第48話 悪魔と契約した男
人が妖艶なるものに魅了されるのは、その香の素が深い快楽にあることを知っているから。
そうした意味で、漆黒のヴェールで顔を隠していようと、その女は蠱惑的な魅力を醸し出していた。
所々露出した白い肌は雪のように美しく、薄い服から分かる身体のラインは柔らかく、女性として最高の黄金比を思わせるものだ。
金色の髪は長く美しく、触れてみたいと思わせる艶と香りを帯びている。
もし、これ程の魅力を備えていたなら、世の女性たちはその人生をどう謳歌するのだろうか。
「順調のようね」
占い師を連想させる衣服に身を包んだ女の声は、夜の氷よりも冷たく、真冬の夜空よりも美しい音色だった。
「ああ」
それに答えるのは、妖艶な美青年。
少し伸ばした黒い髪と、精悍で知的で不敵な瞳が強い印象を与える、暗黒街の王ヴァル・シュバイン。
大きなソファーに並ぶよう座る二人。
そこは漆黒のカーテンに包まれた、窓ひとつない円形の部屋だった。
ただ奇妙なことは、そよ風一つ無いその部屋の天井一面には、満天の星空が広がっていることだ。
そこには、有り得ないほどに巨大な満月が煌々と輝いていて、二人のいる部屋を美しく照らしていた。
時折流れ星が見える天上の絶景には見飽きているのか、ヴァル・シュバインは淡々と告げる。
「ジャックが真犯人だったのか、ただの囮だったのか。複数犯だったのか。色んな線は考えられるが、黒幕が護国卿だという確信は掴めた。お前の言う通りだな」
フードに隠れて見えない美貌から、星の香と月の音色が答える。
「新しい〝カマイタチ〟も現れる様子がないわ」
これまでにも、見えぬはずのものを数多く見抜いて来たその女の横顔を見ていたヴァルは、視線を外して遠くを見る。
「俺は、あの日――――――ルイーザに助けられて城から逃げてきたあの日から、ずっとお前に知恵を貰って生きて来た」
思い描く過去の情景はいかなるものか。
だが、誰も知らない歴史をこの二人は共有してきたのだろう。
「ずっと、お前の判断に狂いはなかった。誰も俺を――お前の知恵を超える者はいなかった」
漆黒のヴェールの下で、女が笑った気がした。
「アルテミス」
青年は、神教における月の女神の名を呼ぶ。
「お前の知恵に疑心はないが、ミラア・カディルッカは本当にヤツに勝てるのか?」
その瞳には明らかな猜疑心が浮かんでいる。
アルテミスと呼ばれた女は、揺るがない答えを口にする。
「ええ、むしろ彼女でなければ勝てないでしょうね。あの男には、誰も勝てない。現グレザリア王国史上、最初にして最強の魔術師なのだから」
その言い方はどこか誇らしげにも思えたが、浮かぶ疑心を殺しながらも、ヴァルは誰よりも信頼できる女神に言う。
「ならば、これでこの国は俺のものになるわけだ」
遠くを見る赤い瞳。
その横顔に、月の女神は何を思うのか。
そのヴェールの下の表情は伺えない。
「アルテミス。お前が何者かは、結局今でも分からない。俺はお前を神ではなく、悪魔の類だと思っているが――お前は本当は、俺に何を望んでるんだ?」
「貴方がつくるこの国を見せて欲しいの」
「……」
幾度も問いかけ、返って来た答え。
冷たい視線を向ける妖艶な青年に、蠱惑そのものを形にした美しい悪魔が寄り添う。
青年の胸の奥から、熱く甘い何かが全身に広がり、意識にまで満ちていく。
「あの子、ジェルヴェール――――私たちのこと知ったら、妬くかしら?」
「……計画が台無しになるだろうな」
「あら、それはダメね」
美しき悪魔と契約した、妖艶なる魔王ヴァル・シュバイン――――本名ヴァインシュヴァルツ・ロ・ドゥ・グレザリア。
若き魔王と月の女神。
禁忌なる行いを誰も知らない。
「……行方不明の王子様が、マフィアのボスかぁ」
