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幾千夜の誓いを君へ  作者: 月詠命
七章 残月の叫び
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第69話 切り抜ける夜




 女騎士の周囲の物理法則が歪むのを、ヴァルの精神が察知する。

 猟奇的な雰囲気に裏付けて、かなりの手練れのようだ。


 女が腰に差した二本の剣の一振りを抜き、両手で構えた。

 そして、何の予備動作もなく一気に間合いを詰める。


 その様は、魔力の恩恵を駆使した平行跳躍なのだろう。


 その速度は異常とも言えるもので、まるで間合いという空間そのものが短縮したかのようにヴァルは感じた。


 高速で身体ごとぶつかるようなその剣撃を、ヴァルは両手で構えた剣で受け止める。


 刃に受けた重たい衝撃は、細く鍛え込まれた女の体重そのものだ。


 敵の刃を己の刃で滑らせ、刃と鍔の間で受け止めたものの、柄から手に伝わる衝撃はヴァルの腕から足までを駆け抜け、威力に負けて吹っ飛ばされる。


「ヴァル・シュバイン」


 高揚した表情で言う女は、間を置かずに追撃する。


 床に尻もちをついたヴァルを襲うのは、上から叩きつけられるような斬撃だ。


 ヴァルは、両手で構えた剣を斜めに構え、できるだけ根元で受け止める。


 両肩の肩甲骨が背中ごと石の床に押し付けられ、自らが握る両刃剣の光が恐ろしい。


 自分はこんなにも脆弱だったか――鈍り切った身体に嫌気が差した。


 必死なヴァルの形相を見ながら、女騎士は明らかに興奮を抑えきれないでいた。


 相手は、妖艶な若き豪商ヴァル・シュバイン。

 謎めいた素性と妖艶な外観、暗黒街を支配する彼の手腕は万能で、貴族夫人や令嬢、そして黒の騎士団の女たちでさえ惚れ込み、その男たちの嫉妬を集める有名人。


 護国卿の庇護の元、暗黒街の頂点に君臨する彼は、黒の騎士団の一員に過ぎない自分が手出しできる相手ではなかった。


 何度、彼に懐く娼婦たちに嫉妬を感じたことか。

 何度、彼を手に入れたいと思ったことか。


 今、この手で彼の心と体を傷つけても、彼は自分から逃げるこができない。

 これ程に支配欲求を満たす状況が他にあるだろうか。


「いいよぉ!」


 女は、堪らず叫んだ。

 必死のヴァルの形相に対して。


 いつも不敵な顔で生きている彼に、自分がこんな特別な表情を与えているのだ。

 そんな事実も、彼女の恋心を満たしていく。


(それに、頑張ってる男って素敵!)


 女は右の一刀でヴァルの剣を抑えたまま、左の一刀を抜き放つ。


 それを頭上で回転させ逆手に持ち替えると、無防備なヴァルの右肩を突き刺した。


 青年の表情が苦悶に満ちる。


 無論、自分が与えた表情である。


 そこに高揚を覚え、なおかつ痛みに耐える青年の勇敢な顔を間近で見ることができる。

 至高の時間だ。


 肩に突き刺した刃を動かすと、声を殺したヴァルの表情に浮かぶ苦痛が増していく。


 ヴァル・シュバインの表情をコントロールしているという充足感に、女騎士は全身の血管が熱く感じる。


 自分を睨むヴァル・シュバイン。

 強烈な迫力を感じるその視線にも、甘い愛しさを覚える。


(今、彼は私だけを見ている……!)


 胸と頭から全身に広がっていく甘い何かが限界に達しそうになるのを感じて、女は高く跳躍し、間合いを空けた。


 このままでは、彼の命を奪って誰の手にも渡らなくさせてしまいそうだ。


 相手に死を与えることは永遠の所有と同意義であるが、また同時に彼を誰のものでもない自由な場所へと解き放つことでもある。


 そんな自由は許さない。


 開いた距離はおよそ十メートル。


「アンタが死んだら、ジェルヴェールを殺すよ!」


 笑顔を崩さずに女が叫ぶ。


「おい、それは……」

 黒騎士の男が言いかけるが、他の騎士に制止される。


 何を言われようが、どの道打開せねばならぬ壁だ。

 ヴァルは肩の痛みに耐えながら立ち上がり、形だけでも剣を構え直す。


 女騎士の胸が熱く濡れる。


(そう、頑張って、ヴァル!)


