第87話 不可視の残滓
我に返ると、すぐ間近でミラア・カディルッカの美貌が自分を見つめていた。
彼女の赤紫色の瞳に見つめられていることを意識してしまい、なぜか突然顔が熱くなる。
「お、おい、近いだろ」
顔を冷やすように距離を置く若き王を真剣な顔で見ながら、ミラアはただ返事を待つ。
ヴァインシュヴァルツ王子は平静を装い、ミラアを見てからまた目を逸らして言った。
「首……か。思い当たることがないな」
真剣な表情で言う青年は、先程何かを思い出したような気がして気になったが、すぐにどうでも良くなり思考を切り替える。
「首がどうかしたのか?」
「……別に」
ミラアの瞳が、僅かに赤い輝きを帯びる。
部屋を見回すと、この部屋のさらに奥に続く扉が目に留まった。
「ヴァル、あそこは?」
つい旧名で呼んでしまったミラアに、ヴァインシュヴァルツ王子は答える。
「メイクルームだよ」
つまり、身だしなみを整える部屋だ。
「ちょっと借りていい?」
「どうぞ」
ミラアは立ち上がると、ゆっくりと扉に近付いて行き、扉を開ける。
そこは灯りの消えたメイクルームだった。
大きなクローゼットが置かれ、大きな鏡台が置いてある。
そこに目を付け、指で触れる。
「ッ!」
指先と鏡の間に、不可視の何かが奔った。
「どうした?」
ソファーに座ったままだったために、よく見えなかったのだろう、ヴァインシュヴァルツ王子が聴いて来るが、ミラアは不敵な笑みを浮かべて一言。
「――別に」
ヴァインシュヴァルツは少し意味深な顔をするも、とりあえず気にしないようにした。
そして、その代わりとでも言うように、真剣な顔をしてミラアに訊く。
「ミラアはフィーネとは、そう深い仲じゃないんだってな……」
「あーうん」
再びソファーに座りながら、ミラアは何でもないことのように頷いた。
「……じゃあさ、ミラアが革命に協力した理由ってなんなんだ?」
話題を口にしたことで勢いがついたのだろうか、ヴァインシュヴァルツ王子は問いかける。
燭台の光に揺られながら、ミラアは涼しい笑顔を浮かべて、
「フィーネの国を守りたくて、じゃダメなの?」
やや緊張感と気まずさを覚えながらも、ヴァインシュヴァルツは鼻で笑って言う。
「出会ったばっかりの女のために、一国を覆そうとしたのか? だったら攫った方が早いと思うけどな」
「貴方に訊かれたんだけどなー、〝フィーネを助けたくはないかい?〟って」
「……」
ヴァインシュヴァルツは記憶を辿った。
ああ、それに間違いはない。
だが、なぜ自分はそんな途方もない理由を思いついたのだろうか。
心の奥に眠る扉の向こう。
ここではない世界に恋い焦がれるような不思議な心境の中で、どれだけ考えてもその答えが見つからない。
「それにしても、だ」
ヴァインシュヴァルツは話の方向を訂正する。
「俺が訊いた質問に、ミラアはそう答えたよね。俺も確かにそれで納得した。でも、本当は他に理由があったんじゃないか?」
銀髪の美貌、赤紫の瞳を覗き込むヴァインシュヴァルツの赤い瞳。
ミラアは涼しげな笑みを絶やさない。
この国を背負う次期王は、人外の魔王を打倒した得体の知れない女ハンターに問い続ける。
「……ミラアがこの国に来た理由って、なんなんだ?」
「……さぁね。私の言葉が信用できないなら、自分で考えてみたら?」
静止した時間の中で、シャンデリアと燭台の炎が揺れていた。
「……分かった。じゃあ訊かないよ」
ヴァインシュヴァルツは一旦切り上げ、
「ミラアはこれからどうするんだ?」
「これからかぁ」
ミラアは目線をやや上に上げ、遠くを眺めて思案した。
「……もう少し、この国を回ろっかな。ほら、私まだジャスニーから王都までしか知らないし。グレゼン島の北も南も、西にあるカイルランド島も興味あるからさ」
「結局またハンターやるんだ?」
