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幾千夜の誓いを君へ  作者: 月詠命
七章 残月の叫び
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第61話 一家の頭




「ふう」


 溜め息をつく。


 アルテミスと過ごす時間は、心と知識に充足をもたらすものだった。

 だが、これから直面する現実は変わらない。


 大鏡の置かれた化粧室から出ると、そこは見慣れたアジトだった。


 左手に浮かべた光の軌跡が立体魔法陣となり、ランタンのように部屋を照らす。

 次いで右手に浮かべた小さな魔法陣から生じた風が部屋を舞い踊り、天井を飾るシャンデリアの光を掻き消す。

 左手の上に輝く充分な灯りが照らす室内に、幾つか設けられた扉、その中の一つを潜って煉瓦造りの通路を歩いていく。


 扉を開けると、そこは〝月の見る夢〟亭――ヴァルが初めて経営した飲食店だった。


 娼館に似たシステムを採用した酒場で、その画期的なアイデアはヴァルが治めた成功のひとつであると言えるだろう。


 ガラスの嵌った窓から差し込む光は赤く、それは燃える炎のようにも見えた。


 激しく燃え上がる炎は、いずれ来る自らの運命を知っているのだろうか。


 だが、この店の営業時間は夕方六時から始まるはずだ。

 五時を過ぎた今ならば、いつも開店準備が行われている。


 不審に思いながらも、幾つもの火が揺れるシャンデリアの下を通り、黄昏の街の吐息が僅かに聞こえる木扉を開けると――黄昏色に染まった街の通りに、幾多の男女たちが立っていた。


「……」


 呆然とするヴァルに集まる視線。

 人数は五十人を超える。


 店の前の道を完全に封鎖し、左右に広がる数多の男女。

 彼ら、そして彼女たちの共通点は〝シュバイン一家〟。


 その多くが、強面の男たちや煌びやかな女たち。

 老若男女問わず、ヴァルを頭とする組織の者たちだ。


 無言で語るその想いは〝激励〟ただ一つ。


 〝暗黒街の王〟は、自らの通り名をここで実感した。


「……」


 人海が割れ、道が開く。

 そこに待つのは、暗く射す夕日をしっかりと反射させる、銀の装飾を施された漆黒の馬車。

 四頭の白馬たちの毛並みは銀色に輝き、後ろ脚を中心とした全身の逞しさを際立出せている。


 キャリッジの四方に備え付けられた車灯にはすでに火が付き、発進を待ち焦がれているようにさえ見えた。


 未だに唖然としているヴァルを立って迎えるのは、〝グレザリア王国最強のハンター〟筋骨隆々の巨漢フェイと、かつて〝グレザリアの神童〟と謳われた天才魔術師チェスターだ。


 一家揃って見送るなどという命令は出していない。

 むしろ、情報が洩れるのを避けるためにあえてそれをしなかったし、今日行われる革命を誰かに話した覚えはない。


 どこかで情報が漏れたのか、或いは今日の謁見がただの謁見ではないと悟られていたか。


 どちらにせよ致命的な問題ではあるのだが――


「行くぞ」


 ヴァルは不敵な笑みを浮かべてそう言うと、次々と下げられていく頭を尻目に優雅かつ堂々と歩いていく。

 賽は投げられたのだ。


 その赤い瞳は野生の輝きに満ち、やや伸びた黒い髪は深淵なる陰謀を表しているようだった。


 無言でチェスターが御者台に乗る。


 馬車のサイズを狂わせるような体格のフェイがキャリッジの扉を開け、ヴァルが乗り込む。

 それにフェイが窮屈そうに続いた。


 フェイの体重によって馬車が大きく沈んだのは、ヴァルの気のせいではないだろう。


 再び海が割れるように、シュバイン一家の人海が道を大きく開けていく中、馬車はゆっくりと走り出した。


 赤く焼けていた空が、燃え尽きたように冷たい闇に包まれていく。

 その遠さを際立てるように、大きな雲が流れていく。

 天高い狂風に雲は流れ、夜空には星々が瞬き出す。

 月下の王都はいつもと変わらぬ一日を過ごし、いつもと変わらぬ夜を超えて明日を迎える。


 そう思っているであろう多くの人々を見下ろすように、ヴァルの馬車はゆっくりと走っていく。


「なぁ、フェイ」

 遠くを睨みながら、ヴァルが言った。


 無言で続きを待つ自分の片腕に、青年は続ける。

「ローザリア卿って、どのぐらい強いんだろうな」


 しばしの時間を挟んでから、歴戦のSランクハンターは答える。

「アンタの計画じゃなきゃ、俺はことを構えたくはないね」


「……そうか」


 商会を開いてからヴァルが描いた絵は、そのことごとくが大きな成功を収めてきた。

 黒の騎士団副団長エル・エスパーダですら投資を行うほどの信用。

 今、ヴァルが持ち出す儲け話に乗らない阿呆など、この王都にはいないだろう。


 そんなヴァルの計画だから乗っていると、フェイは言ったのだろうか。

 それとも、この男の律義さ故に、無謀な賭けに乗ったということか。

 そこがヴァルには分からなかったが、もうどうでも良かった。


 繰り返し想う、賽は投げられたのだ。

 吉と出るか凶と出るか、せめて威風堂々と全力を持って挑もうと思う。


 幼い頃に、王城でカタリーナ・ディア・グレイス公爵夫人の特訓を受けていたことを思い出す。


 二刀ではなく、一刀を扱う練習ではあったが、最高の師に恵まれていたのは今思い出せばよく分かる。

 だが、今己の腰に携えた片刃剣は、あまりにも頼りなく思えた。


 そんなヴァルに、対面するフェイが何を見抜いてか静かに言った。


「ヴァル、アンタは戦うわけじゃない。俺とチェスターを連れて、城内に入ってくれればそれでいい」


「……ああ」


 胸にたぎる熱と背中に這う悪寒を無視して、青年は答えた。


 フェイは続ける。


「謁見の間で、俺たちに守られたアンタがヤツと話し、その最中に火事が起きて、ミラアが来たら俺とチェスターはアンタを連れて逃走だ。アンタは保身だけ考えていてくれ。アンタに何かがあったら、この国の未来は無くなる」


 国を背負う、命を懸けるという重さを実感する青年は、後悔しそうになる心に火をくべ続けていく。


 商会の娼婦たち――自らの義妹たちを、〝カマイタチ〟ジャック・シャムシェイルを使役し殺害した男、キュヴィリエ・ディア・ローザリア。

 気力の糧として怒りを呼び起こそうとしても、もう過ぎた出来事とこれから訪れる恐ろしい未来では、その比重が釣り合うはずもない。

 だが、時は止まらずグレザリア王城は刻一刻と近付いて来る。


 車内に満ちる緊張感など、通りを行く人々には伝わらない。


 シュバイン商会が所有する中で最も豪華な馬車は、広大な王都を走る複数の大通りの一つを通って、その中心に聳える巨大な王城へと向かっていった。




 

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