第83話 誰も知らない物語 2
だが、夢は所詮夢であった。
突如帰宅した領主は、自らの居城にて戯れる二人と顔を合わせた。
キュヴィリエに激怒した領主は、剣を抜いて伴侶を寝取った男に襲い掛かった。
もう二人には、殺し合う以外に道は無かった。
そして、この国で〝護国卿〟に敵う者などいない。
二人の衝突は勝負になるわけもなく、キュヴィリエが領主の死体を見下ろす形で決着がついた。
キュヴィリエは、女を見た。
なぜか女は、発狂したようにキュヴィリエを否定した。
そもそもが歪んでいた絆は、砕けることでその真実を世界に晒したのだ。
領主夫婦と、駆け付けた従者たちの死体に囲まれ、部屋に一人残されたキュヴィリエはただ泣いた。
最愛の人によく似た、次なる最愛の人。
再び出会えたのに、再び訪れた別れ。
呪いの言葉を吐かれながら終えたその縁は、外ならぬこの手で締めくくったのだ。
不意に、部屋の扉が開いた。
視線を向けたそこには、まだ幼い赤い髪の少女ジェルヴェールが立っていた。
そして――――その数刻後。
熱気を撒き散らし、燃え盛る屋敷の横に立つキュヴィリエの腕の中には、魔術によって眠らされたジェルヴェールの姿があった。
もう持ち主のいない馬車を駆って、キュヴィリエは王都へ戻った。
秘術にて記憶を封じた、まだ幼いジェルヴェールと共に。
「護国卿が戻られたぞ!」
〝竜殺し〟――キュヴィリエが行ったその事実は、王妃シャーロットの息が強くかかった、公平な調査団の派遣によって確認された。
王都を中心としたグレザリア王国領内で、キュヴィリエは英雄として称えられた。
謁見の間にて報告した内容――自分に従軍した一個中隊が、ドラゴンによって全滅したこと。
その後、キュヴィリエが療養していた領主の館が賊に襲われ、壊滅したこと。
これらも、調査によって発見された、焼けた一個中隊の死体の山と、焼けた屋敷によって事実であると判断された。
周囲に秘匿してきた類の魔術によって、ジェルヴェールの記憶を封じた以上、キュヴィリエ以外に真相を知る者はいない。
一人の男によって偽造された事実は、人々の中で真実として認識され、さらに尾鰭をつけて語られていった。
幼いジェルヴェールは、自分を療養してくれた恩人である領主夫婦の娘であるということから、キュヴィリエが養子として引き取ることになった。
その本当の理由は、赤い髪の少女に似ていたため――つまり彼の個人的なものに過ぎなかったのだが、そんなことは他の誰もが知る由もない。
こうして事件を終わらせたキュヴィリエだったが、自分に平穏が訪れることはないという憂いは残る。
王が再び自分に対して無理難題を押し付け、死地へと駆り出すことなど目に見えていたからだ。
キュヴィリエは、もう〝護国卿〟という地位を利用され、王の傀儡へと成り下がり、無意味に死地へと駆り出され、背後から部下たちに刺されて生きていくつもりなどなかった。
赤い髪の少女や、ハバートに顔向けできるよう――――その一心で築き上げた歴史など、従軍を壊滅させ、恩人の屋敷を焼き払った時点で幕を降ろしている。
赤い髪の少女に瓜二つのジェルヴェールが愛おしく、彼女から離れたくないという想いもあった。
自分のいない間に、愚王の膝元で彼女が育てられるのが許せないという想いもあった。
キュヴィリエは幸い王妃シャーロットに好意を寄せられており、義娘ジェルヴェールはすぐに王子ヴァインシュヴァルツと親しい間柄になっていた。
キュヴィリエの密かな進言により、王妃シャーロットは彼に対し、護国卿として王都から離れぬようにと命じた。
王妃とはいえ、シャーロットは王家の直系である。
婿養子として王座を継いだ王よりも、王妃を強く慕っていた貴族たちが多かったため、王も反論することはできなかったようだ。
その際に、王妃シャーロットがキュヴィリエに要求したことは、自分との蜜月関係だった。
