第50話 想い人に従う想い
「フィーネ、それにレディ・カディルッカ。ご機嫌麗しゅうございます」
グレイス屋敷の広い玄関ホール。
ジェルヴェールの流麗なカテーシーに対して、ミラアとフィーネも同じくカテーシーを行う。
「突然どうしたの?」
ジェルヴェールに訊くフィーネのフランクな口調が、ミラアには新鮮だ。
「レディ・カディルッカにお話があるの」
淡々と答えるジェルヴェールを、フィーネは睨んで、
「知ってるけど。何、私には教えてくれないの?」
「そうね。私からのお話は、つまりヴァルが呼んでるってこと」
若き暗黒街の王の、妖艶な笑みがミラアの脳裏をよぎる。
それはフィーネも同じだったのだろうか。
「あいつー」
苛立ちを顔に出して、虚空に向かって毒づいた。
「ジェルヴェール、あいつ貴女のこと使いすぎじゃない?」
軽く捲し立てるフィーネに、ジェルヴェールは笑顔で答える。
「彼の身分じゃ、このお屋敷にお手紙出せないでしょ。お呼びしたいのは、食客のレディ・カディルッカだし」
マフィアが貴族の家に〝そちらに居候しております、戸籍も市民権も無い者を呼んでください〟という手紙を出して、その貴族にわざわざ読ませる様子をミラアは想像した。
確かに、失礼極まりない。
かといって、連絡もなく屋敷に行くのは、貴族にとって非常識この上無い。
「だからって、貴女尽くしすぎよ。だからあいつが付け上がる――」
「あら、私が尽くさなくても、彼はいつでも付け上がってるわ」
もはや表情だけで抗議をするフィーネと、あっけらかんとしたジェルヴェール。
二人を尻目に、ミラアは独房で盗み聞きしたヴァル・シュバインとジャック・シャムシェイルの会話を思い出した。
〝「――ジェルヴェールは知らないからだ」
「……何も知らずに、お前に利用されているということか?」
「……ああ」〟
今ミラアの目の前で、当たり前であるかのようにヴァル・シュバインに尽くしている赤い髪の美少女。
フィーネの親友。
きっと彼女は、ヴァルと恋仲になっているのだろう。
愛する男に利用され、育ての父親を暗殺する計画を手伝わされているとも知らずに。
ミラアは、ヴァル・シュバインのことを、益々気食わないと思った。
だが、その狡猾さが今回の計画に必要不可欠であり、その手段でしかこの国を戦争の業火から救うことができないのは事実だ。
「では、ディア・ローザリア嬢。私を彼の下へ連れていってくださいますか?」
笑顔で訊くミラアに、ジェルヴェールも笑顔で答える。
「ええ、御快諾して頂き何よりですわ」
「ちょっと!」
フィーネはまだ納得していないようで、目くじらを立ててジェルヴェールに言い寄る。
「あら、フィーネ。淑女たるものがそんな顔をしていては、殿方が逃げてしまいますわ」
「私は……!」
「すでにお相手がいるんですの?」
「……!」
精悍な少女が顔を赤らめる。
直情的なのは、怒りに限ったことではない。
素直なフィーネを、やはりミラアは愛しく感じた。
ジェルヴェールは彼女の耳元に口を近付け、一言。
「貴女のお相手も、美味しい空気を吸えるかも……ですわよ」
フィーネが何かを言いたそうに目を見開くが、ジェルヴェールは笑顔を背けて、
「では、レディ・カディルッカ。ご一緒に来てくださるかしら?」
「ええ」
ジェルヴェールの動きに合わせて扉を開くメイドたち。
ジェルヴェールと共に庭へと向かうミラアは、振り返るようして一度だけフィーネに微笑んだ。
二階の窓ガラス越からカタリーナの視線を感じながら、外門の前に停まっている豪華な馬車へと、広い庭を歩いて行く。
貴金属による装飾が施されたキャリッジへ乗り込むと、柔らかいサスペンションが効いて、車体が滑らかに僅かに沈んだ。
