第73話 双流の剣舞
巨大な束ね柱から高い天井まで、幾重にもなる広大なアーチの下。
未だに輝く立体魔法陣が、室内を薄明るく照らしていた。
夜のグレザリア大聖堂に響いた聞き慣れぬ声に、ヴァルは背筋が凍るのを感じた。
ヴァルが今まさに逃走経路として目指していた割れた窓からは、こちらを睨む漆黒の騎士が二人、軽い身のこなしで大聖堂に入り込んで来る。
慣れても危険に変わりはない、相変わらず殺気立った視線がこの身を射抜く。
「……こいつはいい。謀反者と、ジェルヴェール嬢じゃねぇか」
視界を焼いた五人の黒騎士に加えて、新たな黒騎士が二人。
満身創痍の自分では、彼ら一人に対しても歯が立たないとヴァルは思った。
絶望的戦力差。
終わった。
ヴァルはそう思った。
その時、
「いたわね」
耳に馴染んだ声が聞こえて、同じ窓から可憐な少女が躍り出た。
着地する前に抜き放った剣は、二人の黒騎士たちの首を華麗に刎ね飛ばした。
噴き出す鮮血や、膝から倒れる死体など気にすることもなく、その少女は床に着地する。
彼女はヴァルとジェルヴェールを見て、一言。
「アンタたち、何で私に何も教えてくれないの?」
グレザリア王国最強の剣士〝剣聖〟――その娘フィーネ・ディア・グレイスは、ヴァルにそう訊いた。
「フィーネ、お前……」
ヴァルは、首を刎ねられて絶命した二人の黒騎士の亡骸と、フィーネを見比べる。
「ああ、黒騎士? いいわよ別に。アンタたちの方が大切だし」
ヴァルとジェルヴェールに歩み寄りながら、そう軽く言う騎士の少女。
だが、ヴァルは状況についていけないでいて、何を訊くべきなのかが分からなくなった。
「いや、そうじゃなくてだな。だいたい、なんでここに? それに、お前人殺しだぞ?」
この時間に、たまたまグレザリア大聖堂に来たなどとは誰も思わない。
それに加えて、貴族令嬢が殺人である。
無論、革命が成功すれば無罪にできるものの、貴族育ちの少女にはそう割り切れるものではないはずだ。
だが、フィーネはあっけらかんとした様子で言った。
「革命の話はお母様から聞いてたし、アンタが今日戦争に協力して物資を提供するなんて話も聞いてたからね。銭ゲバのアンタがそんなことするわけないから、怪しいって思って黒の騎士団の宿舎に居座ってたのよ。そしたら案の定、事件だって聞いて。探してたら、ここがすっごい光ったからさ」
それに、とフィーネは続ける。
「王都から出たことがないアンタは知らないのね。街から外に出たら、殺人なんて事件にもならないわよ。身を守るために、その相手を殺す。人二人殺したぐらい、なんでもないわ」
青年が思うより、騎士の少女はずっと強く育っていたらしい。
「フィーネ?」
ジェルヴェールが、まだ焦点の合わない瞳で名を呼んだ。
「ジェルヴェール、助けに来たわよ」
そう言って親友を見る少女は、いつも通り優しく、そしていつも以上に凛々しかった。
「フィーネ様?」
ヴァルの背後で、視界を焼かれた黒騎士の男が少女の名前を口にする。
「……貴女も護国卿を裏切るというのですか?」
「ええ」
フィーネはハッキリと答えた。
彼女の騎士道において、仕えるべき君主はローザリア卿ではないからだ。
黒騎士たちは、徐々に視界を取り戻してきたのだろう。
皆が皆、フィーネを見て双剣を構えていく。
「ならば、貴女様とはいえ逆賊……最悪、そのお首を頂くことになります」
礼儀を弁えた態度に強烈な殺気が混ざっていくのを感じ、黒騎士の女一人に苦戦したヴァルの身体が硬直した。
だがフィーネは涼しい顔で殺気を流し、五人の黒騎士たちに向かって凛とした立ち姿で訊く。
「なんでもいいけど、この二人を見逃すつもりは無いわよね?」
その質問に、
「アンタを見逃す気も、ね」
視界を取り戻した女騎士が言った。
その瞳は復讐に燃える女そのものだったが、嫉妬に燃える女の思惑など、フィーネの知ったところではない。
「そう」
フィーネは双剣を低く構えて、ヴァルとジェルヴェールの前に出る。
「人の兄貴分を、随分と可愛がってくれたじゃない」
そう言って睨むフィーネの後ろには、肩や腕に大量の血を滲ませたヴァルの姿がある。
革命などという大それたことに手を貸す覚悟はない。
だが、幼き日を共に過ごしたこの二人が危機に瀕しているのならば、助けることに迷いは無い。
さらに、フィーネの胸には一つの疑念が浮かんでいた。
(とにかく……まずは、こいつらを片付けなきゃ)
視野を広げ、間合いを計るフィーネに、双剣を構えた五人の黒騎士たちが向かってくる。
先頭は、やはり先程から威勢の良い黒騎士の女だ。
互いに異なるかたちでヴァルを想う者同士、それを見抜き合っていると感じるのは女の勘というやつだろう。
憎悪の籠った視線を無視して、敵の動きに集中する。
先程受けた刺し傷の焼けるような痛みに耐えながら、ヴァルはフィーネに勝ってくれと強く願っていた。
それは己の保身のためであり、同時にジェルヴェールの身を想ってのことだが、何よりこうして自分を助けてくれた騎士の少女を、頼もしくも愛しく思ってのことだ。
(フィーネ、無事に切り抜けてくれ……!)
