第57話 天穿つ晩餐
グレイス家の食客がグレザリア家の侍女になってから数日が経ち、痩せた月が丸みを取り戻した頃。
王都グレザリアに時刻を知らせる巨大な時計塔が、十八時の鐘を鳴らした。
焼けた地平線と冷めきった天空が混ざり合う西の黄昏を、一つ輝く金星が飾る。
やがて満天の星空に押されて、夕焼けの残光が西の地平線に沈んでいく。
ミラア・カディルッカは、ジェルヴェールの付き添いで豪華な馬車に乗っていた。
ミラアの服装がドレス調のメイド服ではなく、やや煌びやかな私服であることから、二人が主従関係として外出しているわけではないことが分かる。
「ヴァルに会うのも久しぶりね」
そう言う少女は無邪気な笑顔を浮かべていて、それがミラアの心を刺す。
もうすぐだろう。
革命の日は着々と進んでいる。
侍女とは、主人に専属するメイドである。
その役割故に、城内のどこにどんな倉庫があって、そこに何が保管されているのかを把握する必要がある。
よって、どこに火を付ければ最も効率の良い火事を起こすことができるのかも既によく分かっていた。
初めに目星を付けた蝋燭庫。
暖炉用の薪を保管する倉庫。
あとは、城の従者たちが使用するシーツや布団などを保管するリネン庫だ。
城自体が石で出来ているとはいえ、天井や壁に張られた木材や壁紙、床に敷かれた絨毯、窓に掛かるカーテンなど、燃えるものはたくさんある。
一度大きな火が着けばそれはすぐに広がり、消火するまでに多くの兵士たちが集まるはずだ。
その隙に、ローザリア卿を手に掛ける。
彼に対する恋心は嘘ではない。
だが、自分でも健全とは言い難いこの人格は、幾度も胸を裂く別れと決断を迫られてきた。
フィーネやグレイス家の屋敷、愛する者たちがこの平和な王都で暮らすことを想えば、百年の恋など切り捨てることができる。
人は選びながら生きていくしかないのだから。
「ミラアも、フィーネに会うのは久しぶりなのではなくて?」
不意に投げ掛けられたジェルヴェールの問いに、ミラアは僅かに涼しい笑顔で答える。
「うん、そうだね。私がジェルヴェールの侍女になってから、会うのは今日が初めてになる」
親しみを込めた呼び方と友人のような関係は、雇い主であるジェルヴェールからの要望だ。
何も知らないジェルヴェールを利用した、ローザリア卿の暗殺計画。
まだ完全には割り切れないでいるローザリア卿への恋慕と共に、進めているその計画がミラアの心に影を生む。
その時、何かに気付いたようにジェルヴェールがミラアの顔を覗き込んだ。
「大丈夫?表情が優れないけれど」
高慢な美少女の自然な心遣いが、ミラアの罪悪感に染み込んでいく。
「……うん」
街灯に照らされた道とはいえ、視界の悪い夜道だ。
ゆっくりと走る馬車の揺れと、車輪が敷石を踏みしめていく音が単調に続く。
内心、耐えがたい静寂だった。
外を眺めて気を逸らす。
板ガラスの嵌った窓から見える歓楽街は、ミラアに夜の息遣いを魅せてくれた。
大通りは並ぶ街灯に飾られ、家々の窓からは暖かい光が漏れている。
道を行く人々の表情は様々だ。
この大量に輝くレヴェルベール灯が無ければ、こんな時間にこれだけの人々が出歩くこともないだろう。
「ねー!」
突然真横で大声を上げられて、ミラアは少しびっくりした。
「な、なに?」
「恋してるでしょ!」
「ええっ?」
目を丸くするミラアの脳裏に、ローザリア卿の笑顔がよぎる。
目の前にはその義娘の、高慢で少しイヤらしい笑み。
「相手は誰―?」
「ち、違うって……」
笑顔で誤魔化すミラアを、ジェルヴェールは猜疑心そのものといった瞳で見つめてくる。
ローザリア卿の暗殺計画が勘付かれるよりは、恋心が勘付かれた方がマシなのかもしれないが、その話がヴァルに回ればミラアの刺客としての信用がなくなりかねない。
それは革命の未遂にもなり得、その場合この国は戦火に包まれることになってしまう。
なら――。
ミラアは咄嗟に頭を回して話題を決める。
「今日の会食、どんな方が来るのか少し不安でさ」
「ふーん」
一応納得したような顔をしてから、ジェルヴェールは言った。
「ヴァルと親交が深い人たちだけよ。フィーネにフェイ、チェスター、あとはロザリーっていう高級娼婦に、ラスーン商会のイーニアス・ラスーン。コロンツォ一家の・・・・」
