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幾千夜の誓いを君へ  作者: 月詠命
七章 残月の叫び
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第75話 月下の騎士 2




 状況は絶望的だった。


 黒の騎士団副団長エル・エスパーダ。


 フィーネの父〝剣聖〟ディルク・ディア・グレイス公爵とその座を争い、この国の〝最強〟の座を掴めなかった男。


 ただし、それはあくまで〝剣聖に勝てなかった〟というだけの話ある。


 武芸百般、魔術に至るまで多くを修めたこの男。


 見たところこの男の本領である重武装はしていないようだが、例え剣術だけの戦いでも、フィーネが太刀打ちできる相手ではない。


 ヴァルは恐怖に身を竦めながらも、涼しく不敵な笑みを浮かべて、余裕を含んだ口調で言う。


「月が綺麗な夜ですね、エル・エスパーダ」


「そうですね。風も涼しい」


 星空と満月を背景に、夜風に吹かれながらエル・エスパーダはそう答えた。


 革命の王子は続ける。


「貴方は僕によく投資をしてくれた」


「ええ、おかげで財を膨らませて頂きました」


 シュバイン商会のスポンサーは、社交界にも多くいた。


 黒の騎士団副団長もその一人だった。


 ヴァルは続ける。


「戦争なんかやめて、またご一緒に大儲けしませんか?」


 黒の騎士団副団長は答える。


「ええ、それは素晴らしい。御一緒にキアラヴァ王国を返り討ちにして、また商いに精を出しましょう」


 彼の言い分では、前提が戦争をする方向になっている。


 ヴァルは苦い表情を浮かべて、少し殺気立った瞳でエル・エスパーダを睨む。


「俺は元王子だ。俺が王になれば、キアラヴァ王国は軍を出して来ない」


 そう言うヴァルに、エル・エスパーダは声を出して笑った。


「あの銀髪のハンターが、護国卿に勝てると。そう聞こえるのは気のせいですかな?」


(こいつは、ミラア・カディルッカと関係がない?)


