第82話 誰も知らない物語 1
だが、キュヴィリエは強く生きた。
そして数年後、親友であるハバートが病に倒れた。
人類の支配するグレザリア王国、栄光あるその初代王は死に際に言った。
「キュヴィリエ、君に家族と、この国を任せたい」
「安心しろ」
力強くそう言った心は、親友の死別に対する悲しみよりも、眠りゆく友に憂いを与えんとする想いに満ちていた。
「君には、領地が無い。だから、名字が無い」
「いらないよ」
もう初老となった年の近い親友に、未だに若き青年は微笑んだ。
だが、王は続ける。
「君に、〝此国地盤〟の名字を授ける。つまり、この王都の一部を君に……」
そこまで言って激しく咳をするハバートの背に手を貸し、キュヴィリエは言う。
「いや、それはできない。ハバート、私は君のコドモたちを支えていく役割だ」
それを聞いて、王は言った。
「ならば、その意味が悟られぬように略し〝ローザリア〟でどうだ?」
「それは……」
「領地がいらないのなら、意味合いでいい。この国の安定、存続。存在そのものが君に任せる領土だ。それ故の、この名字……」
王は、かつてキュヴィリエを魅了した力強い瞳で言った。
「重たいものかもしれないが……受け取ってくれるね? 護国卿」
キュヴィリエは強く頷いた。
王は安心したように笑って、永遠の眠りについた。
キュヴィリエは、最後まで涙を見せなかった。
キュヴィリエは最後まで親友に憂いを与えることなく、その見送りを果たせたのだ。
二代目の王は、ハバートの息子だった。
彼と国を想い、見守った。
動いた。
風土風潮の変わりゆく社交界の中で、護国卿の名に恥じぬよう国と王を護った。
年老いぬ〝社交界の白き華〟キュヴィリエ・ディア・ローザリアは、女を魅了する悪魔だ。
そんな噂がいつも付いて回ったが、それは己の武器にもなった。
社交界における治安の維持は、決して武力や権力だけで行われるものではないからだ。
そして、時代は変わる。
善しとするもの、悪しとするもの。
そして、生まれては死んでいく人々の面々も。
そして、国におけるキュヴィリエの必要性も。
三代目の王が就任した頃、〝人外〟の居場所など、この国のどこにもなくなっていた。
虚しい日々の果て、四代目の王はハバートとは何の関係もない男だった。
ハバートの血を引くのは、王妃であるシャーロット・ロ・ドゥ・グレザリアだったからだ。
社交界の女たちは、こぞってキュヴィリエを求めていたが、その中にはシャーロットの姿もあった。
そして、キュヴィリエに嫉妬した男たちの中には、やはり王の姿があった。
強い嫉妬は、その相手に対する悪意を生む。
王という権力を駆使した様々な仕打ちは、キュヴィリエの護国卿という地位に準じたものだった。
与えられる無理難題をこなしていったキュヴィリエの成果は、王やその側近の貴族たちの利益になるだけではなく、賭け事の対象にさえなっていた。
そして、後に〝竜殺し〟の名を得た日。
一個中隊を率いてドラゴン討伐に赴いたキュヴィリエを迎えたのは、ドラゴンを目にして恐れを抱いた味方による、背後からの不意打ちだった。
兵士は言った。
「アンタは死神だ! アンタがいるから、アンタに従軍して死んでいく兵士たちが何人いると思ってるんだ!」
王から押し付けられる無理難題。
駆け抜けた自分の横や下では、多くの兵士たちが命を落としていたのだから無理もない。
自らの死か、友軍の死か。
国のために生きた〝護国卿〟としての絶望の最中で、キュヴィリエは自らが生き永らえることを選んだ。
友軍を虐殺し、焼き尽くし、己一人の力でドラゴンを討伐した。
瀕死の重傷によって意識を失い、小川に流れた。
自分を救ったのは、赤い髪の少女に瓜二つの少女だった。
ジェルヴェールという名のその少女は、その地の領主の娘であり、キュヴィリエはその母と従者たちに屋敷に運ばれ、介抱された。
亭主は留守で、城にはジェルヴェールと、彼女によく似た母親がいた。
キュヴィリエは、その若き貴婦人に、かつて強く愛した赤い髪の少女の面影を見た。
若き貴婦人はキュヴィリエを知っていたようで、死に別れた少女の話をするキュヴィリエに、自分の出生はよく分からないのだと言った。
そう口にすることで、キュヴィリエの気を引こうとしたのかもしれない。
そこに嘘偽りがあったとしても――既に百年の時が流れ、赤い髪の少女が目の前の彼女でないことは明白だとしても――惹かれ合い、誘い合ったのは事実だ。
甘い日々は、キュヴィリエのすべてを肯定してくれた。
過ぎ去った日々が、これで良かったのだと囁いた。
〝報われる〟ということが、これ程に甘美なものだと生まれて初めて知った。
地位も損得も何もない。
ただ、吸い寄せられるように。
深い泥濘に、足先から頭の先まで包まれていくように。
そして、太陽や月が光るべくして光るように。
夢のような時間は、キュヴィリエがいつか呪った〝運命〟から、ようやく届いた贈り物だと思った。




