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幾千夜の誓いを君へ  作者: 月詠命
八章 統べる者
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第78話 初めて触れる心




 自らの限界を超えた力を発揮し、まだミラアの底を知らぬ魔王ローザリアは、夜よりも深い瞳をやや下に向けた。


 上空から、ミラア・カディルッカがゆっくりと降りて来る。


 赤く光るその瞳には、先程まで見せた高揚感や笑みはなく、いつかの夜に月読の塔で自分に向けていた凛とした慈しみだけが浮かんでいるように思えた。


 この夜、グレザリア王国の魔王を超えた女。

 彼女から目を逸らすも、魔王に同じくしてゆっくりと下降していく。


 感触さえ覚えるミラアの視線に再び目を向けるが、やはり俯くように逸らす魔王ローザリア。

 その視線は、白亜の王城の下に広がる白銀の庭園に向けられていた。


 少し離れた箇所で、未だに火事の残る王城。

 やがて二人は、その屋根の上へと降り立った。


 図らずも、そこは先程開戦した謁見の間の屋根の上。


 二人の左右に、巨大な氷竜がゆっくりと舞い降りて来る。

 意図せずして、大量の冷気が冷たく二人を包み込んだ。


 ミラアは、ずっとローザリア卿を見つめていた。


 ただ美しい、黒髪の青年。

 この国を創った伝説の魔術師にして、百年を超える時を生きた護国卿。

 国外では、今世紀の魔王と呼ばれている男。


 ここでこの男を殺せば、ミラアの仕事は終わりだ。

 だが。


 ミラアの脳裏に、舞踏会での思い出が蘇る。


 グレザリア王城のダンスフロアで、初めて出会った時の光景。


 重なった視線。

 かつて決して薄れることのない自信を感じさせ、今なお死を覚悟しながらも変わらない精悍で真摯な瞳。


 あの悪魔にも思えた甘い表情と妖艶な雰囲気は、ただこの青年の持つ独特な心の在り様だったのだと今なら分かる。


 理解や共感を超えた、潰えることのない安らぎをくれた微笑み。


 理解して欲しいと思うところまでを理解し、信じて欲しいと思うところまでを信じ、伝えられればと願う彼女自身を確かに受け取ったと安心させてくれる。


 それでいて、世の残酷さに負けない強さで、きっと自分を守ってくれる。


 あの夜、直感的にそう感じさせた青年。

 フロアいっぱいに鳴り響いたオープニングのファンファーレ。

 ミラアに優しかったこの国の支配者の手。

 共に抱き合うように踊った円舞曲。


 周囲から集まった視線と聞こえた声は、すべて二人を祝福するものだった。


 忘れもしない、幾度も貰った察しと思いやり。

 そして純粋な遠慮と気遣い。


 月読の塔の上では、この殿方の心に少しだけ近付けたような喜びを感じた。


 そして、今目の前に佇む青年。


 一切の命乞いをせず、死を覚悟してなおミラアに怒りや恨みを抱いていない精悍な瞳。

 人智を超えた闘いの末に、実力で自分に敵わないと理解し、自ら矛先を納めた若き魔王。


 もう足掻くつもりはないのだろうか。


 沈黙に耐えられなくなったのはミラアの方だった。


 今再び込み上げている、吹っ切れたはずの迷い――それに負けない勇気を以って、唇から言葉を溢す。

 言葉にならないこの想いを、代弁するように。


「もう一度、訊くよ。この国を――ヴァインシュヴァルツ王子に譲るつもりはない?」


 俯くように訊くミラア・カディルッカに、ローザリア卿は少しだけ意外そうな顔をした。


 そして僅かに微笑み、遠くを見てから訊き返す。


「ヴァインシュヴァルツが王になれば、戦争は起きないと?」


 ローザリア卿の言葉に、ミラアは黙って頷いた。


「では、私はどうすればいいんだ?」


 鼻で笑う青年に、ミラアは俯いたまま大声を上げる。


「側近になればいい! 貴方の知識なら、国の役に立つでしょ!」


「人外の身で、か?」


「……ッ!」


 ミラアは歯を食いしばった。


 永年殺し続けて来た感情が、一気に湧き上がってくる。

 自覚もなかった。

 自らが忘れるほどに、殺し続けてきた一つの願望。


「貴方だって……幸せになっていいはず……!」


「それは――――――君自身のことだろう?」


「……!」


 ここに他の誰かがいたとしても、きっと意味が分からないであろう会話。

 だが二人は通じ合っていた。

 分かり合っていた。


 ローザリア卿は、かつて共にこの国を興した親友――初代王ハバートを思い出した。


 そして、歴代の王と様変わりしていく国全体。

 数多の貴族たちによって構成させる社交界の面々とその変化。

 この国で権力を駆使し、統治という義務を担う彼ら、そして彼女たちが生まれ、育ち、やがて老いて先立っていく。

 その子孫たちも同じく。


 独りずっと見守りつつも、一度も好きになれなかった、この国の有力者たち。


 想起するすべてを今改めて見つめ直し、眼前で小さな肩を震わせる美女に言葉を届ける。


「無理だ。私も、そして君も」


「……!」