 不安な表情で見ているだけしかできないジェルヴェールを一瞥し、優越感を満たしながら、女騎士は精霊たちに語り掛けた。


 世界が自分好みに歪むのを精神で感じつつ、左手の剣を回転させる。

 獲物を逆手から順手に持ち替えると、女騎士はヴァルへと近付いていく。


(さぁ、どうするの?ヴァル……)


 彼の判断と行動が見たくて仕方がないという気持ち。

 女騎士とヴァルの間合いは、数える間もなく縮んでいく。


 ヴァルは苦い表情のまま、剣を左手一本で握ると、肩を負傷した右手を前に出した。


 焼けるような痛みを無視しながら周囲の精霊を感じ、己の精神を理解させるように彼女たちに語り掛けていく。


 思い浮かべるのは、銀髪の女ハンターだ。

 彼女と周囲の精霊たちが同調していたように、自分もまた上手くできないだろうか?


 残り乏しい魔力を効率よく運用し、その手に明滅する小さな雷が生じると、それを調節しながら少しずつ増幅させていく。


「やるぅ」


 女騎士は上機嫌そうに言った。


 肩を負傷している上に既に疲労しているせいかもしれないが、放出する雷力の量も少なく、安定感が無い。


 レベルが低い、三流だ、と女は思った。

 並みの騎士相手になら通用する威力はあるものの、黒の騎士団相手に通用するレベルではない。


 だが、ヴァル・シュバインの魔術である。

 愛しい男の何かは、女にとってはやはり愛しいものなのだ。


 双方が剣の間合いに入る直前、ヴァル・シュバインの右手に纏った雷が膨れ上がる。


 明滅する光。

 右手から伸びる紫電の触手が女騎士を襲った。


 だが、女騎士の剣が紫電を纏い、ヴァルの雷を受け止める。


 魔力によって発生したものは、魔力によって対応できる。

 魔術に対抗する術は、反魔術だけではないのだ。


 知っていることだが、他に手が無いのだ。


 女騎士は雷を受け止めたその剣を、そのままヴァルに向けて軽く突き出した。


 それをヴァルが反射的に剣で受け止めると、何の魔術もかかっていない素の剣を通じて、雷が青年の身体に流れ込んだ。


「!」


 無言の絶叫は、女騎士好みの表情を伴っていた。


 我慢できずに、女はヴァルの鳩尾に前蹴りを打ち込んだ。


 身体の痺れと腹部の鈍痛に強い衝撃が加わり、剣を手放し力無く後ろに倒れるヴァル・シュバイン。

 女騎士は爪先にヴァルの腹筋の感触を覚えたまま、すぐさま駆け寄り馬乗りになる。


 青年の腰を、己の尻で踏む快感に興奮しながら、両手の双剣を回転させて逆手に握り直した。


 見下ろす自分の視界の中心で、ヴァル・シュバインは苦悶の表情を浮かべている。


 しかし、その目は死んではいない。

 動けぬ状態で、なおかつ剣で嬲られることが予想できる状況でなお、青年は女を睨み上げる。


(イイッ……!)


 女は興奮を抑えきれず、剣先をヴァルの鎖骨の下へと突き刺した。


 苦悶と、逆境に立ち向かう勇ましさ。

 愛しいヴァルの、二度おいしい表情を堪能できる。


「がぁぁぁあああ!!」


 間を置くことなく抉り込む双剣に、遂にヴァルが絶叫を上げた。


 痛みと恐怖による錯乱や悲鳴ではない。

 死と痛みに対峙するための、気合に満ちたその雄叫びに、女騎士はさらなるトキメキをその胸に強く覚えた。


「貴方、どれだけ素敵なの?」


 女騎士は、感動のあまり己の瞳までもが濡れていくのを感じた。


 女がこれまで痛めつけて来た男たちは、始めにどれだけ勇ましくても、皆打つ手がなくなった途端に魂を腐らせていた。


 最早死ぬしか道が無い状況において、これ程に雄々しい生き様は初めて見る。


「ヴァル……」

 愛しさのあまりに、その名を溢す。

 その時、


「もうやめて!」


 身を引いていた、ジェルヴェールが叫んだ。


 女騎士が顔をしかめるのを気にも留めず、ジェルヴェールが走って来る。


 丁度良い。

 女騎士は立ち上がって、足元に倒れたヴァルに駆け寄ろうとした赤い髪の女、その華奢な腹部にブーツの踵を叩き込む。


「ぐほ……」


 色気の無い声。

 むしろ腹が潰れて、肺から空気が逃げた音か。


 みっともないその声を残して、ジェルヴェールはその場に倒れ込んだ。


「おい!」


 黒騎士の男が叫んだ。


「殺すよりましでしょー?」


 女騎士が睨みを効かせる。


「てゆーか、アンタたちがしっかり見てなさいよ、その女ぁ」


 最もな意見ではあったが、女騎士が興奮のあまり周囲が見えなくなっているのが問題だということだろう。

 黒騎士たちが困惑し始めた。


 その時、女騎士は自分の足首に手で掴まれた感触を覚えて、目を向ける。


 そこには、うつ伏せの状態で、怒りに目を剝くヴァル・シュバインの姿があった。


(やば……)