〝暗黒街の王〟などという、比喩的な王ではない。
グレザリア王国の王――それが彼の、あるべき姿だという。
ミラアはカタリーナを見た。
空色に光る彼女の瞳もまた、ミラアを真っ直ぐに見ている。
「王家暗殺失踪事件――あの夜から彼がどこでどうやって暮らしていたのかは誰も知らない。でも、私は幼い頃の彼を知っているから……」
カタリーナの立場でも、触れられないこの国の暗部。
ミラアは不快感を与えないように追及する。
「ヴァル・シュバインが失踪した王子様なら、よく護国卿は彼を生かしてるね。面識はあるんでしょ?」
「……私には、護国卿の真意は分からないわ」
「……」
ローザリア卿の考えはよく分からない。
それは誰もが同じなのだろう。
志を持った独裁者とはそういうものだ。
牢獄の独房でヴァルがジャックにした話を聞いた時、すぐにローザリア卿の支配する現政権に対して革命を起こすのだと確信できた。
そこで浮かんだ疑問は、なぜ、そしてどうやってローザリア政権を覆そうとするのかだった。
現政権が気に食わないとしても、指導者がいなければ国は崩壊する。
ましてや、これから戦争が始まるというこのタイミングで。
もちろん、ヴァルが他国からの差し金だという線も考えた。
だが、ヴァル・シュバインが正当な王位継承権を持っているならば話は別だ。
護国卿という名の仮初の王は王座を降り、由緒正しき王が国を支配する。
もし他の貴族たちがヴァル・シュバインではなくローザリア卿を支持していたとしても、王が正当な血筋でないが故に戦争になるというこの現状で、ヴァル・シュバインが王座に就けば戦争はなくなるのだから、誰もが革命を求めることも目に見える。
(みんな、死にたくないから)
そして、死なせたくないのだろう。
己が愛する者たちを。
読めなかった話が見通せたことで、心の靄が晴れた気がした。
ただ、ひとつ疑問が残る。
これは、真っ向から政府を叩き潰すような革命ではなく、目標をローザリア卿に絞った暗殺計画だ。
ヴァルの話によると、そのためにミラアの力を利用しようとしているようだった。
そこで、なぜ自分が選ばれたのか。
ミラア自身には思い当たる節があったが、それをヴァルが知っているということが不自然だった。
もしその理由でないのなら、ただ腕の立つSクラスハンターだという理由だろうか。
或いは女としての活躍を期待しているのだろうか。
(それは本人に訊くしかないとして)
ミラアは、改めてカタリーナを見た。
「カタリーナは、どう思う?」
ミラアの唇から迷いが零れる。
「ローザリア卿が死んでヴァルが王位を継いだ方が、この国は良くなるのかな?」
「分からないけど――戦争は止められるわね。ローザリア卿ではなくヴァインシュヴァルツ王子が王になれば、連盟側に戦争をする理由がなくなるから」
それを聞いているミラアの表情からは、いつもの軽快な余裕も、涼しさの裏に潜む精悍さも完全に失われている。
まるで、何か大変なことをして、怒られそうな子供――カタリーナの目にはそう写った。
国を左右する選択を迫られたとしたら、誰もがその責任に怖れを抱くのかもしれない。
しかし、ミラアにはもっと別の理由があるような気がして、公爵夫人は少し俯いた紫色の瞳を覗き込んだ。
昨日よりも赤みが強いように感じる紫色の瞳。
瞳孔は不安に揺れ、不穏な心に飲まれているようにも見える。
「ミラア」
カタリーナの声に、ミラアは顔を上げる。
「このままでは、この国は滅んでしまうかもしれない」
赤紫色の瞳が揺れる。
かつて、最強の魔女から二刀を操る術を授かった女剣士。
その後、公爵夫人という地位を得たカタリーナは、目の前に立つ女ハンターを見つめたまま続けた。
「私たちは、貴女に助けを求めてもいいの?」
ミラアの胸を、熱が強く打った。




