第51話 歴史に刻む行い
「やあ、ミラア」
清々しいヴァル・シュバインの笑顔に正拳を叩き込むのを堪えたまま、ミラアは引きつった笑みで挨拶をする。
「こんにちはヴァル。私、貴方のその笑顔に殺意を覚えてきたんだけど」
「殺意? なんでさ?」
白い岩を荒く削り出したような質感の壁。
蝋燭の消えた大きなシャンデリア。
いくつかの黒いテーブルと白いソファーの並ぶ綺麗な店内には客はおらず、板ガラスが嵌め込まれた窓からは昼間の陽光が射し込んでいる。
開店前の〝月の見る夢〟亭。
黒塗りのテーブルに広げられた料理を食べながら、ヴァル・シュバインはきょとんとした顔で、入って来たばかりのミラアを見ている。
店内には今、ヴァルとミラアの二人しかいない。
カウンターの奥では誰かが何かをやっている気配があるが、何をしているのかはヴァルの目の前に広げられた料理を見ればすぐに予想がついた。
ミラアは、ジェルヴェールの恋心を利用しているこの男を冷ややかに見ながら、彼の座るテーブルまで歩いていき、
「最低な男は、自覚の無さも含めて最低だって言うけど」
青年の正面に置かれた椅子に、ドカッと座って言った。
そんなミラアにヴァルが反応する。
「最低な男のクセに自覚がない?それは致命的なヤツだな」
「アンタのことだよ!(笑)」
大きくツッコむミラアに、ヴァルは優しい笑顔を向けて言う。
「直情的なところがフィーネに似て来たね。そんなに彼女が大事かい?」
「!」
ミラアは顔をしかめた。
この状況でフィーネの名前、しかもファースト・ネームを出したことに、何か含みを感じたからだ。
だが、すぐに冷めた笑みを浮かべて答える。
「ジャスニーからの付き合いだからねー」
「そっか。じゃあ、そのフィーネを助けるために、戦争を止めさせるつもりはないかい?」
来た、とミラアは思った。
ここに来る前から、この話をされることは予想していた。
ヴァルの計画のキーがミラアであることは、以前ジャック・シャムシェイルが収監されている独房で盗み聞きしているからだ。
ヴァル・シュバインは、ミラアがフィーネに拘っていることに気付いている。
それで、フィーネを守るというミラアの目的をちらつかせ、利害関係の一致を提示し、ミラアに協力させようという魂胆だろう。
いや、この男の場合は〝協力〟ではなく〝利用〟と言った方がニュアンスとして正しいか。
だがそれは、ミラアにとってもこの上なく好都合なことだ。
そもそもこの国に来た目的を思えば〝渡りに舟〟というヤツだろう。
「具体的に言うと?」
感情を含めずに訊くミラアに、ヴァル・シュバインは答えた。
「〝護国卿〟キュヴィリエ・ディア・ローザリアの暗殺」
沈黙が落ちる。
誰もいない店内の空気が緊張した。
改めて周囲に意識を配るが、カウンターの奥を除いて、人や使い魔などの気配はない。
この男がこの場でこの話をするということは、カウンターの奥で作業を行う人物は、よほど信用に足る者なのだろう。
ミラアは、ヴァルの瞳の奥を観察するような目で訊く。
「護国卿を殺してどうするの?」
「俺が王になる」
通常ならば、口にするのも恐れ多い言葉を多用した、まるで冗談のような会話。
「ヴァインシュヴァルツ王子」
ミラアは目の前に座る青年の本名を口にした。
「フィーネから聞いたかい?」
不敵な笑みを崩さずに問いかける青年。
本当はカタリーナから聞いたのだが――
「私の予想」
――万が一、迷惑がかかることを恐れて、そう答えた。
「ほう」
ミラアの言葉を信じて、その勘の良さを買ったのか。
或いは、今なおグレイス家の立場を庇う姿勢に感心したのか。
暗黒街の王は、これまでの親しみやすいあどけなさを脱ぎ捨てて――ミラア・カディルッカの前で、初めてその野性的な瞳を開いた。
「話が早くていい」
開く口に牙は無い。
当然ながら、妖艶な美貌は変わらない。
ただ、そこには復讐を誓う若きマフィアのボスの顔があった。
「俺が王になれば、人類王国連盟はグレザリア王国を標的としない。それどころか、この国は再び人類王国連盟にその名を連ねることになる」
ミラアは黙って話を聞いていた。
「どうだミラア、お前が護国卿を殺せるのなら、フィーネには未来永劫平穏で満ち足りた生活を保障してやる」
「そもそも貴方の幼馴染だしね」
「――ビジネスに私情は挟まない」
「――」
ヴァル・シュバインが人情家であったのなら、ミラアはフィーネの未来に安心することができると思っていた。
この男と幼馴染みという関係があるから。
だが、こうして面と向かって話してみて、ミラアは別の思惑を感じていた。
この男にとって、今回の革命及び暗殺計画はビジネス的な思考によって行われているということ。
そして、その上で行った約束はビジネスの上で決行される〝契約〟であり、この男がそれを私情によって変えることはないのではないかということ。
つまり、薄情であるが故に信条は守るのではないか。
ミラアは少し思案し、
「相手は〝竜殺し〟のローザリア卿だよ。本気で私が勝てると思ってる?」
「……ああ。むしろお前じゃなきゃ勝てないと思ってるな」
確信を持った表情を見せるヴァル。
その台詞を言う前の間が引っ掛かるが。
「なんで?」
「……フェイとチェスターからの話だ」
