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幾千夜の誓いを君へ  作者: 月詠命
七章 残月の叫び
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第65話 必ず逃げ切る――




 謁見の間から廊下へと走り出たヴァル・シュバインが扉を閉めると、廊下の左右から護衛の黒騎士たちが数人こちらへ走ってきたところだった。


 騒ぎを聞きつけた者たちが、火事より優先してこちらへ様子を見に来たのだろう。


 そこで、謁見に来たはずのヴァル・シュバインが、護国卿の娘を連れて部屋から走り出て来た。

 事態を飲み込めない黒騎士たちが困惑する。


 ヴァルの計画では、謁見の間には既にミラア・カディルッカが来ていて、フェイとチェスターに護衛されたまま、王城からジェルヴェールを連れて逃げる手筈だった。


 ミラア・カディルッカがなぜ遅れているのか分からないが、こうなってしまった以上考えていても仕方がない。


 左手にジェルヴェールの華奢な手の感触を覚えたまま、ヴァルは中庭へ続くアーチ型の装飾窓――換気を目的とした開閉構造を持っていない、採光と装飾だけを目的とした窓へ右手を差し伸べた。


 全身の意識で精霊に語り掛けると、風が圧縮・膨張し、装飾窓に嵌め込まれた板ガラスが霧散する。


「おいっ、貴様!」


 明らかに不審なヴァルの行動に、黒騎士たちが廊下を走ってくる。


「ちょっと手放すよ」


 ヴァルの一言に、ジェルヴェールが自ら手を離す。


 彼女に微笑み、左右に伸びる廊下に向かって両手を翳すと、暗黒街の王は廊下に満ちる精霊たちに命じた。

 精神に跳ね返ってくる確かな手応えと共に、強力な風が巻き起こる。


 先ほどローザリア卿が起こした暴風とは比べものにならない程度の風である。


 人の身体を吹き飛ばすほどの力も無いそれは、だが細く絞り込むことで、天井に吊るされた幾つものシャンデリアに挿された蝋燭たちを吹き消すには充分な威力を持っていた。


 廊下が夜の闇に飲まれる。


 その隙をついて、ヴァルは既にガラスを失った窓から屋外へと躍り出た。

 ジェルヴェールの背中と両脚を、抱きしめるように両腕で抱えたまま。


「この城から逃げるのは、これで二度目なんだ」


 天守に近い城の上空で、落下運動に入る直前、そう言ってヴァルはジェルヴェールへ微笑んだ。


 冷たい夜気に満ちる精霊たちに働きかける己の精神。

 それに応えてくれたか、世界は二人を重力の縛りから切り離す。


 続いて、力強く流れる大気の揺り篭が全身を包み込んだ。

 ヴァルはジェルヴェールを抱えたまま、その身を天空へと舞い踊らせる。


 あまりに強すぎる手応えに、つい身体を縦に回転させてしまい、足元に無限の星空が広がった。


 散りばめたような無数の雲に、丸い月明かりが陰影をつけ、まるで月を中心に夜空が広がっているかのようにも見える。


 足元で輝く月光は、真上に広がる王城を明暗に彩り、その造形を際立たせ、運命の夜を祝福してくれているようにも思えた。


 七年前、この国の王家であった両親が殺された夜、ルイ―ザ・アイフィルの手によって逃れたこのグレザリア王城。


 あれから七年たった。

 今宵は自らの手で逃げ切ってみせる――ジェルヴェールと一緒に。


 そう心に誓った時、空気を穿つ音が聞こえた。


 引き続き、青年の周囲で幾つもの鋭い金属音が鳴り響く。


 虚空に弾け飛ぶのは、曲がり叩き折られた数本の矢。


 そして、長い銀髪を靡かせた美しき女ハンターが、空中を舞うヴァルとジェルヴェールを守るようにして、両手に異国の剣を構えていた。


「狙われてる。けど――いい判断だよ」


 漆黒のドレスを身に纏った美女、ミラア・カディルッカ。

 赤く光る瞳の下で、可憐な唇がそう告げた。


 続いてヴァルの全身を浮遊感が包み込む。

 その膨大な魔力に、暗黒街の王は気を動転させた。


 まるで圧倒的に巨大な何かに、掌で優しく掴まれたような――安心すべきか恐怖すべきか分からない心境。


 景色が一気に動いた。

 急激な動きに視界が霞む。


 突然の出来事に動転しながらも、すぐに自分たちの全身がミラアに引っ張られているのだと理解した。


 何らかの魔術を用いた牽引だろう。

 異常な速度に頭痛に覚え、ただ必死にジェルヴェールを守るように抱きしめ、気付けば城の正面玄関前に辿り着いていた。


 足元に乗った自分の体重にふらつきながらも踏みとどまると、正面玄関の前には黒衣を纏った数体の死体。


 目の前には豪華な馬車が停まっていることに気付く。

 自らが乗って来た、シュバイン商会の馬車だった。


「乗って」


 ミラアの言葉に従うより早く、彼女の手によってヴァルはジェルヴェールごとキャリッジに投げ込まれる。


 シートに転倒するように座ったヴァルたちに、ミラアは一言。


「走らせる。門まで行ったら、飛んで逃げて」


 ヴァルがその言葉の意味を理解するより早く、ミラア・カディルッカは馬車の扉を閉め、馬を一瞥した。


 そして何をするわけでもなく踵を返し、王城の屋根へと高く跳躍。

 窓越しに見ていたヴァルの視界から姿を消した。


 御者のいない馬車――走るはずのない二頭の白馬たちが、息を合わせたように走り出した。

 ヴァルと、ジェルヴェールを乗せたまま。


「なッ?」


 現状が理解できないが、馬車は広大な白銀の庭園を走り、王城の外門へと向かっている。


 その速度は馬の全力だろう。

 異常な速度と振動に恐怖を覚えつつも、閉ざされた門は既に迫っている。


「おい、待て!」


 外門の門番だろうか、満月が照らす雪景色にも似た庭園に、黒騎士たちの声が遠く響く。


「ジェルヴェール、飛ぶぞ!」


 キャリッジの扉を開けて、青年は少女を抱くようにして身構えた。


 門と、その前に立ちはだかる黒騎士たちが迫る。


 馬たちは門に沿うようにカーブを描いて走り、立ち塞がった黒騎士たちを突き飛ばした。

 まるで、ヴァルたちが馬車から空へ飛び出して、門を超えることを理解しているかのように。


「うん」


 ジェルヴェールは応えて、青年の腕の中に身体を預けた。




 

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