見守るべき、親友の曾孫――そんなことは、彼にとってもうどうでも良くなっていた。
自分は既に、王家の血筋でない現王の傀儡である。
自らよりも強い立場にいるシャーロットを守ることなど、この社交界において出来る身分ではない。
分不相応な夢など見るものではない。
あの日、破れなかった檻。
助けられなかった赤い髪の少女。
自分の無力さをようやく悟っていた。
幼い頃から恋し愛していたと朗らかな笑顔で語り、自分と共に蜜月を過ごす王妃シャーロット。
彼女は、キュヴィリエ、そして自らの息子であるヴァインシュヴァルツと、キュヴィリエの義娘であるジェルヴェールの三人を、本物の家族のように想い、共に過ごすようになった。
そもそも王族の婚姻など、有力貴族との政略結婚が常である。
個人としての恋愛など、愛人のような関係によってしか得ることが出来ないというのが、王族として自分を曲げずに生きて来た彼女の持論だった。
決して自分に懐かないヴァインシュヴァルツ王子を、キュヴィリエはそれもまた善しと心から笑い、そんな二人を大好きだと言うシャーロットとジェルヴェールがいた。
そして――そんなすべてを、王は憎むように見つめていた。
王妃の力により王の支配下から離れても、キュヴィリエは国の安定とハバートの子孫が健やかに生きられるようにと、最低限の使命だけは忘れずに過ごしていた。
時折思い出す、親友ハバートの笑顔。
初代グレザリア王国。
あの頃の仲間たちは、もう誰もいない。
宮廷には、もう同志など一人もいなかった。
いるのは、自分に陶酔する貴婦人や令嬢たち、そして自分を憎む彼らの伴侶や父親たちばかり。
彼らの先祖の面影などそこにはなく、ましてやあの頃の社交界など見る影もなかった。
そんな空気が、シャーロット、ジェルヴェール、ヴァインシュヴァルツと共に幸せに過ごす傍らで、キュヴィリエに深い悲しみを与えていたことはシャーロットしか知らない。
自分は一体何のために護国卿として生きているのか、時折疑問を覚えたものだった。
現王の器の小ささ。
国を想う気持ちではなく、凡俗な感情に生きる王。
かつて親友に守ると約束したグレザリア王国が、奴によって腐敗していくのではないだろうか。
ある夜、目が覚めると、キュヴィリエは自分の頬が濡れていることに気付いた。
そこはいつもの寝室ではなく、今なお遠い記憶の向こうに眠る、あの村の檻の中。
まだ幼い頃の自分に、赤い髪の少女が笑いかけてくる。
「もう行かなきゃ」
「なぜ?」
幼いキュヴィリエは引き留めたが、少女は悲しそうに言った。
「もう貴方のことが嫌いだから」
その言葉を聞いて、シャーロットの顔を思い浮かべたキュヴィリエに、少女は続けて訊いた。
「なんで守ってくれなかったの?」
その言葉を最後に、視界が暗転した。
暗闇の中、遠くから少女の泣き叫ぶ声が聞こえて、それが一層大きく跳ね上がる。
目を開けると、夕日に焼かれた檻の外で、血まみれの小さな身体が引きずられていた。
取り返しのつかない大切な何かが、確かに壊れた。
再び視界が暗転し、幼いキュヴィリエは檻の外――広大な夜空の下に立っていた。
「君がつくるんだ」
今でも心に甘く溶け込む、蠱惑的で美しい声。
金色の長い髪を伸ばした女王リリスは、雪のように白い掌で、幼さを残すキュヴィリエの華奢な掌を握った。
彼女の赤い瞳は不敵に笑う。
満天の夜空に煌めく星々と、その中央で輝く満月がこの身を祝福してくれた――はずだった。
彼女の姿が変わる。
「※※※※※※」
それは、竜殺しを終えた後に、この命を救ってくれた赤い髪の貴婦人。
ジェルヴェールの母親。
彼は死に際に呪いの言葉を吐いた。
記憶に蓋をしてしまって思い出せない、その内容はなんだったのだろうか。
そして――キュヴィリエは、再び檻の中に座っていた。