 キアラヴァ王国に靡いた売国奴ではなく、完全なローザリア政権派ということだろうか。

 ヴァルの頭に再び疑念が浮かび上がる。


 もう何が真実なのかが分からない。


 エル・エスパーダが、腰に添えている獲物を抜いた。


 通り名にもなっているそれは、遠い異国の片刃剣〝カタナ〟が二振り。


「あの方は最強のお方。そしてこの世は〝勝てば官軍〟――――故に、あの方の前ではすべてが逆賊となる。この国で、逆賊は死罪です」


 エル・エスパーダの全身から鬼気が広がる。


 冷たい刃――月光を照り返す美しいカタナが、持ち手の眼光によって恐怖の象徴に変わる。


 意識が凶器に吸い込まれるのを、フィーネは理性で堪えた。

 敵の武器に気を取られては、全身の動きを読むことができなくなるからだ。


 負傷したヴァルとジェルヴェールは、ハッキリ言ってお荷物だ。


 戦えるのはフィーネ一人で、相手はかつて〝剣聖〟と腕を比べたエル・エスパーダその人と、さらに十数名の黒騎士たち。


 幾人もの敵が持つ抜き身の二刀が、フィーネの身体を斬り刺し殺さんと、迷いの無い輝きを帯びている。


「……ノブレス・オブリージュ(高貴なる者の責務)」


 フィーネは震える声で呟いた。


 立ち向かうべき脅威を前に、それは自らに託す祈りにも似ていたかもしれない。


 薄い雲が流れる星空の下、月明かりに照らされた白い尖塔たちが並ぶ戦場。


 眼下に広がる街灯りの上で、フィーネは自分の位置と敵の位置を確認した――せめて善戦できるようにと。


 だがそんなフィーネの想いに反して、絶望的戦力差を埋める一声は、そのさらに上空から降って来た。


「逆賊の取り締まりもいいがな――――囚人が逃げたぞ副団長殿」


「?」


 エル・エスパーダが満天の夜空を見上げるのと、黒い影が飛来して来たのは同時だった。


 高い次元で剣に生きる男の条件反射、咄嗟にカタナで受け止め流したそれは、新たなる登場者の剣の一撃。


 全体重を乗せた一撃を受け流された襲撃者は、身体をコマのように回転させて二撃目を放つ。


 それを辛うじて受け止めたエル・エスパーダの瞳に映る襲撃者は、黒いマントに身を包み、額に浮かぶ十字傷の下に鷹のような眼光を灯していた。


「ジャック・シャムシェイル! 君主を裏切る気か!」


 国を、そして黒の騎士団を裏切った男を前にし、怒りを顕わにする副団長。


 間合いを取るように後方へ大きく宙返りをし、大棟の上に着地した若き脱獄囚は淡々と言う。


「俺は、フィーネを守るために黒騎士になった。俺がいつ、フィーネを裏切ったんだ?」


 フィーネ、ヴァル、ジェルヴェール。

 三人の眼前にて、黒の騎士団を相手に無造作に佇むジャック。


 八年前の記憶を呼び起こす光景に、フィーネは目を見開いた。


 〝黒の副団長〟と〝剣聖の後継者〟この国で二位を競う二人の双剣が夜に踊る。


 青年の剣撃は、土砂降りの雨に似ていた。


 首を斬り落とし、眼球を貫き、心臓を抉り、胴を貫いて手首を斬り落とさんとする冷酷な双剣の連撃。


 若き猛攻に対し、エル・エスパーダは熟練のカタナ捌きで辛うじて受け続けるものの、追い切れぬと判断して後ろに大きく跳躍した。


 間合いをとった副団長に視線を向けたまま、ジャックは背後で息を呑むフィーネに言う。


「待たせたな、フィーネ。あれから八年たった――――今ならお前を守れる」


「……」


 言葉が出ない。

 応える言葉など見つかるわけもない。


 幼い頃、夜中に屋敷を抜け出したフィーネを守って、額に傷を負ったジャック。


 あれから疎遠になり、〝剣聖の後継者〟という呼び名が王都に響いても、もう殆ど目を合わせてくれなくなっていた幼馴染。


 頼りなかった背中は今目の前で大きく、最強の脅威と真っ向から対峙している。


「お前たちもだ、ヴァインシュヴァルツにジェルヴェール。今ならお前たちと、対等に肩を並べられるだろう?」


 ジェルヴェールは知っていた。


 いつも、遠くから、ジャックを見守っていたのだから。


 誰よりも彼の苦労を知る少女は、その努力と成果を前にして、何かを強く訴えるようにヴァルを見た。


 幼き日のみんなのリーダー・ヴァルは呆気に取られていたが、すぐに頭を冷やすと、いつも通り鼻で笑って、


「相変わらず馬鹿だなお前は。だから、俺はお前を見下さなかったんだ」


 こうなることなど知っていた。

 分かりきっていた、と。


 つまらないことだと言った風に語る王子の顔は、いつになく幸せそうだった。


 それをどう捉えたか、脱獄囚は一歩前に出る。


 エル・エスパーダはジャックの握る二振りの剣を目に留め、淡々と言う。


「我らがグレザリア王国の誇る監獄から脱獄者が出るとはな。歴史的汚点だ」


(それは結果によるだろう)