ジェルヴェールと並んで座席に座ると扉が閉まり、御者台の上に座った黒騎士が手綱を握り、馬車がゆっくりと走り出す。
船にも似た、柔らかい乗り心地。
景色は前から後ろへと流れていく。
ミラアの隣に座って外を眺める、ジェルヴェール・ディア・ローザリア嬢は美しかった。
風の無い室内で、赤く伸びた髪を耳に掛ける。
僅かに香る甘い芳香が、意図せずミラアの鼻腔をくすぐり、胸に満ちる。
脳裏に浮かぶヴァル・シュバインの妖艶な笑み。
(ホントに〝最低な男〟だねー)
胸中で呟くも、そのおかげでこの国を戦争から避けるための手立てが見つかったのだと思うと、複雑な感情を覚える。
ジェルヴェールの気持ちを察しようとしたら、なぜか舞踏会で出会った護国卿キュヴィリエ・ディア・ローザリアの顔が浮かび上がってきた。
あのフロアでひと際目を引いた、黒髪の美しい青年。
ミラアと重なった視線。
決して薄れることのない自信を感じさせる、精悍で真摯な瞳。
悪魔的に甘く、妖艶で真摯な表情と雰囲気。
理解や共感を超えた、潰えることのない安らぎをくれた、あの微笑み。
理解して欲しいと思うところまでを理解し、信じて欲しいと思うところまでを信じ、伝えられればと思う彼女自身を確かに受け取ったと安心させてくれる。
それでいて、世の残酷さに負けない強さで、きっと自分を守ってくれる。
直感的にそう感じさせた青年。
(理想の――ね)
ミラアは溜め息をついた。
それを見たジェルヴェールは、
「恋の病ですか?」
と訊ねてきた。
「は?」
目を丸くしたミラアは、慌てて笑顔を繕う。
「は、はい。昔の男のことを、ちょっと……」
すぐに遠い過去を振り返った。
嘘をつくなら、より多くの事実を含んだ方が、信憑性が高まるというものだ。
「昔、恋人がいまして。最初は上手くいっていたのですが、だんだん意見が合わなくなってしまって。気付いた時には、彼がどういう人なのか分からなくなっていました」
自分自身の独白によって、古い感傷が気分を暗く染めていく。
この話を思い出したことを少し後悔した。
そこに気付いてか気付かずか、ジェルヴェールは共感するように言う。
「ありますわよね、そういう恋も」
馬車は市街地を抜けていく。
歩く人々。
店を構える者、買い物に歩く者、大きな荷物を運ぶ者。
語らう男女と走る子供たち。
彼らの住む家々。
そんなこの街のすべてを見ながら、ジェルヴェールは言った。
「私の想い人の受け売りなのですが――人と人の絆が歪む、或いは綻ぶのは、それまでに重ねた時間の過ごし方がそうさせている。別れはその結果であり、原因は過ごしていた時間にすでに起こり続けていたのだと」
「――」
まだ二十歳に満たないであろう少女の言葉が、ミラアの胸を爽快に走り抜けた。
言われてみれば当たり前の話だが、自ら気付く者はきっと多くないと思う。
ヴァル・シュバインからの受け売りなのだろうなと思ったが、そこに触れていいのか分からずにいると、ジェルヴェールの方からその男の名を出す。
「私とヴァルが恋仲なのはご存知ですか?」
「――予想はしていました」
「ヴァルは、今回の戦争に対して何か妙案があるようです。お義父様にお力添えをするために、今はその妙案を実現させる準備をしていると――私にだけ教えてくれました」
それは違う、とミラアは思った。
貴女は騙されている、と思いながらも、
「そうですか」
ミラアの口は状況に合わせた発言をする。
「今日、貴女をお呼びしたのもその話だと思いますわ。その内容について私は存じませんが」
ジェルヴェールはミラアを真っ直ぐに見て、
「もし、彼の話に応えてくださるのでしたら、私はローザリア家第一息女として、貴女を全面的に支援致します」
ミラアは自らの感情を隠したまま、その視線を受け止めて、精悍な笑顔で一言。
「――光栄にございます」