檻が妙に狭いことから、今自分は大きく育った自分なのだとすぐに理解した。
目の前には、どこかで見たことのある黒髪の少年が座っていた。
幼い頃の自分だとすぐに分かった。
少年は、背筋が寒くなるような視線をキュヴィリエに向けて言う。
「全部お前のせいだ。お前は力を持っても何も変わらないじゃないか。なんで他人に任せたんだ? なんで守ることをやめたんだ?」
続けて少年の隣に現れた初老の男ハバートは、恨むような目でキュヴィリエに言った。
「なぜ国を、グレザリア王国を奪わせたんだ。あの愚かな男に」
やはり、ハバートにとっても現王は愚王なのだろうか。
幾度も繰り返し見た悪夢。
それはある種の予知夢だったのかもしれない。
ある朝、王妃が暗殺され、王子が誘拐された。
キュヴィリエは、容疑者として王に呼び出された。
犯人が誰かなどすぐに確信した。
既に焦燥感に至った怒りと、完全なる失望を含めた冷たい瞳で向かう謁見の間。
天井には大きな天窓が幾つも設けられ、壁には幾つもの装飾窓が並んでいて、陽の光が室内に差し込んでいる。
かつて玉座に座るハバートの横で、彼と共に謁見を行っていた記憶が蘇る。
(「どうだキュヴィリエ、いい眺めだろう?」)
かつてこの場所で玉座に座り、そう言って笑った太陽王。
今、その玉座には愚劣な王が座り、その左右には無能な大臣たちが立ち、その横には〝剣聖〟ディルク・ディア・グレイス公爵の姿があった。
なるほど、ここで〝護国卿〟キュヴィリエ・ディア・ローザリアが謀反を起こした際に、打つ手は彼だということか。
舐められたものだ、と思った。
左右には幾人もの王家近衛騎士や宮廷魔導士たちが並んでいるものの、彼らなどキュヴィリエの敵ではない。
この愚王は、自らの手駒の力量を計る能力さえ持ちえないのだ。
「キュヴィリエ・ディア・ローザリア!」
大臣が高らかに言った。
「貴様には、王妃の暗殺並びに、王子の誘拐容疑が掛けられている!」
何を話した所で無駄だろう。
王による嫌疑は、国の決定だ。
そして、王妃を暗殺したのは自分ではない。
キュヴィリエは玉座の上を睨んだ。
王は不快そうな顔で、キュヴィリエを見下ろしている。
「お前だろう」
キュヴィリエの心の言葉は、強く口に出ていた。
「シャーロットを殺したな」
「な……!」
王に対する失敬な発言故か。
それとも、容疑者の口から出た言葉に、家臣たちが内心同意していたが為か。
室内に、緊張が走った。
謁見の間が地獄絵図へと変わるのは一瞬だった。
焼けた部屋の中央に残った生者は、護国卿と剣聖の二人のみ。
王の死に気が動転しながらも、勇敢に双剣を構える若き剣聖にキュヴィリエは訊いた。
「お前もグレザリア王国を裏切るつもりか?」
護国卿の言葉に、剣聖は顔をしかめた。
思い当たる節があるのだろう。
だが、剣聖は訊き返した。
「なぜ、俺を殺さない?」
キュヴィリエは冷たい瞳で、王家近衛騎士団団長を見据えて言った。
「正当な血筋である王妃は、奴によって殺された。お前は誰に忠誠を誓ったのだ? もしお前がグレザリア王国ではなく死した愚王に義理立てし、このままこの国を終わらせるというのなら――――ここでその生涯を終わらせる。だが――――」
キュヴィリエは、自らが国の運営を行えること、さらに王不在の際には護国卿に国を任せるという初代国王からの遺言があったことを胸に、
「――――真にこの国を想うお前を殺すことは、初代王との約束を破ることに等しい」
そう語ったキュヴィリエに、剣聖は何を思ったのか。
騒ぎを聞きつけ、謁見の間に走り込んできた兵士たちに、剣聖は言った。
「護国卿は王妃を亡き者とした犯人ではない。その容疑が晴れたことを恐れた賊の手によって、王は亡くなられた」
その身に穢れた血を宿し生まれ、運命に見放された名も無き少年が、グレザリア王国を手中に収めた瞬間だった。




