは優しい笑みを少し楽しそうに深めたまま、赤みの強く残る瞳で若き次期王を見て言った。
「アンタにはアンタの持ち味がある。そんなアンタが王様やるんだから、これまでのアンタでもなく――何もできない王様でもない。そんな、新しいヴァインシュヴァルツ王になるしかないでしょ」
それを聞いたヴァインシュヴァルツは、しばらく難しそうな顔をしてから、
「参考にするよ……するけど、ミラアって俺のこと嫌いなんじゃなかったの?」
「嫌いだったよ?」
ミラアは平然とした顔で返す。
「嫌いだったけど――最近は、まぁ好きな方」
「ふーん」
世界を渡る自由な女の、馴染みの無い想い。
ヴァインシュヴァルツは新鮮な感慨を覚えた。
そして、
「……今回はありがとう。本当に助かったよ」
少し俯くように視線を横に逸らし、ヴァインシュヴァルツは言った。
配下となった元黒騎士たちからの報告で、ローザリア卿とミラアの激闘を知った。
最強の魔王を討てたのは、その刺客がより強力な者だったからだ。
ミラアはしばらくきょとんとしていたが、
「いいよ――いい国つくってよ」
涼しげな笑顔でそう返した。
「いい国、か……」
まだ若く、あまりにも経験不足な次期王は、不安の拭えぬ表情のまま、
「ミラアから見てさ――ローザリア卿って、どうだった?」
と訊いた。
「どうって?」
ミラアは返す。
「ローザリア卿ってさ、俺から見ると本当に悪魔みたいな男だったんだ。絶対的な魔力と知力と魅力と権力で、この国を支配して――でも、この国を護り繁栄させることに尽力してたようにも見えた」
「……」
彼は天井にて見えぬはずの空を仰いで続ける。
「グレザリアの魔王――言い得て妙だと思ったよ。人外の魔王ローザリア。この国は、人類王都連盟の掲げる〝人類の人類による人類のための統治〟その在り方にそぐわないまま、事実十年近い存続を成功させてたんだ」
もはや呆れたように言うヴァインシュヴァルツの瞳は、ただ遠い上へと向けられていた。
そこに、彼がローザリア卿をどう思っているかが反映されているようにも思えて、ミラアはその顔をしばし眺めていた。
そして、流し目に、
「ローザリア卿ねー。私、彼のこと結局何も分からなかったよ」
塔の上で二人語り合った夜に、彼が見せた横顔が脳裏によぎるが、ミラアは気持ちを切り替えて続ける。
「彼、多分貴方を後継者に選んでたんじゃないかな」
意外な言葉に、ヴァインシュヴァルツが目を剝く。
「ローザリア卿がか? あいつは俺の革命を読んでいて、ジャックを使って邪魔してきたんだぞ?」
「なのに、なんで貴方を殺さなかったんだと思う?」
「……」
言葉に困るヴァインシュヴァルツに、ミラアは続ける。
「彼が貴方を殺すことなんていくらでもできた。そもそも先王の息子を生かしておくなんて、帝王学的に考えたら狂気の沙汰だよ」
ヴァインシュヴァルツは何も言わない。
模索しようとする想いと共に湧き上がる感情。それを否定したい気持ちが、思考を鈍らせているのが自分でも分かった。
ミラアはヴァインシュヴァルツを見て淡々と続ける。
「ローザリア卿もさ、この国の行く末が危ぶまれてるって危機感はあったと思うんだよね。それも、自分のせいで。二百年間一国を見て来たんだから、飢饉だって知ってるはずだし。戦争の経験はなくても、この国の図書館には暗黒時代の文献だってたくさんあるんだから、戦争がどれだけ国を疲弊させるかも知ってた。でも、きっと譲れないものがあって――――」
そこまで言って、ミラアの脳裏に檻に住む少年と少女の姿がよぎる。
「――――その信念を曲げれない自分を超える後継者を求めてたり、生き疲れてたのもあって。貴方が自分を暗殺する機会を受け入れたのは、自分の死を受け入れたのか。自分のそんな甘さと決着をつけるつもりだったのかもしんないし」
語尾に自信が無くなっていくミラアの言葉に、だがヴァインシュヴァルツは正面から受け答える。
「己のためにすべてを利用したような男だぞ? 俺の母も父も、奴に殺されたんだ」
「真相は誰も知らないんでしょ?」
そうミラアに言われ、息を呑むヴァインシュヴァルツ。
まだ若すぎた頃に理解した出来事。
或いは社交界が語っていた噂。
それらこそが、そもそも誤解でなかったと言い切れるだろうか?
今なら分かる父の性格。
今なら分かる母の慕情。
そして、キュヴィリエ・ディア・ローザリアという男。
暗黒街で成り上がった自分を力強く支えていた後ろ盾は、ローザリア家だった。
それはまるで、遠くから息子を見守る――――――
思考にブレーキをかけるも、
「貴方、彼に憧れてたでしょ?」
――唐突なミラアの言葉に、目を剥いた。
「……誰が……!」
湧き出た感情に出しかける言葉と、蘇る記憶。
幼い日に、冷たく睨み上げる自分に微笑む護国卿。
その穏やかで深い瞳に、自分は何を想ったのだろうか。
文武両道を、昼夜邁進していた自分。
目指していたわけではないが、いつも思い浮かべていたのは父ではなく――――。
「だって似てるもん」
あっけらかんと言うミラア。
「……似ているかどうかは知らんが――――俺は奴とは違う」
護国卿にそっくりな青年は、ミラアを真っ直ぐに見て力強くそう言った。
護国卿が犯した過ちを認めない決意を瞳に浮かべて。
「……そっか」
自分の心に生まれて来たささやかな愛情を心のどこかで嬉しく思いながら、秀麗な若き王の顔を見ていたミラアは、彼がその首元を指で掻いたのを目にして、
「ちょっとアンタ、それ」
「うん?」
顔を近付け、首元を凝視する。
未だに赤みの消えぬミラアの瞳に映るそれは――。
「アンタ、首に何か覚えない?」
「首?」
そう言われたヴァルの脳裏に蘇る記憶。
黒いカーテンに覆われた部屋、天井から筒抜けに見えるこの世ならざる美しい星空、天を支配するが如き巨大な月。
絹よりも艶やかで滑らかな、長い黄金の髪。
粉雪よりも白い肌、どんな想い出よりも美しい美貌。
血の海よりも深い赤い瞳と、蜜よりも甘い首筋の痛み。
それが、一滴の水滴が水面に落下して生じた波紋に掻き消された。