長い銀髪の下で、形の良い唇の端がつり上がる。
ミラアの脳裏に蘇る記憶。
王都に着く前、隊商にて数体のワイバーン相手に苦戦したこと。
そして修道院で目を覚まし、フェイとチェスターと話をしたこと。
「……あの二人が、私が護国卿に勝てるって?」
鼻で笑う。
有り得ないだろう。
小型の飛竜に苦戦した女が、かのローザリア卿に敵うなど。
「……」
ヴァルが何かを思案した瞬間、
「私の意見もあるわ」
よく通る声が、店内に響いた。
目を向けると、赤い髪を長く伸ばした若い女が立っていた。
カウンターの奥の気配が消えていることから、ヴァルに料理を振る舞って店内に姿を見せなかったのは彼女だということが分かる。
その服装は、料亭の女将といった風情。
使い方の上手い薄い化粧が、彼女をより清楚で懸命に生きる面倒見の良い女性感を演出している。
もしかして、とミラアは思った。
「ルイーザ?」
同じ赤い髪の、まったく雰囲気の異なる女性の名前を口にする。
「そうよ」
ニッコリと微笑む料亭の女将に、赤髪の女豹ルイーザ・アイフィルの面影は無い。
強いて言えば、顔の美しさと、髪質がよく似ている程度。
その人相は最早別人であり、体型は服で分からないが、全身から放たれる家庭的なオーラは、美しきSランクハンターのそれとはかけ離れていた。
「別人じゃん」
目を丸くするミラアに、ルイーザは笑顔を少しだけ深めた。
「私とフェイとチェスター。シュバイン商会きってのSクラスハンター三人が、声を揃えて貴女を指名したんだもん。この子が貴女を選ぶのも納得いくでしょ?」
ルイーザはミラアの腕を高く買っている。
それは、カマイタチの事件の時からだろう。
「もしかして、そのためのカマイタチの依頼?」
「半分な」
ルイーザが話に割り込んで来たことが内心気に入らないのだろうか。
少ししかめっ面で答えるヴァル。
その横でルイーザが続ける。
「でも、私たちがカマイタチに困っていたのは本当。もともと私も探してたのよ」
「それで、試験の意味も兼ねて私に依頼したわけか」
試されることは、ハンターの世界では日常茶飯事だ。
特に憤りを感じることはない。
「ルイーザも参加するの?今回の計画」
ルイーザに訊くミラアに答えたのはヴァルだった。
「彼女は前線には出ない。社交界への根回しの方で活躍してもらったからな。それに、戦闘ではお前やフェイ、チェスターの足を引っ張ることになりかねん」
「ふうん……一個聞いていい?」
「なんだ?」
冷たい自信に満ちたヴァルの笑みを見ながら、
「ローザリア卿を暗殺して、アンタが王サマになる――社交界はそれを認めるの?」
ヴァルは不敵な笑みを深めて答える。
「ああ。何度も言うが、彼らはそれを望んでる」
「根回しは済んでると」
「ああ」
「じゃあ、もし私がこの国に来なかったらどうしてたの?」
「――――――」
ヴァルは目線を斜め下に向け、思案し、
「……別の手を考えたな」
「まだ考えてないわけ?」
「……具体的には、な」
ミラアは涼しくもつまらなさそうな表情を浮かべ、
「……なんか、私がこの国に来ることが分かってたみたいだね」
「――――――分かるわけないだろ。俺はずっとこの王都にいたんだから」
「ふうん」
何か隠してるな、とミラアは思った。
もしミラアが来たことが意外だったのなら、むしろミラアの存在を知らなかった時点での計画を仄めかせてもいいはずだ。
或いは、社交界からの要請で、ヴァルは王に担がれそうなっていて、本人も困っていたのだろうか。
まだ、この計画でミラアが囮扱いだということもあり得る。
何にせよ、答えは決まっていた。
「……いいよ。護国卿の暗殺、協力するよ」
冷めた表情のまま答えるミラアを、ヴァルは見つめて言う。
「ただし、この話はローザリア卿に勝てる者がいなければ成り立たない」
ミラアの実力に期待していると言いたいのだろう。
「そう?」
ミラアはあっけらかんと訊く。
「何人かで戦えば、実力が低くても勝てるんじゃない?」
ヴァルは落胆するように顔を歪めた。
「奴は強力な魔術師だ。雑魚が何人いようと、まとめて葬られる」
「でも、必ずしも誰かが実力で凌駕してなくちゃならないってことはないんじゃない?」
「……」
言われて、ヴァルは確かにそうかもしれないと思った。
個々の実力が高いに越したことはないが、要は魔術で纏めて葬られなければいい話だ。
あとは、チームワークで戦い、最終的に相手に勝てればいい。
「貴方さ」
ミラアの紫色の瞳がヴァルを映す。
「もしかして、自分の兵隊が死なないように、とか考えてない?」
黒髪の青年は表情を変えずに、
「――ビジネスに私情は――」
「理性はね。貴方の本能――深層意識の問題だよ」
「――――」
その口を閉ざした。
そんな青年をしばし見ていたが、ミラアは溜め息をついて言った。
「私がローザリア卿より強いのかは分からない。でも、貴方の画策通りに私一人で戦うよ。ただ――貴方も命を懸けて」
「当然だ」
ヴァルの瞳がミラアを睨む。
彼女は彼を睨み返して、
「貴方の部下の命も懸けて」
一瞬の躊躇いを挟んで、
「――――ああ」
「……」
とんだガキだ、とミラアは思った。
一国を覆そうと言うのに、まるで覚悟が足らない。
人としての印象は――まぁ、かなり良くはなったけど。