ヴァル本人とミルバーン兄弟以外は、知らない名前が並んでいく。
だいたいが人気娼婦や大物商人、そしてマフィアのようだが、最後の一人の名前にミラアは僅かに戦慄を覚える。
「……あと、黒の騎士団副団長〝エル・エスパーダ〟」
「黒の騎士団副団長?」
「ええ、本名ではないけど皆〝エル・エスパーダ〟って呼んでる。これから起こる戦争での、王都防衛の要」
〝剣聖〟ディルク・ディア・グレイス公爵に次ぐ者は、後継者であるジャック・シャムシェイルだけではなかったということか。
むしろ、こと権力においては、副団長だという彼の方が遥かに強い立場になるのだろう。
ヴァルは、そんな大物ともパイプを持っているというのか。
まさか黒の騎士団副団長が、ローザリア卿ではなくシュバイン一家側に付いているというのだろうか。
革命は、個人の行いではない。
革命は、大衆のものでなければならない。
今回の革命で、数多の有力貴族たちは〝護国卿〟キュヴィリエ・ディア・ローザリアと、ヴァインシュヴァルツ・ロ・ドゥ・グレザリア王子、どちらの人徳が王に相応しいかを選ぶわけではない。
〝戦争によって滅ぶ未来〟と〝人類王国連盟として生きる未来〟どちらかを選ぶのだ。
広大な王都グレザリアの中でも、最も西に位置する区画のひとつ。
港とは異なる、海に面したリゾート地。
今はグレザリア王国領となっている西のカイルランド島が、まだカイルランド王国という国だった頃。
グレザリア王国の女王リリスによって軍港が建造され、カイルランド王国によって焼かれた地だ。
人類の夜明け以降、王都グレザリアが発展・巨大化し、その焼野原まで広がった際に、地方の豪商たちを顧客に発展した歴史を持つ区域だ。
そこに〝星の砂〟亭はあった。
地上六階建て。
縦の線を強調させているものの、教会建築とは異なる様式。
幾つもの縦と横の線を独特な組み上げで強調し、美しく装飾したような大型建築物。
複数の松明が、足元から白と茶色に飾られた外壁を照らし上げ、板ガラスの嵌め込まれた多くの窓からは、暖色の光が溢れている。
ミラアが泊まり歩いてきた宿とは全く異なる、高級旅館だ。
治安の悪い区域では、建てることさえ危険だと言わざるを得ない豪勢な佇まい。
馬車の扉が開かれ、ジェルヴェールに付き添うかたちで、ミラアは冷たい夜気の中に降り立つ。
星空を背景にした高級旅館は、城に住み慣れたミラアに新鮮な趣を語り掛けるように佇んでいた。
御者の黒騎士が厚い両開きの木扉を開くと、暖炉によって暖まれた空気がミラアの全身を包み込んだ。
一目で豪商や貴族と分かる男女たちが行き交うエントランスホールを、ミラアはジェルヴェールと一緒に通る。
もはや友人といった風情の二人は、案内人に連れられて一階にある個室へと向かった。
上品な香りが鼻腔を満たす廊下を歩いて、辿り着いた一室に入る。
貴族の屋敷に似せたのだろう。
輝くシャンデリアの光の下、燭台の灯が飾る長いテーブル。
その左右に並んだ椅子には、見知った顔と見知らぬ顔が十人ほど並んでいた。
「メインの登場だ」
上座の椅子に座っているヴァル・シュバインの一言で、下座に座っていた数人の男たちは席を立って、両手を左右に開いて頭を下げ、女たちはカーテシーの挨拶を行う。
当然、ミラアにではなくジェルヴェールに。
だが、すべての眼光が一度ミラアに注がれた。
その中にはフィーネもいて、その視線が真っ先にミラアを捉えたことに心が潤う。
ミラアも反射的にカーテシーを行う。
誰にではなく、大勢の皆様に。
「お嬢!」
嬉しさに満ちた温かい笑顔でそう呼んだのは、意外にもフェイ・ミルバーンだった。
よく鍛え上げられた巨体のせいで、豪華な椅子が小さく頼りない。
「あら、フェイ。ごきげんよう」
相変わらず上から見下ろすように振る舞うジェルヴェールに、普段はすまし顔のチェスターでさえ、どこか親しみを覚える笑顔を浮かべている。
参加者のすべてがジェルヴェールを迎える表情は温かく、そこから一つの事実が導き出される。
真意はどうあれ、高慢な美少女ジェルヴェール・ディア・ローザリアは、ここに集まったメンバーの多くから大切に想われているのだ。
ヴァル・シュバインの妖艶な笑み。
その視線がミラアと交わる。
〝計画〟を知る二人に通じる独特な空気。
(……潜入は順調だよ)
胸中で呟いて目を逸らす。