「――――うん。性に合ってると思うから」
「そっか」
しばし沈黙が落ちた。
シャンデリアと燭台の光が、部屋全体を揺らしている。
テーブルに並んだ料理に手をつけるのをやめて、ヴァルはただ座っていた。
視線はやや下向きで遠く、悩ましい雰囲気が見て取れた。
そして、答えは出たのだろう。
ヴァルが重たい口を開く。
「俺は、ミラアがキアラヴァ王国からの使者じゃないかと思ってる」
「へえ」
どうでも良さげに答えるミラア。
「ミラアがこの国に来た理由が、ローザリア卿の暗殺だったというのなら――すべてに辻褄が合うんだ」
「そう」
ミラアの風のような微笑みに、ヴァインシュヴァルツは少し間を置いて、
「教えてくれないかな? キミは何者だ?」
「――――」
ミラアの赤紫の瞳がヴァルを見ていた。
そこに特別な感情はない。
ただ無機質なそれが、まるで感情の無い悪魔のように思えて、ヴァインシュヴァルツの五体から血の気が引いた。
だがミラアは平常心で答える。
「私はキアラヴァ王国からの使者じゃないよ。私はハンター、ミラア・カディルッカ。知ってるでしょ?」
「……そうか」
真意は掴めない。
だが、ヴァインシュヴァルツはそれ以上ミラアに訊くことができなかった。
次期王とは言え、無傷でローザリア卿を圧倒した女だ。
「話は終わり?」
そう訊くミラアに対し、ヴァインシュヴァルツは返事に困った。
本当は、訊きたいことがまだあったからだ。
一つは、ミラアがこの国に来た理由を含む彼女の素性。
そしてもう一つは、この国で役人として働くつまりはないか、という勧誘。
何の役割を任せたいかは、まだ決められない。
そのためにも、彼女の素性に触れたかったのだ。
だが、部屋の空気は既にそれらの質問をさせてくれないようだ。
シャンデリアと燭台の蝋燭は死を恐れて震え、室内のインテリアは完全に黙り込んでいる――――否、そう感じるのはヴァインシュヴァルツの錯覚だ。
己の心が反映したもの。
だからだろうか、とっておきの話を切り出す覚悟ができた。
「……アーティファクトって知ってるよね?」
その名を口にした青年の瞳は真剣だった。
「うん、そりゃーね」
あっけらかんとミラアが言った。
神代の遺産と呼ばれる〝アーティファクト〟
この国に来て戦った、ジャック・シャムシェイルが持っていた魔剣もその類だ。
破格の魔術を秘めたアイテム。
ハンターとして生きる者が知らぬはずのない、一攫千金のお宝だ。
「俺はさ」
と、次期王は口を開いた。
「ミラアには感謝してるんだ。本当に」
「そう」
素っ気ないミラアの態度に関わらず、会話は続く。
「この王都には、この国中から集められたアーティファクトがあるのを知ってるかい?」
「うん」
〝グレザリアの宝物庫〟は、キアラヴァ王国でも有名だった。
「それを、ミラアに見て貰いたい」
その言葉に、ミラアは眉をしかめて目を見開いた。
「なんで?」
「言っただろ。感謝してるって。お礼をしたいんだ」
「……ふーん」
この謎めく女ハンターに王座を奪還してもらった次期王は、真剣な瞳で話し続ける。
「今から俺と宝物庫に来て欲しい。それで、欲しいものがあったら言ってくれないかな?」
ミラアは鼻で笑った。
「欲しいものってさ。波長が合うやつじゃないと使えないじゃん」
「たくさんあるから。見つかるかもしんないだろ?」
ミラアは返事に迷った。
アーティファクトは高価な値段で取り引きされるため、たとえ持っていたとしても、ハンターのような者なら気安く使うことができない。
仲間に寝首を掻かれる恐れもあるからだ。
無用の長物ではある。
だが、一度見ておくのはいいかもしれない。
〝グレザリアの宝物庫〟に保管される、今日までに発掘されたアーティファクトを。
「そこまで言ってくれるなら……一回見させてもらおっかな」




