第53話 懐に潜り込む
壮大な青空に、大きく白を一塗りしたような薄い雲が、天頂から射す太陽の光で眩しく輝いていた。
二頭の白馬は、全身を銀色に光る毛並みで飾り、力強い後ろ脚とそれを支える前脚で、敷き詰められた石畳の上を堂々と歩いて行く。
引かれているのは優雅な馬車だった。
御者は漆黒の軽装に身を包んだ騎士。
四つの大きな車輪が回り、大きく曲がった状態で揺れる板バネに支えられるのは、豪華な装飾を施された黒木のキャリッジ。
板ガラスから覗く美貌は、半月前にグレザリア王国に来た、グレイス家の食客ミラア・カディルッカだ。
そんな人々の目を引く一台の馬車が進む大通り。
左右に並ぶ木造家屋たちから広がる王都の壮大な街並。
その中心に相応しい豪華絢爛な居城は、下から見上げる者たちの胸に威圧とそれ以上の感動を叩きつける。
優雅にして堅牢な城門を潜り、洗練された白亜の庭園を超え、重装備に身を包んだ黒騎士たちが守る城の正面玄関の目の前で、馬車は停まった。
キャリッジの扉が開き、皮の袋に詰め込んだ荷物を持って下車したミラアは、黒騎士に先導されて城へと歩いて行く。
城の正面玄関が開かれると、この世のものとは思えぬ異空間が広がっていた。
幾つも設けられた束ね柱は、それが支える天井の重さを語るように太く巨大で、遥か頭上高くで幾重にもなる複雑なアーチを描いている。
無数の装飾窓から差し込む光が室内に満ち満ちており、美しく輝く白亜の床には、大階段の上まで続く、豪華な赤い絨毯が敷かれている。
教会建築の粋。
舞踏会で一度来ているものの、夜の風景とは大きく異なる魅力に心を奪われる。
揺れるシャンデリアの光にエキゾチックだと感じた内装は、今や昼の陽光に眩しく照らされ、教会以上に神聖な趣を感じさせる。
かつての城主、魔王リリス・ロ・ドゥ・グレザリアが、自分自身をどういう存在だと思っていたのかが反映されているようだった。
黒騎士に案内されて、巨大な階段を上っていく。
以前入った二階を奥へと進み、さらに上の階へ向かう階段を上る。
三階といっても、天井の高さが民家のそれとは比べものにならないため、随分な高所に上っているのだと思いながら歩いて行くと、ミラアは巨大なホールに辿り着いた。
先導する黒騎士が巨大な扉を開くと、そこは広大な謁見の間だった。
入室したミラアを挟むように左右に造られた階段席に並ぶのは、黒の騎士団の中でも選りすぐりの先鋭たちだろう。
なるほど、人目で強者だと分かる風格。
室内の空気が鋼の色と香に満ちている。
ジャスニーから王都までを共にした、シュバイン商会のキャラバンを護衛した者たちなどただのハンターであり、ローザリア家やグレイス家の馬車の御者をしている黒騎士たちは、やはり御者なのだと納得させられる。
ここに並ぶ者たちは、それ程に選りすぐりの先鋭たちなのだ。
そして、ミラアの正面――ひと際高く設けられた位置に置かれた玉座には、この部屋にいる誰よりも美しい青年――〝護国卿〟キュヴィリエ・ディア・ローザリアが座っている。
その横に用意された豪華な椅子に座るのは、赤い髪を伸ばした高慢な少女、ジェルヴェール・ディア・ローザリア。
麗しい青年の夜よりも深い瞳を見て、ミラアは自らの頬に熱が宿るのを覚えた。
うう、目を逸らしたい。
「レディ・カディルッカ、よく来てくれたね!」
護国卿の心地良く大きな声が響く。
「……お久しぶりでございます、護国卿。ご無沙汰しております」
赤い絨毯の上に片膝を着く。
「頭を上げてくれ!」
見上げると、ローザリア卿の自信に満ちた優しい笑顔がミラアを歓迎していた。
「キミを城に招くのは、ジェルヴェールたっての願いだ! 歓迎するよ! 私個人としては、侍女ではなく教師として招きたかったんだけどね」
「私は、レディ・カディルッカと一緒に住みたいんです!」
横に座るフィーネに一喝され、
「ははは、この調子でね」
「……」
ミラアは、風のような微笑みを浮かべて見せる。
〝月の見る夢〟亭の奥にあるアジトで作戦会議をした夜。
ミラア、フェイ、チェスター、ルイーザ、四人の視線が集まる中で、復讐の王子ヴァル・シュバインは言った。