 魅力的すぎる青年の表情。


 しかも、その手で自分の足首を握っているのだ。

 愛しいその感触に、甘い笑みを溢してしまう。


 そして、女は再び剣を強く握り、


「!」


 剣は、女の足首を握るヴァルの左腕を貫いた。


 左腕に走る痛みが鈍い。

 痛みという感覚に慣れて来たのだと、ヴァルは微笑を浮かべた。


 もう、手段は残されていない。


 ヴァルは、床に這いつくばった状態でジェルヴェールを見た。

 少女は痛みに蹲り、蒼褪めた顔でこちらを見ている。


 もう嫌だ、とヴァルは思った。

 これ以上、ジェルヴェールを悲しませるのは。


 広大な空間。

 大聖堂に満ちる精霊たち。


 ヴァルは身体を起こせぬまま、彼女たちに問うた。

 己に秘められた技量を。


 幼い頃、まだ王子として生きていた頃を思い出す。


 かつて、帝王学と共に魔道と武道に生きていた時期があった。

 勇者ハバートの系譜たるもの、文武魔道を極めねばならぬというシキタリ故に。


 稽古の最中、木刀でフィーネに叩かれたことを思い出した。


 それから、修練を重ねる幼き日のジャックと、彼を殺すような勢いで叩きのめす〝剣聖〟ディルク・ディア・グレイスの姿。

 それを遠くから見ていた記憶もよぎる。


(ああ、俺はあの頃――死ぬような覚悟で、生ぬるい道を選んでいたんだ)


 胸中で呟いた瞬間、空気に満ちる精霊が心に直接教えてくれた己の器。


 それは小さく、把握することが難しいものではなかった。


(俺にできることって、こんなに少ないんだ)


 ならば、それをやるしか方法がない。


 それを把握した上で、敵を見て、状況を考え、最善な選択肢を選んでいくのだ。


 空間に満ちる精霊から、流れ込んで来る力を感じる。


 暗黒街に流れた青年は、魔力や武力以外の力で、もっと強い者たちを使役する方法を学んだ。

 おかげで、自らを鍛えることはしなくなった。


 だが、そんな彼にも毎日使い込んでいた魔術があったのだ。


「おい、お前……」

 ヴァルが言った。


「?」

 女騎士が顔をしかめる。


「お前、俺を知っているのか?」


「ええ」

 冷たい返事。

 ヴァルが、自分が好ましく思わない言葉を話すのが気に食わないのだろうか。

 女騎士のその表情には、明らかな不快感が浮かんでいた。


「……嗜虐趣味か」

 苦痛に耐えながら口にするヴァルの台詞に、一応興味があるのだろうか。


 女が訊く。

「時間稼ぎ?」


 ヴァルは横に倒れたまま、ゆっくり身体を横に回転させて、仰向けになる。


「――ああ」

 ヴァルは、空間に満ちる精霊に強く語りかけた。


 彼の背後――床を走る、細い光の軌跡。


「な……」

 周囲から驚愕の視線が集まる中、女騎士が声を漏らした。


 一介の商人であるヴァル・シュバインが、魔法陣を描くほどの大魔術を使えるとは予想外だった。

 しかも、これ程の速度で。

 そのことは、ヴァル本人さえ知らなかった。


「俺、毎晩色んな本読んで、商会の書類書いてるんだ。光の魔術で照らしながら」


 床に倒れたまま、ヴァルは目を瞑り、笑みを浮かべた。


 魔法陣から放たれたのは、七色の光。

 その光が、爆発するように全方を照らした。


 言うなれば、床に巨大な太陽が現れたような状態に似る。


 視界を焼かれたのは、女騎士だけではない。

 すべての黒騎士が、そしてジェルヴェールを含む全員がその光に視界をやられた――仰向けの姿勢で目を瞑っているヴァル以外は。


 光の魔法陣を霧散させると、ヴァルは全身の筋力を精霊の祝福でカバーしながら辛うじて立ち上がる。


 再び薄暗さを取り戻したこの大聖堂で、今周囲を見ることができるのはヴァルだけだ。


 目を焼かれ、戸惑う黒騎士たちを他所に、ヴァルは身体の節々に走る痛みに顔を歪めながらも、懸命にジェルヴェールへと歩み寄っていく。


(逃げ切れるか?)


「ジェルヴェール」


 光に視界を焼かれ、突然の展開に付いていけない少女に青年が声をかける。


「行くぞ」


 愛しい手を引いて、観衆席の横に並ぶガラス窓を睨む。


 先程敵が乗り込んで来た場所だが、あそこから外へ逃げるのだ。


 目が眩んだままのジェルヴェールを案内するように、慎重に手を引いていく。


 そこへ、


「おい、いたぞ」


 聞き慣れぬ、だが絶望的なその声は、今まさにヴァルたちが向かっている、割れた窓の外の闇夜から聞こえた。




 

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