第58話 決別の時
ヴァルの計らいだろうか、ミラアの席はフィーネと向かい合う位置でジェルヴェールの隣。
ミラアはジェルヴェールと共に席へと向かって、椅子の音を立てないように座る。
ミラアたちが最後の二人だったようだ。
参加者全員が着席したところで、主催者であるヴァルがよく通る声で言った。
「お集まりの皆さん、今回は我がシュバイン商会の会食にご参加して頂き、誠にありがとう」
妖艶な美貌は堂々とした貫禄に満ち、燃えるような赤い瞳は参加者全員を巡った。
「我らのグレザリア王国が、これから人類王都連盟と――まず手始めにキアラヴァ王国と戦争になることは皆も承知していることだと思う」
真剣な空気を、暗黒街の王が独り仕切る。
「その件に関しては、俺よりも黒の騎士団副団長〝エル・エスパーダ〟殿の方が詳しいと思うが」
皆の視線が一人の男に向けられる。
青い髪に髭を細く伸ばした黒衣の紳士。
なるほど、英雄譚に出てくる〝大物騎士〟そのものだ。
きっと、彼自身が目指した騎士像を体現しているに違いないとミラアは思った。
特に髭辺りが。
ただ、イメージではこうしたセンスの騎士は細剣を腰に携えているものだが、黒の騎士団である彼はやはり片刃剣を二本携帯しているのかなと思いつつ、テーブルで見えない彼の腰を意識しているミラアを差し置いて、ヴァルの話は進んでいく。
「今回、我がシュバイン商会は、〝護国卿〟キュヴィリエ・ディア・ローザリア様にお力添えをすべく、寄付金と物資を提供することにした。この会食は、その前祝いのようなものだ」
真意は掴めないが、建前だろう。
若き豪商は続ける。
「三日後の夕刻、俺はグレザリア王城にてローザリア卿にその旨を伝えに行く」
瞳がミラアを見た。
作戦決行の日時だ。
「では、俺からの話はここまでだ。みんな、会食を楽しんでくれ」
ヴァルが手を大きく叩くと、個室の扉が開いて料亭の仲居たちがコース料理を運んでくる。
副団長エル・エスパーダは、対面して座る煌びやかな美女と話を始めた。
赤い髪に、どこかの姫君のような風貌。
隠した素肌を身体の線だけで晒す妖艶な衣装。
(〝高級娼婦ロザリー〟)
さっきジェルヴェールが呼んだ名前を思い出す。
彼女がそうなのだろう。
なるほど、蠱惑的な雰囲気は男を欲情させ、妖艶な笑みはあくまで自然体で男を誘う。
それでいて、その身体はただの娼婦ではない。
よく鍛えられた線を女性らしい肌が包み込んで、メリハリのあるしなやかなラインを生み出している。
(ん?)
高級娼婦ロザリーの視線が、意味あり気にミラアを見た。脳裏に一人の女性が思い浮かぶ。
まさか……。
(ルイーザ!?)
一度こちらに笑みを浮かべてから、再びエル・エスパーダと言葉を交わす高級娼婦ロザリー、きっと本名ルイーザ・アイフィル。
かつてヴァルが〝変装の達人〟だと言って紹介してきたことに深く納得する。
だいたい素顔のよく似ているジェルヴェールがこうして一緒に食事を摂っていても、二人が似ているとは誰も気付かないだろう。
とにかく、暗殺決行の日時は把握した。
〝夕刻〟ということは、きっと夕刻以降。
つまり宵の入りになると思われる。
日が落ちる前だと、どうしても人が集まりやすいからだ。
〝作戦決行は、三日後の夕刻から夜にかけて〟そう胸中で復唱してから、ミラアは改めて目の前を見た。
そこには、純白の皿の上に乗った前菜のテリーヌが、あられもなくけしからん姿でミラアを待ち望んでいる。
さてさて。
ミラアの口の中に広がるよだれ。
その味は、食べてみれば分かる。
皿の左右に並んだ大量の食器から、左手にフォークを握る。
その先端を、ミラアを誘惑するいけないテリーヌに突き刺そうとした瞬間、正面で誰かのフォークがその誰か自身のテリーヌを貫通して皿にまで突き刺さった。
視線を向けると、フィーネが優しそうな笑顔で、見るも無残なテリーヌと砕けた皿を見ている。
「あれ、割れてますねこのお皿」
さっきまでは割れていませんでした。
そんな言葉を飲み込み、ミラアはフィーネの様子を唖然と見ていると、
「ミラアさん?」
「はい?」
優しい笑顔がこちらを向き、ミラアは背筋が凍り付くのを感じた。
「お城の住み心地はいかがですか?」
「……はい、いい感じです」
ミラアも笑顔で答える。
血の気が引いているのは自分でもよく分かった。
「そうですか」
仲居の女性たちがフィーネの皿を取り換えようとすると、フィーネのフォークは皿を貫通して机にまで刺さっていた。
慌てふためく仲居さんたちも、フィーネの意識を引かないように静かに振る舞っている。
状況が読めないミラアは、上座に座るヴァルに目で助けを求めるが、知らぬ存ぜぬと言った風情で無視される。
隣に座るジェルヴェールに至っては、ただ笑顔だった。
自力で何とかするしかないようだ。
だいたいフィーネが怒っている理由がよく分からない。
自分が何をしたというのだろうか。
困惑するミラアに、フィーネは優しい笑顔で淡々と続ける。
「実は、私の屋敷も城に立て直そうかってお母様とお話しているんです。ほら、お父様もお城に住んでいますし」
有り得ない。
むしろ、フィーネがグレイス公爵夫人に無理を言って宥められているだけなのではないだろうか。
だいたい、父君の城は優雅なそれではなく、国随一の要塞だ。
フィーネは笑顔を絶やさずに続ける。
「ミラアさんと今日再会できると思ってたのに、再会したら私よりも料理ですか」
(ううっ)
それは何も言えない。
でも、フィーネの顔を見たら、なんだか安心してしまって食欲が湧いて来たのは事実だ。
それに、革命前の会食である。
気を抜いて話に華を咲かせるのもどうかと思ったのもある。
それにしても――もしかして、寂しかったのだろうか?