「まず断言するが――護国卿を打つのは至難の業だ」
ミラアを見て、訊く。
「ミラアは、舞踏会に参加して、護国卿の護衛たちを何人見た?」
舞踏会の夜を振り返る。門番の数人の黒騎士たちの姿。
城内の所々に立つ、インテリアの如く様になる兵士たちが数十人。あとは、呼ばれた客たちと会場で飲み物を配っていた多くのメイドたちが思い浮かぶ。
「たくさんいたね」
「だろう」
ヴァルは言った。
「護国卿は最強だ。だが、それでもなお護衛に抜かりは無い。視界に入る人間たち全員が護衛だと思う」
ミラアの記憶の中――料理や飲み物を運ぶメイドたちのすべてが、その動きに武術的な美しさを秘めていた。
長いスカートの中に双剣が隠されていたことは、僅かな重心の揺れと鋼の香から明白だった。
彼女たちは、全員がメイドとして働く黒騎士なのだろう。
暖炉で火が爆ぜる。
ヴァルは続ける。
「俺たちの戦力で、グレザリア王城に攻め込むのは不可能だ。かと言って、警備も厳重で忍び込むこともできない。なら、どうする?」
暗黒街の王は、皆を見た。
「俺はヴァル・シュバインだ。攻め込む必要も、忍び込む必要も無い」
集まる皆の視線に応えるように、続けて言う。
「俺が面会を求めれば、護国卿はそれに応じる」
一国を支配する男を暗殺する計画。
一見無謀にも思えるそれも、内に入ってしまえば不可能でもない。
そして、それだけの要素をこの男は既に持っているようだ。
「ただし、それだけでは不十分だ。護衛に守られた状態で、護国卿を即座に討ち取れる保証は無い」
ヴァルはミラアを見て、
「ミラア、ヤツを討ち取るのにどれだけ時間がかかる?」
「分からない」
そんなこと、やって見なければ分かるわけが無い。
底の浅い相手でないことは見てとれたが、だからこそ〝分からない〟のだ。
「そう、ミラアと奴の実力差、相性は未知数だ。だからまず近辺にいる護衛を片付け、その後奴を討ち取る。そして、その時に城内の兵士たちが寄って来ないようにしなければならない」
暗黒街の王は一度全員を見てから、再び視線をミラアに戻して言った。
「ミラア、ジェルヴェールの侍女として城に潜入して、当日火事を起こせるか?」
「レディ・カディルッカが一緒に住んでくださるなんて、夢のようですわ」
「光栄でございます」
ミラアはジェルヴェールに微笑みを返す。
ジェルヴェールとは何度か顔を合わせている上に、彼女の柔らかい物腰がミラアは好きだった。
メイドの仕事は、詰まる所城や屋敷の家事全般だ。
メイド長とも呼ばれるハウス・キーパーの下で働き、大まかには掃除やリネンを担当するハウス・メイドと、食事を担当するキッチン・メイドに分かれている。
さらに、主人の化粧や髪結い、買い物の付き添いなど身の回りの世話をする侍女と、子息息女の教育をする教師も、メイドに近しい存在であると言える。
ミラアの雇用体系は、侍女と教師を兼任するもののようだった。
高位の使用人であるため、城内に専用の居室が与えられ、ドレスに似た優雅なデザインのメイド服が支給された。
ミラアはジェルヴェールと親交を深めながら生活を共にし、城内の構造を把握。
放火するにあたって最も効果的なのは蝋燭庫だと目星を付けた。
他のメイドたちとの関係は、ジェルヴェールの威光があってか自然と良好なものになった。
ミラアと関係を悪くしてしまうと、ジェルヴェールからの印象を損ねる恐れがあるためだろう。
ヴァル・シュバインから送られる作戦の合図を待ちつつも、いざという時によりよく動けるように城の多くを把握していく。
食事はジェルヴェールと、ローザリア卿と三人でテーブルを共にした。
長いテーブルに三人で座る構図は、グレイス家で食客をしていた時を思い出す。
グレイス家が恋しくなるのを感じながらも、ローザリア卿の姿と声、その笑顔と見え隠れする心に胸を昂らせる自分がいる。
だが、計画に変更は無い。
この計画は、自分の個人的事情にとってこの上ない好機なのだから。
この国に来た目的――それに比べれば、どうせ儚い自分の恋心は元より、フィーネと過ごす時間でさえも、幾つあっても釣り合うものではない。