 見守るヴァルはそう思った。


「歴史的快挙と言って貰いたいものだ」


 そう言ったジャックの手に握られた二振りのサーベルは、神代の遺産と言われる〝アーティファクト〟の一種だ。


 その刀身に宿る破魔の力は比類なく、例えエル・エスパーダの魔術とて脅威にならない。


 顔をしかめるエル・エスパーダに、ジャックは無言で狙いを定める。


「先程、疲弊したミルバーン兄弟を捕えた」


 その言葉にヴァルの顔色が変わるものの、エル・エスパーダは続ける。


「私の魔術を封じた程度で私を倒せると。その思い上がりもろとも斬り捨ててくれよう」


 エル・エスパーダは、両刀をだらりを下げたまま、その重心を水のように溶かす。


 その動きは亡霊のようにも見え、風に流れる霧の如く、ジャックとの間合いを詰める。


 そして、その太刀筋は柳のようにしなやかで、小鳥のように細かく、まるで危険なものでないといった空気を纏ってジャックの首筋を撫でて来る。


 刃物は、人体を傷つけるものだ。そんなことは誰でも知っている。


 包丁で指を切り落とせるように、刀剣で人の肉を斬り落とすことは容易い。


 異国の片刃剣〝カタナ〟、殺気の消えたその太刀筋に壮絶な危機感を覚えながらも、ジャックは双剣を巧みに操り、死傷されるのを回避する。


 エル・エスパーダの剣捌きは、〝連撃〟などと表現できるものではない。


 押し寄せる波の如き柔らかさ、決して勢いを必要としない〝刃を滑らせる〟ことを重点に置いた、幾重にも続く死刀の舞い。


 負けんとばかりに押せば受け流され、引けば漬け込むように攻め込まれる。


 喉を狙った突きを繰り出せば、やはり触れるように受け流され、返す刃で手首や首を狙われる。


 ならば、狙うは流水を穿つ土砂降りの如き剣。

 つまりは受け流せぬ程に細かい連撃である。


 そうして繰り出したジャックの剣舞も、今は敵に攻撃をさせぬための手段にすぎない。


 敵に防御させている間は攻撃されることもない。

 そう思えてしまう程に、眼前にて鬼気迫るエル・エスパーダの技量は高かった。


 だが、それは言うなれば知識と経験、そして〝技の磨き〟の話に限る。


 若さとスピード、そして威力を伴う猛々しさでは、ジャック・シャムシェイルは黒の副団長に勝っていた。


 攻撃がすべて読まれていようと、反撃する隙を与えなければ関係ない。


 攻撃がすべて受けられようと、相手が苦手とする角度の一撃を探っていけば光明は射す。


 相手を攻略する――それが〝見切る〟ということであり、それは戦いの最中に自分が得意とし相手が苦手とする戦いを再現するためのものに他ならない。


 首を狙った、右剣の左上からの袈裟懸け。


 手首を狙った左剣の斬り落としから、繋げる右下からの逆袈裟。


 面を狙った右剣の唐竹割から、喉を狙った突きに繋げ、左剣の胴突き、敵の反撃を右剣で払い――。


 組み上げる連撃パターンは敵の動きに対応することで常に変化し、その技数は無限に至る。


 同門対決を禁じたグレザリア王国王宮近衛騎士団二刀流剣術――黒の騎士団も愛用するこの剣術には〝二天破り〟と呼ばれる秘伝の型がある。


 それは二刀を同時に斬る、突く、受けると操るための極意であり、同門を相手にした際に最も有効だとされる技法だ。


 剣聖の後継者とされるジャックも、黒の騎士団副団長であるエル・エスパーダも、双方共それを身に付けている。


 よってお互いのそれが決定打になることがなく、こうした戦いが展開されていた。


 だが、それは黒の騎士団最高峰の実力を誇る二人においての話である。


 副団長の戦いを邪魔する気がないのか、周囲の黒騎士たちは暴風に身を躍らせ、双剣を構えるフィーネに襲い掛かって来た。


 団長の娘とはいえ、謀反人は謀反人である。

 緊急時においては、死傷させることも厭わない。


 フィーネは、栗色の長い髪を風に靡かせながら、精悍な瞳ですべての敵を見据えて待ち構えていた。