 ミラアは、赤い瞳でローザリア卿を睨みつけた。


 それでもなお、青年の瞳はミラアを抱きしめるように優しかった。


「他者に委ねるということは、己が守りたいものを投げることに等しい。それに、英雄とは歴史を塗り替えるものだ」


 王城の、謁見の間の屋根の上。

 夜空に聳える天守の横、そしてさらに高い月読の塔の下。


 月明かりに光る白亜の城と王都の夜景を背に、ローザリア卿は語り始めた。


「悪しき前王を倒すという過程が、人々の信仰――確固たる地盤をつくるのだ。王国連盟の各王家が、それぞれ暗黒時代の魔王たちを倒したという歴史を持つように」


 満天の星空には、輝く満月が一つ佇んでいた。

 中庭の向こうでは、小さくなった炎が未だに揺れて、城の一部を焼いている。


 この世ならぬ闘いを目の当たりにしてか、ここより低い屋根の上や中庭へと駆け付けた幾人かの黒騎士たちは、二人を見上げながらも近付くことができずに立ちすくんでいた。


 彼らを見下ろしながら、ローザリア卿は続ける。


「私が自らこの地位を降りぬ以上、ヴァインシュヴァルツが王位を継ぐためには、私を悪として倒さねばならない。それが歴史の作り方だ。でなければ、社交界に示しがつかない。太陽王ハバートが、女王リリスを討伐してこの国を興したようにね」


 ローザリア卿はミラアに視線を戻して、


「それに、社交界だけではないんだ」


 そう言ってから、今世紀の魔王の名を冠する青年を包む空気が変わった。


 視認できるようなそれは、覚悟のただ一色。


「だがな、前世紀の魔王よ。私は、死に場所は自分で選ぶ」


 その台詞は、誰に宛てたものだったか。


 精悍さを超えた覚悟に染まった、青年の整った顔。


 夜よりも深いその瞳から流れ落ちたのは血の涙。

 術者の身に余る魔術の行使、その代償である〝リバウンド〟だ。


 突如、ミラアの周囲の空間にヒビが入り、硝子が割れるように砕け散った。


 一瞬の出来事を超えて、ミラアが立っていたのは、もうグレザリア王城の上ではなかった。


 そこは、冷たい場所だった。


 漆黒の空には星々が輝き、満月の光がすべてを照らしている。


 どこかの村だろうか。

 小さな、歪んだ家々が並んでいる。

 決して裕福な村ではないと思う。


 深夜、人気のないその光景は、ミラアに不思議な感慨を与えた。


 ミラアが立っているのは、鉄格子の中だった。

 むしろ〝檻〟と言った方が近いかもしれない。


 決して人間が入るような場所ではない。


 しかし、ミラアの足元には二人の子供が座り込んでいた。


 ミラアのことが見えないのだろうか。


 黒髪の少年と赤い髪の少女は、一枚のボロキレにくるまれたまま、ただ檻の外を眺めながら二人寄り添っている。


 黒髪の少年の顔――長すぎる髪に隠れたその風貌を覗き込むと、人相が大きく異なるものの、やはり〝彼〟の面影がある。


 幼い頃の、キュヴィリエ・ディア・ローザリアか。


(無茶しちゃって。深層意識から混ざりものが出てるじゃん)


 ミラアは、まだ幼いキュヴィリエを見ながら胸中で呟いた。


 先程、王城の上で血の涙を流した彼の姿を思い出す。


 身の丈を超えた魔術の行使。


 今ミラアを閉じ込めているこの〝異世界〟は、キュヴィリエが創り出すことのできる中で、最強の結界なのだろう。


 魔術の原動力は、魔力ともう一つ〝想いの強さ〟。

 その最たるものでは、信念やトラウマなどの深層意識が物を言う。


 術者にとって、この光景が最も強い想いに繋がるものであり、かつてこの檻が何よりも硬く破ることができなかったということか。


 そして、これはきっとキュヴィリエの過去そのもの。

 百年以上前に、現実で起きた出来事なのだと確信する。


 檻の中から見える外の世界は、月明りに照らされて雪景色のように白く輝いている。


 ミラアの心が、ふと既視感を覚えた。


「あ……」


 グレザリア王城の庭園。

 ダンスホールの外に設けられたバルコニーや、月読の塔から見えた白銀の景色によく似ているのだ。


〝義父が好きな景色なんです〟


 ジェルヴェールの言葉を思い出す。


「……」


 胸に去来する感情。


 想い人を少し理解したという喜び。そして、完全なる失恋。


「……引きずりすぎでしょ」


 その批判は嫉妬。

 きっと、今なお彼の想い人なのであろう、赤い髪の少女を見る。


 幼い少年の隣に座る幼い少女は、やはり誰かによく似ていた。


 ジェルヴェール・ディア・ローザリア。


 この少女の面影があったから、彼女を引き取ったのだろうと予想がつく。


 もう百年以上前の記憶だ。

 この少女が生きていることなど在り得ない。


 そこで、ミラアはふと大きな違和感を覚えた。


 不安に似た感情に急かされるように、ミラアは少女の前に座って、その顔を覗き込む。


 この心を奪い去った、ローザリア卿の甘い笑顔。

 あれは誰のために用意されたものだったのか。




 

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