そう思うと少し嬉しい。
そんな胸中を見透かしたのか、フィーネは言う。
「ミラアさん、他人の不幸を喜ぶ人ってどう思いますか?」
「それは、よくないでしょ」
そう言って、気付く。
フィーネの機嫌がおかしい理由が〝寂しかったから〟なのかはよく分からないが、彼女が今不快な気分をしているのは確かだろう。
その状況に愉悦を感じたミラアは、つまり他人の不幸を喜んでいると言えるのではなかろうか。
「ですよねー」
フィーネの笑顔が引きつっていく。
最早泣きたくなったミラアを見て、フィーネの可憐な唇が溜め息を溢す。
フィーネは仲居の女性たちが抜けなかったフォークをテーブルから引き抜くと、悪びれることもなく仲居にそれを手渡し、
「別に、いいですよ。屋敷よりもお城ですよね。ミラアさん、ハンターですし。食客よりも侍女、タダより給金ですよね」
そう話すフィーネに嫌味はなかった。
現実を受け入れた――少女のそんな印象が、誤解されているというミラアの哀しみに拍車をかける。
しかし、誰が漏らすとも限らないこの場で、グレザリア王城に潜入しているという事実を語るわけにはいかない。
だから――ミラアは口を開いた。
「私はね、グレザリア王国の多くを見に来たんだよ」
言い始めると、胸に心の強さが湧いて来る。
きっと、この選択が一番フィーネを悲しませないで済む。
そんな自信に満ちていく。
「だから、フィーネの屋敷よりも王城を選んだってゆーわけじゃない」
そもそも特別だったわけではない――遠回しにそう言われて、フィーネはミラア・カディルッカを理解した気がした。
そもそも、この時期にグレザリア王国にやってきたこの女ハンターは、王都グレザリアを見たくて、たまたまジャスニーで出会ったフィーネを、シュバイン商会の隊商に誘ってくれただけに過ぎないと最初から言っていた。
特別扱いされていたと驕っていたがために生じた誤解。
ミラアは、自分から離れたのではない。
もともと寄り添っていたわけではなかったのだ。
「――そう、ですよね。すみません、なんか誤解してました」
冷静にそう言って、改めて運ばれてきたテリーヌを口にする騎士の少女。
その横顔は凛として美しく、精悍な趣を取り戻していた。
それを確認して、傷心ながらも安心したミラアもテリーヌを口にする。
それから、ミラアとフィーネが言葉を交わすことはなかった。
そう、フィーネとの縁や交流など、ミラアがこの国に来た目的からすれば蛇足に過ぎない。
自分にとってそれがどれほど大きなものでも、結局それは遊び心であって使命・目的そのものではない。
港湾都市ジャスニーの潮風を思い出す。
初めて出会ったフィーネ。
艶のある栗色の長い髪。
健康美そのものと言える身体を飾る、ハンターにしては綺麗すぎる服。
自分を見る精悍な瞳も、声も、鮮明に覚えている。
共に過ごした日々は、この心を、ミラアが見る景色を――――世界・人生を彩ってくれていた。
寄り添った時間は自分にとって幸福なものだったが、少女の未来を輝かせるものに成り得ただろうか。
(それは、貴女次第だよ)
胸中で呟く、口にすればお節介な一言。
品が良くも賑やかな会食が終わり、皆と同時に席を立つ。
これがフィーネとの縁の終わりかもしれない。
それもいいだろうと思う。
例え遠く離れていても、過ごした日々は常に振り返った時の〝今〟に至る大切なものだ。
だから、フィーネが歩く〝そこ〟に幸あれと願う。
この先に待つ景色に、独りで向かうことには慣れている。
そもそもミラアは革命の刺客だ。
安全を考慮して、フィーネにはむしろ遠く離れていて欲しいとも思っていた。
会食が終わり、全員でエントランスに出ると、店の案内人が扉を開ける。
暖炉の炎で暖まっていた店内に、冷たい夜の外気が流れ込んできた。
外の空気が冷えているのではない。
店内の空気が暖かかっただけだ。
基準を見失うことなかれ。
それが有難みと器量にも繋がる。
ミラアの視界に広がった夜空は壮大な黒、そこに無数の星々が散りばめられ、数多の色彩を描いている。
月は今夜も孤独に輝く――――――その姿はほぼ満たされたものだった。
気を利かせたそれぞれの御者たちによって、すぐに用意された自らの馬車に乗り込む、マフィア、貴族、豪商に高級娼婦。
「いい夜を」
見送るヴァル・シュバインの妖艶な笑みを残して、ミラアを乗せたグレイス家の馬車が走り出す。
この夜空に瞬く孤独な歌たちは、三日後の夜――――――合唱となってこの国の歴史を飾るだろう。