ヴァルは先程、頭のイカレた黒騎士の女に嬲り殺しにされるかと思った。
その恐怖と拮抗した勇猛な感情が、フィーネに対する想いを強化させるのだろうか。
そんなヴァルに見せるフィーネの後ろ姿は、女性らしくも凛として頼もしく、それは戦の女神を連想させた。
先に動いたのはフィーネだった。
流れるような足運びで、横から大きく回り込むように、女狂騎士へと接近していく。
己の全身を精霊の力で包み込んだ女狂騎士は、一瞬の間も無くフィーネに迫る。
狙いは適確、構えた双剣に隙は無い。
だがフィーネは大きく真上に跳び上がると、柔らかく伸ばした長い足を天井へ向けるように縦回転させた。
人丈を超える高さの前方宙返り。
急接近して来た敵と頭を突き合わせるような状態になりつつ、空中で逆様になったフィーネは、女騎士の背中側から両肩を狙って双剣を振るった。
背後上空から襲うフィーネの二刀を、女狂騎士は振り向き様に二刀で受け止め、そのまま接近戦へと切り替える。
荒々しい女騎士の剣撃と対峙するフィーネの動きは、ただ舞うようだった。
動きが柔らかいということは、動きに静止する時間が伴わないということ。
その意味でもフィーネの剣術は敵を凌駕していたが、双方の違いはそれだけではなかった。
一刀にて敵の得物を受け、一刀にて敵を討つことを目的とした二刀流。
しかし、二刀流同士ではその戦い方がさほど有効でない。
お互いに獲物の本数が同じだからだ。
しかし、フィーネの動きは明らかに二刀を相手にすることを想定したものだった。
手にした二刀を円のように廻すことで、敵の二刀を己の二刀の外側に流し、防御ができぬ状態になった敵を討つ。
特殊な身体の使い方を以って実現した秘技に、女騎士は首と下腹部を貫かれ、あっけなく床に倒れ伏した。
だが、この秘剣は一対一にて効果を発揮する技術。
仲間の死を目の前にし、次々と襲い掛かってくる黒騎士たちにフィーネは身構えた。
大柄な黒騎士が放つ怒りの右袈裟懸け。
フィーネの細首など容易く斬り飛ばせるであろうその一撃を、深く腰を落として躱した少女は、僅かに宙に散った己の髪など気にもせず、伸びた男の右腕に左手の剣を滑らせる。
手に伝わった感触は生々しくも柔らかいものだった。
飛沫を上げる鮮血に目を潜めつつ、大きく斬り払うフィーネの右剣。
それは大柄なその男の首を撫でるように斬り落とした。
背後から振り下ろされた新手の剣も、フィーネは振り返りざまに放った左剣で難なく受け止める。
その気迫に押されてか、僅かに怯んだ敵の剣を、フィーネはそのまま剣で大きく回して絡めとり、敵の双剣を重ねるように封じた次の瞬間、右手に握った剣で敵の胸を刺し貫く。
肋骨の隙間に深く突き刺さる刀身。
心臓を貫いた確かな感触と、黒騎士の壮絶な表情を確認し、フィーネが腰を入れて剣を引き抜くと、やはり赤い飛沫が空気を汚す。
その飛沫にて濡れた床で滑った背後の男に、フィーネは跳びかかった。
男性器へ放った蹴りと共に、敵の目元を剣先で突き刺し、そのまま高く跳躍する。
前方宙返りをしながら、男の首筋へと振るった剣は、フィーネの舞うような動きに溶け込み、血飛沫を絡めて華麗に宙を薙いだ。
目にも留まらぬ早業が数度繰り広げられると、戦いは事も無く終わっていた。
「ウチの流派は、同門対決厳禁。だからね、対同門技術は秘伝されてるのよ」
誰に対してか、淡々に言うフィーネの周囲には無残な死体が五つ倒れ、鮮血が床を染めている。
ヴァルとジェルヴェールに見守られる中、漂う血臭を気にすることもなく、フィーネは双剣を振って血糊を払い、鞘に仕舞って周囲を確認した。
観衆席に隠れて見えない窓の側に、先程首を刎ねた死体が二つ。
フィーネの足元に、たった今斬り捨てた死体が五つ。
白亜の束ね柱と血に汚れた大聖堂の床は、高い天井の下で今なお輝く立体魔法陣の放つ光に照らされている。




