第54話 同じ月を見ながら
グレイス家の屋敷では、食事の席にミラアがいないことに溜め息をつくフィーネがいた。
天井に吊られたシャンデリアの上、揺れる大量の蝋燭の光が室内を照らしている。
上座に座る母を見るが、年齢を感じさせない公爵夫人は、燭台の灯りに照らされながら淡々と食事を摂っている。
母カタリーナからすれば、ミラアなど娘の知人に過ぎない。
多少娘が世話になったとはいえ、フィーネのように特別な感情を抱いていないことは見てとれた。
ミラアをジェルヴェールに取られたような気分。そんな不満を覚えながら、フィーネは隊商宿でミラアが自分とクラーラが仲良くしているのを不満そうに見ていたことを思い出す。
(ミラアさんも、こんな気持ちだったのかな)
ミラアとクラーラ。
三人でこの街を観光したかった。
もちろん、そこにジェルヴェールがいてもいい。
クラーラは、きっとジェルヴェールと一緒に買い物をすることに驚いたに違いない。
「あのローザリア卿の子息女だよ? 驚くに決まってるじゃないか!」
太陽を思わせる笑顔でそう言って、彼女はジェルヴェールとも分け隔てなく楽しく過ごすのだろう。
そんなクラーラとの死別を思い出して、さらに心が暗くなる。
このままミラアとも疎遠になってしまうのだろうかと、そんな不安にも駆られる。
考えてみれば、自分とミラアだって本来特別な関係でもなんでもないのだ。
そもそも、ジャスニーから王都まで付き添ってくれたことが奇跡なのだと気付く。
幼い頃から母に聞かされた〝銀の魔女〟ラミアキカーヴァ。
彼女と母がコンビを組んでいたように、自分もミラア・カディルッカと過ごしていた――そう思いたかったのかもしれない。
そう考えて、フィーネは端正な姿勢で食事を摂っている母を見た。
「お母様」
「何?」
自分と同じ、空色の瞳がこちらを見る。
「お母様は、もしラミアキカーヴァさんと再会することがあったら、どうしますか?」
「……」
母は銀食器を持った手を止め、遠い目をした。それからなんとも言えない表情を見せて、
「……どう再会するかによるわね」
「……」
母の返事に、具体的なイメージが浮かばずに困惑するも、続けて質問する。
「ミラアさんって、ラミアさんに似てませんか?」
「――似てませんかって、貴女ラミアに会ったことないでしょ?」
母に言われて、
「お母様からお話を聞かせて頂いていたので、イメージです」
「イメージかぁ」
母は少し食事から離れ、やはり遠くを見る。
「どうですか?」
どうしても気になり、急かすフィーネに、
「ラミアね。顔、忘れちゃった」
母はあっけらかんとした返事をする。
「ええ?」
呆気に取られるフィーネに、母は続ける。
「でも、似てると思うわ。ラミアも銀髪だったし。レディ・カディルッカとは違って、全く笑わなかったけどね。結局、ラミアの笑った顔が見れなかったのが心残りだったわ」
「やっぱり、そうですよね」
似ていると思った自分の感覚が肯定されたからか、フィーネは嬉しそうな顔をするが、母の視線の先で少女の表情にまた影が差す。
「ミラアさん、もうこのお屋敷に来てくれないんでしょうか」
「……さあね」
母は困ったような顔をした。
「お母様がラミアさんと別れた時は、どんな気持ちだったんですか?」
「――今の貴女によく似ていたと思うわ」
「……」
胸の痛みが膨れ上がった。
ミラアと過ごすつもりだった〝これから〟という時間。
それが実現しないことに対して、大きな空虚感が生まれている。
あの銀色の髪と、紫色の瞳。
風のような笑みが、ただただ恋しい。
「ミラアさん、なんでジェルヴェールの……ローザリア卿のお城に行ってしまったんでしょうか?」
話は唐突だった。
王城に住むことを、どことなく申し訳なさそうに話して来たミラアの顔を思い出す。
そんな娘を見ながら、しばし思案し――母は食事に視線を戻して答える。
「……また会ったら、本人に訊きなさい」
夕食を済ませてから私室のバルコニーに出ると、心地良い夜風がフィーネの全身を包んだ。
上を見上げれば、澄み切った漆黒の夜空に散らばる、煌めく極小の極彩色。
フィーネの瞳と天空の狭間に薄い雲が流れる。
大きく欠けた月は、切り傷のように細く輝いていた。
「待たせたね」
忘れもしない、魂を鼓動させる声に振り向くと、もう見慣れ親しんだ護国卿の美しい顔がそこにあった。
「ここの景色はどうだい?」
グレザリア王城の最上階に位置する〝月読の塔〟。
グレザリア大聖堂の尖塔よりも高いその場所からは、天に散らばる星々と、地上に点々と広がる街の灯、そしてその境界線である遠い山々までもが見渡せた。
切り傷のように細く輝く月に、フィーネを想っていたミラアだが、護国卿の言葉に現実に還って返答を探す。
王都グレザリア、その広大さを最も実感できる場所なのかもしれない。
「美しいと思います」
ミラアは心の底から答えた。
「月の明るい夜には、城の庭と街が雪景色みたいに白く光るんだ。今夜は月が欠けてるけど」
そう語る仮初の王。
遠くを見るその瞳は少年のように煌めき、同時にここではないどこかを慈しむようにも見え、ミラアの視線と心を強く吸い込んでいく。
塔の上は直系十メートルほどの円形になっていて、背の低い銀色の柵で囲まれている。
その中心には低い円柱型の石が椅子のように置かれているだけで、視界を遮るものは何も無い。
「座ろう」
甘い笑顔に促されて、ミラアはメイド服のスカートに隠れた丸い尻を石の席に降ろす。
すぐ隣にローザリア卿も腰を下ろした。
冷たい風は、魔力の操作による体温の上昇で涼しい風へと変わり、満天の星空、数え切れぬ街の灯と共に二人を祝福しているように感じた。
「ミラア、率直な意見が欲しい」
「……はい」
僅かに固まりながらも小さく踊りそうな心を沈めて、返事をするミラア。
隣から彼女を真っ直ぐに見つめて、この国を統べる男は訊く。
「キミは、この国をどう思う?」
風が鳴いた。
「え?」
返事に困る。
ローザリア卿は、視界いっぱいに広がる街の灯を見下ろしながら言う。
「キミはキアラヴァ王国から来たと聞いている。ジャスニーから王都まで、幾つかの村や街も見ただろう。私の話も聞いたと思う。今の、この国の現状も」
「――――――」
「私はね、〝守らねば奪われる〟――そう考えているんだ」
ローザリア卿は、朗らかな笑顔で、しかし真っ直ぐにミラアを見た。
「キミは、私の知っている女性にどこか似ていてね。そのせいか、キミの目に私が、この国がどう映っているのか気になってしまう」
「――――――」
「……話の内容が飛び飛びだね、申し訳ない」
「……いえ」
言葉通りに、少なかれ自分のことでローザリア卿の頭の回転が鈍くなっているというのなら、むしろ嬉しいとミラアは思った。
「私の話を聞いてくれないか?」
「……はい、ぜひ」
こうして一人の男の物語は始まった。