 眼下に広がるのは壮大な王都の夜景。

 さらに広大な星空に、明るい満月が煌々と輝いている。


 足場はグレザリア大聖堂の広い屋根。

 傾斜角度がきついため、足場は大棟の上に限定される。


 周囲の状況を確認しながら、フィーネは両手に持った双剣を握り直す。

 得物の重心、重量を確認するように。

 武術において、武器は手足の延長なのだ。


 間合いを詰めて来た黒騎士の振るう剣を右手の剣で受けるのと同時に、左手の剣を敵の腹部へと突き刺す。


 一拍子、攻防一体の妙技である。

 敵は崩れるように倒れ、傾斜のある屋根の上から下へと転がり落ちて行く。


 続けて斬りかかってくる黒騎士の剣を一刀で受け流しながら、同時に一刀で首を薙ぐ。


 先程も大聖堂の中で黒騎士たちを撃退した〝二天破り〟の型の数々。


 同門対決の禁を破った者を成敗するための〝秘伝〟である。

 この場合、反体制派はフィーネになるのだが。


 月明かりの下で圧倒的戦力を披露するフィーネに、ヴァルとジェルヴェールは見惚れていた。

 敵の黒騎士たちはその数を次々と減らし、ジャックと剣を交える副団長エル・エスパーダ一人が残る。


 今闘って死した部下たちの雄姿に対し、副団長の胸に称賛以外の想いはない。


 日々磨き固める覚悟は、魂と歩む道をも染め上げているからだ。


 周囲の者たちが誰もいなくなったのを確認すると、エル・エスパーダはジャックから大きく間合いを空けた。


 広大な王都の夜を背景に、闘志の劣らぬ眼光をフィーネに向けて言う。


「――強くなられましたな」


 フィーネは双剣を振るって血糊を落とし、いつになく冷たい瞳を副団長に向ける。


「お褒め頂き光栄にございます、エル・エスパーダ。ご褒美に見逃して欲しいのだけれど?」


 カタナを降ろした髭の紳士は、表情を変えずに答える。


「それはなりませんな」


「ケチ」


 フィーネが舌を出す。


「それはそこにおられる者から、既にお聞きでしょうに」


 エル・エスパーダの視線が、フィーネの背後にいるヴァルに向けられた。


「ああ、この方はいつも無難な投資しかしてくれなかった。守銭奴っつーか」


 悪態をつくヴァル・シュバインを、エル・エスパーダは刃のような視線で射抜く。


「貴方が謀反を起こさなければ、私とこのようなことにはならなかったでしょうに」


「ああ、この国はキアラヴァ王国に焼き払われてたからな。こうはなってないだろう」


 ヴァルがエル・エスパーダを睨んで言った。

 その左右では、ジャックとフィーネが青年を守るように剣を構えている。


「祖国の敗北を確信するとは。元王子とは思えぬお言葉」


「自爆なら一人でやって来いってことだ。国を守るのがオレの役目だからな」


 エル・エスパーダとヴァル・シュバイン、双方の眼光は重なったまま無言の威圧を掛け合っている。


 この時間が続けばいい――そんな甘い考えがフィーネの頭に浮かぶ。


 それは、きっとジャックも同じだ。


 そんな少女の想いを知ってか知らずか、エル・エスパーダは胸中で呟く。


(貴方たちを殺してしまっては、剣聖に合わせる顔がないではありませんか)


 目の前に立つ、手を抜けぬほどに成長した二人。

 フィーネ、そしてジャック。


 〝剣聖〟に愛される二人。


 だが、騎士団の誇りは私情を超える。

 例え、それが忠義に沿う人情であったとしても。


 その時、視界の隅に見えるグレザリア王城に見慣れぬ光が出現した。


「?」


 視線を奪われたのは、エル・エスパーダだけではなかった。

 ヴァルも、ジェルヴェールも、フィーネも、そしてジャックも。眼前の死闘以上に、その光は彼らの心を奪うものだったから。




 

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