第46話 計画
「〝俺〟じゃない。ハッキリ言えば〝俺たち〟ですらない。この国の貴族たちは皆、戦争で滅ぶ未来など認めていないんだよ」
ヴァルの言葉に、ジャックは思案した。
この男の言わんとしていることは分かる。
だが、それを口に出して確認することができない。
この国で、その話をすることなどできない。
法によって定められている上に、日々そうやって生きているが故の習慣性。
だが、ヴァルのしようとしていることは、きっとそれなのだろうとジャックは確信した。
それを前提にして、ジャックは地下牢に静かな言葉を響かせる。
「〝竜殺し〟――そして、この国を建国した伝説の魔術師。百年の時を生きた――悪魔と契約したとされるお方だ。人間ですらないかもしれない。伊達ではないぞ。それに、あの方はジェルヴェールの義父親だろう?」
「ジェルヴェールは関係ない」
「なぜだ?」
「――ジェルヴェールは知らないからだ」
「……何も知らずに、お前に利用されているということか?」
「・・・・ああ」
沈黙が落ちる。
ヴァルはそれ以上語らない。
ジャックもそれ以上追及しなかった。
踏み込むべきではない他者の領域だと判断したのだろう。
「だが、どうするつもりだ?」
牢の中から外へ、結跏趺坐を維持する囚人は訊いた。
話に食いつくのは、フィーネの幸せがそこにあるからだ。
彼女のためならば、仮初の君主などどうとも思わない。
そんな自分を実感しながら、ジャックはヴァルに訊く。
「この国に〝黒の騎士団〟を超える軍隊は無い。地方の貴族たちも、すでに黒の騎士団の管轄下だ。グレザリア王国軍ですら、もはや太刀打ちできんぞ」
相手はこの国を完全に手中に収めている。
いくら他の貴族たちが強い反感を秘めているとは言え、恐怖によって支配されたこの国は、仮初の王に謀反を企てる気骨も武力も残っていない。
ヴァルは当然のように言う。
「あの方のカリスマ性は本物だ。だから独裁に走る――自分程適任な指導者が他にいないからな。そういうリーダーにとっては、外野の話など聞くだけ無駄なんだよ。そして、そこが弱点だ」
目の前で語るヴァルの話とは別に、ジャックの脳裏にかつて師から授かった言葉が蘇ってくる。
〝私は騎士だ。騎士としての器しかない。王の器とは、私が生きる道とはその根本が異なるものだと私は思う〟
ヴァルは不敵な笑みを浮かべて、
「主柱を叩き折れば、大きな建物は自らの重みで崩れる」
記憶の中で語る師の言葉は続く。
〝王の器を持つ者に対して、我々騎士は剣を振るおうとさえ思えぬものだ。むしろ、何のために剣を振るうのか。それを示されたような気持ちになる〟
目の前で、ヴァル・シュバインは続ける。
「かつて、四大魔王は滅んだ。独裁者によって運営された国は、独裁者の死によって簡単に崩壊したんだ」
〝だからな、ジャックよ。お前が仕える君主は私では無い。そして、もしその者と出会った時は、迷わずその手を取るがいい。さもなくば、お前が剣を振るって歩いていく道は、困惑に満ちた不毛なるものとなるだろう〟
「だから、必要なのは竜よりも強いカードだ」
〝護国卿キュヴィリエ・ディア・ローザリア。今、この国を導けるのはあの方しかいない。私はそう思う。だから、私はあの方の下でこの国を守り続けようと思っている〟
かつてそう語った師。
ジャックは胸中で呟いた。
(師よ。言い換えれば、貴方は好んでローザリア卿に国を任せているわけではないのですね。ただ、他に国を統治する者がいないから、と)
迷いが晴れた気がした。
だが、まだ決めるのは早い。
兵法は師から学んでいる。
戦力が分からぬ国と手を結ぶ程阿呆では無い。
「〝竜殺し〟よりも強い者か。そんな者、この国にはいない」
〝剣聖〟を除いて、黒の騎士団最強の剣士と謳われる青年は続ける。
「いいか、お前のところにいるミルバーン兄弟。あの二人でさえ、俺とさほど変わらんような実力だろう」
「それは光栄だな」
意外そうに言うヴァルに構わず、ジャックは続ける。
「お前は竜種と戦ったことがあるか?」
「いや?」
「他の魔獣は?」
「いや?」
「ああ、もういい」
ジャックは思いっきり顔をしかめて、少し思案してから、
「世間では話に尾ひれが付いているようだが、護国卿は一人でドラゴンを倒したわけじゃない。一個中隊を率いて討伐に行き、一人生き残って帰ってきたんだ」
