第56話 格子に隔てられても
「――なんだって。なんかもー、むしゃくしゃする!ねぇ、ジャック聞いてる?」
凛とした美しい声でそう怒鳴られて――地下牢に幽閉されているジャック・シャムシェイルは溜め息をついた。
「フィーネ、お前な……ここをどこだと思っている?」
「王都の監獄ー」
ランタンの光に照らされる二人の男女を隔てるのは、冷たいはずの鉄格子。
男は額に十字傷の残る若い囚人で、女は栗色の緩い巻き髪を伸ばした、今時なドレス姿の少女だ。
場所も会話も含めて、傍から見たらおかしな光景である。
そんな不自然さを強く自覚してか、青年は少女に言う。
「俺は囚人だぞ」
「私は貴族だ。聞け囚人」
「くッ」
身分の差を持ち出されて呻く青年。
ここで大物貴族を敵に回せば、刑でさえ重くされかねない。
「ミラアさんもさ、結局大きなお城に住みたいのかなー」
「――」
さっきから話を聞いていると、ヴァルが言っていた〝計画〟は順調のようだ。
しかし、一国の王座を覆す壮大な計画なのだが、こういう勘違いをされてしまうと、ミラア・カディルッカが少しいたたまれなくなってくる。
「ねー、ミラアさんはなんで大きいお城に住みたいのかなー?」
(ミラア・カディルッカは、革命の刺客としてグレザリア王城に潜入しているのだ)
そんな真実を口にできるはずもなく、ジャック・シャムシェイルは黙って話を聞いていた。
「グレイス家の屋敷、飽きちゃったのかなー?」
延々と続く、途方もない愚痴。
清楚で精悍なこの少女に、こういう一面があることは昔から知っていた。
ついこの前、物凄い剣幕で頬を叩かれたり怒鳴られたり、終いには泣かれてしまったことを思い出す。
女心は秋の空と言うが。
(あれだけやっておいて、これはないだろ……)
「ねぇ、ジャック聞いてる?」
そう言って睨んで来たフィーネは、何かに気付いたような顔をして言った。
「そっか、前叩いたから怒ってるんだよね? だってあれは、ジャックが何も言わないから――」
相手が何も言わなければ顔を叩くのは当然なのだろうか。
そんな明らかに破綻した理論を口にし、フィーネは続ける。
「私も気が立ってたし……根に持ってんの? ごめんね?」
「……構わん」
言いたいところが少しズレているが、陰険な男だとも思われたくないし、とりあえずそう答える。
「でー、グレイス家の屋敷だってさー、庭も音楽堂もあるしー。建物の高さは―――」
前回の怒りはもう忘れたのだろうか?
読めない女心に苦戦していた〝剣聖の後継者〟は、フィーネの気持ちを理解しようとするのをやめた。
そんなことよりも、計画が順調であるのならやらねばならないことがある。
ヴァルは気持ちを気持ちを切り替えて、フィーネに訊く。
「フィーネ、ヴァルを呼んでくれるか?」
ミラア・カディルッカが城に潜入しているというのなら、革命はもう既に始まっていると言える。
否、むしろヴァルのことだ。
根回しを始める以前、マフィアとして力を付け始めた頃から、この革命は始まっていたと言えるだろう。
もう迷っている時間は無い。
このタイミングで来てくれたフィーネに深く感謝する。
ここで彼を呼んでもらい、話をする覚悟が決まった。
(師よ、私にとっての王を確信しました。私には、幼い頃から人を見る目があったようです。だから、貴方という師と――彼に出会えた)
ジャックの視界の真ん中で、ランタンの灯に照らされているフィーネが、以前にも増して美しく見えた。
が、自分に向けられたその表情に怒りが浮かんでいくのを見て、ジャックはたじろぐ。
「な、なんだ?」
「ジャックー!」
暴れる獅子の如く鉄格子に掴み掛かって、少女は怒鳴った。
「私の話も聞かずに、ヴァルを呼べー? いい度胸してんじゃない!」
予想外の展開に対応できず、思わず弁解しようとする。
「い、いや、違うんだこれは……」
「何? ちゃんと聞いてたって? あんた、聞き流してただけでしょ? 私の気持ち分かった? 話してる私の言葉じゃなくて、〝気持ち〟分かった?」
「いや、それは……」
まずい、よく分からないが会話が噛み合っていない。
フィーネは明らかに必要以上に勢いをつけて、ジャックに対して背中を見せた。
「もういい、ジャックなんて知らない」
「いや、待て早まるな……!」
それはまずい、と思う。
ヴァルが再びここに来るという保証が無い以上、フィーネがヴァルをここに呼んでくれなければ、最悪この国を覆す計画が破綻しかねない。
冗談じゃないぞ。
「相手の話も聞かずに、人に命令するわけー? しかも囚人がー? 貴族の私にー?」
そう言うフィーネの目は、最早ごろつきのようにやさぐれている。
これは取り返しのつかない事態だと気付いて、ジャックは息を呑んだ。
「いや、命令では無い! むしろ頼みだ!」
「私もヴァルに、話聞いてって頼んだよね? 私の頼みは聞かないけど、私には頼むのー?」
つまらぬ怒りに駆られたフィーネを説得しようにも、革命の話を持ち出せない以上良い言葉が見つからない。
しかし、事は重大だ。
「いや、俺が悪かった、だから……」
「そう、アンタが悪かった! 反省しなさい!」
フィーネはジャックの必死の弁解に聞く耳を持たず、ランタンを持って歩いていってしまう。
床にヒールを突き刺すような足音と、逆光に黒く染まった後ろ姿が、絶望的に離れていく。
「待て、フィーネ……!」
「ほら、また命令口調ー!」
遠くで言いながらも、少女の足は止まらない。
「ヴァルだ、ヴァルだぞ! 頼む、ヴァルを!」
「わーわーわー! 聞こえない、聞こえないー!」
いや、お前に聞く気が無いだけだろ!
そう言う前に、独房と外の廊下を隔てた重たい扉が、勢いよく開いて強く閉まる。
鉄格子から伸ばした右手は希望に届かず、〝剣聖の後継者〟ジャック・シャムシェイルは、牢獄の暗闇に閉ざされてしまった。
「……バカジャック」
ジャック・シャムシェイルが投獄されている独房の、重たい扉の外側。
扉に背中を預けたまま、フィーネは呟いた。
ここ最近、彼の仕事でずっと話せなかったのだ。
少しぐらい、話してくれても良いじゃないかと思う。
しかし、自分に必死に頼んでいた青年の顔と声を思い出すと、笑いが込み上げてきた。
嘲笑では無く、愛しさが溢れるような笑い。
(ヴァルね、ヴァル。呼んであげるわよ)
監獄を歩き出す騎士の少女。
歩いて行くその後ろ姿を、牢獄の看守は冷たい目で見ていた。