「ほう」
確かに護国卿が一人でドラゴンを討伐した英雄譚を想像している者も多いようだが、現実はそんなものだと思う。
ただ、それ以上に疑問が浮かんだ。
「魔獣一体に対して、一個中隊か」
「大袈裟だと思うか?」
「いや、詳しくないから私見はしない」
ヴァルはシュバイン商会の元締めだ。
スパイス輸送における魔獣のリスクは把握している。
そんなヴァルが想像する竜種は、小型の飛竜に属するものだ。
伝説のドラゴンの巨大さはその比ではないと聞くが、ドラゴンを見て生き残れた者など多くないのだから、正直よく知らない。
鉄格子の向こうから、ジャックが精悍な表情で言う。
「ドラゴンはな、ただの魔獣ではない。魔獣の姿をした悪魔だ」
史実に時々登場するドラゴンは、この世界の災厄のひとつだ。
一体の目撃情報が出ると、既にその近辺の村は全滅していたりする。
そこで軍隊が派遣され、〝竜殺し〟が行われるのだ。
かつて、四大王国それぞれを統べていた魔王たちも、ドラゴンの出現には苦悩していたというのは有名な話で、今はもうその個体が確認されることがなくなったものの、話に聞く恐ろしさについては当然ヴァルも熟知しているのだが。
「……こうしてお前の口から聞くと、自分の無知さを思い知らされるな」
「お前も一度ぐらい、王都から外に出てみろ」
「……」
痛いところを突くな、とヴァルはジャックを睨んでから、気を取り直して訊ねる。
「ミラア・カディルッカと戦ったんだろ?」
「……あの女か」
ジャックの脳裏に、既に日付感覚が曖昧で定かではないが、恐らく昨夜であろう光景が蘇る。
銀色の長い髪。
心の底を見せない紫色の不敵な瞳。
流麗な太刀筋に重たい剣撃、小型の魔獣すら仕留められるかもしれないレベルの魔術。
確かにアーティファクトである魔剣を用いても、自分では勝ち得ない強者だった。
彼女が、自分を殺す気で剣を振るって来なかったことが救いだったと安堵している。
しかし――。
「ヴァル、お前はそもそもを間違えている。確かに、あの銀髪の女は強かった。俺やミルバーン兄弟、そしてカタリーナ様をも凌ぐだろう。装備によっては、我が師に迫るかもしれん。しかし、お前の言う相手は人の領域では無いのだ」
そう言われて、ヴァルは何かを模索するような表情を見せた。
絶対に狂わない指針が、どうにもおかしな方向を示しているという事実に困惑するように。
そして、
「……レディ・カディルッカは、魔術でワイバーンを倒したそうだ」
「ああ、聞いている」
と、ジャック。
「それでも、だ。あの方が倒したのは大型の竜種だ。小型の飛竜では無い」
「……そうだな」
再び沈黙が落ちる。
少しの間を置いて、それを破ったのはヴァルだった。
「とにかく、俺が話したことは他言無用だ。誰にも話すな」
「無論、承知の上だ」
「お前がカマイタチだということ、あの方の指示でウチの街娼たちを斬り殺していたこと。それを公には――特にシスター・マチルダには黙っていてやる」
「……」
「それで、護国卿の目的は何だ? 嫌がらせか? 俺とジェルヴェールが恋仲だから?」
金と異性は人を狂わせる。
それが権力者ならばなおさらだ。
「……」
しばしの間を開けて、ジャックが訊く。
「……一つ聞きたい」
「答えねぇクセに質問か」
鼻で笑う暗黒街の王に構わず、囚人は訊く。
「なぜ、それを俺に話した?」
「――お前が守ろうとしてるフィーネは、俺の仲間だからだ。それに、お前もな――」
そんな台詞を残して、目を伏せ、踵を返す。
細くも広い背中を向けながら――淡々とした足音と共に暗黒街の王は去っていく。
ランタンの灯を手にしたその後ろ姿に王の貫禄を見ながら、ジャックは幼き日の四人を思い返した。
道は違えど、想い変わらず。
遠く扉が開いて、また閉まる。
ヴァル・シュバインが去った独房は、連続殺人犯を一人残したまま、完全なる闇に閉ざされた。
グレザリア王国の誇る王都監獄。
面会目的で独房に入るためには看守の許可を得て、一本しかない石造りの通路を通らねばならない。
ジャック・シャムシェイルが投獄されている牢屋から、ヴァル・シュバインが姿を消した扉まで続く通路は、今や完全なる暗闇に包まれている。
もし完全なる闇を見る者がここにいたのなら、腕を組んで目を瞑ったまま、石壁に体重を預けるミラア・カディルッカの姿が見えただろう。




